■スポンサードリンク
カエアンの聖衣
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
カエアンの聖衣の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.40pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全30件 1~20 1/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
状態に関する連絡を頂き、ありがとうございました。 本には全く問題はありませんでした。今後も利用させて頂きたいと思っていますので、その際にはまた宜しくお願いいたします。 今回“も”ありがとうございました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
タイトルから『服を着たら聖人になる話』を想像していたが全然違っていた。 アイデア溢れるコミカル寄りなSFびっくり箱だった。 スーツの一行と学者のアマラ一行との話が交互にあり、いずれどう交わるのかはお楽しみ。 人間を所有するスーツの設定も見所で、スーツが人間に迫る場面は官能的なのかと想像していたがそんなこともなかった('・ω・`) ラストはスーツが盛り返しそうでわくわくした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
邦訳版が初めて登場したときにはかなり話題になった本作だが、当時は食指が動かなかった。新訳版が出ていることを知って今回読んでみたのだが、噂どおりの傑作だった。当初は「その人物の持つ能力を最大限に発揮することができるスーツ」と読ませる流れがやがて「知性を持つスーツ」へと変貌し、それとともに物語の焦点は「スーツは何を目的としているのか」へと転換する。主人公の視点からすれば最初は突如としてヒーローとなった者の話がやがてスーツに操られる存在へと置き換えられることとなる。 物語には文化人類学者も登場する。もちろん「衣服」の役割を考えるならば文化人類学への言及は実に正しい。「衣服」の機能についてまともな答えを用意できるのは文化人類学だけだからだ。とはいえ作中において「人は何のために服を着るのか」ということが議論されるわけではなく、登場する文化人類学者がもっとも権威的で傲慢であり、その助手の方がむしろ考え方としては文化人類学的である、というのは何かの皮肉なのだろうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
"『あいつらみたいに、服に人間を支配させるんじゃないぞ』ぺテルは歓喜のあまり、その言葉をろくに聞いていなかった。カエアン製の、本物のフラショナール・スーツの所有者になったのだ"1976年発刊の本書はアニメ『キルラキル』着想の元にもなったワイドスクリーン・バロックSFの金字塔。 個人的には【ブシドー極めし伝説の超戦士】〈小姓〉池松八紘が無双する『禅銃』が大変面白かったので本書も手にとりました。 さて、そんな本書は【"服は人なり"という絶対の衣装哲学を持つ】カエアン文明、それに敵対しこちらは衣装はおろか【全裸で人前にでるのも是認される】ザイオード文明が存在する銀河を舞台に『禅銃』と同じく、密貿易業者グループ一味、そしてカエアン文明を密かに調査するザイオード調査団のストーリーが同時並行して進行、終盤あたりで合流して怒涛のエンタメクライマックスへ、そして見事に着地して終わるわけですが。 まず、やはり著書といえば、ラーメン二郎の"ましまし"【これでもか!これでもか!とアイデアが惜しげもなく詰め込まれている】のが大きな魅力となるわけですが。本書でも冒頭の惑星での超低周波音を発するラッパつき『咆哮獣vs音波干渉防止服』から始まり、宇宙空間にそれぞれ適応したロシアルーツの『巨大スーツ人vs裸体サイボーグ人』。ちなみにこちらは【"ヤクザ坊主"に率いられた日本人ルーツ】と、書いていても【何だかよくわからない怒涛のアイデア】に想像力が試され、くらくらしてしまいます。 一方で、特に多くは回収されない"それらのアイデア"が味として楽しめるようになってくると、本書は『衣装SF』エンタメ作としても完成度が高い事に気づき、広げに広がった【風呂敷を見事に畳んで終わる】のは流石といった印象で、直接的なイメージは確かに『キルラキル』でしょうが。展開に関しては『グレンラガン』も影響を受けているのがよくわかる。と感じました。 定番化、パターン化したSFに飽き飽きした方や、SFに難しげな宇宙物理理論ではなく【センス・オブ・ワンダー】的イメージを求めている方にオススメ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
