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アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
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【この小説が収録されている参考書籍】
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.18pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全247件 201~220 11/13ページ
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SF映画の名作「ブレードランナー」の原作。デッカードやレイチェル、プリスなど登場人物は一致する物もあるが、内容は全く別物。映画と無関係によむと機械、アンドロイド、人間、動物その違いと差別に意味があるのかというかなり形而上学的な哲学的な内容、宗教的な内容になっている。SFでこのような文学的な作品ができるのはさすがアメリカだと思う。 | ||||
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なぜ羊なのか?レプリカントというものが、アンドロイドとして存在するが、人間としての感情を抑えようとする。主人公も悩む。当たり前と思っている世界が我々にとっては特殊な世界という設定を読者にさせ、主人公に対してそれは違うぞ、という風に叫び、レプリカントにはもっと感情を持てと応援する。そして、不思議な空間が来て、最後に悲しい状況を迎える。それは劇的に悲しいのではなく、おそらく悲しいことなのだろうということを思わせる。自分が主人公になり、また傍観者となる、気分的に忙しい小説でした。不思議な感覚になりました。 | ||||
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サイバーパンクの代表的映画「Blade Runner」の原作ではあるが、空気感が違うので別物として捉えると読み込みやすいのではないだろうか。映画は映画ですばらしいモノなので,どちらも好きになると「やめられない、止まらない系」であることは確かである。当時はまだまだ認知度の低かったディックだが、今読み返してみてもこれを越えるSFは無いのではないだろうかと思う。人間の存在について悩みたい人、あるいは攻殻機動隊が好きな人は必読。カレル・チャペックの「ロボット」と合わせて読みたい。 身体論や存在論と言った学問的アプローチもできる、あるいは教育学的な観点から読むこともできる。 「我思う故に我有り」デカルトがいった言葉だが、私が存在することと他者がどのように私を認識し、扱うかは別物である。アンドロイドが人間社会に入り込み、人として存在したいと思ってみても人間の方がそれを受け入れることができない。アンドロイドはより人間的に、人間の方では時にはアンドロイドのようにその境界が曖昧にわからなくなってゆく。その差異を変化させながら生きている、核によって荒廃した社会。ディックは人かアンドロイドかの差異を感情移入、つまり優しさだとした。その差異を見つけ逃げ出したアンドロイドを回収するバウンティー・ハンター(賞金稼ぎ)の男、デッカードの心の葛藤を描ききる。動物を飼うことがステータスになる、世界観の特殊性も社会学的に分析するのも面白いかもしれない。 ラストではデッカードの妻、イーランの優しさに混沌とした社会の中にあっても、人間の豊かさを感じることができる。 人間の根源的な諸問題や存在論を、SFという世界を通して考えられる完成度の高い作品。 | ||||
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もし今まで読んだSF小説の中で一番好きな作品は?と聞かれたらこの小説の名前を挙げます 作品の世界観に吸い込まれ夢中になって読んでたら2時間くらいたってました。 | ||||
