■スポンサードリンク
老人と海
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
老人と海の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.13pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全187件 21~40 2/10ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
中学の国語の授業で先生から、 「日本語では海(という漢字)の中に母(という字)があるが、フランス語では母をmereと書き、海はmerである。つまり、フランス語では母の中に海がある」 と教わったことを思い出しました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
全編を通じて流れる哀しい通奏低音。圧倒的な描写。深い余韻、名作とういしかないのだろうが、それにしてもラストの1文は上手すぎる完璧なオチだ。あえてテーマを言うなら、1人の老人のマグロ漁を通して、人間と海の尊厳を圧倒的な筆力で描き切ったとでもいうのだろうか。いや、深い余韻の前に、そんなお決まりの言葉は陳腐なだけだと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
普段あまり難しい読書をしない身でも、カッコイいいジジイの独り言ライトノベルのようにすいすい読めました。また、解説やあとがきにも、かなり詳しく「訳す人の数だけ、物語がある」という状況が書かれていて勉強になりました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『武器よさらば』から続けて読んだ。それだけに、ヘミングウェイの人生観がより伝わってきた。 本作に登場するのはヨボヨボの老人ではなく、精神的にも肉体的にも壮健な老人。 84日も不漁続きの後の超大物との格闘。2日がかりで仕留めるが、 帰港の間に、サメに襲われ孤軍奮闘するも、最後は、せっかくの大物が骨にされてしまう。 結局骨にされるのにサメと格闘する必要あったのか、もっと言えば、収穫もなく、 漁に出なくても同じだったのでは。 サメと格闘する時、小さい船の中で、どんどん武器として使えるものが減っていく。 それでも老人はあきらめない。手持ちの武器で闘う。 作者の想いは、壁を乗り越え、命の炎を燃やすことに大きな意味がある。 一度きりの命、人生の果実が手からすり抜けていこうとも、生を全うすることが大事なのだ。 というところにあると感じた。 『武器よさらば』の主人公の妻キャサリンもいずれ終わる予感を持ちながら、 2人でのスイス生活を存分に楽しむ。 結果はどうあろうとも、命の火を燃やし続ける。 老人は、獲物を骨にされたが、虚無感の中に、生の充実は感じたであろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
話の内容自体はあらすじにもあるように「マグロ、ご期待ください」なのだが、海で1人獲物に向き合う老人と、荒々しい自然を簡潔かつ力強く描いてていて、シンプルなストーリーながらも読みごたえのある作品。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
一番好きなのは短編集ですが、老人と海もおもしろい話です。 さらに、とても読みやすく翻訳されています。 英語の勉強のため、原書と並べて読ませていただきました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
他の訳したものを読んでいない上で言うのもアレですが、最後の解説文にあるように、ほかの訳者のものでは老人は叫んでいたりするそうです。が、確かにこの作品全体を通して読んでいると老人のキャラなども考えて「叫ぶ」という設定がどうもしっくりきません。 ヘミングウェイが著した「老人と海」を訳したものは2021年現在たくさんありますが、最初の1本がこれでとても満足できました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この本で人生の教訓となる何かを得ようとか、何が評価されているのか分からないのという書評もあるが、この本はそういうものではない。 ただ純粋に一人の老人と一匹のカジキマグロとの命をかけた駆け引きと、その舞台となる海の表情を楽しむ本。 そういう意味で、やはりこの本はアメリカ純文学のひとつだと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読み出したら止まらない。