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日蝕
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日蝕の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.11pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全36件 1~20 1/2ページ
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『一月物語』は幽玄な世界を描いていて、その雰囲気に浸ることができた。 しかし『日蝕』は……著者は何をえがこうとしたのでしょうか? 文体のせいで最初はごまかされてしまったが、著者は肝心なところを 明らかにせず読者の想像に任せていて、後味の悪さが残った。 ドミニコ会からは日本の禁教時代に布教に来て、数人が殉教しているが、 この小説の主人公のドミニコ会士には、どこか卑怯な感じが付きまとう。 錬金術師のピエェルとは信頼関係があったはずなのに、裁かれようと する彼をかばいもせず、魔女とされた何者かの恐ろしい火刑を目の当たりに しながら、平然と何の危険も及ばない司祭としての生活に戻ってゆく……。 私はおろかものなので、本当のところはわからない。 中世の恐ろしい異端審問や魔女狩りが横行した暗い一面を描いたとすれば 多分成功しているのだろう。 追記 人類には肉体的に両性具有者はいないそうである。 が、半陰陽として生まれる人はいる。それは生まれつきのものなので、 本人には罪はない。しかしそれを魔女の証拠とされて、火刑に処された例は ある。 異端審問も魔女裁判も裁くのは学者のを輩出しているドミニコ会士などの 異端審問官である司祭で、裁いた後は世俗の刑吏の手に渡される。 それゆえ、残酷極まりない刑に処せられて……。 それを村中の人々が集まって見物するなど、おぞましいことである。 処刑の後、この村の魔女のせいとされた疫病の蔓延やや天候の異常は おさまったのだろうか? 村中を覆っていた暗い不安はきえたのだろうか? | ||||
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文章もさることながら、キリスト教の歴史を知らない方にはちんぷんかんぷんでしょう。 私は一応、聖書を何回か読んで、キリスト教の歴史を多少は知っていたので、付いて行けましたが、全く分からない方はキリスト教の基礎知識を先に読んでからの方がより、作者のこの本が楽しく読めると思います! 高見沢俊彦とアルフィーがお好きという、共通点にも惹かれました! | ||||
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迅速で丁寧な対応、ありがとうございます。思ったより美品でうれしいです。 | ||||
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最初見た時、難しい言葉が並びすぎてると敬遠してましたが、改めて読むとそこまで難しくはなかったです。あのクリーチャーはなんだろうと不思議だったけど、ヘルメスとアフロディティの末裔みたいに思うとスッキリしました。もののけ姫のダイダラボッチみたい。神秘主義とキリスト教が刺違える瞬間、ルネサンスがすぐそこというような時代。 | ||||
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神学を学ぶ若者が錬金術師と出会う、ルネサンス期ヨーロッパが舞台のお話。霊魂と身体、男性と女性、天と地といったあらゆる境界が混沌に帰す神秘体験を描いたクライマックスシーンには圧倒される。古風かつ華麗な文体は読んでいて楽しく、語彙が増える。 | ||||
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なじみのない漢字が多く難解なように見えますが、文章にリズム感があって、さほど読みづらくはありません。ヨーロッパ中世史やキリスト教(カトリック)の知識がある程度あれば、大変興味深く読めると思います。お話は後半にかけてどんどん盛り上がり、クライマックスが見事です。 | ||||
