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浮世の画家



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【この小説が収録されている参考書籍】
浮世の画家
浮世の画家 (中公文庫)
浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)

浮世の画家の評価: 3.98/5点 レビュー 56件。 Dランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.98pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全39件 21~39 2/2ページ
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No.19:
(4pt)

ノーベル賞と聞いて

初めてカズオイシグロさんの作品を読んでみました。読みやすい作品でした。
浮世の画家Amazon書評・レビュー:浮世の画家より
4120016471
No.18:
(5pt)

戦争前後で右往左往した日本の芸術界を描く

戦争によって、「みぎ」が「ひだり」に変わるくらい大きな変化が
日本の社会にもたらされ、日本の伝統的な文化や芸術、風俗までが
劇的に移ろい漂流した時期の浮世の人間模様を描いた物語です。

なつかしい時代風景を、日本人の両親を持つ英国の作家が
ノスタルジックに描いた傑作です。

カズオ・イシグロの文章は分かりやすく、読者を引き付けます。
加えて、翻訳者のアトラクティブな日本語がすばらしく、
最後まで一気に読み通せました。

第二次世界大戦の敗戦から三年後「1948年10月」の日本が、舞台。
「1948年10月」から「1950年6月」までの物語。
空襲による焼け野原から復興に人々が立ち上がり始めた時期。

主人公は、戦前に精神主義的で愛国的な画風で戦争を鼓舞した
日本画家。戦後は引退したが、過去をまだ引きずっています。

身の回りは、戦前のことは「忘れた」かのように忙しく復興に、
新しい時代に立ち向かっている人々ばかり。
そんな人々の間で、戦後五年たってもいまだに自身の戦前の
愛国的行動が人々の命を無駄に失わせたのではないか、
と思い悩んでいる老いた画家の日常がリアルに描かれています。

そんな、世間から浮いてしまった存在の老人を取り囲む人々の
なにげない言動が老画家をいらだたせます。

終戦とは言わず、あくまで「敗戦」と語る主人公の「わたし」は
戦争責任のようなものを感じて、自虐的になっているようですが、
「その時には信念に従って実行したという自覚を持ち、そこに
満足を感じている」(300頁)というプライドも引きずってます。

「わたし」は娘たちや孫とも会話がズレてしまう、誇り高き老人。
自分が過去に美術界に関係していたことが娘の縁談に悪影響する、
縁談を左右するのでは、と右往左往して、気に病み続ける父親です。

娘のほうは、そんな父親の考え方自体「よくわからないわ」(288頁)
と、きっぱり。

日本人の両親から日本で生まれ、日本で五歳まで育った英国人の著者
イシグロ。
「ふるさと」日本のイメージをもとにして、敗戦後まもない日本社会
を、日本の社会の外から、クールに客観的にながめています、老人の
ように。若きイシグロは本作品刊行(1986年)当時、32歳。

「われわれのアメリカ追随はいささか急ぎすぎだと心配になることは
ないだろうか」(276頁)と老人の口をかりて疑問を投げかけています。
当時の日本社会の混乱は、老人には目に余るものだったのでしょう。

この作品は、おおむね当時の実際の日本に沿った記述にはなっています。
しかし、やはり著者イシグロの頭の中のイメージの世界であり、独特な
小説日本になっています。
ワンダーランドのファンタジーとしなかったイシグロの姿勢がうれしい。

絵画の世界でも、戦前には「歌麿の伝統に西欧の影響を取り入れようと
するモリさんの努力は、根本的に愛国心に反するものと見なされ」た、
といいます。(300頁)
「非国民のクズめ」(272頁)と聞こえるような気がします。

右も左も「みんな戦争のせいよ」(38頁)とバーのマダムは言います。
復興した親会社の大社長が戦争の責任を感じて自殺すると、子会社の
社員はこう言います。
「おかげで過去の過ちを忘れ、未来を望むことができる」(83頁)

「過去の過ちを忘れ、未来を望む」か。
うーむ。戦後七十年以上経った今日(七十年前の「未来」)の日本の
現状は、過去の過ちを忘れ、経済的な復興を中心に猛進してきました。
その結果、未来への「希望」が持てなくなっているような気がします。

