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火の路
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【この小説が収録されている参考書籍】
火の路の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全33件 1~20 1/2ページ
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文春文庫/松本清張 著『火の路(下)』のレビュー。 本文庫は、「松本清張記念館監修・長編ミステリー傑作選」と銘打つ新装版である。 この下巻は、主人公・高須通子がイランのテヘラン空港に降り立ったところから始まる。 本作の新聞連載が開始された昭和48年を起点とすると、この物語はイラン革命(1978年/昭和53年)が始まる5年前あたりが舞台となる。 周知の通り、革命前のイランはパーレビ国王の元での親米政権だった。 したがって、本作で描かれるイラン各地や人々の様子も、イスラム教的な雰囲気は少ない。 通子が空港で待ち合わせをした、通訳を務めるテヘラン大学の女子学生シミンの姿も「言葉は英語で、黒眼の大きな・・・はっきりとした顔だちで、花模様のワンピースだが、裾はミニに近かった」という描写になっている。 現在のイランでは、満9歳以上の女性は外国人・異教徒であっても公共の場所ではヘジャブとよばれる頭髪を隠すためのスカーフと、身体の線を隠すためのコートの着用が義務付けられている(外務省・海外安全ホームページより)ので、隔世の感がある。 また本作では、日本人の女性が一人(と女性通訳)で見知らぬ土地を平気で旅するし、イランの僻地で日本の商社マンが商魂たくましく汗をかいている様子も描かれている。 とりあえずは平和で、物騒な雰囲気は見て取れない。 そういう点で本作は、革命前のイランを多少なりとも伝える物語でもある。 そのイランが現在(2024年4月)、イスラエルとの危険なやり取りをしている。 遺跡を巡る観光旅行どころか、貴重な歴史的遺物が失われる危機も迫っている。。。 さて、上巻のレビューで俺は、本作のキモは高須通子(≒松本清張)による論考だと述べたが、もう一つ、歴史研究における封建的な学界の姿や、遺物売買の実態をあぶり出しているという点も重要だ。 若き研究者・高須通子は広い視野や先進性を持つがゆえに、保守的な教授や先輩たちに煙たがれる。 彼女は、大学の教授等を頂点とするピラミッド体制の底辺にいた。 松本清張の自伝『半生の記』でもうかがい知れるが、彼は権威や権力にあぐらをかいている連中を憎む。 作家であると同時に在野の研究者やジャーナリスト的側面も持つ彼は、学閥や権威は学問の発展や進歩の妨げにしかならないと信じており、その信念が今回“作品という形での論文”を書かせた。 なお、この“論文”の間違っている部分については、本下巻の「解説」で森浩一氏が指摘している。 この事は重要で、文春文庫編集部の誠意が感じられるし、この事が清張を貶めるものではもちろんない。 権威(松本清張自身が文学界の重鎮だった)への忖度は、清張が最も憎むところだったからである。 そしてこれも上巻のレビューで述べたが、歴史、とりわけ古代史は、遺物や史料の発見等により、塗り替えられたり修正されたりすることはよくある事。 清張もそんなことは知悉していたはずで、本作執筆時点で清張が推論(あるいは確信)していた事であっても、将来その推論が間違っていると指摘される可能性もあるかもしれないという事は、頭にあったに違いない。 彼が主張したかったのは、“権威や権力に寝そべらずに、または間違いを恐れずに、新たな地平を拓け”という事だったろう。 ミステリー作品というくくりなので、本作では事件も殺人もキッチリ起きる。 「論文が中心でミステリー部分は付け足し」と評されることが多い本作だが、俺はそうは思わない。 高須通子の苦悩や海津信六の哀しみはよく描かれているし、それを描くことで、主題である清張の古代史論考と学界批判がこれでもかと読者に提示されるのである。 彼女・彼らが物語の終幕へ至る路は、火を崇めるゾロアスター教が長い年月と距離を経て我が国へと伝わり、神道や仏教や慣習へと習合されていった路とも重なる。 この火は埋火(うずみび)のように我々の歴史に残っているのだろう。 彼女・彼らが灯した小さな火は、やがて大きな真実をあぶりだしてゆくかもしれない。。。 | ||||
