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(短編集)
プラナリア
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プラナリアの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.86pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全71件 21~40 2/4ページ
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若くして乳がんになり、手術は成功して生き延びることはできたものの、 大きな傷(心にも体にも)が残り、再発防止のため?に、気持ちの悪い 薬を飲み続けないといけない。 こんな人生を強いられたら、主人公の女性でなくてもヒネクレルだろうな。 私は、生まれ変れるとしても、プラナリアなんて下等な生物にはなりたくない。 だけど、主人公にしてみれば、体を切り刻まれてもそれぞれの断片が再生して かえって増殖するというプラナリア(みたい)になったら、がん手術の傷跡 なんかすぐ再生して元通りになるだろうという願望があったんだろうな。 | ||||
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はじめての山本文緒さん。 直木賞をとったことがあってそれがこの作品、という認識くらいしか・・・というかそれすらもありませんでした。長時間のバスの移動の暇つぶしのために古本屋に行った時に目に止まったので買ってみた。の、ですが、おもしろいじゃないか!!!!と、感激しました。表題作『プラナリア』が私は一番好きです。乳がんはこわい病気だと最近テレビでも思ったばかりだったのでタイムリーすぎて、ひやりともしました・・・。結構好きで、たまに読み返してます。この作品がきっかけで山本文緒さんの作品もいくつか読みました!!!! | ||||
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まずは直木賞受賞作という事で、購入。 特に印象に残ったのは「ネイキッド」と「あいあるあした」の2編でした。 「ネイキッド」の泉水は、働いてた時は怠けるのが嫌いで、しっかり働いていた。 しかし、ずっと仕事に突っ走ってきた人が、ひょんな事から無職になり、現実でも、仕事に突っ走っていると、他の事をする時間もなかなかないし、自分がこういう事・物に興味があったのか!?とか、働いている時は気付きもしなかった事が観えてきたりして、泉水の様に編みぐるみにハマッたり、以前には考えた事もない物事にハマッて熱中したり。 私は個人的には、余裕や暇がなかった人が、急に暇ができると、色んな事が観えてきたり、ある意味視野が広がったり、そういう状況になる事、理解できる気がします。 仕事にしろ、他の事にしろ、毎日本気でやってる事があると、やっぱり気づかないうちに視野は狭くなっていると思います。 世間や世論では「無職」というと、まずは怠けている・やる気がないと偏見を持たれます。 しかし、人生長い目で観たら私個人的には、そういう時期・期間?があっても、特別悪くはないとも思っています。 そのまま一生無職で過ごす訳ではないのなら。 ずっと無職では、勿論いられないですし。 無職の間にハマッたり、視野が広がって興味が出た物事で、また違う仕事に就けたり、違う生き方になる場合もあるんじゃないか??と思うからです。 「あいあるあした」のすみ江にも、どことなく惹かれるものがありました。 すみ江の様に、天真爛漫というか、ある意味自由で、自分の思う通りに生きている。 現実には、なかなかすみ江の様にはいかないとも勿論思いますが、解放感があり、すみ江を見ていると(読んでいると)羨ましくもあり、スッキリした気分になりました。 不真面目ばかりは良くありませんが、肩に力を入れすぎて生きていても、自分で自分を窮屈にするなと思います。 何でも程々に、良い意味での「いい加減=良い加減」で生きていけたらいいな!と感じたのが、私の読後感でした。 【山本さんの描く主人公は、ちょっと簡単に異性と「寝すぎ」じゃないかな?とは、正直思いますが。。。ただ「無職」に関しての率直な感想は、先にレビューした通りです。】 | ||||
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短編小説で文体もやさしく、とても読みやすかったです。 山本文緒さんは女性作家であるにも関わらず男性の自分がとても共感できる部分がたくさんあります。 特に葛藤やジレンマなどの描写がとても上手で、そこに一番共感できました。 答えが見つかったわけではないのですが、自分の不安に感じていた気持ちが和らぎます。 何か上手くいかないと感じている人にオススメの小説です。 | ||||
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女は何もかも謎だ――とニーチェは言ったが、そのとおりであって世の男性にとって女性はまったく理解できないもの。 本著に登場する女性群も打算的かつ情緒的でとらえどころがない。 しかし女性の感情をここまで直截に描いた点は本著のすごいところだ。 いわゆる女心というものが、この一冊に収まっていると感じる。 ぼくは彼女に振られたときこれを読んだが、妙に納得してしまった。 男性諸君もつまづいたときは、これを読むといいかもしれない。 | ||||
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山本文緒は、はじめて読んだが、すごくよかった。特に「ネイキッド」、「あいあるあした」の二編にはやられました。 本編に登場する主人公は、最後の「あいあるあした」を除いては女性で、いずれも複雑な過去を背負っているが、屈折した感情表現が見事です。感情移入できるかどうかで、好き嫌いが分かれると思うが、個人的には文句なく楽しめました。 | ||||