ストーリーは老人が海に漁に出かけ奮闘しするという単純なものであり、それを老人の内面と客観的な事実のみで書かれる、いわゆる「ハードボイルド」の手法で描かれてる。余計な伏線を省いて淡々と、しかし臨場感が洗練された言葉はアメリカ文学の金字塔であり、読者はノーベル文学賞作品の圧倒的な筆力を感じるだろう。 著書はノーベル文学賞作家であるアーネスト・ヘミングウェイだ。1899年イリノイ州生まれで生まれ、第一世界大戦後を経験し、その無意味さ、文明の無力さからアメリカから離れていった。彼もアメリカ社会との繋がりを失った当時の文学者「ロスト・ジェネレーション」の代表的作家の1人である。代表作は『我らの時代に』『日はまた昇る』『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』などだ。 老人は不漁続きの中で孤独に漁に出掛けるが、これは文明からの脱却であり、人間が持つ可能性への挑戦を描いているのだろう。傷だらけになりながら、原始的な方法で大物を獲得し、それを自然の中で不幸にも失ってしまう。そこには、具体的な物は失ってしまったけれど、目には見えないものを信じようとする力、例えば、妻への愛情、共に漁をした友への親しみ、老人の最後まであきらめない気持ちや自然への畏怖といったものが含まれている。物語の後半、老人はマストを背負って坂道を上って戻る場面は、人間の犯した罪を背負うキリストを描写しているかもしれない。最後に、世界的かつ歴史的にこの名作だと言われるのは、これが夢オチであろうとなかろうと、「彼は歳を取っていた。」に始まり、「老人はライオンの夢を見ていた。」に終わることによって、私たちが老人から多くの勇気をもらい、どん底からの希望を抱くからであろう。 本来ならこれは英語で読むべきだろう。大学時代に『我れの時代に(In Our Times)』を原文で読んで、使用される英文の、例えば日本語には表出できない前置詞の空間イメージに衝撃を受けたことを記憶している。機会があれば原文で味わいたいと思っている。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
高校生くらいの時に読んだ『老人と海』を改めて読んでみた。当時、現国の問題の模範解答みたいな解説をちらっと読んでもあまり納得がいく内容じゃなかった。 どうもヘミングウェイの文体は、事実としてわかってることは書かない、氷山の一角を書いて全体を各人が味わうみたいな感じらしい。しかも翻訳者によって単語に裏の意味があるかどうか、「aloud」を昔のように「大声で」と訳すか「声に出した(ニュアンス)」にするかで全然違うものになるらしい。これはすごい違いだ。老人の独り言と思考の狭間を行ったり来たりすることもひとつの味わいであるのに大声かつぶやきかの振れ幅が翻訳者のセンスに依存するなんて!!!! 今回読んでみて思ったことは、老人が海上で独り自分と語り合う。そして「あの子」がいればとそれを思って生と死の狭間にいるようなところをふと生に引き戻される感じ。海上のことが本当はハバナの海岸にある新聞紙のベッドの上の出来事ではないかと思うくらいの「独り」の観点。誰も他人はそれが現実だと保証してくれない。長く格闘したマグロや陸まで戦い続けたサメの群れまでもその現実の証人としたいがためか、一種の愛着、仲間意識を感じさせる。結局なにが本当なのかわからないけど、少年が泣いている。老人は独りではない。そして『もっと教えてくれ』と請われている。その時点で老人は「教えるもの」となれる。少年と血縁がなくともその関係性で老人は一眠りして起きたあとも生きていけるのではないかと思う。 どんなみすぼらしく貧しい生活であっても、人に必要とされるのであれば生きていけると思う。老人は生きて還ってきたが、漁師としての結果は敗北だった。完全に負けて楽になったという。それでも彼を必要だという少年がいればそれ以上いらないのではないか。 歳を経て読んでみたら、とんでもなくハッピーエンドな物語に思えた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
