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ヌメロ・ゼロ
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ヌメロ・ゼロの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.14pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全14件 1~14 1/1ページ
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ストレートに書きたいことを書いた作品のように思えました。エーコ は「2016年2月19日、癌のために84歳で死去した(Wikipedia)」そうです。この本は、2015年に出版されているので(日本語訳は2016年)、想像ですが、これまでの作品のように長編を書くだけの時間が残されていないために、著者にしてはめずらしく伝えたいことに絞って書かれたのではないでしょうか。 主人公たちは、読者を惑わす記事の書き方や紙面構成方法を共有して、情報操作の仕組みを教えてくれ、その後の同僚の調査という形でイタリアの陰謀史を紹介することで、この情報操作の中から本当の情報を知り得る目を培えるようにしてくれているように感じました。今、様々な矛盾した情報が毎日報道される中にあって、この本で教えてくれることは非常に役に立つように思えます。 イタリアの陰謀史は、一瞬ひるみますが、個々に検索するとWikipediaでかなり詳しい情報を知ることができます。イタリア史のもともとの素養がなくても、ネットの情報によってある程度楽しく読めました。今こそ読むのにふさわしい本だと思います。 | ||||
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薔薇の名前は未読です、読める気がまるでしない。 フーコーの振り子は読んだが、やはりまるで理解できとらん。 ・・・そういう尻込みや挫折した方、初めて エーコを読む方にはコレ。 巨匠の遺作って、年齢的な衰えも含めて、 代表作に比してダメ扱いされがちだけど。 その衰えが、未熟な読者には丁度いい場合もあります(私です)。 正直コレも正しく理解できとらんだろうが、それでも面白く読めただけ前進したなぁとか思うわけです。 まだ書架の探偵は読んでないけど・・・ ジーン・ウルフも同じ気がする 笑 | ||||
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残念ながら失敗作だと思う。つまらない。 薔薇の名前を読んだ時の興奮を未だに憶えているので残念だ。 | ||||
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エーコの小説は、時として難解で、歴史的背景を知らないとよく楽しめないところがあるが、この作品は長さも適当でおまけにほとんどの歴史的な背景は小説内で説明されているので、青変わらず凝った文体ではあるが、とても読みやすい(この作家にしては!!)イタリー語は読めないのでこの小説を紹介してくれた翻訳家に感謝!! | ||||
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短め(Kindleのカウントで3000未満)なので読み終えましたが、おそらく作者が読み取ってほしいと思う部分をほとんど理解できなかったろうと思います。 20世紀のイタリアの社会史を陰謀史観で読み替えていくことで、歴史や報道の持つ客観性や普遍性への疑いを訴えることがテーマなのかも、と思います。 しかし、イタリア現代史を知らなかったり、読解力が低かったりで、字面を追いかけるのが精一杯でした。 | ||||
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1. P.219: 「ハ長調協奏曲」はラフマニノフなら「ハ短調協奏曲」であろう。 2. P.233/252 地名「オルテ」は「オルタ(Orta)」であろう。文中湖の名は「オルタ湖(Lago d'Orta)」ときちんと書かれている。上記2点は物語でもホントのことを書いてもいいのだから間違いであろう。 | ||||
