堆塵館
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そもそも、ファンタジー小説は、僕には向いてなかった。 | ||||
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訳者後書きによれば、「やめられない止まらない」系の面白くてたまらない物語ということだったが、正直かなりがっかり。 ビクトリア期のファンタジー系小説でいえば、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』の方が、100倍くらい面白い。ロンドンの重苦しい霧の描写、貧しい人々の生活の様子の描き方は、ディケンズの方がはるかに上。まあ、ディケンズはリアルビクトリア期の人なので、想像して書いているケアリーが敵うはずもないのだろうけど。 小説としても、ディケンズの方が普通に面白い(ディケンズの『荒涼館』を検索していると、なぜかこの『堆塵館』が何度も表示されるのは何なのか?)。後書きでディケンズと比較されているが、それはいくらなんでもディケンズに失礼というものだろう。 病魔にまみれたロンドンの描写ならば(ビクトリア期ではないが)、デフォーの『ペスト(A Journal of the Plague Year)』がはるかに優れている。 ディケンズ関係の資料を探していたら、何度もこの本が「オススメ」に表示されるため、興味を持った。ケアリー?最近別の本の書評で見た人だな、一冊くらい読んでおいてもいいか、と購入して、まとめ読み。 物語の核になる、『誕生の品』の「設定」が雑。物語の冒頭で、『ドアの取手(=誕生の品)・ロザマットおばさん(アイアマンガー)』が、誕生の品を失くすエピソードが来て、アイアマンガーにとって誕生の品がどれほど大事なものなのか、肌身離さずにいなければ死んでしまうのだ、ということがクドクド説明される。なるほど、そんなに大事なものだから「マントルピース婆さん(主人公クロッドのお祖母さん)」が、自分の誕生の品である巨大マントルピースと離れられないがために、マントルピースのある部屋から出られないわけだな、と納得するのだが。 物語が進むにつれて、この誕生の品の設定が、俄然いい加減というか、行き当たりばったりになってくる。 誕生の品は、生まれた時にマントルピース婆さんによって決定され、物と持ち主となる人の血を一滴ずつ交換することで、特別な絆を結ぶ。つまり、「生まれながらのもの」ではなく、後天的に決められるもの。そして、唯一無二のものでもない。物語中でも、痰壷爺さん(クロッドのお祖父さん)が、誕生の品を増やす場面が出てくるし、その時に他人の誕生の品を取り上げて自分のものにしてしまっているし。 肌身離さず身につけていなければならぬ、という設定も物語が進むにつれて、どんどんいい加減に。クロッドのプラグ(栓)は、リピットが持っていて、クロッドに返さない。後々、リピっトからピナリッピが奪い、ピナリッピからルーシー(ヒロイン)が奪う。リピット(&ピナリッピ)が保管している間は、持ち主であるクロッドは、プラグが身近にあると「知っている」から大丈夫なのだ、と理解してやれなくもないが、ルーシーが手に入れてからは、短期間とはいえ単純に行方不明だ。でも、全然平気! 痰壷爺いは一族の誕生の品を取り上げて自分と血の契りを結び、一族のほとんどの連中が、それまで肌身離さず持っていた誕生の品を手放してロンドンの街中を彷徨う。でも平気!誰も病気にもなってないし死んでもいない。 …いやいやちょっと待て。ドアの取手オバさん、物語冒頭で「同じ建物の中でドアの取手が行方不明になってただけ」で、死にそうになってたよな?マントルピース婆さんは、誕生の品から「離れられない」から、部屋を一歩も出たことがないって書いてあったよね?? 誕生の品が、「どこにあって無事」と、本人が認識できているだけで(たとえ認識している場所になかったとしても)大丈夫ってこと? ならば、物語のラストで、マントルピース婆さんがわざわざロンドン議会に何トンもあるであろう巨大なマントルピースを持ち込んだのは何のため?