<備考>
この作品の舞台となった「市」とは?
東京「市」のような気がしますが、山口市なのでしょうか?
その「市」の公園に「山口市長の銅像」(195頁)が出てくるからです。

しかし、山口市には戦中、小規模な空襲はあったものの、この作品で
描かれたような一面焼け野原の廃墟となるような大規模な空襲は
無かった、とのことです。

そうすると、この「山口」というのは、山口市ではなく、
銅像となった(東京)市長の「姓」なのかも。

話はそれますが、
尾崎幸雄東京市長は、英国人との混血児テオドラという娘と再婚。
尾崎市長の銅像は、今は東京品川区の憲政記念館にあるそうです。
著者イシグロも、このことを知っていた可能性はあるのでは。

この「山口市長の銅像」は、英語の原文には「大正天皇の銅像」
(the statue of the Emperor Taisho)とあります。
しかし「大正天皇の銅像」は日本には実在しないとのことです。
そのためか、著者イシグロ自身が翻訳者に、この銅像の「訂正」
を要求したのだそうです。(「訳者あとがき」より)

銅像ひとつとっても、この作品は興味深く読めました。
イシグロのこの小説は、歴史小説ではありませんが、戦前戦後の
日本社会の価値観の大混乱が登場人物の会話の中に表現されていて、
当時の人々が右往左往するさま、その空気が見事に描かれています。
感心しました。
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No.17:
(4pt)

戦後期の日本がよく描けている

前に「日の名残り」は読んでいたが、ノーベル賞を機に「遠い山並みの光」と「浮世の画家」を読んだ。
「日の・・」では日本人なのに完全に英国人の目で書かれているのに感心したが、「遠い・・」と「浮世・・」では逆に、5歳で日本を離れたのによく昭和20~30年代の日本を描ききっていると感心する。
今ではほとんど見かけなくなった畳敷きの日本家屋、街の様子、交わされる会話・・・、なにやら谷崎文学を彷彿させるほど当時の日本がよく描けている。
イシグロは小津安二郎などの日本映画に大きな影響を受けたと語っていたが、おそらく戦後期の日本映画をたくさん見たにちがいない。
その映像がこれらの日本的な作品に反映されているのだろう。
もちろん訳者の努力に負うところも大きいだろうが・・・。
逆に、昭和30年頃の日本を知らない英国人がこれら作品を読んで、いったいどんなイメージを想い描くのか興味深いところだ。
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No.16:
(5pt)

浮世の画家

カズオ イシグロがノーベル賞を受賞したので読んでみようと思った。
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No.15:
(5pt)

見事な構成

素晴らしい構成力で人間の本質を描き出す見事な小説です。戦争の前後での価値観の反転にも人間として不変のものがある。
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No.14:
(5pt)

主人公は本当に戦争に重要な役割を果たしたのだろうか

本書は20年以上までにremains of the day のあとつづけてよんだ。今回日本語訳でみると、確かに読みやすい(英語力の限界!)。本書をよんで、主人公が自分のしたことを責任を言い逃れしているといった趣旨のコメントがあったが、違和感を感じる。むしろ、本人は本人が悩んでいるほど世の中に重要なインパクトを与える行為をしていたようには思えない。自分を重大なミスを犯したというふうになやんでいるものの、実際には戦争遂行にマスコミをはじめとしてはるかに多くの国民が好戦的だったといわれている。国の若者が次々と戦場にでていくときに、自分も何か貢献ができないかと考えるのはある意味で当然のことだ。負けた途端にそれが悪と見なされることがこの人生のリスクなのだ。私には面白いのは本当はこの主人公の社会へのインパクトは小さく、戦争協力をした重要人物と思って悩んでいるのは本人だけで、他の人はこの人のことなど知らないのではないかということである。本書は、戦争責任というものが、それぞれの人の心の中にあるもので、マスコミや政治がいうことよりはるかに大きいということを理解させてくれるように思う。
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No.13:
(5pt)

終戦後の日本を舞台にした見事な作品

「わたしを離さないで」「日の名残り」の2つの長編が素晴らしかったので、こちらも読んだ。イギリスと日本という違いはあるが、舞台となっている時代は「日の名残り」と同じで、戦争を挟んだ環境の変化と老境を迎えた主人公の心情を扱っているという点でも類似点がある。