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文春文庫/松本清張 著『火の路(上)』のレビュー。 本文庫は、「松本清張記念館監修・長編ミステリー傑作選」と銘打つ新装版である。 俺がこの作品・・・・「ファンが選ぶ清張作品ベスト30」や「私が推す!清張の長編トップ20」などには決して選ばれないであろう・・・・本作を読もうと思ったきっかけは、当レビューから2年ほど前に放送されたNHKの番組『新日本風土記』だった。 そこでは没後30年を迎えた松本清張が特集されており、作品を生み出すために日本の各所を取材する清張と、取材対象者たちとのふれあう姿が映像に残されていた。 とりわけ本作『火の路(みち)』の執筆にあたって、在野の研究者・藪田嘉一郎(やぶた かいちろう/1905~1976)氏と交わされた書簡は印象的だった。 実はこの番組の中で、本作で主人公ら(≒清張)が主張したことの一部は、現在では否定されていることも明かされていた。 本作のキモが清張の論考の開示であることを思うと、現在では通用しない古臭い作品という烙印を押されかねないわけだが、俺は逆に、読みたいと思った。 歴史、とりわけ古代史は、遺物や史料の発見等により、塗り替えられたり修正されたりすることはよくある事だ。 しかしそれは、先人たちが重ねた研究が無駄だったということを意味しないし、最新の成果でさえ今後どう変わるかも分からない。 それまでの研究の上に、現在考えられる“最適解”があるというだけある。 清張の主張も、その最適解へと進む過程で必要なルートのひとつだったのだ。 俺は、その過程を読みたいと思ったし、飛鳥からイランという横の広がりと、現在から古墳時代へという時間の広がりをも描く壮大な設定も魅力的だった。 確かに高須通子の“論考”部分は、小説にはそぐわないような微に入り細を穿つような内容で、一般にはなかなか読みこなせないだろう。 俺もそうだったが、何とかついてゆけるように(イメージがつかめるように)、物語の舞台や登場する遺物、実在の人物等についてネットや他の図本でその画像や説明を見ながら読み進めた。 画像といえば、本作には小説では珍しく、写真や図が比較的豊富に載っている。 この上巻では以下の図表が載っている。 ・酒船石(P13) ・猿石(P35) ・飛鳥周辺地図P49) ・益田岩船(P79) ・石造須弥山立面図(P237) ・亀石(P243) ・二面石(P259) さて、本作において高いハードルとされる“論考”については、海津信六(イメージモデルは上記の藪田嘉一郎氏)との往復書簡や会話という形で、要点をコンパクトにまとめてあるので、そこまで不安になる必要はないし、字句ひとつひとつにこだわり過ぎると先に進めなくなる。 我々読者が驚くべき点は、“高須清張”の博覧強記ぶりである。 他の大量の作品も書きながら、いつこのような勉強をしているのか。 日本書紀から万葉集、中国の古文献まで、流行作家とは思えないほどの文献の渉猟や実調査をして書いていることが分かる。 この上巻は、高須通子がイランへ旅立つところで終わる。 彼女も個人的には色々な事情を抱えていた。 しかし学問的推論を確かめるために、何かを超えるために、彼女はイランの首都テヘランへ一人向かう。 本作の新聞連載が開始された昭和48年を起点とすると、それはイラン革命(1978年/昭和53年)が始まる5年前のことだった。。。 | ||||
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酒船石遺跡などを訪れる前に、この本を読んでみてください。 「こういう説もあるのか」という予習があるだけで、現地での推理力や臨場感がはるかに増して楽しめることと思います。 しかもこの作品は、今や昔の1970年代頃のものだとのこと。調査の進んだ現代とは歴史学問に関する水準も異なりますが、それであってもストーリーの展開はわくわくして読めました。 文章のわかりやすさや筋立ての構想力などでさすがは評判の松本清張だと思えた反面、遺跡を主題にしていたはずの話は後半からはミステリー(殺人事件)の話のまとめに急ぎ足で収束されていたことが拙速でやや気になりました。 松本清張氏が書きたかったことが済んだ途端に当人にとってこの作品の意義は終わってしまった、ということが素人読者の目にも伝わってしまうあたりが惜しい点です。 | ||||
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作家はイランへ飛んだ主人公・通子に、飛鳥の酒舟石は7世紀のイランからの帰化人が用いた“麻薬施設”であるとする大胆な仮説を語らせる。ここから斉明天皇と拝火教との関係がミステリアスに展開。 | ||||