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15世紀末のフランスを舞台に神学僧と錬金術師の交流を描いた作品。 小難しい漢字が濫用(?)されているが、その割に読みづらくはない。読み進めるうちに、むしろ、物語の雰囲気とはマッチしていると感じられる。 ドミニコ会の神学僧が、異端の書にみとめた一片の真実を巡り、訪れた錬金術師の元で神秘体験をするという展開だ。やや退屈な序盤からクライマックスにかけて大いに盛り上がりを見せてくれる。ダークファンタジーとしても読むことができるだろう。 神学僧が見た両性具有者の火刑は何を意味するのか…。なるほど、納得の芥川賞受賞作である。 | ||||
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久しぶりに小説を読んだ。 三島由紀夫の再来と言われた人の小説だった。 蓋し(けだし:思うに )、 漢字が難しかった 笑 内容は、中世ヨーロッパにおける 錬金術師と、主人公である「私」の 内容だった。 筆者が当時23才で この本がデビュー作だとしたら、 他に書ける人がいるのだろうかと 思うほどの文体と、 着目点だった。 筆者は、宗教的な神秘 つまり、教義を超えたなにかに "物理的に "、 しかも、それを "超えて"表現 したかったのだろうと思う。 いいかえれば、 身近に、現代的な みんなが思慮できる ところをおさえつつ、 その延長にあっても、 思慮することのない、 本懐を伝えようと したのだろう。 これが、評価されたのが 意外だった はねのけられるような部分を 突きつけて、 読者に謎をせまった。 この本当の価値は、 迫られた読者が その謎の余韻に 想いをひたし その向こうを その両目を通して 思いやろうとする中に 微かにある 錬金術師が伝えたかった 本丸についての 微かな同じ問いへの 衝動が生まれる事にあるだろう それを、現代の人たちに、 ある種のなまめかしさをもった 「こんにち」の問題として 考えせしめた事が その大きな仕事の役割であった だろう事を考えたい。 ※錬金術師の本丸に 到達しようとするのは、哲学的アプローチでは、おそらく不可能であると思う それは、錬金術師の本丸が おそらく、神秘そのもの を 示しているからだろう (この領域は、 隠語により、守られてきた。 そして、曲解されてきた。) | ||||
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The author was in his early twenties when he published this novel, revealing extraordinary learning and a superb command of elegantly archaic Japanese. The setting, amazingly enough, is southern France at the end of the 15th century, the narrator an earnest Dominican friar, who embarks on a theological quest that turns into a mind-bending adventure. | ||||
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なんとか読めました。この作品が発表されたのは20年くらい前だと思います。芥川賞だから文藝春秋に全文掲載されてました。若輩者の私は読んで見た。漢字が読めなくて挫折した。で、このたび、平野啓一郎さんの新書、私とはなにかを読みまして、平野啓一郎さんの処女作も読んどこうと思い、再挑戦したのです。文庫はルビがいっぱいふってあって読めました。文体になれれば最後まで読めます。23歳でこの作品は凄い。20年もいろんな本を読んできて、すっかりおっさんになった私が、やっと読めた本を23歳で書いてます。どんな頭してるんでしょう。一月物語も素晴らしい。この2作を同時に読めるのは贅沢です。630円は安い。安すぎです。日蝕はキリスト教の話なのでわかりにくいですね。 | ||||
