■スポンサードリンク
告白
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
告白の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.48pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全151件 41~60 3/8ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
作者と一緒に、主人公の住む世界に透明人間になって入り込み、巡って見ていくような、そんなアトラクションみたいなワクワク、ドキドキする本だった。これはもう、何という言葉の匠。文字を目で追う事が心底、楽しかった。こんなに話の中に入り込んだのは、ロマンロランの「ジャン・クリストフ」を読んで以来かもしれない。とにかく町田康さんの作品を今後生きていく楽しみの一つとして、全部読んでいきたいと思う。出会うのは遅かったけれど、その分、まだまだこれから読む作品があるのだ、という嬉しさでいっぱい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
11年の歳月を閲してなお…と云うのが、作者にとって良いのか悪いのか。 普通に考えたら「あかんではないか」なのでしょうけれども。 初読後、10年経ったら読み返そう、とは思ったのですが、 途中で何度か斜め読み再読して、気が付けば11年経っていました。 「あかんではないか」…と云いつつ、最初に読んだときは、 こんな作品を出した後も書き続けられるのか?と心配に なる程の力作だったので、仕方ない、勇退か、と思ってしまった。 でも本作、「分かるわあ」とラスト1行まで読んだ人というのは、 その過半数(いや、もっとかも)が「町田ファン」ではないの? という、二度目の「あかんではないか」ランプが点灯中。 勿論、何かオススメの本ない?と訊かれたら、喜んで名前を 挙げますが、彼もしくは彼女が町田作品を初めて読む人の 場合、どこまで受容してくれるのかが、非常に謎。 そういえば、昨日はジロキチでライヴでしたね、って 自分で話を逸らしてどうするよ。実のところ、 それで思い出したわけですが… 文体で押しまくるので、どんなにイイこと書いても、 結局「町田節」に集約される危険性があったり。 「町田節」だけに音読しても楽しいんですけれど… 音読する読者って怖いですか。怖いですね。 上記「分かんなかった」と云ってくる方には、 さりげなく朗読します。まあ「さりげなく朗読」は ちょっと無理で、止めて〜とゆわれて止めてます。 次作「ギケイキ」に期待。なんとなく儚い期待に 終わりそうな予感はあるものの、その辺は無視。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この本は町田さんの代表作であり、町田文学の最高峰といっていいと思う。 たびたび読み返すことができるほどの分量ではないが、ずっと手元に置いておきたい。 わたしにとってはお守りのような一冊。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
美しく筋の通った狂気が炸裂していた。 読み進めるうちに熊太郎、弥五郎の魂が私の身体の中に宿り、読み終えた今も尚息づいている。 「宿屋めぐり」も「ホサナ」も傑作だったが、この小説は別格かもしれない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
明治時代で着物を着ているような時代の小説はおそらく初めて読んだんですが面白かったです。 単純に語り口が、ときどきふざけているのかと思わせる箇所が多々あり、気楽に読めました。人の心情をこれでもかと、仔細に軽妙に語ってくれるところが良かったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最近、町田康の小説をよく読んでいる。この「告白」は、単行本にして670ページに及ぶ大作で2004年から05年にかけて、読売新聞夕刊に連載していたそうで、文庫本も出ている。 「河内十人斬り」という明治時代に実際にあった事件を元にした小説で、その主犯となった主人公の生涯が描かれている。とはいえ、犯罪小説の匂いはなく、河内弁の文章が生き物のように躍動して、私は、町田康の小説だからというだけで、何の予備知識もなく読み始めて、どんどん、引き込まれてしまった。最後が悲惨な事件で終わるという結果に唖然となった。 城戸熊太郎という主人公、幼少期から頭の中で思い描く思考と実際に口から出る言葉が一致しないという問題を抱えて生きている。まっとうな人間になれず、極道に身を落としていくのだが、決して悪人というのでもなく、なぜか、周りの状況が絡み合い、悪いほう悪い方へと落ちていく。 仏教思想が底流にあるのが、町田康の小説の深さかもしれないが、この小説も、観音様が出てきたり、神様みたいなものが出てきたりする。 日本版「罪と罰」のようなスケールの大きさ、人間というものの不思議さを感じる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
あっという間に読み終えるほど面白かったです。こういう人も居るのだと興味深かったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
