カエアンの聖衣
- SF (393)
- ワイドスクリーン・バロック (4)
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状態に関する連絡を頂き、ありがとうございました。 本には全く問題はありませんでした。今後も利用させて頂きたいと思っていますので、その際にはまた宜しくお願いいたします。 今回“も”ありがとうございました。 | ||||
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タイトルから『服を着たら聖人になる話』を想像していたが全然違っていた。 アイデア溢れるコミカル寄りなSFびっくり箱だった。 スーツの一行と学者のアマラ一行との話が交互にあり、いずれどう交わるのかはお楽しみ。 人間を所有するスーツの設定も見所で、スーツが人間に迫る場面は官能的なのかと想像していたがそんなこともなかった('・ω・`) ラストはスーツが盛り返しそうでわくわくした。 | ||||
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邦訳版が初めて登場したときにはかなり話題になった本作だが、当時は食指が動かなかった。新訳版が出ていることを知って今回読んでみたのだが、噂どおりの傑作だった。当初は「その人物の持つ能力を最大限に発揮することができるスーツ」と読ませる流れがやがて「知性を持つスーツ」へと変貌し、それとともに物語の焦点は「スーツは何を目的としているのか」へと転換する。主人公の視点からすれば最初は突如としてヒーローとなった者の話がやがてスーツに操られる存在へと置き換えられることとなる。 物語には文化人類学者も登場する。もちろん「衣服」の役割を考えるならば文化人類学への言及は実に正しい。「衣服」の機能についてまともな答えを用意できるのは文化人類学だけだからだ。とはいえ作中において「人は何のために服を着るのか」ということが議論されるわけではなく、登場する文化人類学者がもっとも権威的で傲慢であり、その助手の方がむしろ考え方としては文化人類学的である、というのは何かの皮肉なのだろうか。 | ||||
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"『あいつらみたいに、服に人間を支配させるんじゃないぞ』ぺテルは歓喜のあまり、その言葉をろくに聞いていなかった。カエアン製の、本物のフラショナール・スーツの所有者になったのだ"1976年発刊の本書はアニメ『キルラキル』着想の元にもなったワイドスクリーン・バロックSFの金字塔。 個人的には【ブシドー極めし伝説の超戦士】〈小姓〉池松八紘が無双する『禅銃』が大変面白かったので本書も手にとりました。 さて、そんな本書は【"服は人なり"という絶対の衣装哲学を持つ】カエアン文明、それに敵対しこちらは衣装はおろか【全裸で人前にでるのも是認される】ザイオード文明が存在する銀河を舞台に『禅銃』と同じく、密貿易業者グループ一味、そしてカエアン文明を密かに調査するザイオード調査団のストーリーが同時並行して進行、終盤あたりで合流して怒涛のエンタメクライマックスへ、そして見事に着地して終わるわけですが。 まず、やはり著書といえば、ラーメン二郎の"ましまし"【これでもか!これでもか!とアイデアが惜しげもなく詰め込まれている】のが大きな魅力となるわけですが。本書でも冒頭の惑星での超低周波音を発するラッパつき『咆哮獣vs音波干渉防止服』から始まり、宇宙空間にそれぞれ適応したロシアルーツの『巨大スーツ人vs裸体サイボーグ人』。ちなみにこちらは【"ヤクザ坊主"に率いられた日本人ルーツ】と、書いていても【何だかよくわからない怒涛のアイデア】に想像力が試され、くらくらしてしまいます。 一方で、特に多くは回収されない"それらのアイデア"が味として楽しめるようになってくると、本書は『衣装SF』エンタメ作としても完成度が高い事に気づき、広げに広がった【風呂敷を見事に畳んで終わる】のは流石といった印象で、直接的なイメージは確かに『キルラキル』でしょうが。展開に関しては『グレンラガン』も影響を受けているのがよくわかる。と感じました。 定番化、パターン化したSFに飽き飽きした方や、SFに難しげな宇宙物理理論ではなく【センス・オブ・ワンダー】的イメージを求めている方にオススメ。 | ||||
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"『あいつらみたいに、服に人間を支配させるんじゃないぞ』ぺテルは歓喜のあまり、その言葉をろくに聞いていなかった。カエアン製の、本物のフラショナール・スーツの所有者になったのだ"1976年発刊の本書はアニメ『キルラキル』着想の元にもなったワイドスクリーン・バロックSFの金字塔。 個人的には【ブシドー極めし伝説の超戦士】〈小姓〉池松八紘が無双する『禅銃』が大変面白かったので本書も手にとりました。 さて、そんな本書は【"服は人なり"という絶対の衣装哲学を持つ】カエアン文明、それに敵対しこちらは衣装はおろか【全裸で人前にでるのも是認される】ザイオード文明が存在する銀河を舞台に『禅銃』と同じく、密貿易業者グループ一味、そしてカエアン文明を密かに調査するザイオード調査団のストーリーが同時並行して進行、終盤あたりで合流して怒涛のエンタメクライマックスへ、そして見事に着地して終わるわけですが。 まず、やはり著書といえば、ラーメン二郎の"ましまし"【これでもか!これでもか!とアイデアが惜しげもなく詰め込まれている】のが大きな魅力となるわけですが。本書でも冒頭の惑星での超低周波音を発するラッパつき『咆哮獣vs音波干渉防止服』から始まり、宇宙空間にそれぞれ適応したロシアルーツの『巨大スーツ人vs裸体サイボーグ人』。ちなみにこちらは【"ヤクザ坊主"に率いられた日本人ルーツ】と、書いていても【何だかよくわからない怒涛のアイデア】に想像力が試され、くらくらしてしまいます。 一方で、特に多くは回収されない"それらのアイデア"が味として楽しめるようになってくると、本書は『衣装SF』エンタメ作としても完成度が高い事に気づき、広げに広がった【風呂敷を見事に畳んで終わる】のは流石といった印象で、直接的なイメージは確かに『キルラキル』でしょうが。展開に関しては『グレンラガン』も影響を受けているのがよくわかる。と感じました。 定番化、パターン化したSFに飽き飽きした方や、SFに難しげな宇宙物理理論ではなく【センス・オブ・ワンダー】的イメージを求めている方にオススメ。 | ||||
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