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高校生の頃、薔薇の名前の映画をみて、何が面白いのか具体的に分からなかったのだが、引き込まれた。大学で西洋美術史を勉強し、イメージに隠された本来の意味を解読するのが面白く、宗教のドロドロした人間性を知れば、本当に歴史は続いているのだなと不思議な気持ちになる。私が産まれる前のストーリーだが、1920年代から謎の組織たちによって今も世界が動かされているのだと怖くなった。 追記で、私は主人公の彼女にはならないと思う…50代と20代…うーん… | ||||
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著者の作品は、10年以上前に名作と評判の高い「薔薇の名前」に挑戦したものの、面白さが今一歩理解できなかった記憶があるが、今度は評価が高くなおかつ比較的短い本書に再挑戦してみた。 結果からいうと、読んでいる最中は結構疲れた。物語は架空の新聞を創作するために5人の男女が集まって、過去の事件を元に扇動的な紙面を作るというものだが、よく知らない事件が続くし、しまいにはある記者が終戦時に殺害されたはずのムッソリーニが実は生きていて1970年のクーデター未遂事件の黒幕であったという仮説が延々と続いて、正直読み進めるのが辛くなった。 ただ、後書きを見てわかったのは、ここに書かれた事件はすべてイタリアで実際に起きたもので、それらがいかに簡単に忘れ去られ、実はそれは危険なことだという警鐘を鳴らす作品でもあったということである。その観点からは、まず後書きを読んだうえで本編に入ったほうがよかったと思った。 | ||||
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2016年2月に永眠した現代イタリアの知の巨人、ウンベルト・エーコ。彼の遺した最後の小説は、あるメディア王の権力拡大のために画策された日刊紙「ヌメロ・ゼロ」の発行準備に追われる編集部と、戦後イタリアの陰謀史を交差させ、厳正に生きる者に「記憶すること」の意義を問いかける。 ・新聞準備号の編集部を舞台に、読者の意図を汲んだ表現手法、告発者の信憑性を落とし方、取材者との取引、ターゲットとする人物の貶め方など、メディアの「空恐ろしい情報操作のテクニック」の数々が披露される。こんなものを日々われわれは読まされているわけか。 ・50男の主人公が見出した、30歳の女記者との幸せな日々。だが、ムッソリーニ生存説、バチカン銀行、ローマ法王暗殺事件、情報機関「グラディオ」など、戦後イタリア史の闇の部分を追究する一記者が殺害されると、事態は急変する。 ・著者は記憶を失うこと、無関心になることに警鐘を鳴らす。「Xという事件も情報の大海におぼれてしまうわけだ」(p156)、「でも、私も忘れていたのよ。新しい暴露があるたび前の暴露が消されてしまうかのように。全部引っぱり出すだけでよかったのよ」(p193) ・主人公を含む新聞編集部と影の出資者以外、すべての関係者が実名で登場する。影の出資者ですら、ベルルスコーニ大統領のことを想起させてくれる。どこまでがリアルでどこからがエーコの生んだ世界なのか、あるいは想像とは現実世界と紙一重であるのだろうか。 「世界そのものが悪夢なんだよ」(p197)、情報操作の現実的恐ろしさは、ある日を境に突如報道されなくなる官僚関係の微妙なニュースや、Google検索から削除される事件の痕跡など、われわれ日本人にとっても無縁ではない。 濁世の中で生き抜くこと。第四の権力者であるメディア報道の真の意図を見抜き、自己を護るためにも、確固としたリテラシーだけでなく、個人なりの哲学が必要ってことだな。 | ||||
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本作は、事実上陰謀論を扱ったノンフィクションです。 しかし本作は小説として発表されているので、本レビューは小説としてのレビューです。 『薔薇の名前』『フーコーの振り子』『バウドリーノ』『プラハの墓地』等はいづれも大部でしたが、本作は、邦訳本文200頁にも満たない小品です。 残念だったのは、記述が駆け足で、物語に厚みがなく、一気に読めはしたものの、エーコの小説としては読み応えがありませんでした。 偽新聞の記者は6名、さらに編集デスクである主人公と編集長含めて8名ですが、ある程度人物描写がなされるのは4人だけで、残りの記者4名はほぼ名前だけの登場です。8名全員について主人公並みに描写を増やして大部の作品にすれば、もっと奥行きのある作品になったのではないでしょうか。正直、読後印象に残ったのは冒頭の編集会議と陰謀論を追いかける記者の独白部分だけでした。登場人物の台詞の中に、( ) で台詞の補足があるのですが、これなどは、小説というより脚本を読んでいるような感じです。