"『あいつらみたいに、服に人間を支配させるんじゃないぞ』ぺテルは歓喜のあまり、その言葉をろくに聞いていなかった。カエアン製の、本物のフラショナール・スーツの所有者になったのだ"1976年発刊の本書はアニメ『キルラキル』着想の元にもなったワイドスクリーン・バロックSFの金字塔。 個人的には【ブシドー極めし伝説の超戦士】〈小姓〉池松八紘が無双する『禅銃』が大変面白かったので本書も手にとりました。 さて、そんな本書は【"服は人なり"という絶対の衣装哲学を持つ】カエアン文明、それに敵対しこちらは衣装はおろか【全裸で人前にでるのも是認される】ザイオード文明が存在する銀河を舞台に『禅銃』と同じく、密貿易業者グループ一味、そしてカエアン文明を密かに調査するザイオード調査団のストーリーが同時並行して進行、終盤あたりで合流して怒涛のエンタメクライマックスへ、そして見事に着地して終わるわけですが。 まず、やはり著書といえば、ラーメン二郎の"ましまし"【これでもか!これでもか!とアイデアが惜しげもなく詰め込まれている】のが大きな魅力となるわけですが。本書でも冒頭の惑星での超低周波音を発するラッパつき『咆哮獣vs音波干渉防止服』から始まり、宇宙空間にそれぞれ適応したロシアルーツの『巨大スーツ人vs裸体サイボーグ人』。ちなみにこちらは【"ヤクザ坊主"に率いられた日本人ルーツ】と、書いていても【何だかよくわからない怒涛のアイデア】に想像力が試され、くらくらしてしまいます。 一方で、特に多くは回収されない"それらのアイデア"が味として楽しめるようになってくると、本書は『衣装SF』エンタメ作としても完成度が高い事に気づき、広げに広がった【風呂敷を見事に畳んで終わる】のは流石といった印象で、直接的なイメージは確かに『キルラキル』でしょうが。展開に関しては『グレンラガン』も影響を受けているのがよくわかる。と感じました。 定番化、パターン化したSFに飽き飽きした方や、SFに難しげな宇宙物理理論ではなく【センス・オブ・ワンダー】的イメージを求めている方にオススメ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これぞ真のSF、これぞセンス・オブ・ワンダーの醍醐味と言ったような、「面白さ」しか存在しない小説。「時間衝突」も「禅銃」も「ブレイン・レース」も好きですが、やはりこれが一番好き。 素晴らしいのは、安直なドラマに逃げていない点ですね。がっぷり四つに組んで「服飾第一主義」「服は人なり」を標榜するカエアン惑星の「服飾哲学」を、真正面から描き切っているのがたまりません。ドラマの背景に世界観を配置するのではなく、むしろドラマの主役そのものに、この奇妙キテレツな世界観を大胆不敵にもどっしりと置き、想像力の許す限り、緻密に丹念に描ききるという覚悟が物凄いし、たまらなく面白い。 カエアンの服飾文化が如何に発生し、いかに文化として成熟し、そして、いかにして奇抜な文化は終着を迎えるのか……スリリングな文明の流れを、凝りに凝った文明描写で見事に表現しているこのSF小説は、「いま、ここ」の現実と比較してひどく異質な、しかし微妙に我々の生活にかすっているように見える「異世界の文化」が好きな方、「異国文明フェチ」な方には、まず間違いなくハマるでしょう。 ベイリーはやっぱり凄い。改めてそう痛感させられた珠玉の名作です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
20年くらい前に読んだ時、凄い衝撃を受けた作品で SFの最高傑作は本作だと確信しました。 で、今回読んでみたら意外とベスト10にも 入らない感じだったのに驚き。 いい加減な奴だな、オレは……。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最近、ベイリーにはまって読んでいますが、この作品は、同じ長編の「禅銃<ゼン・ガン>」と比べると、アイデアの“数”はこちらのほうが少ないかもしれませんが、“衣装”というコンセプトとストーリーの融合度という点で、こちらのほうが小説としての完成度が高いと思います。 “アイデアが少ない”と書きましたが、それはあくまで「禅銃<ゼン・ガン>」との比較で、並みの作家の10作品分くらいのアイデアが詰まっています。 例えば、宇宙空間でも生活できるように進化したサイボーグとその首領である“ヤクーサ・ボンス”など、あっさり使うにはもったいないくらいのアイデアです。 アイデアが豊富でも、読者を置いてきぼりにしないので、SFを読み慣れないけど、変わったSFを読んでみたいという人にも薦められると思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
