呑み込まれた男
- 人形 (161)
※タグの編集はログイン後行えます
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点0.00pt |
呑み込まれた男の総合評価:
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
現在レビューがありません
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
著者エドワード・ケアリーさんによる、多数のイラストが物語を引き立てています。 また、著者の作ったアート作品を撮った写真も、物語を立体的にしてくれています。 「私の作品の所有者は鮫なのか。それとも私なのか」(179頁) 巨大魚(鮫)の大きな口から生きたまま呑み込まれ、余命いくばくもない「私」。 作品の所有権のことを心配をするものでしょうか? 違和感を覚えました。 本書の文章、イラスト、アート作品そのものの所有権は、エドワード・ケアリーさん。 16頁、78頁、112頁、124頁、142頁、157頁上、158頁、164頁、171頁、172頁、196頁の 写真は、写真家 Nick Cabrera さんに著作権があります。 1887年に、この巨大魚の死骸を浜で発見した「グリーム医師」(217頁)によると、 「彼のいくつかの作品はカメラで撮り、この本のなかの関連性の高い場所に証拠として配置しました」(224頁、エピローグより) この本の中に、写真を配置したのは、この「グリーム医師」だったのです。 この物語を日誌に書いたのは、老人の「私」、「ジュゼッペ・ロレンツィーニ」(14頁、225頁)。 烏賊墨(いかすみ)の染みのある、本書83頁から216頁までの部分を書いたのも、この「私」。 老人の文章を「何か国かの言語に翻訳」(224頁)したのは、グリーム医師。 この物語は、残っている蝋燭(ろうそく)が無くなると終わります。 「残っている蝋燭(ろうそく)は三十本だけ」(197頁) まるでカウント・ダウンが始ったように緊張感が走ります。 「マッチ売りの少女」みたいです。 《備考》 著者エドワード・ケアリーさんのイラストとアート作品は、文章よりも楽しみです。 特に、表紙カバーのカラー印刷は、心に残りました。 16頁の船の模型の白黒写真は、表紙カバーの見返し上にカラー印刷されています。 78頁の「ジュゼッペの窓」という題を付けた空の絵の白黒写真は、 裏表紙にカラー印刷されています。 空のブルー色と雲の白色のためは、やはりカラー印刷が必要です。 157頁の下の「オリヴィア・クラブ」白黒絵画は、 裏表紙カバーの見返しにカラー印刷されています。 「オリヴィア。生気に満ちている。最良の日のきみの姿だ。なんという挟み上手だったことか」(157頁) 死んだオリヴィアは、藍色のカニだったんですね。カラー印刷が、ありがたい。 200頁のピノッキオの白黒絵画が、表紙にはカラー印刷されています。 ピノッキオの上着は藍色だったんですね。カラー印刷によって、リアルに感じました。 読者は、この本にすっかり呑み込まれてしまいました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ファンタジスタ! 内省的な冒険譚。静けさに満ちた愛と光の物語。 2022年7月、この不思議にすてきな物語を読み始めてほどなく、新型コロナウイルスに感染し、自宅療養。ピノッキオの生みの親ジュゼッペ爺といっしょに船(鮫)に揺られているような気がしたのは、ケアリーの描写がすばらしいのに加えて、40度ちかい熱のせいでもありました。 それから、ひどい咳と痛み、倦怠感、ブレインフォグなどのコロナ後遺症が続き、罹患後50日でようやく寛解 . . . いまは味覚と嗅覚も8割方戻ってきました。 二週間の隔離生活とまったく匂いのない灰色の世界を経験して、ジュゼッペ爺の不安や孤独、絶望がよりいっそう身に染みたように思います。同時に、この美しい再生の物語と、ジュゼッペの創作愛 ≒ ケアリー自身の手になるオブジェやイラストにいたくなぐさめられ励まされたのでした。 ジュゼッペ爺のように幽閉されたら、まったき孤独の中で、わたしは絶望せずにいられるだろうか、正気を保てるだろうか。どうしたら一縷の望みを持ち続けることができるだろう? もしも日記をつけるなら、わたしは何を誰のことを書き留めておきたいだろう? 様々なことを強く考えさせられる作品でした。いろいろ考えながら、闘病で疲れ果てささくれた心がおだやかに凪いでいくのを感じました。そして『呑み込まれた男』は、ケアリーの2004年の『アルヴァとイルヴァ』とよく似た、傷ついた人を癒すちからを持っていると思うのでした。 親子関係に悩まれている人にも、読んでほしい . . 。自分の親とは最後まで相容れなかった。それでも、ほんの1ミリ、彼や彼女もジュゼッペのように、愛し方や表現の仕方がわからなかったのかもしれない、そう夢想できたら、気持ちが軽くなるかもしれません。許す必要などないけれど。そんなことも思ったりしました。 とにかく、瓶の中の帆船や、松の木っ端、一本の蝋燭も、いままでとはまったく違って見えます。この夏、この本を読めてほんとうに良かった。感謝します。 追伸:78ページの白黒の挿し絵「ジュゼッペの窓」(Joseph's Window)が、カバーの裏表紙にはカラーで描かれていています。近所の公園のベンチに掛けて、その骨に描かれた空の絵を眺めていたら、どんな小鳥のものでしょう、ふわふわ翠の羽根が舞い落ちてきました。写真を載せておきます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
1)本書のタイトルに引っ掛けている分けではありません。最初から最後まで読んでみましたが、本当に内容がうまく呑み込めなかった、のです。 2)人間は、「 退屈 」 を嫌う生き物だと思いますが、本書の主人公ジュゼッペは、日誌を付けたり、モノを作ったりすることにより、退屈を免れ、たった一人で生きることができた、のでしょうか。 3)残留日本兵の横井庄一氏と小野田寛朗氏、彼らのことが頭をよぎりました。彼らお二人はなんと三十年近くもの長きに渡り、たった一人で過ごしていたのですから、どのような毎日だったのか何を思っていたのか、想像を絶するものがあります。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 3件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|