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第3次世界大戦後、放射能灰に汚染された地球。そこでは生きている動物を所有することが地位の象徴となっていた。人工の羊しか持っていない賞金稼ぎリックは、「本物」の羊を手に入れるため、火星から逃亡してきた<奴隷>アンドロイド6体の首にかけられた莫大な懸賞金を狙って、命がけの狩りを始めた!・・・と、粗筋だけ書くと、何やら安っぽいアクションSFのようになってしまう。それが本作である。 映画『ブレードランナー』の原作として有名な作品。相変わらずディック節が爆発していて、読みにくいことこの上ない(ディック作品の中ではマイルドな部類に属するが)。先行SFで使い古された陳腐な小道具。あまりにも嘘っぽく、作り物めいた作品世界。物語の論理的整合性を無視した、勝手気ままで強引な展開。話をまとめることを拒否するかのような、突き放した結末。だが、ディックにプロットの巧みさを求めるのは間違っている。 ディックの真骨頂はグロテスクな世界が生み出す不気味な迫力と、作品の思索性にあるのだ。「ディックの描く未来世界は我々自身の世界の歪んだ鏡像だ」と言われる所以である。 本作では外面では見分けのつかない人間とアンドロイドとの識別に感情移入度テストが用いられている。アンドロイドは他者の喜びや痛みに共感することできず、それゆえに残虐であり、自分の生存のためには仲間も平気で裏切る、と言われてきた。しかし感情移入度テストでは判別できないアンドロイドも出てきてしまう。 人間だと思ったらアンドロイドで、アンドロイドだと思ったら人間。そんな経験を続けるうちに、「人類社会の敵」として何の躊躇いもなく逃亡アンドロイドを殺戮してきた主人公リックは、次第に標的アンドロイドに同情し始め、重大な疑問に直面する。自分たち人間と彼らアンドロイドはどこが違うのか? 人間よりも人間らしいアンドロイドがいる。一方でアンドロイドのように無慈悲な人間もいる。アンドロイドであるというだけで、「社会への脅威」として虐殺することは果たして正しいことなのか? 自分の仕事は、この社会は何か間違っていないか? リックはアンドロイド狩りに疑念を持ち始め、あまつさえ自分に協力するアンドロイドを愛してしまうのだ。そんな葛藤の中、リックは…… ここに至っては、神の創造物として自然に生まれてきたか、人工物として造られたかは、本質的な問題ではなくなる。感情移入できれば人間、できなければアンドロイド。逆に言えば、人間して生まれてきたとしても、感情移入能力がない者は真の意味で「人間」とは言えないということである。真の対立軸は人間/アンドロイドではなく、人間性(親切=善)/アンドロイド性(冷酷=悪)なのだ。 ハインラインやアシモフの作品のような、「よくできたお話」が好きな人には向かないことは確かである。しかし、ぜひ避けずに読んでほしいと思う。それだけの価値がある本であることは間違いない。現実の不条理性と怪物性を縦糸に、人間性を横糸にして織りなす、思索の世界が待っている。 「ディックはSFをエレガントで苛酷な心理ゲームに変えた。そこでは、伝統的な倫理や伝統的な形而上学に疑いがさしはさまれる。そこではどんな行為も、果たしてそれが"実際に"起こったのか、果たしてそれが善なのか悪なのかを言いあてるのはむずかしい。ディックがわれわれに理解させようとするのは、こういうことだ。どんな出来事も、それが夢であれ、"現実"であれ、そこに関わりあうものに苦悩をもたらす――そして、苦悩のあるところには、同情がなくてはならない」――ロバート・スコールズ 「あなたがどんな姿をしていようと、あなたがどこの星で生まれようと、そんなことは関係ない。問題はあなたがどれほど親切であるかだ。この親切という特質が、わたしにとっては、われわれを岩や木切れや金属から区別しているものであり、それはわれわれがどんな姿になろうとも、どこへ行こうとも、どんなものになろうとも、永遠に変わらない」―フィリップ・K・ディック | ||||
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本作では外面では見分けのつかない人間とアンドロイドとの識別に感情移入度テストが用いられている。アンドロイドは他者の喜びや痛みに共感することできず、それゆえに残虐であり、自分の生存のためには仲間も平気で裏切る、と言われてきた。しかし感情移入度テストでは判別できないアンドロイドも出てきてしまう。 人間だと思ったらアンドロイドで、アンドロイドだと思ったら人間。そんな経験を続けるうちに、「人類社会の敵」として何の躊躇いもなく逃亡アンドロイドを殺戮してきた主人公リックは、次第に標的のアンドロイドに同情し始め、重大な疑問に直面する。自分たち人間と彼らアンドロイドはどこが違うのか? 人間よりも人間らしいアンドロイドがいる。一方でアンドロイドのように無慈悲な人間もいる。アンドロイドであるというだけで、「社会への脅威」として虐殺することは果たして正しいことなのか? 自分の仕事は、この社会は何か間違っていないか? リックはアンドロイド狩りに疑念を持ち始め、あまつさえ自分に協力するアンドロイドを愛してしまうのだ。そんな葛藤の中、リックは…… ここに至っては、神の創造物として自然に生まれてきたか、人工物として造られたかは、本質的な問題ではなくなる。感情移入できれば人間、できなければアンドロイド。逆に言えば、人間して生まれてきたとしても、感情移入能力がない者は真の意味で「人間」とは言えないということである。真の対立軸は人間/アンドロイドではなく、人間性(親切=善)/アンドロイド性(冷酷=悪)なのだ。 陰鬱で退廃的な世界観にも感嘆。 | ||||