40年以上前の高校時代から親しんでいる福田恆存訳。今回で多分3~4回目の読了。 いまは、新潮文庫でも高見浩訳 (2020年刊) が出ているし、光文社古典新訳文庫から小川高義訳 (2014年刊) が出ている。いずれの新訳も評判がいいようなので、近々どちらかを買おうと思いたち、その前に最後のお別れの意味を込めて福田訳を読みました。 わたし的には何度読んでもすごくいい訳と思うんだけど、細かく見ていくと「気配」を「けわい」、「息む」を「やすむ」と、いかにも昭和っぽく読ませているところが古めかしいのかな。 さらには小川高義が光文社古典新訳文庫版「老人と海」のあとがき解説で書いているとおり、老人の発する「aloud」を「叫ぶ、ののしる」などと感情的に翻訳している福田訳は明らかな誤訳で、老人の性格描写および近現代の用法からその語は単に「口にした」程度に訳すべきとのこと。 うーん、福田恆存の名訳といえども、やっぱり時の流れには逆らえないのかなあ、と思いつつも、2時間余りで読了したあと老漁師サンチャゴの生きざまに紛れもなく感動していたのも事実です。最初と最後に出てくる少年と老人とのやり取りも相変わらず心温まるし。 次はぜひとも光文社古典新訳文庫か、高見浩訳の新訳・新潮文庫で読みたいと決意を新たにした次第です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
名作なんて読んだことがない学の無さな私でしたが、思い切って「老人と海」を読んでみたら、最高にいい本でした。登場人物がタイトル通り少ないのでシンプル。シンプルなのに深い。いや、シンプルだからこそ深いのか。。とじんわり心に残る本との出会いになりました。心のベストテン5位以内に入る僕にとっての作品です。是非! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
特にレビューすることないが好きだわ~ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
カジキとの長い格闘の描写に多くが割かれているが、少年との交流や対話も見たかった。が、少ない描写からいろいろ想像するのも良い。少年はなぜ泣いているのだろう?長い漁で心配したから?もう一緒に漁に出られる日は限られているから? 訳者解説によれば、既存の翻訳でAloudは「大声で」となっていたが、本書では「声に出して」という現代英語的に訳されている。一人で叫びまくるか、語り掛けるように独り言つか…老人の印象や、孤独に対するまなざしがかなり変わることになるので、確かにこの差は大きいと感じた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
よく言われる事だけど、その年齢でやっとわかる文章というのがあるようです。 60歳に到達した僕はパパの気持ちが少し理解できるようになったかもしれない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
長年親しんできたというか書店にはそれしかなかった福田訳も 老人がひとり船上で大声を出そうが叫ぼうが別に変人などとは感じず、 むき出しの覚悟のようなものが伝わってきて自分は好きでしたが、 新訳になったことでさらに読みやすく、理解しやすくなりました。 言葉が平易になっても、昔読んで衝撃を受けたカジキとの駆け引きの興奮は相変わらずあるし、 終盤へ向けて加速して行く目頭の熱くなる感動もしっかり残っていました。 井伏鱒二に開高健、そしてヘミングウェイといった作家の描く魚とのやり取りは 美しく荒々しく儚い生命を肌に感じ、胸をうつものがあります。 この物語は乾いた文体に反して、決して穏やかではなく、刻一刻変化する海のように、 凪いでいたかと思えば突如として荒れくるったりします。 熱くなり、老いへの抗い、幸せと悲哀、希望までが満ち溢れる力強い一冊です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これは翻訳者ご自身が解説していることですが、老人が海で独り言を言う場面では、静かに語る、あるいは呟くように表現されており、過去の訳本の「怒鳴る」「吐き捨てる」といったイメージとは随分変わっていました。その分『老人と海』全体を覆う孤独や静けさがしっくりと心に染み渡り、ラストの描写も違和感なく受け入れることができました。 そもそもこの「古典新訳」シリーズは読みやすくて良いですが、この『老人と海』に関しては訳者さんの偉業を感じました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
30年程前に読んだことがあったが、今回はまったく印象が違った。老人は変人ではなく、年季の入った練達の漁師ではないか。訳者のあとがきでその理由が腑に落ちた。人生の後半に向け再読してよかった。「訳者あとがき」は最後に読むのをお勧めする。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
一日で朗読しました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とても良かったです。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!