■スポンサードリンク
万延元年のフットボール
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
万延元年のフットボールの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.16pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大江健三郎の代表作の1つであることは知っていたが、本の値段が高いこともあり、今回が初読み。非常に期待して読んで、冒頭からの100ページぐらいは、「スロースタートかな」と思うぐらいだったが、150ページ~350ページぐらいにかけては、あまりに物語に動きがないので完全に飽きてしまって、何度も読むのを辞めようと思った。しかし、「芽むしり仔撃ち」でも終盤一気に面白くなったので、辛抱して読んでいたところ、350ページぐらいから一気に物語が動いて、そこからある意味、オチ、大オチと畳みかけてきたのだが、正直これだけ引っ張ったにしては、オチも大オチも弱いと思ったし、何より、終盤までの記述があまりに冗長過ぎると思った。大江健三郎は、あとがきで本作のことを「乗越え点」と形容していたが、ちょっと自分は、振り落とされてしまった感じ。ある意味、作者が書きたいものを書いているということで、「作品」としては立派なのだろうが、自分は単に面白い物語を読みたいので、もう少し、読者のことを意識してくれる作品を読みたいと思った。若い頃の大江健三郎作品は傑作ぞろいだったが、若くない頃の作品を読んで2作連続で面白くなかったので、このまま未読の作品を読み続けるか、または若い頃の作品を読み返すかは、大きな迷いどころ。また、少なくとも、ちょっともうこれだけ長い作品は、少なくともエンタメジャンルではないならば、しばらく敬遠しようかと思った。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
長寿で晩年に至るまでたくさんの作品を残した大江さんの作品の中でも、抜群に暗い作品です。 読みかけては辞めて、また最初から読んでを繰り返し、20数年をかけてようやく今回頭から最後まで通読しました。 もう、とにかく暗い、しつこい。 気狂い、部落、差別、敗戦、近親相姦、奇形、変死、といった大江作品のモチーフとしてその後もふんだんに取り入られる要素が、最初から最後までなんの救いもないままに書き連ねられます。 またその文章たるや、これがまたいちいちが長ったらしく、じっとりとしていて、悲劇的に酔った挙句に迷惑以外の何ももたらさない登場人物たちにまったく共感できないままに読み続けることを強いられます。 風景描写は美しいものの、これもまた冗長で、しかも似たような情景が繰り返し何度も描かれる。 これが代表作?もっと優れたものがたくさんあるだろ?と思いながら読み続けた挙句、最後はなにも成さないままに弟は身勝手に自殺し、その弟に寝取られた妻と嬉しそうにヨリを戻す主人公(腹には弟の子)。 フォークナーや柳田國男、マルケスやボルヘスなんかの影を感じつつも、要素だけが先に立ち、物語として何をも成し得ていない作品としか感じられませんでしたが、時間をおけばなんらかの新しい感慨が得られるのだろうか? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
昔、親の本棚にあった文庫本。父が読んだのか、母が読んだのか。大江健三郎のノーベル賞受賞のもっと前の話。 フットボールとあるから、もっと軽い内容かと思ったら、とんでもない。ご本人も、見た感じでは気の良い人物という印象だったが、このような難解な書物だったとは。一度読んだだけでは、理解できない。これは映像化は難しいだろうな。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
何かしらこの国を代表する文学として期待していたものの、表面の部分が先に立ってその底部が、表面をなぞるのみの思わせぶりなだけの文章に思えました。 もっと神秘的なものを期待していたのです。 学生運動やそれに付随する権力権威とも絡み合う暴力とセックス、子供などのテーマは自身の体験などもあるんでしょう、そしてそれをも含めた小説家としての小説という一面としての商品としての自己もあり、私小説あるいはある種の告白本としての性質は現実に根差してしまうことは仕方のないことかも分かりません。そして、それがいわゆる農民的な背後や脇腹ばかりを窺うような見方にさらされているというエリート文学者であり当時のある種のスターであるなら、尚更だ。 難解なものなら難解にしてもらうと、こちらもしんどい思いをして読んで、そこから、その言葉に表し難いものを言葉として得ることができようものだし、また、そういう言葉から未知なる読んだことのないようなものが体験したかったものの。 何か、スーパーと闇市と朝鮮人と村の人間が諍い、それは結局われわれ日本人のせいだ、とかいう時々純文学で見かけるある種の政治も実感がないしね。 また、兄がいて姉がいて弟がいて妹がいて、の世代別の兄弟の多さから来るアイデンティティの強まりとまた逆に結束が強まることから来る近親相姦も実感がわきにくい。 すごい真面目。性的人間はよかったんですけど。 最高傑作にしては、確かに陳腐というか、色々全方向的というか、この国のたった2人しかいないノーベル文学賞だから、もうちょっとこう神秘的なやつを期待したのですよ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