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なぜドラゴンボールの人造人間はアンドロイドと訳されるのか。 そのような記述がwikiにありましたが、本作のイメージがあるからでしょう。 しかも、この傑作SFには、アンドロイドに限らない魅力的なガジェットがこれでもかと登場してきます。SFの面白さが凝縮された一品です。 | ||||
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正直言って、本書の独特の世界観に入っていくのは時間がかかりました。 しかし、映画「ブレードランナー」では描かれなかった哲学的で深みのある世界が、そこにはあると思います。 映画のあの映像を観た後だと、本書は迫力がないとか、あまり面白くないと思う方もおられるようですが、 本書を読んでから映画を観た私としては逆に、作者の「人間とは何か?」というメッセージを伝える、J・R・イジドアや マーサー教といった要素が端折られてしまっている「ブレラン」は大味に思えて、物足りない感じが拭えませんでした。 どちらを先に観るかは別として、本書と「ブレラン」とは別の作品として観た方が良いようです。 | ||||
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くたびれた世界。 機械か生きものか。 それに悩むが結局はどうでもいいことでもあるんですね。 | ||||
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映画『ブレードランナー』の原作であり、ディックの代表作の一つ。 主人公は逃げ出したアンドロイドを追う賞金稼ぎの男。 発展と荒廃が進んだ未来の世界で、人々はそのときの気分すらスイッチ一つで変えることができる。 『本物』の動物は希少となり、本物の動物を持つことが一つのステイタスとみなされている社会。主人公は電気羊しか持っていなかった。逃げ出したアンドロイドを捕まえて、その金で本物の動物を買おう・・・。そんなことが市民の望みである未来。 そしてアンドロイドは限りなく人間に近づき、感情のテストをしなければ見分けがつかないほどに進化した。 主人公は逃げ出したアンドロイドを追い、テストし、戦い、回収していく。 読者ははたして彼らがアンドロイドなのか、アンドロイドの定義とは何なのか、自分の中でのアンドロイドと人間との境界線が薄れていくことに気付くだろう。 『欠陥』のある人間と、『完璧』なアンドロイド。そんな皮肉も描かれているが、そこではなぜか精神的な欠陥のある人間のほうがより人間らしく、完璧すぎるアンドロイド所詮アンドロイドには人間らしさを感じない。 アンドロイドとの戦いを経て、主人公は何を見つけるのか。 本物の動物を得て、平凡だが平和な暮らしに戻るのか。 アンドロイドは電気羊の夢を見るのか? それが本書での人間とアンドロイドとの決定的な違いなのかもしれない。 ブレードランナー ファイナル・カット (2枚組) [Blu-ray] | ||||
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この作品は映画『ブレードランナー』の原作ではあるが、登場人物と骨格が同じだけでまったくの別物であると考えて良いと思う。 ヴィジュアル面で言えば、映画は腐敗した高層都市が舞台で、こちらは核で砂漠化されてしまった世界を舞台としている。 ヴィジュアルでいうのなら、ブレードランナーに近いのは攻殻機動隊やニューロマンサー。 こちらに最も近いのはゲームのアーマードコアかもしれない。 そして、そもそも話の軸となるレプリカントの存在自体が原作とはまったく異なるのだから別の作品であるのだ。 ブレードランナーでは、レプリカントは悲しさを持った人間的な存在であるのに対して、こちらでは残虐な存在である。 この作品ではレプリカントとはディックお得意の偽物である。 スクリーマーズの人間そっくりの殺人マシンであり、父さんもどきの人間そっくりに変身し入れ替わる虫なのだ。 ブレードランナーの見せ場を期待した人からするとハズレを引いた気持ちにもなるかもしれない。 あとがきを読めば趣旨が違う事は納得できるに違い無い。 SFに少しでも興味がある人間には一読の価値がある作品で、ディックの白昼夢の世界に入る入門編で、SFの傑作であると僕は考えている。 個人的にはカバーは旧デザインの方が好みだった。 | ||||
