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アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
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【この小説が収録されている参考書籍】
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.18pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全247件 221~240 12/13ページ
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機械に感情操作まで委ね始めた人間と、 人間そっくりの有機的アンドロイド。 種の存続を脅かされて人間に珍重される動物と、 動物そっくりの電気動物。 これらが共存する、第三次大戦後の世界で、 火星から逃亡してきた奴隷アンドロイドを「処理」する、 バウンティ・ハンターである主人公リック。 アンドロイド、動物、電気動物と接する中での、 彼の切実な苦悩を通して、 機械や動物の「主」の立場にある人間としての在り方を考えさせられました。 | ||||
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この小説は、「現代」や「人間」あるいは「生命」から「神」にまで至る広範なテーマを投げ込んだ「哲学小説」です。本作品の中でアンドロイドと人間の違いはただ「共感能力」があるかどうかだけですが、既に人間の「共感能力」さえも危機に瀕している、といった状況設定がなされています。これが極端に言えば「私は人間かアンドロイドか?」といった思考を読む側にさえ迫って止まない迫力となっています。小説の舞台は近未来ですが、私たちの時代、特に現代の日本は、既にこの小説における「アンドロイド」化をかなりな部分で遂げつつあるように思えてなりません。「簡単な理由での人殺し」もそうだし、「二次元少女にしか恋できない症候群」もそう、また「満員電車での鬱積した殺意」などもこの国の「共感能力欠如」、「アンドロイド化」の象徴だと思えます。とにかく、現代について考えさせられる小説。娯楽としても読めますが、非常に奥の深い「SF文学」です。 | ||||
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原題は"DO ANDROIDS DREAM OF ELECTRIC SHEEP?"。 フィリップ・K・ディックの代表作。 「ブレイド・ナラー」のイメージがあったため、最初はたるく冗長に感じたが、 中程から後半にかけて、急展開だった。 フィリップ・K・ディックのイメージを決定付けた暗黒感を漂わせた作品である。 時は近未来、第3次世界大戦後、死の灰に蝕まれた地球を舞台にした、 人間とアンドロイドのSFである。 (放射能に汚染されていない、殆どの住人は、火星へ移住している) 本作品では、人と人のコミュニケーション、および、 人間に対するアンチテーゼとしてのアンドロイドと人を 対比することで、人間を描いているように思う。 「ブレイド・ラナー」よろしく、地球に逃げてきたアンドロイドを 追跡するのだが、追跡劇、格闘シーンは、正直物足りない。 世界設定のアイデアは素晴らしいと思う。 しかし、こじんまりまとめられていて、何度も読みたい作品ではなかった。 同じディックの作品でも、私は「流れよ我が涙、と警官は言った」の方を 評価している。 本書でディックを知って興味を持った人は、 ぜひ「流れよ我が涙、と警官は言った」を読んで欲しい。 | ||||
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ディックの思想を簡単にまとめると、以下である。 ロボットは信用できる。だが、アンドロイドは信用できない。 なぜなら、アンドロイドは自分の正体を偽ろうとしているからだ。 映画「ブレードランナー」はロボットの人権を主張するロボット讃歌だが、 その原作である本書はそうではなく、むしろ逆である。 アンドロイドがどれだけ本物そっくりだろうと、あくまでも偽物だという危険を主張する。 どんなことがあっても、やはり本物の動物が恋しいのだ。 | ||||
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とてもよいレビューがかかれていて感心しました。考えられる限りの方法で、裏切られもてあそばれる人の生命への愛?が描かれた作品。皮肉ったり、ぎょっとしたり、悲しかったり、感動したりと、驚きの傑作です。 | ||||
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ディックの作品のなかでは、読みやすい?理解しやすい?単純に面白い?と思います。 ディック入門に最適。 人間とは何かを考えさせる作品ですが、あまり難しい話にもならず、冒険活劇としても楽しめます。 後年の「現実の崩壊」系列の作品は私にはちょっと荷が重い。 映画「ブレードランナー」も面白いと思います。 ただし、ディレクターズカット版の方が、原作の良さをストレートに見せてくれるはず。 | ||||