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"それは雲ではなかった。太陽とそっくり同じ形をした黒い翳、今一つの黒い太陽。ー日蝕である。"1998年発刊、当時最年少の芥川賞受賞作として話題になった本書は、神学の知識に裏付けられた宗教と学問の対立、神秘体験を独特かつスタイリッシュな文体で描く【シンプルさと難解さを両立させた】意欲作。 個人的には、著者の本は提唱している『分人主義』他のエッセイ本こそ既読であったものの、実は小説は未読であった事から。最初の一冊として、受賞当時に賞賛と多くのバッシングの両方を浴びた(らしい)本書を手にとりました。 さて、そんな本書は物語としては舞台設定こそ(おそらく意図して)あまり日本人には馴染みがないと思われる15世紀後半の【宗教と学問、信仰と理性の狭間で揺れる】フランスを舞台にしつつも、割とシンプルなーそれこそファミコン時代のRPG【ドラクエの様な一方通行さ】で、修学中の神学者の神秘体験をファンタジー風味でありつつも迫力をもって描いていて終始圧倒されるわけですが。 一方で、本書で使用されている『江戸時代中期から明治にかけて,国学者が好んで用いた文体』擬古文(ぎこぶん)を模くしたらしい独特な文体は、古い異国の神秘的物語を描くには雰囲気づくりとしても一定の効果を果たしていると感じつつも、単なる難解さだけの中二病的な自己満足ナルシズムとも捉える事もでき。私はどちらかと言えば好みでしたが、ここら辺が読後に【評価のわかれる所】ではないかと思いました。 とはいえ、本書以降の著者のパターンに安住しない【挑戦的な執筆姿勢】を予感させる本作。若者らしい相当の覚悟や充分な推敲が文面から伝わってきつつも、ある種『若者らしくない』題材のこの作品を受け止めた、当時の芥川賞審査員の文壇の重鎮たちの当惑が浮かんでくるようで。何とも外野的に(失礼ながら)にやにやしてしまったり。 読みやすくも難解さに振り回される。そんな不思議な読後感の作品を探す誰か。著者の学生当時からの圧倒的な才能を実感したい誰かにオススメ。 | ||||
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これより私は、平野啓一郎『日蝕』の個人的な感想を録そうと思っている。人はこの頗(すこぶ)る難解な書に対して、径(ただ)ちに嫌悪を挿むであろう。私はこれを咎めるものではないが、冀(こいねがわくは)、この書を単行本よりもルビの多い文庫本で読むことを進言したいと思う。然(さ)すれば、辞書を引く手間も幾許か省かれるであろう。 抑(そもそも)、初期の平野啓一郎が三島由紀夫の影響を受けていることには論を須(ま)たない。『日蝕』は、『金閣寺』の仏教(日本)をキリスト教(中世フランス)に、金閣寺への放火を魔女狩りに置き換えて、脱構築、あるいは記号論的分析を試みたと看做すことも出来るのではあるまいか。更に云えば、三島が『金閣寺』を著すにあたって参照したと謂われる森鴎外の姿も其処からは透けて見えてくるのである。 その晦渋な文体は、物語世界に浸らんとする読者に常に覚醒することを求め、その衒学性が為に中途で停滞せんこと能わぬのである。慥(たし)かにこの文体故にこそ『日蝕』と云う書は際立っている。然(しか)し乍(なが)ら、斯様な面ばかりに囚われることは太陽を裸眼で見遣れば盲になるが如く、本質へと迫る視点が失われるとも思うのである。 本書の最高潮たる、日蝕の蒼穹(そら)の下で処される焚刑の場面の迫力は筆舌に尽くし難いが、其処に先立つ、神学僧ニコラが洞内で石に縛(いまし)められた両性具有者(アンドロギュノス)と初めて出会(でくわ)す際の、この世界の裡なる別の層が裏返って露になったが如き、美とエロチシズムとの名状し難い一体性の顕現にこそ本書の真髄を見る想いがするのである。 『日蝕』を十全に理解したかと問われれば、否、と答えるしか無い。しかし、徒(いたずら)にこう思ってみるのである。 蓋(けだ)し、アンドロギュノスは金閣寺の夢を見たのではないか、と。 | ||||
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史上最年少で芥川賞を受賞したデビュー作。その文体や文学的探求で「三島由紀夫の再来か」とまで言われたという。当時は興味がなかったのでタイトルを知っている程度だったが、平野啓一郎という作家を知りたくて読んでみた。 どこのレビューをみても、難解な言葉を振り回して知識をひけらかしているとか、平易な言葉にすれば読みやすくなるというような批判がある。三島は彼の文学的センスから溢れ出るものだが、平野は無理に難しくしているというものだ。しかし私はそうは思わない。これは平野のスタイルであって、表現方法の一つだ。それを読みにくいからと批判するのはちょっと違うように私には思える。 この『日蝕』には途中からぐっと引き込まれ一気に読んだ。言われている難しい表現など、ほとんど気にならなかった。さすがに三島の再来とまで言われ、芥川賞受賞作品だと思った。難解だと批評しているレビュアーさんたちは、そうは言いながらもきちんと読んでいる訳で、やはり平野のファンなのだろう。もしかしたら彼の才能に嫉妬しているのではないのか。 | ||||