熊太郎の、思考と言葉の不一致という、思考の高度さと言葉の幼稚さの対比が切なくなりました。 思弁的な人は破滅していくのか、という視点で読み進めました。 熊太郎にはそこに見栄が混じってアウトローな生き方しかできなくなります。 思考ですべてを知って悟ろうとする生き方は、苦しいのですが、社会が高度化すればするほど、つまり現代においては、熊太郎のような苦しみを抱える人が大多数なのだと感じました。 思考と言葉が一致しないという人は、意外に多いようにも感じますが、結局、一致、不一致が問題なのではなく、その人の資質や性格が問題なのだと感じました。 つまり、資質や性格によっては、熊太郎のように、思考と言葉が一致しなくても愛される人もいれば、言葉が即ち思考という人であっても愛されるのだと思いました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これぞ文学、と言わざるを得ない作品!底力をこれほどまでに感じたことはない。 読み終えてなぜか涙が止まらなかった。 多くの人に呼んでいただけきたい、そして感じていただきたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
河内弁の饒舌な訥弁が行替えもなく延々と続く思索小説です。引き返し可能な分岐点を何度も通り過ぎて、破滅への道に至るまでに800頁。 同じような構成の小説として花村萬月の「鬱」を読んだ記憶がありますが、「告白」の方が上でした。 ずるずるっと続けて書かれているから、視点の変換に気づきにくいのですが、独白中に「あかんではないか」という評論が入ったりして、独特の文体となっています。慣れてきたら抵抗なく主人公と同化でき、そうなってしまうと、なぜ人を殺すのかがわかるような気がしました。 無駄に長いようで、長さに必然性があった作品でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
無為という感じがした。 面白い小説だったが、読んでいる間、「これは純粋に面白いだけの小説かもしれない」と思っていた。 事実、最後に熊太郎が辿り着いたのは、言語を絶した荒野であった。 何もなかったのだ。 あかんかった。 あかんではないか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
圧巻の676ページ(単行本バージョンです。以下、ネタバレあり)この分厚い本に巻いてある帯の文句はずばり、「人はなぜ人を殺すのか」。本城熊太郎という百姓の倅が、この世に生を受けてから、殺人者として山中で自害するまでの36年の一生を描いている。舞台は河内の寒村とその周辺の町や村、登場人物に英雄的存在は一人もいない。主人公の本城熊太郎からして、じつに軽薄で情けない男だ。でも、バカではない。バカでないどころか、かなり頭はよい。なによりも彼には自分を客観視できる能力があった。つまり「自分はどう思われているのか」という自意識がむちゃくちゃ強い人なんである。彼の周囲にはそういう思弁的な人間はおらず、皆、思ったままを口にして悩みのない人たちだった。熊太郎はなにかにつけ、なぜ自分はこうなんだとか、なぜあいつらはああなんだとか、いちいち思い悩む。幕末から明治という時代には似つかわしくないほど都会的、現代的感覚を持った若者だ。たとえば熊太郎は、汗水たらして働く幼馴染たちを見て、自分はなぜあんなふうにできないのだろう、と一瞬思うが、一方で「脇目もふらず真面目にやることが果たして真面目なのか」などと真剣に考えてしまうような男であった。「脇目もふらず、すなわち周囲に対していっさいの顧慮をしないで真面目にやるというのは一種のエゴイズムではないか」と考えて、もう、体が動かなくなってしまう、そんな奴だった。なんだか、「なぜ、みんな卒業したら疑問も抱かず、就職してしまうのだろう。働く意味とは?」といって立ちすくんでしまう若者たちと重ならなくもない。 そんな熊太郎が、とある事件に巻き込まれ、殺人を犯してしまう。この殺人、熊太郎から言わせれば正当防衛なんだけれども、客観的に見れば、彼が自分をよく見せたい、有利な立場に立ちたい、と思ってやってきた小細工の集大成でもある。その殺人がいつか人にばれるのではないか、という恐怖から、真面目に生きる意欲を失った熊太郎は、手におえない極道になり果てる。それでもときどきは悔い改めて、やりなおそう、という気になったりするのだが、ここぞというときにおだてに乗ったり、調子に乗ったりしてしまって、元の木阿弥に。顔も悪くはなく、頭も悪くなく、喧嘩もどちらかといえば強く、根っからの悪人ではないにもかかわらず、読み進むごとに熊太郎は不幸になっていく。その根源にあるのは、彼の「日常に対する耐性のなさ」だ。熊太郎は、なにかちょっといいこと――たとえば喧嘩に勝つとか、博打で儲かとか、美しい女にモテるとか――があったとき、「これですべてうまく」みたいな錯覚をする。そして、「いままでのウジウジした俺」とおさらばできると思ってしまう。それが彼の致命的な弱さだ。死ぬまで断ち切ることのできない、そして死んでも自分なしで続いていく日常に向き合うことが彼にはついぞなかった。何か決定的な瞬間があり、そこで自分は決定的な精神的体験をし、それを説明する決定的な言葉が降りてくるはずだ、と熊太郎は信じている。空っぽな自分を埋めるための「なにか」を待っている。しかしその「なにか」はいつまでたっても来ない。熊太郎の最期の言葉は、「あかんかった」である。この壮大な虚しさ……。でも、この一言を読むための600余ページだったのだな、と腑に落ちる。 じつは熊太郎にも、一度だけ「なにか」が来た決定的瞬間があるにはあった。それは、抑えきれない殺意を抱いたときだ。彼は物語の最期にもう一度、今度は「確信を持って」殺人を犯す。自分を陥れた人間たちを殺す、と決めた瞬間、彼の全細胞が殺意の磁気を帯びたようになる。しかし、大量殺人を犯して、もうどうしようもないところまでいっても、やはり日常はだらだらと続くのだった。やっぱり決定的な「なにか」は来ないのだ。自らの死を覚悟したときに口をついて出た自分の言葉のあまりの虚しさ、実のなさに熊太郎は愕然とする。この期に及んで、まだ自分は真実を言葉にすることができない……。熊五郎はついに絶望する。で、「あかんかった」となるのである。これは人間の不条理の物語だ。いい人と思われたい。本当にいい人になりたい、一目おかれたい、本当にその価値のある人間いなりたい……そう思ってとる行動によって自分が自分を疎外していく。熊太郎が、自分の小ささやつまらなさに、さっさと折り合いをつけてしまえるような人間だったら、こんな苦悩もなかっただろうに。それができない「文学青年」だったところが彼の不幸の始まりだった。全編コテコテの河内弁で、笑いどころ満載なんだけれど、やっぱりどこか切ない町田文学である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