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この本の解説などを読むと、「人間とは何か?」というのがこの小説のテーマだと言います。 でもよく読んでみると、むしろ「生命とは何か?」といった方がしっくりきます。 ディックは明らかに「他者との共感」が、人間とアンドロイドの違いであることを示していますが、他者とはここの登場人物たちを見る限り、動物や(なんとアンドロイドまで)含めた「生命」であるようです。「生命の大切さ」などというお説教じみた内容ではなく、生命が死に絶えた世界の中での、「生命への狂おしいまでの愛」が切実と伝わってくる本です。 例えば、あるアンドロイドがクモの足を面白がって切ってしまいます。そのことに激しく衝撃を受ける登場人物がいます。 しかし現実の我々はなんとこのアンドロイドに近いことでしょうか。 繰り返される動物実験や虐待、犯罪やテロが毎日起こる今の世の中で、「他者との共感」とはまるで白々しいギャグじゃありませんか。 それをディックも分っていたのか、作中「他者との共感」を現実化させるSF的道具であるマーサー教が、アンドロイドたちによってインチキだと暴露されます。 人間が持っている「他者との共感」能力など嘘である、と証明することによって、「他者との共感」ができないアンドロイドは人間の価値を否定するのです。その意味でアンドロイドが勝利します。 でも最後に作者の祈りが描かれます。絶望した主人公のリック・デッカードはインチキであったはずのマーサーと、最後に一体になる体験をします。それでも「共感」はあったのです。そしてそこで見つける絶滅したはずのヒキガエル。絶滅したと思っていた種を見つけた時の激しい人間の喜び。そのヒキガエルにもまだ話しの続きがあるのですが、そのまま感動的で美しいハッピーエンドへと終結していきます。 作者ディックの論で言えば、現代の我々は生命のないアンドロイドなのに違いありません。もしなんとか人間でいたい、生きていると信じたいと思ったら、まずこの本を読んで身につまされるところこから、始めたらいいと思います。 | ||||
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核戦争後の地球。そこを捨てて火星に逃げ出していく地球人たち。 人間には最後に何が残されるのだろうか。 作者はそれを「共感」とし、共感の究極を宗教に求めた。 マーサーの行為はイエスの十字架への道をなぞっているし、 彼の発言は「見よ、世の終わりまで、あなた方とともにいる」という イエスの発言を焼きなおしている。 浅倉氏の訳は小気味良く、村上春樹氏が、自分の初期の文体を作る上で、 滋養になったひとつと明言しているだけに、とてもリズムが良い。 誰もが読むべき、映画以上の傑作だ。 | ||||
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リドリースコットの名作『ブレードランナー』の原作であり、SF界、異端の巨匠PKディックの代表作。映画の世界(Rスコットの暗いジメジメした世界)とは、また違った乾いた世界。テーマは『共感』。人間が人間らしくあるために一番大切な能力は共感する力である。と優しく語り掛けてくれる。ラストで主人公の奥さんが見せる温かさに、ほろりとしてしまうのであった。初めて読んでから20年。時折読み返しては、しみじみしております。 | ||||
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深い話なんだけど娯楽作品として楽しめる部分もあるし、話もまとまってて、最高です。広い意味を持たせている作品なので、読む人や時間なんかで感じることが違うと思う。そういった意味でとても風呂敷の大きな作品ともいえます。 | ||||
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文句なしのディックの最高傑作。映画となった「ブレードランナー」と細部を見比べてみると、より味わいがでます。 | ||||
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認識論的実存主義の世界観が、読者の価値観念に攻撃を畳み掛ける作品。 読者は、特定対象のアイデンティティを容易に固定してしまうが、読み進める間中、始終その認識を覆される。それは人の行動・表現と内面の齟齬からくる救いの無さを提示するとともに、他人との相対としての個人の生が綱渡りの連続であることを示している。 内容面の充実は言うまでも無く、その卓越した表現もじっくり味わうべき作品だと思う。 例:ムンク「叫び」の描写;梨をさかさまにしたような頭で、一本も髪の毛の無い、うちひしがれた生き物の描かれた絵だった。その手は恐ろしげに耳を押さえ、その口は大きく開いて、声の無い絶叫を漏らしている。その生き物の引きゆがんだ苦悩の波紋、絶叫のこだま、そんなものがあ!たりの空気にまであふれ出ているようだった。男か女か、それさえもわからない生き物は、己の絶叫の中に封じ込められている。己の声に耳をふさいでいる。生き物は橋の上に立ち、他の誰の姿も無い。生き物は孤独の中で叫んでいる。己の絶叫によって――あるいは、絶叫にもかかわらず――隔絶されて。 | ||||
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先日、 友人から「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を借りて読んだ。 ガチガチのSFだったらどうしようと思ってたけど 読んでみるとその懸念はすぐさま霧散した。 地球が放射能汚染によってカビてく中 次々と火星へと入植していく人々たち。 地球の夜を灯す窓の明かりは徐々に数が減り 個人的事情により地球を後にできない人々たちは 孤独や絶望感を情感(ムード)オルガンによって癒している。 話の導入部はこんな感じだ。 この本を読みながら 人間とアンドロイドの根本的違いとは何なんだろう・・・ 私自身が果たして人間らしい人間なのだろうか・・・ そんな事を思い巡らしドキドキして読み終わるまで息がつけなかった。 人間として生きていく為に必要なもの。 この小説を読むま!で、正直コレをどうしたらいいのかなぁと悩んでいた。 日々、コレの厄介さにぶち当たる度にコレをどうにかしようと考え 他の人はどうしてるんだろうと独り途方に暮れる日もあった。 だけど、悩むところはそこじゃないんだって事に気が付いた。 「コレは大切なものなんだ。」 「閉ざしてはいけないのだ。」と確信した。 | ||||