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1960年代のサイケブームで密かに流行した幻覚を呼ぶハッシッシ(ハシーシュ=インド大麻)は、アサシン(刺客)の語源。それが原因となった傷害事件を起点にイラン拝火教へとブッ飛ぶ清張の創造力。 | ||||
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松本清張なんざしらねえやというなら、それでよい。ぼくだってこんな昭和の遺物みたいのは、最近知ったんだ。ところが、清張さんなあ稀代の推理小説家というだけでなく、古代史をこよなく研究していた人であって、要は、この日本って一体なんなのよ?という問題意識を持っていた人なんだな。 あなたは、そうは思わないか? 「この日本は一体なんなのか」と。 この本が、だれかのトバ口を開くものであったなら、清張さんな喜びゆうがぜよ。そのトリガーを引くには充分な小説と思います。 | ||||
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「火の路」は何種類かでていますが どれも装丁はいまいちですね とりわけ、このカバー絵のはほしくないです この人は高須通子なのでしょうか 通子はこんな斬バラ髪はしていないと思う 斉明天皇なんですかね 古代女帝とはいえ奇矯な人だったそうだから このように髪を振り乱し気味で指図していたのかもしれないですね | ||||
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松本清張生誕100年を記念して復刻された作品群の一つで、清張自身も論文が主人公だと語っている。ミステリーとしては分かりやすく、ストーリー自体は簡素ながら、緻密で破綻がないところは流石、清張ミステリーだと思った。ブレーンの森浩一氏が解説をしているように、平成12年に酒船石の北側の谷から亀形石造物を含む二つの大きな石槽が見つかり、酒船石は水に関する儀式を行う為に、そこへ繋ぐ施設と推測されるので、松本清張が主張するようにハオマ(麻薬)を作る為の施設という考えは否定された。それでも益田磐船は拝火の際に用いられた施設で、ペルシャ由来でゾロアスター教の影響を受けていたという、その当時としては大胆な仮説を打ち出し、作者本人もイランまで取材に出かけている。個人的にはミステリーよりも、清張史観をとりいれた旅行見聞録の方が簡潔で良かったと思う。内容が複雑で理解し難い上に、様々な要素を入れると主題が見えにくくなるからだ。その方が、氏の博覧強記ぶりがより鮮明になる上に、短く纏められる。森浩一氏ですら、読むのに正月三が日掛かったという。私も合間合間に読んだが、読み終えるのに時間が掛ってしまった。(きちんと理解しているかは別として)時代に合わない部分もあるが、当時としては先見性に満ちた内容だったと思う。 | ||||
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奈良明日香には謎の石造遺物、酒船石、亀石、猿石、益田岩船や道祖神像など、不思議な石造物がある。それらにはどのような意味があるのか?。高須通子の論文は、小説中に2本掲載されている。第1論文は「飛鳥の石造遺物試論」で、大型土木工事好きの女帝斉明天皇が作る予定だった両槻宮に供されるはずの施設物だった。しかし、両槻宮工事が中止になったため、施設物も未完成のままに放棄された。また、両槻宮自体、日本の古代宗教とは違った宗教的色彩を帯びていた…と考えられ、それはたいそう日本離れした異質な宗教であると述べている。この論文を読んだ、かつて古代史研究の俊英として知られ、今は学界から離れて保険屋をしている梅津信六から通子は、便箋20枚を超える示唆に満ちた書簡を受け取る。2人は面識がなかったが、通子の論文の内容は、信六が懐いていた古代史の学説に通じるところがあった。信六によれば、高須論文で指摘している異質な宗教とは、ゾロアスター教(中国名祆教)ではないかと考えられる。指摘にヒントを得た通子は、イランに行き、ゾロアスター教の遺跡を自らの眼で見て体験して確信を強め、第2論文を発表する。論文は「飛鳥文化のイラン的要素ーとくに斉明紀を中心とする古代史考察と石造遺物について」というものであった。通子の第2論文の結論部分は次のような内容である。…謎の石造遺物の1つである益田岩船の基壇上に並ぶ2つの方形穴は、イランゾロアスター教の拝火檀を連想させる。