近年読んだ中で最高級の物語でした。 この人の短編・中編がパンクだとしたら、これはドスンと来るようなバロック系のへヴィロックでしょうか。 最後まで全く飽きることのないダークなグルーヴ、、チャイルドインタイムな一冊でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
このボリュームにしては読むのがそれほど大変ではない。 主人公が思ったことは誰でも感じていることかも知れない。(ぼくは本当はそんな人間じゃないんだ)と言う事を。 ラストシーンの疾走感は良かった。映画の様だ。 思い出に残る一冊。 町田康特有の表現が興ざめする。 元の事件を題材にして他の作家が書いていたら読んでみたい。 果てしなく冷たくシリアスに書いたものを。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
やばい、 たぶん人生で1番かもしれない。 なんとも言えない気持ち。 哀しい、苦しい、痛い、優しい、強い、弱い、ばか、正直、、、もう、、心が痛かった。 でも常にそうではなく、、 だんだん、確実に、、そういう気持ちを混ぜて、渦になって、、、濃くなっていく、、 しかし、完璧に混ざることはなく、、、。 言葉にはできない。 でも、この本の分厚く、重いことが、全く苦ではなく、本当に面白い本であった。 わたしは電車の中で泣いた。 ねたばれはしたくないから、言えない。 でも、、、このぐぅーーーーっと心の底まで響いてくる本は相当ないだろう。というか、なかった。 でも、なんかこの、主人公が愛おしく、読んだ後に引きずる感じあったかなぁて思い返したら、、るろ剣。 昔るろ剣を読んで、剣心が、動けなくなって、そして戦いに復活する(だったよね?)あの、、、感じに似てたかもしれない。 あれは私が中学生とかで全然若い時だけど、、。あとから思えば確かに明治初期。 なんとなく一致してる。 本当に、、、はぁ、、。 本でこんなに衝撃を受けるもんなのだ。。。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
今までこんな分厚い文庫本があったでしょうか? タイトルと内容が合ってないな〜と思いながら、 全部読みました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
テーマは作者自身も話している通り「人が人を殺す理由」について。本当の理由なんてものはない、というのがいわばオチなのですが、世の中で求められる「本当の〜」というところに対しての疑問符が常々あるので、作者の文体も展開の仕方も含めて非常に楽しめました。 熊太郎の心理描写が物語の中心にずっとあるのだけど、これだけ様々なことが述べられていても、最後に大立ち回りする本当の理由を彼は見出すことができなかった。 でも、読んでいる人からすると、いやいやこれだけ理由に足ることがあるじゃないかとか、こんな環境で育てばそう思うのも仕方ないとか、勝手に物語を作ってしまうことだろう。 これって昔も今もよくある話で、マスコミにしてもそれぞれにしても素人探偵となってああだこうだと犯人像とかその動機というところを詮索してみるのだけど、実は当人たちにはその瞬間の感情はあっても、別に殺しそのものの動機っていう動機はないことも多いんだろうなと思う。後から思い返せば、確かに殺したいほどの理由でもないなと思うこともあるだろう。 だから周りは怖いと思うし、それを少しでも和らげるためにも論理的な理由を求めたいだけなじゃないかという気がする。 がっつり800P以上も語っておいて、結局何もなかったってなんだよ!と思う人もいると思うけど、それは受け取る側の勝手な願いなだけで、きっと世の中の大半はそんなものだと思う。 不安や恐怖の本質は自分の意思だけではどうしようもないところにあるもので、他人なんてなその最たるものの一つだしね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
町田康作品は、「きれぎれ」やその他数冊読了していた。 それらはおもろいと思って読んでいたが、特別ではなかった。 ので、「告白」はスルーしてた。 しかし読めば特別だった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
誰が何と言おうと、町田康最高傑作である。 ばばばばばばばばば、以上 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
同じ関西出身なのですんなり文章が入ってきて、一気に町田ワールドに引き込まれました。 文章力も凄くて、今までにない魅力の持ち主だと思います。 10人斬りの背景もあながちフィクションではないのかもとまで思いたくなる内容でした。 これからも町田作品読んでいきたいと思います。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!