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懸賞金目当てにアンドロイドを破壊する男のお話です。 でもでも、色々あって、アンドロイドと人間の違いって?と考えます。人間の中にだってヤバい奴はいる。逆にアンドロイドの中にだって、優しい奴はいる。 つまり境界が曖昧になっていくのです。 アンドロイドだ! というだけで殺す。ことへの疑問。 男はそんな疑問にどう対処するか……。 ぜひ読んでみて下さい! | ||||
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昔「ブレードランナー」の原作本として読んで驚いたことがある。 内容はまったく別なので要注意。 まがい物のアンドロイドよりも生きた動物が尊ばれた時代。 デッカードは生きた動物を買うためにアンドロイドを殺しに行く。 で、折角買った羊は・・・。 本物の動物を殺したアンドロイドの憎悪の方が読んだ当時なぜか共感出来た。 生きた本物の動物を可愛がる人間よりも。 この本では動物の生死に共感性があるや否やで人間とアンドロイドを区別するテストがある。 そのテストの趣旨が馬鹿らしいと思ったものだが どんどんと温暖化などで絶滅していく動物の話を聞くにつけ 笑い事ではないと思えるようになった。 同時に馬鹿らしいと思っていた人間の心こそがアンドロイドに近いものではなかったのかと。 ある意味現代人類に対する予言書に近い。 | ||||
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今年の世相を表す漢字が「偽」に決まりました。 ディックの作品では 「人間以上の能力を持つ『人間のまがい物』によって、 世界の隅っこへと、追いやられて行く 崖っぷち寸前の『本物の人間』の焦燥感」が ベースにあると言う人もいます。 イジドアが、ゼイゼイとのどを鳴らして一生懸命、 喘息の「振り」をしているロボット猫を、車の後部座席に乗せて 「やけに苦しそうだな。ちょっと、スィッチを 切ってやるか。」とスィッチを切ろうとするシーン。 私も、知的れべるではイジドアと同じくらい。 でも「人間らしい」かどうかは、判らない。 もしかしたら、「シゾイド」かもしれない。 こんなに、メカニカル・システム・トレーディングが 楽に出来る所を見ると。 ところで、相場の「プロ」達は、何故「本物のチンパンジー」に 負けるのでしょう。彼等「プロ」達はレプリカントなのかも...。 いや、彼等が「本物の人間」で「レプリカントの猿」に 負けているのかも...。 いや、「レプリカントの人間」が「レプリカントの猿」に 負けているか、もしくは、「本物の人間」が「本物の猿」に 負けているのかも...。 | ||||
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時は未来 人類は精巧なアンドロイドであるレプリカントを作ります そのレプリカントが逃亡したから大変です 外見では人間と区別がつきません 作られたレプリカントにしてみればつかまれば死が待ってします ロボットという言葉を発明したカレル・チャペックのRURという作品では ロボットが進化して人類にとって代わろうとします ディックのレプリカントもすでに知力や体力で人類を超えています 未来を継ぐのは誰か 人類に未来はないようです | ||||
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一時期ディックにハマりました。パターンとしてはアイデンティティーの 喪失と奇想天外な発想、そしてディック独特の文体に魅了されたわけです。 この作品もレプリカントと人間、そして現実の動物と電気羊に象徴される ように機械化されたペットにアイデンティティーは何か?とディックは 読者に問いかけてきます。単に読書するだけではなく、まるで双方向性の あるメールやチャットのように。 ディックは短編をつないで1つの長編に作り上げていくタイプです。 本人自身そう語っているように1つ1つのセクションを短編と見なして 読んで行くと一層読書を楽しめる事でしょう。 | ||||