また、続日本紀の天平8年8月条には、波斯人1人が拝朝したとあり、この波斯人とはペルシャ人のことである。日本には仏教が6世紀後半に伝わったといわれているが、祆教はそれよりおくれても6世紀末までには日本に伝来していた…と考えられる。もっとも、それが祆教そのものだったかどうかは不明だが、その要素の濃い宗教だったと言える。このように、通子は創見あふれる論文を発表したのだが、通子がいた研究室の教授の学問傾向から逸脱した内容であったために、大学に職を維持できなくなり、またその学説も無視される。その後、信六が古墳出土品の偽造に関わる仕事をしていたらしい…ことなどが明らかになり、やがて信六と思われる中年男の白骨死体が発見される。入院中の信六の見舞いに来た不思議な女性は、実業家増田卯一郎の妻、増田亮子。信六と不思議な女性の仲介を行っていた普茶料理大仙洞店主、村岡亥一郎。信六との間に生まれた娘、稲富俱子を卯一郎の養女に固定しようとする亥一郎。横穴古墳で盗掘作業中に落盤で命を落とした亥一郎。信六は、境遇から偽造まで知る協力者亥一郎を、上からの一突きで殺し、秘密を封印しようとしたのか?。連絡船から瀬戸内に身を投げた俱子を追うように、瀬戸内壺神の山林に亡者の様に消えてゆく信六。…集落の裹になるが、高い山嶺は原生林に蔽われ、中腹には植林して20年ぐらいの若い杉が繁っていた。白骨があったのは、その杉林をよけて、クヌギ、ブナ、ナラなどの雑木の密生する自然林の中だった。切れた縄が腐ったままでクヌギの枝に残っていたという。現場に上がる径はなかった。間には谷がある。早春の薮を分けてその密林に登ってゆく信六の後ろ姿が通子の眼には見えた。雲がまた流れ下りて稜線を隠し、原生林の上を蔽った。この集落じたいが濡れた白濁色の膜に包みこまれた。通子は携えてきた小さな花束を雲の垂れた密林の斜面へ向かって投げた。銀色のリボンは翻りながら、霧の湧く谷に墜ちて消えた。信六の屍は山の動物や翼の大きな鴉に喰い荒らされて骨だけが残った。イランの「沈黙の塔」を通子は想った。突兀とした岩山の上に立つ暗鬱な円塔を、大鴉の群れが舞う青い空を。御身をそこから聖なる鳥たちがいろいろな方角に運び去った鷲を凌ぐ山々のほうへ、星で飾られた峯々のほうへ白く輝く山々のほうへ(伊藤義教訳)。記憶にある「アヴェスター」の章句が通子に浮び、唇が動いた。顔を海に向けた。海もいちめんの深いガスに閉じこめられていた。運転手を促して車に入った。車は、ミカン畑の急斜面と白い霧があがる断崖との間を時間をかけてゆっくりと降りていった。松尾の集落まで下った。峡谷の間にひろがるはずの伊予灘はまだ灰色の中だった。青島も水無瀬島も見えませんな、と運転手はいった。見えないほうがいいのだ。一つも見えないほうがいい。信六の山も、倶子の海も、なにもかも隠れたほうがいい。すべて、不透明な水蒸気の凝結に蔽われていてほしかった。そして、自分の将来もである。雨がまたひとしきり降ってきた。フロントグラスに注ぐ水をワイパーがいそがしくかき分けた。すぐ前の道に雲が舞いおりた。終末の見事な詩文が、大きく多彩な物語を締めくくる。清張氏の見事な詩才に感服。謎解きを絡めて味付けしているが、主役は明日香の酒船石を端緒とする祆教と日本の接点を解明する2本の学術論文。謎解き+詩情+学術=幕の内だけれど、求め難い興奮と緊張の機会をいただいて感謝。後付けの解説「火の路をめぐりて」伊藤義教氏のこなれたペルシャ学も快調。松本清張全集中の1冊。活字2段組のため文字がやや小さく、読み難いが、挿絵多く鮮明。1冊で済んでキリが良い。504ページ。論文は、字間が詰まり、硬く複雑。読解かなり困難なるも、小説の筋は、カメラマン板根要助の謎解き進行役により、分かり易く、論文の難解苦からひと時解放される。清張氏の古代史研究と労作に畏敬を表し、5星。写真:「火の路」表装。 | ||||
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とても綺麗で、いわゆる新古品を送ってくださったと思います。以前にも読んだものですが、忘れられない名作。昔の教授に再会できた思いです。 | ||||
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清張らしく掘り下げ方が徹底していて目が冷める。よませる。さすがだ。 | ||||