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【日蝕の感想です】 ページ数は長く無いですが、難解な文章に慣れるまでは読者の努力が要求される本です。 しっかりした本が読みたい人にはおすすめです。 平野啓一郎に興味がある人もここから入るのがお勧めです。 常用でない漢字や表現が多用され、辞書は必須です。 キリスト教の派閥や中世の思想も知らないと読みづらいのでWikipediaも必須です。 文章は難解ですがこちらが理解できれば、中世ヨーロッパの空気感や若い主人公の感情・葛藤がダイレクトに伝わってきます。 「現代の三島由紀夫」と呼ばれるのも納得です。 エンタメ小説ではないので、ストーリーに期待はしないほうが良いと思います。 | ||||
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平野啓一郎さんの「葬送」を読んで 日蝕も読みたくなり、購入しました。 とても良かったです。 | ||||
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平野啓一郎初期三部作の二篇である。 『葬送』をふくめて、ロマンチック三部作となる。 新人賞を無視して、編集部に直截、原稿を郵送したうえ、《三島由紀夫の再来》と鑽仰され、『新潮』紙上に一挙掲載、爾時、最年少タイでの芥川賞受賞、受賞会見に登場した当時の風貌、盗作疑惑、などの話題を提供し、平野氏を、一躍、文壇の寵児とした問題作、「日蝕」、および、デビュー後第一作、猶且つ、芥川賞受賞後第一作となった「一月物語」を合本とした第二版である。 「日蝕」は、十五世紀の仏蘭西を舞台に、巴黎の神学部在籍の大学生である《私》が、『ヘルメス選書』の美品を渉猟するがために、異端信仰の瀰漫する里昂へ羈旅し、錬金術師らしい老爺の秘匿していた両性具有者の受難による奇蹟を体験する、という、幻想小説である。「日蝕」という題名が象徴するように、本作の主題は、二元論の転覆といえる。太陽と月、男の巨人と女の巨人、霊と肉が一致する、という奇蹟の一瞬が、現代における男女、善悪、正邪などの《日蝕》を暗示している。晦渋な漢語が頻出する文体が話題になったが、《三島由紀夫の文体》というよりも、《中島敦の初期短編の擬古文》に類似する。《中島敦の初期短編》――「山月記」や「名人伝」など――を、辞書なしで讀める読者ならば、然程、難儀することはない。平野氏自身は、《森鴎外の紀行文》を摸傚したと回顧している。 「一月物語」は、明治時代、神経衰弱を治癒するがために、奈良県の往仙岳まで一人旅をしていった青年、井原真拆が、幽玄なる山中の庵で、神秘的なる美女と邂逅し、幻想的なる恋愛の最涯てに、魔性による破滅にいたる、という、怪奇小説である。梗概からして、泉鏡花の「高野聖」を下敷きとしていることは当然だが、結末が対照的なのが面白い。文体は、「日蝕」よりもかなり讀みやすく、絢爛豪華な修飾語のオンパレードが剥奪されたぶん、スマートな印象をあたえる。 「日蝕」は、発表爾時より、《RPG的》《擬古文で執筆された普通の幻想小説》《『ベルセルク』などの漫画的》と批評され、「一月物語」は、前述のように、泉鏡花の追随作品であることはあきらかにすぎる。愚生は、斯様なる批判には首肯しかねる。浅田彰氏が《純文学とは、あたらしい方法を見出すジャンルであって、エンターテインメントとは、見出された方法を洗練させるジャンルだ》というように標榜していたはずだが、斯様に考察すれば、平野啓一郎氏は、《すぐれた純文学作家》というよりも、《天才的なエンターテインメント作家》といえる。爾来、ボルヘスの「バベルの図書館」をSF風の短篇にしたり、ドストエフスキーの『地下室の手記』を横書きの実験小説にしたり、という経歴をたどってゆく平野氏の文學観そのものが、《エンターテインメント的》とすれば納得がゆく。 そんなこんなで、愚生は本作を高評価する立場である。 本編そのものの評価は、《星五つ》としても問題ない。 問題は、今回の《合本》というかたちでの第二版の販売方法と、《装幀》の変更についてである。本作は、《太陽の物語》と《月の物語》として好対照なので、二篇をもって二部作のように讀まれるのも納得がゆかないわけではない。そのうえで、恐縮ながら悲憤慷慨しているのは、《第二版の装幀がださすぎる》ということである。《装幀なんて、作品の価値とは関係ないだろう》と揶揄されるかもしれないが、装幀は作品の顔貌である。安部公房の『他人の顔』ではないが、《外面は自我同一性にすくなからず影響をあたえ》はしないか。