13年ぶりに再読。新訳も出ているようですが今回も旧版を読みました。 本書も前回読んだ時の記憶との相違にびっくり。ええっ、こんな話だったっけ? 一番記憶に残っていた“蠅がスーツを着て宇宙船を操縦する話”が、わずか2ページのエピソードだったとは。クライマックスの重要なエピソードだと思っていたのです。有名な“ヤクーサ・ボンズ”も2つのシーンで登場するだけのチョイ役。永井豪が描くサイボーグ横綱のようなイメージは強烈だけれども本筋にはほとんど関係ありません。そもそも、登場する意味があるのかな?しかし、アステロイド・ベルトを高速の筏に乗って飛び回る裸の日本人の子孫達のイメージは衝撃的。 本書にはそのような衝撃的なイメージが頻出します。音波恐竜の惑星に蠅の惑星、殻の中のセミの幼虫のようなスーツ人とか、からかい屋ジェイパーとか、流刑星で一人脱獄の準備をしていた老人とか。本筋に関係が深いものもあれば、ほとんど関係ないものもあります。このアイデアの洪水こそベイリーです。 タイトルであり、あらすじでも説明されるカエアンの衣装、フラッショナールのブロッシム・スーツのアイデアは凄い。これだけで傑作の資格は十分です。また、外観に関する自己認識から外装が人を支配する理論を展開していきながら、それをひっくり返す構成も見事です。話の途中までは、これは本当ワイド・スクリーン・バロックと呼べるのだろうかと疑問に思いますが、最後まで読むと納得できます。 でも、今回は何故か大傑作と褒められない。今回は読んでいて楽しくないのです。何故かと考えた結果思いついたのは、爽快感に欠けるのではないかということでした。登場人物は俗物と異常人格者ばかりだし、描写される事件や事象は悪趣味だし、特に、準主役の女性社会学者の権威主義的な性格が鼻につきます。ベイリーはわかっていてわざとそういう性格に描いているようなので、もしかしたらヴォークトに対するオマージュか、パロディかもしれません。 SF者による、SF者のためのSF? SF者を試すための踏み絵なのかもと考えてみたりします。 ミリオタとしては、カエアンのCMに登場する軍服に興味があります。ナチスドイツなど軍装が士気に影響することは有名ですが、カエアン衣装の本質が全体主義につながっているというのは注意するべき点かも。 (旧版の)巻末の大野万紀氏の解説は目からうろこだったのだけれど、新版ではなくなってるようですね。と思っていたら、HPが揚っていました。 (参考) http://www.asahi-net.or.jp/~li7m-oon/doc/kaisetu/Caean.htm そういえば、眉村卓氏だったと思うけれど、幸運をもたらすネクタイが離せなくなる男の話がありましたね。ペデルみたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
服にパワーが宿っている。服飾文化を越えて、服飾が文明そのものである。 破天荒な設定はアニメ「キルラキル」の発想のもととなった、と脚本の中島かずき氏が解説で語っている。 ただしストーリーはまったく違う。手塚先生が「モロー博士の島」にヒントを得て「バンパイア」を書いたというが、そのくらい違う。 で本書だが、ページをめくるのがもどかしいほどの吸引力だった。最初から最後まで新奇なアイデアが、ぎっしり詰まっている。 生涯を外骨格スーツの中で過ごすスーツ人は、ロシア人の子孫だ。 日本人の末裔であるサイボーグ集団は、ヤクーザ・ボンズ(やくざ坊主)に率いられる。 やくざ坊主って・・昔の東映プログラムピクチャーにありそうだな。 「日本では宗教とギャングが親しかった」。本当かよ、それ。どこの国でもヤクザは信心深いけど。 密輸業者の一員ペデルは、服飾惑星カエアンで作られたスーツを手に入れる。 幸福だったのはつかの間で、波乱万丈の運命が待ち受けていた。 一方ザイオード星の調査船は、仮想敵カエアンの秘密を探る。 ペデルと調査船を交互に描くので、クリフハンガーの連続である。 冒険小説として最高品質の上に、カエアン文明の根底はしっかりSF的アイデアが支えており、感心させられる。 ううむ、この作者はもっと読みたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