カズオ・イシグロの作品は「喪失感」という形容でよく評される。それは確かに間違いではないが、それだけでもないように思う。与えられた時代と環境及びその変化の中で、比較的時間軸を自由に動かしやすい回想という形をとりながら、過去に対する自信と悔いが交錯する心理が微妙な揺れを伴いながら語られてゆく。どんな人間も時の流れを止めることはできない。ひとつの時代が終わったとき、時折照らされる登場人物たちの心のひだや、主人公を通じて、次第に普遍的なテーマが浮かび上がってゆく。

それから、この小説は、どこか、小津安二郎の映画の雰囲気に似ているな、と読みながら思った。実際、訳者あとがきによると、カズオ・イシグロが日本を舞台にした小説を書くときに思い出すのは、幼いころの記憶と小津安二郎の作品だという。それにしても、抑制の効いた静かな文体を駆使して丁寧に人々を描くこの作者の力量は見事というしかない。大変優れた作品である。
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No.12:
(5pt)

静かに、じっくり読んでください

この様な作家、本は少ないのでは無いか。
例えば、東野圭吾等で代表されるとした日本で売れる小説は、てんこ盛りで、短期間で恋愛から殺人までありで、電車読書等には良い。
この本は、何も起こらないことが特徴かと思う。

若い人よりも、仕事をリタイヤした、あるいはそれに近い世代の人がじっくり読むと良い。

なお、この本が日本で悪しき課題図書になったら、感想を書くのは難しい。何よりも、サラリーマン化した若い先生には、この本は理解出来無い。
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No.11:
(4pt)

日の名残りとセットで

登場人物に回想させる物語は、著者のお決まりな感じ。だんだんぼんやりとではあるものの物語が見えてくる。カズオ・イシグロの自分を正当化しそれを他人にも押し付ける人間に対する批判やそれでも、独善的な自尊心の存在についてのある種の肯定のようなものも感じられる。『日の名残り』でもあったが、この『浮世の画家』では、年老いた人間の挫折感とともに、それを肯定的に捉えようとする人の心理を上手く描いたものなのでは。
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No.10:
(5pt)

身につまされる老画家の「良心」と虚栄心

本書は、イシグロの第一作『遠い山なみの光』と、彼の代表作であり英国ブッカー賞を受賞した第三作『日の名残り』のあいだの作品。主人公である「私」の独白という点はこれら三作品に共通しているけれど、一人称の語り手の “ふたしかさ” を読み手に喚起するという要素は本書からのもの。

本書の語り手は、第二次大戦中に国威高揚のための絵を描いていた老画家。敗戦後自分の過去の行いをつぶさに独白する彼の独白によって物語は進む。

『日の名残り』でも同じなのですが、主人公は絶えず過去の自分の行動を正当化するので、読者は主人公の語る “事実” につねに疑いを持たざるをえません。なおかつ物語全体を通して主人公の回想という形式がとられています。したがって読者は語り手である「私」を、信用できない “ふたしかな” 人物として、都合の悪い記憶を忘却あるいは改ざんする人物として読み取ります。
そのように書くと主人公が嫌なやつにしか思えないかもしれません。けれど言い訳がましい「私」と良心の呵責に悩む「私」を織り交ぜて主人公の葛藤が描かれているため、読者は思わず主人公に共感してしまいます。そこにイシグロのうまさがあります。
どちらの作品も大戦を経て価値観が崩壊した後の世界を描いたものだけど、やはり個人的には、英国の執事を描いた『日の名残り』よりも日本を舞台にした本書のほうが感情移入する部分が多い。

本書は、終盤に主人公が過去の過ちを認めることで良心の勝利に終わるかのように思わせます。けれど最後の最後に一転し、その「良心」が実は虚栄心に拠って立つものではないかと暗示して終わります。主人公に自らを仮託して読んだ身としてはなんとも残酷な結末でした。
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No.9:
(4pt)