個人的に、第一版の禍禍しい『日蝕』の装幀と、優美なる『一月物語』の装幀、其其に魅惑されたこともあり、購読したという経緯がある。第二版の《日蝕と月蝕の対比に題名をそえる》というだけの、《シンプル・イズ・ワースト》的な装幀は、如何しても、好意的に観賞できない。 話題は飛火するが、装幀を変更すること自体に、愚生は反論する立場ではない。輓近では、三島由紀夫や安部公房の新潮文庫版が、大変美麗な装幀に改変されており、感動していた。反面、村上龍氏の『限りなく透明に近いブルー』や『コインロッカー・ベイビーズ』などの講談社文庫版が、あきらかに《ださい》装幀に変更されたことは、残念きわまりない。本作は、後者にあたる。 後半の装幀批判は、われながら、莫迦莫迦しいともおもっているが、実際、本作は合本の第二版として、如何程、あたらしい読者を獲得しているのだろう。愚生は、僭越ながら、――本作を愛読しているからこそ――第二版の売上げが気懸りである。著作権などの問題から、第一版の装幀を復刻することはむずかしいだろうが、第三版を上梓されることがあれば、できれば、二篇分冊にはしてほしい。 前述のとおり、作品そのものは《星五つ》である。 同時に、合本や装幀の問題から、本第二版は《星四つ》とさせていただく。 | ||||
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普通、こういう文体で小説を書くと必ず何処かで息切れするものなのだけれど、これを最後までやりとおせた作者の体力はやはり凄いと素直に認めざるを得ない。 ただ、若さゆえか幾分冗長の感がある。 アンドロギュノスが登場するまで、もう少し短く出来たように思う。 それでも、この凝った文体で描かれた中世ヨーロッパの耽美的世界は、十分に魅力的だった。 確かに三島由紀夫の再来は言い過ぎかも知れないが、少なくとも自分は久しぶりに三島の『仮面の告白』を読み返したくなった。 | ||||
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平野啓一郎さんの一月物語には、近くの図書館で今から15年前に出会いました。それはまさに私が 探していた本そのものでした。1ペイジめから身震いするような感動をおぼえ、あっというまに 読み終えてしまいました。それからは、平野さんの本に夢中になり図書館の彼の本すべて読みました 私は詩を作りますが、彼の本は、とても情景が美しく私の心情にぴったりの本でした。 その後、その図書館で一月物語ばかり何ども借り、何度読んでも飽きませんでした。そうしたいきさつで、ネットで 販売しているのを知り飛びついた次第です。とても大切に宝物のようにそばに置いています。彼の新刊が出たらどんどん 読もうと思っています、ちなみに、彼の今までの本はすべて読みました。最後に立派なことは言えませんが彼は日本の 言葉をとても大切にしていると思います。 | ||||
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完璧な・・・多様な意味で・・・完璧な物語を読ませていただいた・・・と思う・・・ これほど完璧に構築された物語を他に知らない・・・ 二元論の真の終焉:精神と肉体、西洋と東洋、資本主義と共産主義・・・現実と非現実・・・宗教と非宗教・・・ヒトと非ヒト・・・諸々の相克を一つに溶かし、存在の真実(真実の存在)に至ろうとする地平を提示している良書に出会えた! まずは御一読を!! | ||||
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若手ながら実力派の名前を欲しいままにしている平野啓一郎のデビュー作。 ドミニコ会士の学僧であるニコラは、研究のための書物を探し求めていた。そんなニコラに司祭はとある村にいる錬金術師を訪ねるように助言する。半信半疑でその村を訪れたニコラ。だが、その錬金術師の生き様にニコラは打たれるものを感じ。 とにかく筆達者だなぁというのが最初の印象でした。 まるで大正か昭和初期の文豪の作品を読んでいるかのような文章は、とても若者が書いたとは思えないほどの出来です。 また、神の存在に対してどうしても疑問を抱いてしまう主人公の心情を丹念に描いているのも、とても興味深かったです。 小難しくてわからない部分もないわけではないのですが、それを差し置いても読んで損のない小説だと思いました。 現代文学の傑作のひとつです。 | ||||
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