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面白いなぁ、と思ったところは、まず「動物を飼うことが美徳」という概念。たしか電撃文庫の『キノの旅』の話でもそういう国があったなぁ…と思い出しました。昆虫系はけっこう安いんですよ。けど、馬とかヤギとかを買うのには、何年もローンしなくちゃいけないくらい。軽く一軒家を買うような感覚みたいです。 もう一点特に面白いと思ったのは、アンドロイドの描き方。とても人間らしく、むしろ人間よりも人間らしいという変な現象に。アンドロイドと人間はまったく違うはずなのに、その境界線が微妙になってきています。アンドロイドが人間の性質に似せてプログラムされているのも一番の要因ですが、同時に、人間自身も機械のような感情に侵食され、ロボット化しつつあるといった感じです。「自分は人間か?アンドロイドか?」そういう疑惑さえ生まれてくる有り様。 物語の進め方は、一見共通性のないような二つの物語がだんだん歩み寄っていくという形式でした。最近読んだ本では、村上春樹さんの『海辺のカフカ』に形式的には似ているかもしれません。ジャンルの違う小説ですが、その手法だけではなく、雰囲気もどことなく共通性があるように思います。どちらも知的障害者の人をキーパーソンとして登場させているのが、そんな気にさせているのかもしれません。 人間とアンドロイドの違いって、アンドロイドは自然繁殖出来ないってこととかですかね…。 でもそれもたいして重要じゃないじゃんって言われたら、 どうしましょう? | ||||
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荒廃した未来の地球。人類の大多数は火星に移住していた。いまだ地球に住むリックは火星からの脱走アンドロイドを「始末」しその賞金で生計をたてている警察官だ。 上司でも手に負えなかった最新型アンドロイドの狩りを命じられたリックは、多額の賞金のためにも仕事に出かけた。 リックが一方的に狩るアンドロイド達は決してただの無機物ではなく、感情や生きることに執着を持った「人」として書かれています。 リックは彼らの人間性に気付きながらも、金のため、自分の命を守るためにアンドロイドを破壊していくのです。 彼に押し寄せるのは無力感、やるせなさ、理不尽さ、仕事への疑問など、一度とらわれたら簡単に抜け出せないような感情ばかり。 読者はリックの視点から物語をみつめ、リックと同じ疲労を味わうことになります。 「命」を扱ったテーマもさることながら、本元のSFもきちんと堪能させてくれます。テーマもストーリーも文句なしに面白いです。 本書は文学風のテーマとエンターテイメントの見事な融合といえるのではないでしょうか。著者の別の作品も手にとってみたくなりました。 | ||||
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映画「ブレードランナー」の原作として有名になった作品。近未来において、生物が希少価値になり、アンドロイドに労働を課していた人間。そして脱走したアンドロイド狩りに挑む主人公。映画では、近未来の映像が安っぽい感じがしたが、小説は作者特有の超現実感がある。 設定は作品毎に異なるが、作者の興味は社会における人間どうしの関係のあり方、心の持ち様にある。本作ではアンドロイドを登場させる事によって、その問題をより鮮明に浮き彫りにしている。アンドロイド狩りは読者の目を惹くシーンであるが本質ではない。読者は読んでいくうちに自分の思い入れが主人公(人間)にあるのか、アンドロイドにあるのか分からなくなり、むしろアンドロイドの方に人情を見るようになる。 作者の代表作は他にもあるような気がするが、本作はアンドロイドとの対比で人間関係と心のあり様を鮮やかに描いた佳作。 | ||||
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映画「ブレードランナー」の原作であると供に、 小説のタイトルが「○○は××の夢を見るか?」と言う形で、 多くのパロディーを生み出したことで知られるSFの古典的名作。 始めて出版されたのは1968年のことらしい。 この本のテーマは、他のレビュアーも書いている通り 「人間とは?」「生命とは?」と言ったもの。 そのテーマは、それはそれで深いものがあるのだろう。 個人的にはタイトルにも現れている文章表現のセンスの良さ(訳も素晴らしい!)や、 「動物を飼うことが美徳」などの架空の社会的状況設定の面白さに 大いに興味を引かれた。 この本の登場人物たちは、我々から見たら奇異に思えることに価値観を見出し、 遥かに進んだ文明の中で羨ましいとはとても思えない生活を送っている。 それはいかにも滑稽だ。 しかしながら、実は私達自身の現在の価値観や生活も、 実のところ、おかしな価値観に支配された滑稽なものかもしれない。 そんなことを感じさせてくれるのだ。 加えて文章表現のセンスは素晴らしく、立派な純文学と言える。 SFに少しでも興味ある人なら外すことは出来ない本であるとともに、 純文学ファンにも読んでいただきたい本である。 | ||||
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