ビクトリア女王に対するテロを企てる一味が暗殺の場に連れて行くには、クソ邪魔以外の何物でもなかろうに。後天的に付与される物ならば、そして痰壷爺いが誕生の品を他人から奪えるのなら、別に子泣き爺よろしくマントルピースを担いで歩く必要なんて、全くないはずだ。 単に作者が「マントルピース婆さんの死に方(マントルピースに押し潰されて死ぬ)を前もって決めてたから」ってのが理由だったんじゃないの、ひょっとして? 誕生の品から引き離されると持ち主は死ぬ、人も物も両方死ぬ、というのは、一巻の中盤で明かされる設定だが、コレも結局はデタラメなわけだ。痰壷爺さんにもよく分かっていない、というのが正解かな? けれど、だとすれば、持ち主と誕生の品の関係はどうなっているのか。実際に、誕生の品を失って死にそうになる人もいるのだが、そうでない人の場合とどう違うのが、正確な説明は結局最後まで、ない。 例えば、リピットと仕立て屋。仕立て屋がアイアマンガーの警察にやられるシーンでは、「仕立て屋は間違いなく死んでいる」としか思えない描写だが(2巻のP 195)、死んでないわけね??瀕死の状態でも、持ち主は(ある種)元気。 一方で、ピナリッピがルーシーの「マッチ」を全部擦っちゃうと、ルーシーは危うく死にそうに?なる。オチは「マッチ箱が残ってたから大丈夫だった」。はぁ?? トースト立ては自分の持ち主であるモーカアスを射殺するが、トースト立て自体はピンピンしていて、後で殺人罪で処刑される。 つうかそもそも、誕生の品って無くても平気なわけだ。ビナディットなんか、純血のアイアマンガーだけど誕生の品なんか持ってないわけだし(ゴミ山そのものがビナデイットの誕生の品化してる??)。だとしたら、そもそも誕生の品なんか「どうでもいい」のでは?何故にそこまで誕生の品に「縛られる」? 余談だが、ビナディットのキャラ、ちょっとゴラム(指輪物語)を思わせる(苦笑)。こっちはいい奴なんだけどね。ビナディット自体かなり謎で、フォーリッチンガムの住人がこの赤ん坊を育てたのはナゼ?とか。 クロッドは、誕生の品だろうがなんだろうが動かしたり壊したりできるのに、何故リピットにやられっぱなし?敵わないから?何故リピットはそんなに強いのに、ラストは「いつのまにか」消えてるの?思わせぶりに「リピットリピット!」と鳴くカエルのおもちゃはリピットの成れの果て?「続編」に、作者が色気を出してる? 結集って結局なんなの?3巻のP506が答え?これだけ?1000P近く語り続けて、「結集の独白」で種明かしって、小説として下手すぎない? 結集はいつ起こり、(痰壷爺さんによる強制解散以外に)どう終わる?あるいは終わらないまま、一部ジョン ・スミス化する? 結集の親玉(ジョン ・スミス・反アイアマンガー)&子分が全員「アルバート公」の顔なのはナゼ? アイアマンガーと女王(あるいはアルバート公)との間に何があったのか? …ってか、「お前は(マトリックスの)エージェントスミスか!」って突っ込んだのは私だけか? クロッドは、念じるだけでトースト立てや爪楊枝を人に戻せるらしい。「僕がやったのだ」と言ってるが、正直、メカニズム(というか物語の中の理屈が)さっぱり分からなかったので、ラストの大団円も意味がわからん。クロッドの力ってのは、結局何なわけ?? 女王様は、一度は「穢れの街」ごとアイアマンガーの虐殺を命じておきながら、なんでこの期に及んでアイアマンガーの子供を助けようとする?その「慈悲深さ」は取ってつけたような感じしかなかった…というか、女王様自体、この物語に果たして必要だったのか。 ビクトリア朝っぽいネタがそこここに散りばめられているが、正直言って『ビクトリア朝ロンドン風の異世界そのもの』としか感じられず、ガイ・フォークスだのヘンリー・アーヴィングだの、そういう小道具いる??って感じだった。登場人物の言動も現代っ子っぽすぎて、まるでビクトリア朝風の書割りの中で演技する子役を観てるような(…どうでもいいけど、穢れの街の住民たちの識字率、高すぎじゃね?)。 幻想を絵画として描き、文字で紡ぐ作家というと、個人的にはクライヴ・バーカーを思い出す(ヘル・レイザーの原作者。頭にピンの刺さったキャラの生みの親という方が分かりやすいかも)。 そのバーカーが極彩色の悪夢から紡ぎ出したファンタジー『アバラット』。アレにも、孫をいいように操る鬼ババアが出てくるし、その鬼ババアが手縫いでせっせと自前の兵隊を作るってのも同じ。アイディアとしても、どうも二番煎じ感が強くてなぁ…。 あまりにも謎が謎のままで、肝心なところを読み飛ばしたのかと二回読み直したけれども、やっぱりよくわからなくて、個人的にはイラッとする物語だった。 ファンタジーだからって、設定がユルユルでいいというわけではない。というか、優れたファンタジーって結構理屈っぽいのだけどね。 | ||||