なんでこんな面白いのが、長らく絶版になっていたのかが、不思議すぎる。 ハヤカワ文庫での初版は1983年ということですが、 2017年の現在からみても、まったく古びているところが無いと思います。 考えてみれば、地上の生物で 「服を着る」生き物は人類だけ。 それは、本当に、特別なことなのだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
徹頭徹尾に独創的なアイディアが満ちている作品。初めてキルラキルを視聴したときに「あれ?」と頭を過ったのが兄の本棚から拝借した旧訳版なんだけれど、やっぱりそうなのかと納得。ただ、あのサイバーパンクの先駆けとなったブルース・スターリング&ウィリアム・ギブスンにまで影響を与えていたのは意外だった(旧訳の解説にもそのような旨が載っていたのかもれないけれど、当時は解説イランイランな子だったからちょいと後悔)正直、読んでる最中は?なスターリング作品なんだけど、これを機にもう一度読み返そうかなと思えた次第。 中盤で各種コスチュームの概要を紹介するあたり、溢れんばかりの想像力を伺えます。ベイリー短編集の『ゴッド・ガン』収録の「大きな音」なんかもそうなんだけど、ぶっ飛んたものを真正面から書きあげてしまうから最高にスリリングだし面白い。恥というか保守に走られると読んでる私としても赤面&興ざめしてしまうので、その点ではベイリーから着想を得たキルラキルなんかの突き抜けた感は最高でした。作画も超ド級だったので面白くないわけがないのですが。 エピローグでの皮肉とも受け取れる描写が気に入ってます。パターン的に手垢のついた感が否めないのですが私には忠実なる欲の僕ってある意味ではとても魅力的に映ります。 その後の動向によってどうなっていったのかも読みたかったので、私なりのifをシミュレートしてみたのですが、ベイリーだったらテンプレ度外視の斜め上で組み上げていくんだろうなと思えので考えるのをやめた...... | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ベイリーの古典SFの新訳版文庫である。ベイリー作品は、『時間衝突』『ゼン・ガン』に続き3作目の読了。2016/4に買ってからいままで積読になっていた。 のっけからもうすごい展開。舞台は異様な進化を遂げた生物たちが闊歩するとある辺境惑星。地上に墜落している宇宙貨物船を見つけ、これに積載されていたあるものを略奪するために惑星と降り立つ主人公が見たものは…。 と、ここで舞台が暗転、自在に宇宙空間を飛び回るこれまた特殊な状況の男女二人。何をしてるのかと思えば…、とここでまた視点が変わる。なんだこれはなんだこれはと思っているうちに読者は見事に著者の術中にハマると言う寸法である。 謎めいたアイテムを中心に物語は着々と進んでいき、薄々と感じていた仮説は終盤近くなってついに…と。いやもう全編センスオブワンダーって感じです。 帯紙にあるアニメ(本作から影響をうけたとの由)はよく知らないのですが、まぁぶっ飛んだSF的設定をよくここまで描き切ったなとも思う。一度は読んでおくSFなのでは。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読む前は、服のSFって何だ!って感じだったが、読み進めて納得し、センス・オブ・ワンダーに震えた。確かに、服を着ると気分が変わるし、いつもと異なるテイストの服を着れば、他人が受けるその人の印象が変わる。服を着た本人も(一時的なものかもしれないが)性格が変わったかのように錯覚することもあるだろう。気づいているようで気づいてない状況を、あわや星間戦争なところまで物語を膨らましているのはさすがである。読む前の期待がそれほど大きくなかったこともあり、余計に心と脳みそにガツンときた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
5時間ほどで読めた。 グレンラガンとキルラキルの元ネタになった本。 奇想天外、奇天烈小説。ファンタジーとは違うが、あまりのスケールの大きさにこれこそがSF小説と思ってしまうような小説です。 服が人を支配するという発想はどうやったら生まれるのでしょうか。 読んでいてイギリスのSF小説家って独特の世界観を描く気がしました。 この本を読んでいて、ミエヴィル・チャイナの「都市と都市」を思い出しました。 2つの国家がお互いに干渉しないが、対立しあっている。 最後には両国を跨がり物語が進んでいく様子は独自の世界観に引っ張られます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