『日の名残』とも重なる主題が、第二次世界大戦後の日本を舞台に展開されている。

人生の終わり近くに至って、自分の生き方(の少なくとも一部)が間違っていた(ようだ)と気づかされた老人が過去を振り返るという構造は『日の名残』と重なる(執筆されたのは本作が先だが)。
 主人公Ono(訳では「小野」)の述懐はしばしば脇道に逸れ行きつ戻りつするし(作為的なものだろう)、しかもその回想に偏りや偽りがあることは容易に想像できるから「行間を読む」作業が必要になる。そういう点で謎解きに似たスリルがある。
 ただ、舞台が第二次世界大戦後の日本ということもあって、つい「文化人の戦争責任」といった言葉が脳裏をかすめて『日の名残』のように物語を純粋に味わうことができなかった。
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No.8:
(5pt)

戦争責任への沈思

戦争責任の複雑な難問を追求した傑作。不思議な静謐さと相俟って深く心に沁み入ってくる。
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No.7:
(4pt)

戦時中の精神風土が日本人にもたらした苦悩

主人公の小野は戦前に活躍し、第一線を退いた画家である。
はじめは小野が成人君子のように思えるが、一人称での話が進むにつれ俗っぽさが感じられるようになる。
末娘の縁談が破断になったのは自分の過去のせいではないかと考えるが、その過去は明らかにされずに話は進んでいく。
また小野の言動により、同僚が窮地に陥った事件についても、薄々承知しているらしいのだが、その事件も後半まで明らかにされない。
自分にとって不利なことは明らかにしない語り口が、小野の人間性に、決定的ではないにしろ、不誠実なものを感じさせるのである。
小野は、日本が戦争に突き進む中、戦意を高揚させる絵を描いて、政府や軍部の支持を得、画家としての名声を勝ちとっいた。
そうした絵を書き始めたことで、恩師や同僚が離れていき、彼らは落ちぶれていった。
おのは、戦争を引き起こしたという反省から、戦後に自ら命を絶った政治家や軍人と同じ罪があるとは考えていない。
己の生き様を否定したくないという心境で暮らしている。
戦前から戦時中にかけてのいびつな精神風土のなかで、己の進むべき芸術家の道つまり「浮世の画家」としての生き方を捨てたことに、いくばくかの違和感を抱きながら今を生きているのだった。
それは、確固たる意志をもって戦争に対峙したごく一部の人々以外の大方の日本人が、多かれ少なかれ抱いた違和感なのだろう。
この違和感こそが著者が描こうとしたものである。
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No.6:
(5pt)

2011年の6月に

なにもかも変わってしまった,そしてなにも変わらなかったと記憶される時の変わり目があるということを私たちはこの3月に経験しました。この小説は戦争が終わり,その虚脱が薄らいだ頃の老画家と家族の物語です。現在の置かれている状況と似通ったところが多い時代を扱っていて,その心の動きが対岸のものと感じられず,大変切実でした。
名声を得ていた画家の引退後の暮らしがモノローグで綴られます。彼はどのようにしてその立つ場所へ導かれたのか,なにを大切にしたかったのかが明かされてゆく構成はイシグロの自家薬籠中のもの,ぐいぐいと緊迫感の中で引っ張られました。

読後,以下は蛇足なのですが,現在「×××村」の住民と非難されている人たちも, 「先生、ぼくの良心は、ぼくがいつまでも〈浮世の研究者〉でいることを許さないのです」との決意の中に村に向かったのかもしれないなぁと思わざるを得ませんでした。本当に蛇足でごめんなさい。
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No.5:
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期待を大きく上回るセカンド

端的にゆうと、

戦時中にもてはやされた国家主義の画家が、

戦後の自由主義的な風潮のなかで四苦八苦するという話。

娘の縁談を成功させるために涙ぐましい努力をする主人公の道行きが哀切である。

一種の地獄編、地獄めぐりでもある。

立場や仕事をなくした人が過去を否定されてもしっかり生きてゆくことのメタファーとして機能するだろう作品。

「ものごとは見かけほど単純じゃない、とても複雑なんだ」

というセリフが繰り返されて胸をつく。

イシグロさんはいつもヒカゲの人間を描いてるのかもな〜。

次作「日の名残り」との共通点が多く、 主人公が自分の仕事・過去に疑問を持っている、むしろそれが間違いであったことを知っていること、 政治的な議論、民主主義の是非、が出てくること、 愛する人とのすれ違い、 などは共通している。

