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カエアンの聖衣
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カエアンの聖衣の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.40pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全30件 21~30 2/2ページ
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ワイドスクリーン・バロックの代表的作家、ベイリーの傑作。本作は、小生的基準ではワイドスクリーン・バロックの範疇には入らない。 中村融が言うところの、ブライアン・オールディスの定義(安田均訳の一部改変): 「ワイドスクリーン・バロックでは、空間的な設定には少なくとも全太陽系ぐらいは使われる――そしてアクセサリーとして、時間旅行が使われるのが望ましい――それに、自我の喪失などといった謎に満ちた複雑なプロット、そして身代金としての世界というスケール、可能性と不可能性の遠近法がドラマチックに立体感をもって描きだされねばならない。偉大な希望は恐るべき破滅と結びあわされる。理想をいえば、登場人物の名は簡潔で、寿命もまた短いことが望ましい」 から言うと、ちょいと展開が狭いし、なんと、本作ではベイリーは伏線をほとんど畳んでいる(小生的には拡げまくって畳めなくなるほどの展開が大好き。褒め言葉としてのバカSF!)…ロシア人の末裔の役割まで上手ーく使っているあたり、何と小説としても結構(ここ重要)成り立っているのだ。 だからこそ傑作であるし、冬川訳(こちらも名訳)であったものを大森訳で現在読み直す価値もある(ファッション用語なんて変わるかわる)。 読みやすさは新訳が上、しかし最初に読んだ30年以上前の衝撃から、旧訳でももう一度読み直そう。 ハヤカワ文庫補完計画のなかでも、コードウェイナー・スミスとバリントン・J・ベイリーのタイトルは拍手ものだ。 | ||||
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読了後の感想は面白くないモノは暗雲賞を受賞していようが面白くないということでした。 まずは前半は誰が主人公なのか判りません、そして話が飛びます。 あれ?もうそんなことになっちゃったの?と、経緯や細かいディティールは少々、おざなりになります。 登場人物達の個性の創り込みがやや雑なので、人物像がぼやけ人間関係も良くわかりません。 服に関しての表現は秀逸なのでしょうがカエアンの聖衣の能力や目的も判然としません。 「叛逆航路」まではいきませんが、とにかく突拍子もない話なので読者の想像力が試されます。 「意志を持ち思考し、着たものを支配する服」、「農作物のように実る服」と突拍子もないと言う点で 前例が無いのでそのあたりは評価しないといけないのでしょうが、もうちょっと判り易く創りこんでほしかった。 固定観念を持ってしまうのでカバーの挿絵も良くない。 お馬鹿な妄想は得意な私でもちょっとこれは消化不良でしたねぇ。 | ||||
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一度読んだら忘れられない小説。 「なんだこれは?」というような題材が、だんだんに説得力や深遠なテーマにつながってくるところが好きです。 | ||||
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作者は書きながら、思っていたに違いない。「俺の想像力についてこれるか?」 荒唐無稽な世界が映画に負けるようじゃ小説じゃない。 うん、そうだよ。絶対そうだ。 インフラサウンド?と呼ばれる高周波を武器とする恐竜。それに立ち向かう為の遮蔽スーツ。 宇宙空間で生活しなければならなく、全身鋼鉄で蔽わなければ生きていけない者。 この本のメインテーマであるスーツ、服、衣。様々な衣。 この作品の服に対する作者の考察は、時に読み手を爆笑させたり、震撼させたり、可笑しがらせたりします。 | ||||
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ワイドスクリーン・バロック(科学的根拠のない、SF)の代表作とされています。ただ、根拠はなくても、あるように見せるのがこのジャンル。読んでる最中は、そうなのか〜と思ってしまいます。 本作は、衣類SFなどと呼ばれる通り、アイデアが光る傑作です。 物語は二層構造で展開します。 衣装によって、前向きになったり、性的魅力が増したりする特異な文化を持つカエアンの世界。 その世界を調査すべく発信した宇宙船。 一方、カエアンの衣類を積んだまま、遭難した船から積荷を奪おうとする故買屋グループ。 前者は、カエアンの思想の起源となる不思議な人類と出会います。 ここの記述、発想は本当に独特です。 後者は、誘惑に耐えかね、カエアンの最高級の衣類を試着してしまいます。 そして、そこから、カエアンの衣類の恐るべき力が明らかになって行きます。 ここからの展開がスゴイ!びっくりです! そして、二つの物語はやがて、交差し、カエアン(衣類)の謎へと迫って行きます。 やや二層構造のストーリーが重い感じはあるので、星4つとしますが、とにかく、アイデアが抜群。 他では絶対に見れないと断言出来ます。 真のSF、ある意味では、奇書と言えるでしょう。 ベイリーの最高傑作、是非、一度はお読み下さい。 | ||||