ただしこれは、エーコの意図的な記述で、本作がそもそも、発行しない偽新聞の製作過程を記録するルポルタージュ、という体裁をとっているので、主人公の力量と特徴を表現しようとしているのかも知れません。 本作は、主人公のルポルタージュという体裁なので、書いてあることが全て彼にとっての事実だとしても、編集長が語る偽新聞発行の意図や出資者の話やラストの狼狽ぶりも嘘かもしれません。このように、エーコ作品に見られる虚構の迷宮は本作にも見られるので、この部分をもっと深堀して、重厚な小説にして欲しかったところですが、どうにも、陰謀論の記者の独白が印象に残ってしまい、極端にいえば、毎週、陰謀論記者が酒場で主人公に、調査した陰謀論を延々と語っているだけ、という印象が残ってしまいました。 本作はエーコの遺作ということなので、大作を書く時間が残されていなかっただけなのかも知れませんし、舞台を現在ではなく1992年にしたのも、ノンフィクションではなく小説にしたのも、現在であまりに深堀した内容を書いてしまうと暗殺される危険があったということなのかも、との疑念もわいてしまいました(グラムシやクラクシもタイミングが良すぎて暗殺ではないのかと思えてしまいます。イタリア政界の大物では、故アンドレオッティ(94歳)、ファンファーニ(91歳)、チャンピ(96歳)、スカルファロ(93歳)、リーチオ・ジェッリ(96歳)、まだ存命のナポリターノ(91歳)など長命な方が多く、70歳以前で死去している場合暗殺を疑ってしまいます)。 読了直後の印象はエーコ作としてはいまひとつに感じ星3だったのですが、レビューを書きながら一部見直してみると、虚構の迷宮感はよく出ているように思え、ぎりぎり4点という感じになりました。 蛇足です。メディアの情報操作に触れているレビューが多いように見受けられますが、一般企業でも、競合他社に勝つために、自社にとって都合良く編集した市場動向グラフを作成・分析レポートを作成したり、宣伝や他社製品との機能比較表等では自社に都合の良くなる項目構成を作りますし、それらを読むユーザー企業側でも、複数のレポートや提案書を見比べ、より確実なものを判断しています。これはテクニックの話ですから、執筆者が明日から競合企業で働き、まったく逆の内容を書くことは日常茶飯事です。新聞をはじめとするメディア全ても例外ではなく、今や情報リテラシーは現代社会のどの分野でも必要かつ適用可能/流用可能な基礎技能だと考える次第です。 | ||||
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引き込まれるようにして一気に読んでしまった。小説のような、ノンフィクションのような、読んでいる途中で話中の「事件」がウソなのかホントなのかわからなくなる。ただ、「訳者あとがき」によると、編集部の人間を除き「作品中に言及されるのはすべて実在人物であり、現実に起こった事件」であるとのこと。それを読んで、あぁ、世界には深い闇があるなと改めて思った次第。 舞台は「日刊紙」の編集部、といってもその新聞は発行前の準備段階で、しかもその新聞は、社主(金主)が政界や裏社会を脅すための”道具”に過ぎず(怪文書のようなものか)、実際に発行されることは決してない新聞の紙面を作り上げていくという、もうその設定からしてゾクゾクする。 そして編集部内でのやり取りのなかで、新聞の紙面がいかにして「作り上げ」られていくかが語られる。これは別に取材の苦労話や編集作業の話ではなく、いかにして「読者の知りたいこと」もしくは「読者に伝えたいこと」を紙面に載せ、逆に「読者に伝えたくないこと」は載せず、記事の行間や紙面割りで「読者の想像力を操作するか」というテクニックの話だ。要は、嘘はつかず、かといって正直に言うでもなく、それでいて世論を操作するにはどうすれば?という話。 はて、日本のマスコミも、、、どうなんでしょうねぇ。 【以下、引用】 「読者の言葉を使わなければならない」(読者の精神年齢に合わせろ!) (事実と意見は区別しなければならないが、住民や識者のコメントのように) 「カギかっこさえつければ、こういう言葉も事実になる。つまり、これこれの人がしかじかの意見を言ったという事実です。・・・ふたつの相対する主張を載せて、ひとつの出来事について異なる意見があることを示し、新聞は反駁の余地のない事実として報道するわけです。この場合の巧妙な策は、まず、ありきたりの意見を紹介し、次にもうひとつの意見を、記者の考えに非常に近い、より論理的な意見を紹介すること。こうすれば、読者はふたつの事実を情報として得た印象を持つが、実際にはそのうちのひとつだけを、より説得力のあるものとして受け取るように仕向けられるわけです。」 