イシグロさんのテーマは体制派と反体制の葛藤なのかも。

体制の内部でロラル的に堕落してしまう人間の悲しい姿が描かれる。

それでも自分をなんとか正当化して生きていくしかないのだ、あれは避けられないことだったんだという悲愴な決意、むしろ前向きな生き方が胸にせまる。

「わたしを離さないで」でも先生たちの姿勢が様々で、体制のなかでも色んな葛藤があることが描かれている。

人間が生きる上で出てくる多様な罪ややるせないシステムがあるんだけど、

それでもちゃんと生きてゆく、

愛のために、

というところが読者の共感を呼ぶのだろう。

というか登場人物はあまり死のことは考えないみたいだ。

ってか上手く書けない
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No.4:
(4pt)

主人公は性格が悪いのか?

私はこの作品を原文で読み、主人公に共感した。
多少頼りなげで流されやすい性格ではあるが、悪い性格の人物ではない。
一方、この作品を和訳で読んだ母は、主人公を「傲慢で自分勝手な人」と感じたらしい。
おかげで、主人公に共感できないままで、ストーリーも楽しめなかったそうだ。

原文と和訳でそんなに人物像が変わってしまうというのは、カズオ・イシグロの繊細な文章はプロの翻訳家にもなかなか再現できるものではないということなのかもしれない。
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No.3:
(4pt)

カズオ・イシグロ入門編

カズオ・イシグロがどういう作家かを手っ取り早く知りたい人には、
本書と『日の名残り』をお勧めする。

イシグロが得意とするのは一人称による語りである。
一見、近代日本文学得意の私小説の感を受けるのだが、
作者はそこに一つの仕掛けをする。
この語り手、実は相当な曲者なのである。

視点人物が固定されているということは、
読者もまた、物語をその人物を通してしか
眺められないということを意味する。
彼が語る出来事は事実そのものではない。
彼が解釈した、言ってみれば歪められた事実なのである。

イシグロは主人公に私たちを同化させておいて、突然突き放す。
その時受ける衝撃は、現実崩壊の感覚とでも呼べばいいだろうか。
読者が憑依していた主人公の肉体から突如追い出され、
空中を浮遊する霊となって、彼の姿を目にするような感覚、
一瞬前まで現実と思って生きていた世界が、
実は夢であったと知らされるような衝撃を想像してほしい。
それを読者に感受させる、イシグロの手腕は見事というほかない。

カズオ・イシグロ。この端整な文章を紡ぐ作家は
実は、恐ろしい怪物なのである。
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No.2:
(5pt)

名作です

ほんっとうまい。「陽の名残り」でもそうだったが、信用ならざる語り手なんですよね、これも。時代を回顧する形式なんですが、この作品でも主人公がとにかく自分を弁護しまくるんです。自分を正当化しまくって、でも語り口がうまいもんですからああそうなのか、と思っちゃうんですが、そこでもう一度主人公を疑ってほしい。

 事実も何も本当は違うかもしれなくて、たんなる思いこみかもしれない。字面をそのまま取ればいい話だなあとじーんと来るんですが、そうじゃなくて、妄想電波小説みたいに読んだほうがおもしろいんです。自分の語りとまわりの人間の行動の齟齬があちこちに見られて、それが美しい語りのなかにあるどこか不気味な雰囲気となって、読み手を不安にさせる。

 本当にすごい作家だ。
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No.1:
(4pt)

イシグロの長編第二作

日系英国人作家、カズオ・イシグロの長編第二作である。

イシグロ本人も認めているが、本作と

『遠い山なみの光』『日の名残り』は同じトーンで貫かれている。

長編第一作「遠い山なみの光」に比べると

同じく日本を舞台にしたというエキゾチックさはさておき

登場人物の内面という意味では更に深化/進化した作品である。

本作は前作と同じく回想を語るという形式で物語が進んでいくが、

大きく違うのは、その語りが記憶の不確かさによって

曖昧になっているのではなく、敢えて改竄された疑いを

読者が常に抱いておかなければいけないという点である。

一方的な回想によって記録/歴史が造られてしまう怖さと

そこまでしなければ生きることがかなわぬ人の哀しさと

一筋縄には読み解けぬ知的刺激に満ちた「文学」である。
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