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この本は、1973年6月から1974年10月まで朝日新聞朝刊に連載されたものなんですね。古代史ミステリーと言っても実際は小説の筋は従で、松本清張さんが飛鳥時代の石造物、特に酒船石と益田岩船に焦点を当て、大胆な仮説を主人公の論文発表という形式で小説化し学会に提起したもので、内容は極めて専門的・学術的で読みごたえがありました。 飛鳥の石造物は斉明天皇の時代につくられたものが多いが、斉明天皇は異教に興味を持ち奇矯に走った天皇として日本書紀に否定的に記されているが、ゾロアスター教文化の影響を受けていたのではと松本氏は推測。 酒船石については、酒の醸造、菜種油の搾りなどの従来説に対し、松本氏は薬の製造を主張。来日ペルシャ人の指導で何種類の薬を搗き、酪(ヨーグルト)で固めたり、薬の中には麻薬のようなものもあったとしている。 益田岩船の巨石については、イラン紀行での現地視察を踏まえ墳墓説とか占星台説でなく、斉明天皇の両槻宮設置の核でゾロアスター教ゆかりの拝火壇であったと松本氏は主張。 松本氏がこの本でこれらの仮説を主張したのが1973年。 2009年のこの文庫版の解説では、その後の研究により酒船石は水の祭祀の儀式に使用されたと考えられるようになり、益田岩船両槻宮についても、斉明紀の記す如く田身峰(多武峰)説が再確認されるようになってきてをり、清張仮説は成立しなくなったと、松本氏と親交のあった森浩一同志社大学名誉教授は付言しています。 一方、これらの進展があったのも松本氏が『火の路』で斬新な仮説を立て学会に刺激を与えてくれた効果であると述懐しています。 ともかくもゾロアスター教については拝火教と短絡的な理解しかありませんでしたが 火と土を神聖視する観点から火葬と土葬を禁じ鳥葬・風葬を行う。鳥葬はペルシャではハゲタカでなく大きな鴉。 ハオマ酒(麻薬)とペルシャ人の幻術 キリスト教と同じような「終末裁判」という観念もあり 砂漠の文化らしく噴水を大事にし 阿弥陀仏も元来はペルシャの光明の神であり イランの地下水道技術を中国へ輸出とか 日本の役行者(役小角)の幻術も道教由来でなくゾロアスター教の関係が強いと。中国、朝鮮にもないペルシャ製のガラスの杯が正倉院にある理由。 とかペルシャ、ゾロアスター教にまつわる雑学的な薀蓄が楽しめました。 | ||||
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古代ペルシャの神殿と飛鳥の石造物の関連を推論するヒロインを、殺傷事件や大学派閥など織り交ぜながら書き進められた小説。清張の考古学的考察を存分に盛り込んだ論文のようでもあり、また横穴式石槨の崩落シーンなど臨場感があふれるフィクションのような小説で、読み応えがありました。 | ||||
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あっという間に到着して、新品のように綺麗でした。ずいぶん前に出版されたミステリ-ですが、この価格なら惜しくない! | ||||
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本作は、朝日新聞朝刊に昭和48年6月から翌年10月にかけて連載された。清張氏は当時64歳。執筆に先立つ4月、更に5年後の53年9月(69歳)と、イラン取材を二度行っている。私は清張全集50で読んだ。上下びっしりの2段組みで500頁、堂々の長編である。 想像するに、せっかちな新聞読者は、非小説的学術的論文が登場するところで何度か読むのを投げ出したのではなかろうか。 小説では、一応主人公に女性の考古学・古代史研究家を設定し(彼女は才媛だが保守的学界、ボス支配の研究室の中で苦労する)ミステリー・タッチの装いをこらして読者を引っ張っていこうとはしている。しかし、清張氏の狙いは当時(今も)学者が思いもよらなかった着眼ーー飛鳥には古代イラン(ペルシャ)人が渡来していた、彼らが残していった文化・技術・宗教的残滓はあちらこちらに見られ、それらは中国風でも仏教風でもない独特なものだ。明日香に散在する巨石遺跡(これらは何を意味するか、なぜここにあるのか、学者たちは解きあぐねていた)などもこの視点に立てば説明可能ではなかろうかーーをこの考古学徒を通じて主張することにあった。小説でありながらも、この点では清張氏は少しも妥協しない。読者はおかげでいくつかの研究論文的な記述を読まされる羽目となる。本作の真の主人公は論文であると言ったレビュアーがいらしたが、あながち間違ってはいない。 観光客風に奈良の寺社巡りで満足する向きはさておき、より古い飛鳥の深層世界に関心を持つ読者にはこたえられない作品である。本書のおかげで明日香村の酒船石、橿原の益田岩船、亀石、猿石などずいぶん身近なものになった。この先訪れることもない灼熱のイラン、イスファハン、ペルセポリス。