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1) もし、物にならなければならないとしたら、何になりたい? 人間が物に変わる。物になってしまった者を肌身離さず持っている者は、病気にならない。そうかー、 仮に何かの物に変えられたとしたら、ぞんざいに扱われるのはいやだな。そう考えたら、今自分が持っている物を、手入れして、愛情をかけて大切に使おうと、そう思いました。 2) アイアマンガー家のおばあさまは、エリザベス女王? 大きな暖炉のある部屋に一生閉じ込められているおばあさまは、エリザベス女王をモデルにしたのかな?と思いました。 3) クロッドとルーシーは、ヘンリー王子とメーガン妃? 外の世界を見たくなり館を出ようとするクロッドとルーシーを、王室離脱を決めたヘンリー夫妻に重ねてしまいました。 | ||||
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物語はとても素晴らしく,不思議な雰囲気に満ちており,のめり込んで三部作を一気に読むことができる。 しかし現代の日本に住んでいる我々にとって,この世界の背景はなかなか実感できないかもしれない。 そこで,より理解を深めるために,ここで2冊の本を紹介しておきたい。 1冊目は『不潔都市ロンドン: ヴィクトリア朝の都市浄化大作戦』(リー・ジャクソン, 2016年)である。この本を読むと,まさに堆塵館が建っている当時のロンドンのゴミの山の様子が理解できる。 https://www.amazon.co.jp/dp/4309226825/ 2冊目は『図説 不潔の歴史』(キャスリン・アシェンバーグ, 2008年)である。当時のヨーロッパの人々がいかに風呂に入らなくてもシャワーを浴びなくても平気だったか,そのような習慣がなかったかがよく理解できる。 https://www.amazon.co.jp/dp/4562041781/ | ||||
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19世紀のロンドンで不思議な館に様々な人々が集い・・・というお話。 いつも小説を読む際に、中身をなるべく知らずに読み始める事が多く、本書もそうしたのですが、異貌の19世紀物というか、よくスチーム・パンクというジャンルに収まるタイプの小説でした。ゴミで財を成したという一家、その一家で生まれたらある物が手渡される風習、物が話しかけるのが聞こえる主人公・・・という風なファンタジー作品として読める小説だと思いました。 その物に名前があり、主人公はその名前を聞き分けられらたり、その主人公にガールフレンドといえる家政婦が派遣されてきたり、その二人に怪現象が起こったり、という展開は今まで書かれたファンタジーとしてはあまり特異ではないですが、著者の小説の巧さや文章の巧さや造本の凝り方で読ませる作品だと思います。 著者のケアリー氏はこれまで3作しか書いていない寡作な人らしいですが、その分密度の濃い内容の濃い作品が多くて好感が持てます。本書の装丁も著者が自ら手掛けた凝った仕様になっており、その分作品世界の濃密さに酔う傑作だと思いました(その分値段が高いですが損はありません)。 ラシュディ「ハルーンとお話の海」やカーズワイル「驚異の発明家の形見函」等が好きで楽しめる方にお勧めのファンタジー。この後の展開が気になる3部作の第1部。是非ご一読を。 | ||||
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