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着ている服によって性格や他人に対する影響力が変わったら? 現実世界においても、ピシッとしたスーツ姿の時とジーパンにヨレヨレのTシャツ姿の時では、何となく気分が違ってくるものです。着用者に対する服の影響についてイマジネーションを膨らませた結果が本作でしょう。 こう書くと哲学的、ブンガク的なにおいがプンプンして、「堅苦しい小説はちょっと・・・」と尻込みしてしまう人がいるかもしれません。わたしも読み始めるまでは身構えていましたが、その心配はまったくありませんでした。個性的な登場人物たちと、彼らの不思議な惑星世界を巡る冒険は純粋に楽しめます。また、「フラショナール・スーツとは何なのか?」という謎も、次のページをめくりたくなるテーマとなっています。 20年以上前の翻訳だからでしょうか、ちょっと読みづらい日本語だなぁと感じましたが、飽きさせないストーリー展開で問題なく読み終えました。 堅苦しくてわかりにくい小説は苦手、けれどガチガチのハードコアSFもいまひとつ・・・という人は一読をオススメします。楽しく読み終えた後で、「人間にとって服飾の意味とは?」と思考を自由に巡らせてみたくなりますよ。 | ||||
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この本を読んだのは今から20年以上前。 でもその時の衝撃は忘れられない。 あたかも「宇宙船ビーグル号の冒険」の様に女船長の宇宙船は敵カエアンの深遠まで入っていく。 しかしその全く異なった世界観(衣装哲学)に彩られた世界の成り立ち、またそこに住む人たちのメンタリティ。 爆発したようなアイデア(蝿の惑星とか)がちりばめられた、これぞワイドスクリーンバロック! この作品を読まないのはSFファンとして勿体無い。 逆に言えばこの作品が楽しめないならその人はSFには合わない。 もっと他のジャンルの小説を読んだ方が人生を楽しめると思う、と断言してしまって良い程にとってもSFしている作品です。 | ||||
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サイボーグについて哲学したことがあるだろうか。 ある人にはぜひ一読してほしいサイボーグSFである。 物語自体は通俗なサイボーグ活劇だが、 前半部に登場するサイボーグの生態が、きわめて独創的なのだ。 こんな角度でサイボーグを眺めた作品は他にはない。 SFが好きな人が、どっぷりと他のSFにひたった後で読むべき作品。 SF界のななめ上空を飛びかうベイリーの世界を楽しめるだろう。 | ||||
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ブランド物の洋服を身につけると、自分まで高級になった気分がするらしい…客観的には高級ブランド品のほうが気の毒になるくらい似合わない場合があっても。とはいえ、ボロボロの洋服を着ているときより、ビシッと折り目のきいたスーツを着ている時の方が、一般的に自分に自信が持ててしまうというのは事実です。借金してまで買うというのはどうかとしても…。 そんな、「流行」が世の中を席捲する社会をチクリと指すように、この物語で描かれる世界では、衣服に振り回されることを愚かと見なす傾向が進んだあげくに、裸が最も精神性が高いという思想に「進化」したジアードと、美しい衣装をまとうことが人生そのものであり、人間の個性であるというカエアンの対立が描かれます。この衣装をめぐってイデオロギーの対立した世界、それに染まった人々の思考、流行、習慣、細部にいたるまで考え抜かれた奇妙な世界の精緻さに魅了されてしまいます。特に強固なスーツを着た姿こそが自分自身であると感じ、生身の体に強烈な自己嫌悪を抱く種族や、けちな犯罪者でありながら、カエアンの衣装の影響力を警戒する自意識の強いマストなど、全く異なる文化を背景に育った登場人物たちが面白い。そして、現実の私たちの世界にあるのは、流行を作り出そうという人々のパワーゲームですけれど、衣装を利用しているつもりで実は衣装に利用されていたら…??? | ||||
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言い古されたことですが,ファッションは自己表現の手段です.どう見せたいか,どう思われたいかという観点がなければ,人は裸で過ごしていれば十分でしょう(まぁ,寒いときはそうも言ってられませんが).服装は文化というより社会とそこに暮らす人々を反映します. 私自身は,自分の着るものに関しては脱ぎ着しやすいか,動き易いか,リラックスできるかといった,ごく機能的な観点しか認めていません(ヨーロッパ中世にはこういう仕立ての問題すら解決できていませんでした.身体に合ったシャツを持つことは本当に難しかったのです).色にいたっては全くのオンチ(?)です.しかしそういう主張でさえも,「自分自身の皮膚感覚こそもっとも大事である」という一種の人間中心主義の表現とも言えるでしょう.不況に流行る「キタナイ格好-ボロボロルック?-」さえも「見てくれだけ取りつくろうのがそんなに重要か?」というメッセージと考えることができます. 忘れてはならないのは女性の着るものにおける「ヒラヒラ」の魔力です.無駄だらけなのに何故かそれに惹かれるのは,それが単に私が男だからでしょうか ? あやつり人形. 服装による自己主張がひとり歩きをはじめたらどうでしょうか?つまり,その服を着れば,服がある種の主張を始め,何となく言動を誘導され,着てしまった人間はそのとりこになって,言うなり(?)に生きていく….そんなことあるか!と言い切れるでしょうか?大なり小なりうなづける所はないでしょうか? 服にあやつられる人間とその特別な服-カエアンの背広(スーツ)-をめぐるスペースオペラは,時にユーモラスに,時に哀しく話が進んでいきます.服を着た人間の感覚は「それを着たとたんエネルギーが身体じゅうに満ちあふれ,身長が倍にもなった気がし,背筋が伸びて気分爽快,何でもできるような気がする」のです.ここまではおろしたての身体にぴったりあった上等な服を着た感覚と同じですね? しかしこれはSFですから,この後は腕っぷしや腰の強さが尋常ではなくなり,さらに電撃まで使えるようになります.折角口説いた女とベッドに入ろうと服を脱ぐと急に元気がなくなるし,電撃は身体のエネルギーを横取りされているので消耗し,げっそりやつれた主人公は喫茶店に入ってコーヒーシュガーをがぶ飲みといった具合. | ||||
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