「新聞に何を載せるかは、予定表をつくる必要がある。・・・ニュースが新聞をつくるのではなく、新聞がニュースをつくるのだ。」 「ひとつひとつをとってみれば、この四つの記事のどれも、特に読者の関心を引くものではないが、四つをひとまとめにすると、どうしても目立ってしまう。・・・ニュースのないところから、あるいはニュースの読み取れないところから、ニュースを立ちのぼらせる訓練だ。頑張ってくれ」 「他人が確かめることができるデータを公言するより、ほのめかしに留まったほうがいい。ほのめかすというのは、何かはっきりしたことを言うというのではない。反論者に対して疑問を抱かせることになればそれでいい。・・・効果的なほのめかしとは、それ自体はとくに価値のない事実、しかも、ほんとうであるので否定しようのない事実についてのものだ」 「いいか、今日では、告発・非難に応酬するためには、その反対を示す必要などないのだ。告発者の信憑性を失わせるだけでいい。・・・100パーセント完全無欠の人間などいない。・・・何かしら奇妙なことのひとつぐらいはしたはずだ。あるいは、彼が毎日することを奇妙化するのだ。想像力を働かせてやってくれ。いいか?」 「ドイツ語にいい言葉がある。シャーデンフロイデ、他者の不幸を見て得られる喜び。新聞は、こういう感情を尊重し、かつ掻き立てるべきなのだ。」 くれぐれも悪用なさらぬよう、、、 | ||||
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とても面白かったです。 イタリアの歴史や過去の様々な事件などを知っていると、きっとどんなに理解が深いだろうと思う。 しかし、知らなくても作者の意図が実に巧妙で面白い小説です。 記憶こそ人間の証..現代にとても大事なことだと痛感した。 | ||||
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イタリアのある新聞社で企画されている新しい新聞の創刊記念ゼロ号(ヌメロ・ゼロ)を巡るミステリー小説です。この小説の舞台は、1992年のミラノにある新聞社の編集部です。ここに、戦後のイタリア社会の中でのジャーナリズムを巡る陰謀説が絡んできます。 戦後のイタリアでは実際に、1986年の学生運動から10年間に数々の爆破事件が起こり多数の犠牲者を出しましたが、事件の多くは未だに解明されないままなのです。そして、これら事件の記憶はすっかり薄れて失われようとしているのです。 こういう現状に対して、著者ウンベルト・エーコは警鐘を鳴らすため、「いかにもありそうな架空の話」を本書にでっちあげ、本書を通じて、著者は皮肉たっぷりに「歴史を記憶せよ、すぐ忘れてしまってはいけないよ」と忠告しているのです。 「記憶こそ私たちの魂、記憶を失えば私たちは魂を失う」(エーコの言葉) ジャーナリズムの「誤った情報」や「悪しき報道」を見抜いて自分自身をどう守るか、新聞やインターネットの情報をどこまで信ずるか、考えさせられる小説です。 | ||||
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面白かったです。 1992年のミラノで、日刊紙のパイロット版に携わるメンバーたち。新しい日刊紙を作ろうと希望を持って集まったのに、結局は出資者が喜ぶような紙面をつくるのに、読者のレベルにあわせて、どのような情報操作を行ったらいのか?などのテクニックを議論していくことになる。 紙面から、ほのめかす技術、権威ある人物の印象操作や、大きなウソからの目をそらさせるやり方、陰謀論の作り方や暴き方などが、編集会議で議論されている。そんななか、暴露記事専門の同僚が「ローマ法王は暗殺されたのでは?」「独裁者ムッソリーニは生きているのでは?」という陰謀を調べていくうちに・・。 (「訳者のあとがき」にもあるよように)1992年当時のイタリアの政治状況を知っていると、もっと楽しめるのだろうと思った。 この本がテーマにしているような、陰謀論や情報操作はどこの国でも行われているでしょう。陰謀論が事実本当だったとしても、発表される媒体ややり方で、いくらでも陳腐化できるということ。 暴露記事というと、日本ではここ最近の「週刊○春」や「週刊新○」などの週間誌の活躍が目覚ましい。。 執筆する側、作り手側の苦労、もしくは執筆させられているのか・・など考えさせられる。 「踊る阿呆に、見る阿呆」なら、自覚を持ってテキトーに踊れるくらいがちょうどいいのいかも。 | ||||
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