外国文学を和訳したような文体に感じた。起きたことは単純で、それに要した期間も1か月かそこらくらいか。それをこちゃこちゃした情景描写や心理描写で埋め合わせている。とにかく なんとなくだが外国人受けしそうな文体、話だと思った。だからノーベル賞とれたのか。深い意味がありそうで実は大した意味もない話かもしれない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
著者の作品を読むのは「ヒロシマ・ノート」以来二冊目である。 万延元年が江戸末期の年号であるのは判るのだが、 何故、フットボールが出てくるのか最後まで理解できなかった。 著者は、この作品で乗り越えられたと最後に書いているが、 前後の作品を知らない私には理解できなかった。 他の作品も読まないと著者を理解することにはならないと感じた作品である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
黒船が来たころ、サッカーをやった人たちの話かと思ってたから、違和感アリアリ。 自分でもよく最後まで読んだと思う。 つまんないな~などと思いつつ、途中やめしなかったということは、それなりだったのかも。 胸を張って言えるよ、「万延元年の・・」読んだと。 読まないとどんな話なのかわからないよね。 それくらい説明するのが難しい展開だよ。 フットボールが日本に来たのは確かにもっと後だね、言われてみれば。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読んでいると不愉快が雪の奥でも進行する腐敗さながらに押しよせてくる。そしてその不愉快は細部から喚起されている。つまり、うまいぐあいに読者は小説世界にのみこまれてゆく・・・。してやられるのである。読んでいる期間に私はこの村のリアルな夢を見たほどだ。 いつもながらの大江の大道具小道具が出てきて、しかもそれらは重層的構造的に相互作用する。太い枠組みのうちにみっしりと詰め込まれた古い文書、新しい文書――まるで蔵の奥から取り出してきて眺めるみたいな――を読んでいく感覚である。 「救済」がテーマのひとつになっている。それはとても気に入らない。蜜にはやはり出口が用意されており、彼は、いちばんさいしょ入っていた「穴ぼこ」、それからさいごに入っていた「穴ぼこ」からも、出ていくことをする。私は用心に用心してその救済や希望を拒否するつもりでいたのに、大江の強い引き縄のせいで解決や希望や期待や救済や和解の方面へずるずると引っ張っていかれた。これこそすばらしい大江の手腕というわけなんだろう。だがそれでも読み終えて私は憮然とする。蜜や菜採子が子どもたちを育てる決心をし、谷間から出てゆき、鷹への無理解を理解し、鷹の骨はS兄の骨とともに墓に入り、鷹は御霊となり・・・などなどに私は満足できない。結局は出ていって「生き延び」ないといけないにしても、だ。甘い、ちいさい、ということをどうしても思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
なんか、村上春樹の世界の終わりとハードボイルドワンダーランドのモチーフになっているような気もする。 つまりは新鮮ではある。 彼らしくない長編だし。 だが、猟奇的な性差別表現的な変態性は大江文学の真骨頂なので慣れないと、ちょっと考えられない精神・本納欲求の表現の正確理解は難しいかも? ちょっと長すぎるが、読むのは文学好きのステータス、のひとつ、名作として避けては通れない。 必読。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いくら蓼食う虫も好き好きとは言え、個人的には大江の文章は感情過多・装飾過剰の悪文だと思います。しかしその賛否は別にしても彼の個性が存分に発揮された本書(の文章)の検証はそれ自体興味深いものだとも思います。例えば心理学的にナンセンスだと悪名高い書き出しの「夜明けまえの暗闇に目ざめながら、熱い「期待」の感覚をもとめて、辛い夢の気分の残っている意識を手探りする」(心理学的に言えば「気分」は「意識」に「残る」ものではなく、また「意識」は「手探り」出来るものではない)という部分はJohn Besterによる英訳版では「A wakening in the predwan darkness, Ⅰ grope among the anguished remnants of dreams that linger in my consciousness, in search of some ardent sense of expectation.」と慎重かつ微妙に修正されており、原書全体を英訳版と比較研究すると大江文学そのものの長所と短所の両方が見えてくるかと思います。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!