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という気分になるため、またはなってしまった時の自己救済本として利用しています。ディック作品としては破綻が無く、ストーリ的にも上手くまとめられていますが、思想的な深みはありません。 ただ主人公がココはどこ?わたしは誰?状態に陥っていく様、墓穴世界とさして変わらないであろう彼が生きている状況の描写は素晴らしいです。毎回読むたび混乱と、ささやかな救済を味わえます。淫らな読み方ですかね? | ||||
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映画「ブレードランナー」の原作として有名な作品だが、 個人的には映画よりこちらのほうが数段面白いと思う。 中々アクションシーンもスピーディで、サクサク読める。 いろいろ考えさせられる場面もたくさん。 他のディック作品と比べて、非常に単純でわかりやすいので、 彼の作品のファンでない人も読んでみて欲しい。 | ||||
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気に入った。電気動物、電気人間(アンドロイド)、情調オルガン、バーチャル救世主、…。これらの「フェイク」と物質の過剰が生み出すキップルたちに埋もれた憂鬱な生活は、まさに現代の都会生活そのものだ。そして主人公が、かろうじて残っているなけなしの良心を無理やりに投げ捨ててまでした厭な仕事で得たものは、結局やっぱりフェイクだった一匹のガマガエルと、ありきたりでつましい、むしろ惨めな、と言っていいくらいの「ちいさな幸福」。他者への共感の能力を持たない電気人間たちは今や現実の都会にもあふれかえり、無意味な動物虐待や動機のはっきりしない殺人が繰り返されている。現代の都会の外観はディックの想像した世界とはずいぶん違うが、その本質は恐ろしいほどそっくりだ。…主人公、そして私たちに出口は見つかるのだろうか。 | ||||
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この年になって、SFを読むのはしんどいと思い、ずっと遠ざけていた本ですが、とうとう読みました。 SFというよりは、ファンタジーのようにも思えます。 そして、舞台設定は確かに非現実的なのですが、主人公の困惑については心から共感できました。著者は素朴すぎるくらいに、アンドロイドと人間の違いを明快に書き込んでいます。(他者に対して)「共感できるか、できないか」ということ、そこに違いがあるのだと。そして、それは、「自分自身をだいじにできるかできないか」ということにもつながるように思いましたが、、、これは、すこし、感傷的すぎる読み方かもしれませんね。 | ||||
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映画「ブレードランナー」は大好きな映画のひとつである。しかしディックに関しては「ブレードランナー」とは関係のないところから読み始め、この「アンドロイドは電気羊の夢を見るか? 」はかなり後になって読んだ作品だ。 この作品には、ディックが複数の短編の中で著したアイデアや世界観がひとつの形にまとめられている。この世界を良く理解されるには、短編集を読まれてからの方が理解しやすいかも知れない。 特に「ブレードランナー」に思い入れの強い方は、映画との世界観の違いに戸惑われるかも知れない。正確には「ブレードランナー」にはディック特有の世界観の重要な部分が反映されていない、と言うべきか。「アンドロイドは・・・」は圧倒的にディープなディック世界で、ディックファンには自信を持ってお薦めするが、あくまで映画の世界観を大切にしたい方は「ブレードランナー」の「元ネタ」として読まれるのが良いと思う。 ディック入門の長編なら「ユービック」か「虚空の眼」をお薦めしたい。 | ||||
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この物語のなかのアンドロイドという存在は、善悪の判断のつかない狂人の文学的表現。感情移入装置を使って精神分析をして人間(正常)かアンドロイド(狂人)かを判定して狂人を抹殺するというお話。マーサーという人はニーチェの提唱した超人でしょう。ニーチェの諸著作やフロイトの本などとあわせて読むとおもしろい。滑稽で切ない不思議な作品でした。 | ||||
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20年前読んだ時は放射能灰注意報の中、鉛の股袋をつけて歩き回る主人公に笑ったものですが、まさか花粉注意報の中、密封マスクをつけて2002年を歩く事になろうとは。電気犬アイボをお供につれてね。 主人公の妻、オペラ歌手、同僚(ひどいやつだ!)テレビの司会者、おかしな教祖マーサ、電気羊、ムードオルガン、ヒキガエル、そしてアンドロイドたち。 登場人物、ガジェット、それぞれが彫が深く、何度読み替えしてもその度に面白い味わい深い作品です。 そして、さり気ないように見えて深い余韻を残すラストも。 無人島に漂着したか、夫婦が倦怠期になったら読みたい1冊です。 | ||||
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