今なお生きているゾロアスター(拝火)教とアフラ・マズダ信仰などもとても興味深かった。 飛鳥時代の日本にイラン人が来ていて、彼らの宗教を伝えていったというのは壮大な仮説であり、日本の古代をもっぱら中国・朝鮮との交渉でとらえることしかできなかった古代史学に風穴を開けるものであった。日本の古代をより大きな文明史の展望の中で捉えるという清張氏の主張は学界でどう受け取られたのだろうか。アマチュア学徒の所論にいちいち反応せず、といったところだろうか。表立っての本格的論評は見られないようである。 それはそうだろう。古代史での歴史資料は限られており、二度までもイラン調査を敢行した清張のエネルギーに対抗して反証を挙げるのは困難でありこれは黙殺するしかない。 こうした事態は清張氏も十分予想済みで、ただ自分の死後にはこの仮説は認められるだろうと確信を持っていた。飛鳥のルーツを探る清張氏のイラン探査の旅の詳細は「ペルセポリスから飛鳥へ」(NHK出版)による。迫力のある写真が満載で古代ペルシャへの興味がかきたてられる。 | ||||
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最近、松本清張氏の所謂推理小説とは異なる作品を読み始めたが、本書も異色作だ。 確かに殺人など事件も起きるが、本書の主眼はあくまで、主人公の高須通子が、飛鳥地方の石造物がどのように制作されたのかを読み解く過程である。従って、頁のかなりの部分は、固い学術的な説明に費やされる。 これを面白いと思うかによって本書の評価は異なると思うが、自分はゾロアスター教の影響があるという主人公の説にロマンを感じた。また、現代でも変わっていないと思われる教授への絶対服従・保守性といった、日本の大学の問題点も抉り出されているのはさすがだ。 | ||||
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斉明朝の頃のものと推定される飛鳥の石造物がメインテーマなので、古代史に興味がない人にとってはとっつきにくい作品だと思います。日本の古代史に興味がある人には楽しめる作品だと思います。飛鳥以外の遺跡もいろいろと登場します。 | ||||
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他の名作は読んでいましたが、この火の路は全く知りませんでした。発刊された当時に手にしていたら、人生は違ったものになったかも知れない。それぐらいの衝撃を受けました。遅すぎる気がしますが、元気なうちに関わる地名の場所に直接足を運んで自分の目で確認していきたいと思います。 | ||||
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栗原小巻や芦田伸介が出ていたNHKのドラマ化作品(昭和51年)がかなり面白かったので、原作も読んでみた記憶がある。 ところが原作は・・・・。古代史の蘊蓄部分とストーリーが分離している印象が大変強かった。ゾロアスター教(拝火教)と奈良朝との接点など大変興味深いのだが、ミステリー本体との繋がりが(清張さんはかなり工夫をされているが)上手く行っているとは言い難い。まぁ歴史ミステリーの難しさですが。これについてカッパノベルス版のカバーに言い訳めいたことを清張さんは書いておられるが、「そりゃないでしょ!清張さん」ですよね。 さらにページ数も相当で、引っ張りすぎという感じがした。 しかし清張流古代史観のファンには堪らなく楽しい作品だとは思います。 | ||||
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飛鳥の酒船石の謎に端を発し、斉明天皇の土木事業とペルシャのゾロアスター教の関係について、著者松本清張が自己の考察・持論を、物語のヒロインである女性考古学者高須通子の役柄を借りて論説する。松本清張にしては異色で希有な小説。ひょんな事件から知り合ったかつての歴史学者のアドバイスによってヒロインは遠くイランに出かけ、飛鳥の酒船石の正体に迫る。事件という事件はほとんど起こらないので、サスペンスものを期待すると裏切られるが、古遺物の盗掘や贋作の実態、大学における考古学会の実情などが伺え興味深い。奈良飛鳥の古代ロマンと中近東イランのエキゾチシズムが旅情を誘う。上巻・下巻と分かれており読むのが大変だが、不思議と読後感の残る力作だと思う。 | ||||
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