以前の訳版も持っているのですが、今回は特に比較して読んではみませんでした。 ただ、以前の訳を読んだおぼろげな記憶では、今回の訳はより読みやすかったように感じました。最近のハヤカワ文庫全体が若干背が高くなり、少々大きめな活字で印刷されているせいもあるかもしれませんが…… バリントン・J・ベイリーという作家の独創的なイマジネーションと強烈な展開に改めて感動しました。禅銃、時間衝突、ロボット三部作……もう一度読み返してみようと思いました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ベイリーは禅銃しか読んだことが無く、それが少し苦手だったもので、これはどうかと思っていたがこちらは正直かなり好みであった。 服に人間が支配される、という荒唐無稽なようで若干のリアリティを持った設定が素晴らしい。 ほら、日常の中でも服装によってテンションが変わることがあるじゃないですか。 スーツをたまに着ると、なんとなくピシッとした気分になったり、家に帰ってスウェットに着替えると一気に気が抜けたり。 生活の中で、服によって気分が変わるなんて多々あることで、それを拡大解釈&SF的理屈づけした結果がこの本かと思うと実に興味ぶかい。 もちろん、そういった進化(?)をとげた過程に対する、空想学術的な根拠の付け方も面白い。 ジャンルは全く違えど、歴史小説にまま見られるような、トンデモ理屈のような勢いすら感じる。 力業で納得させられているような気持ち良さ。 しかし、それはタダの馬鹿げた妄想なんかではない。 なにか外的なものに人間が支配されるという、現実でもままある現象を皮肉った実に素晴らしい小説なのではないかと思う。 それは服でなくてもよい。 経歴であったり、社会的な地位であったり、はたまた何かの称号であったり……人間なんてそもそも周囲の要素にアイデンティティを求めがちなもんで、それに支配されると本末転倒な生き方をせざるをえなくなるぞ、という寓話的な意味合いすら深読みしたくなる。 なかなかマストのように、自分本位の生き方を貫くことなどできはしまい。 ある意味彼こそが、この作品の中で唯一賞賛されるべき、本当の人間なのだと思われる。 まあ、おそらく作者の意図を外れた妄想なんだろうけど……。 ともあれ、SFにはこういった作品の外側、物語を超えた所での想像力を刺激するものがあり、そういった作品に触れたとき、SFという思考実験場で様々な思索を繰り広げる作家の方々に畏敬の念を禁じ得ないのである。 そんな、とても素敵なSF作品でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
衣服の精神性から、着用者との関係まで深く考察されていて面白く読みました。ただし、皆さんが言われるようにラストには納得できません。最後まで人間と衣服の関係を突っ込んで描いていただきたかったところです。ラストシーンは、地球上のあるものを想起してしまいました・・・ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最初のアマラのパートがなぜか読みにくかった。 でも、中ごろからはカエアン文明についての考察やらが面白くなって すいすい読めたが、ラストのアマラの船にペデルが回収されてからまた読みにくかった。 可哀想なのはアレクセイだね、あんな事になってしまうしね。 受動知性と能動的知性ってアリストテレス? プロッシム植物の惑星は1つなのかとか、ペデルが隠した胚珠からプロッシム植物再生するのか とかこの後の事も楽しく想像できて面白かった。 アニメ「キルラキル」は観ていないが、脚本家中島かずきの解説で観てみたくなったな。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公はカエアンの墜落宇宙船から ”カエアン服飾芸術の帝王” フラショナールの伝説的作品「フラショナール・スーツ」を手にする・・・。 著者の想像したものを所構わず一つの作品にぶち込んだ世界観など正に今作はワイドスクリーンバロックだなあと感じさせるものがあった。 墜落した宇宙船の捜索、超音波生物の惑星、宇宙服を身体の器官として使用し自身の体を退化させてしまった人種など爆発的なアイデアが至る所に散りばめられている。 特にカエアン産の衣服を着ることで自身が優れた能力を得る設定は稀有なアイディアで、21世紀の今現在に読んでもとても新鮮味を感じられる内容であった。 それだけにとって付けたようなオチの流れに少し失望してしまった。 もう少し「フラショナールスーツ」の主題を軸に盛り上げて欲しかった。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!