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この本の題名である「プラナリア」という作品は、受験生だった時に、センター試験の現代文対策の授業で読んだことがあり、興味を持ち購入しました。 その時読んだ文はかなり省略されており、気にならなかったのですが、今回全文を読んでみると、いたるところで主人公のひねくれた性格が表れており、気分が悪くなるほどでした。 よって、読み終わった時の印象も全く違っており、当時読んだときは主人公の苦しみや悩みが感じられたのですが、今回は主人公の状態や起こることよりも、主人公の内面が気になり、この人はどうしようもないタイプの人間なんだという印象を受けました。作者の方が、主人公に対して同情の目を向けさせないようにそうしているのかもしれません。 この短編集の作品はどれも陰湿な性格の人が出てき、そういう雰囲気が嫌いな人には向かない作品かもしれません。 ただ途中からは、、「またか(笑)ひねくれすぎでしょ(笑)」と、笑ってしまうこともありました。 私が一番好きだった作品は「ネイキッド」で、この作品が一番自分の状態に当てはめることができました。 本文から一部抜粋しますと、「子供の頃から三十代に至るまでの長い時間、私はそうして充実してきた。その充実が間違いだったとは今でも思わないが、自分の立っていた固いはずの地面が、こんなにも簡単に割れてしまう薄い氷だとは知らなかった。氷が割れて沈んだ水の底で凍え死ぬのかと思っていたら、以外にもそこは暇という名のぬるま湯で満ちていた。そこに横たわっているのは想像以上に楽で、しかも私にはそこから浮上しようという動機や目的が見つけられなかった。」という部分がとても見事な表現で自分の心情を表してくれていて、そのことは私が小説を読む目的の一つなので、一番好きな部分です。 | ||||
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直木賞を受賞した「プラナリア」を含む短編、五作品が収められている プラナリアは乳癌で片側の胸を切除した女性が、いつまでもそこから立ち直れないでいる姿を描き、どこか遠くに出口を見つけようとしたところで終わる・・ 確かに病気を言い訳にせず、むしろそれをバネにして飛躍的に自分を高めた人もいるだろうが・・・ 再発の恐れの中に大部分の人はそういったわけにはいかないだろうし、本書はそういった人間の弱さを克服できない、ごくごく普通の人間を物語として、いい感じで仕上げていると思う・・・ 他の短編も力作揃いで、どれも直木賞を受賞してもおかしくないような作品だった | ||||
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本書は、2001年に第124回直木賞を受賞した、表題作の「プラナリア」を含む 全部で5編の短編を収録したものである。それぞれの初出は1999年〜2000年の 間に『小説現代』や『小説新潮』や『オール讀物』で発表されたもので、本書 は、2000年に刊行された単行本を2005年に文庫化したものである。 本書に収録されているのは、「プラナリア」「ネイキッド」「どこかではない ここ」「囚われ人のジレンマ」「あいあるあした」の5編であり、いずれも、 どこか屈折した主人公をえがき、その主人公から語られる屈折した世界観が 特徴的な作品である。 表題作の「プラナリア」は、若くして乳がんになり、片方の胸を切除した女性 の一人称で語られている。体をいくつも分裂し再生できるプラナリアに生まれ 変わりたいという思いを抱えた彼女には、恋人がいるのだが、彼女自身は人生 に投げやりになっている。周囲の人の立ち直ってほしいという温かい支えがあ るのだが、その思いとは裏腹にどんどん頑なに心を閉ざしていく。そんな彼女 が唯一心を開ける、入院中に知り合った女性から仕事の話をもらい、心の中に ある「正しさ」が芽生え始めるが、いとも簡単に崩れてしまうもろさを、この 女性の屈折さを通して見事に表現している。 その他に、夫の会社で辣腕をふるっていた女性が、夫から離婚を突きつけられ、 仕事も家庭も同時に失ってしまった後の虚脱状態から話が始まる「ネイキッド」、 夫が子会社への出向を受け、ローンや2人の子どもへの費用を捻出するために 深夜のディスカウントショップでパートに出て、母親や義父の面倒まで見るが、 「ここではないどこか」の生活を夢見たりしない中年女性を主人公にえがく 「どこかではいここ」、心理学を専攻する大学院生から求婚された女性を主人 公にえがく「囚われの人のジレンマ」(この意味は小説の中で書かれている)、 サラリーマンとして働いていた頃に妻の浮気から離婚を求められ、一人娘とと もに引き離され、それ以来一人で生きていくことを決め、地方で居酒屋を開い た店主を主人公にえがいた「あいあるあした」が収録されている。 こういった主人公たちの心の変化、気づきと呼応して、ストーリーが進展、 変化していく。その変化のタイミングや、その後の異なる世界観の描き方は、 見事である。ただ、このような屈折した主人公たちなので、読了感は爽やかで はないかもしれない。 | ||||
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山本文緒さんの『プラナリア』は、明るくも、楽しくも、元気よくもない女性 春香が主役である。一言で表すと、うっとおしい。それもイライラするぐらい。明日へ向かっての一歩手前で、うじうじと硬直している状態。 このうっとおしさが、私にもあるから、いっそう顔を背けたくなってしまうのだ。近親憎悪にさも似たり。好き嫌いは別として、読者をうっとおしくさせるのは、山本文緒さんの筆力の高さによるのだろう。 春香は、乳がんで乳房を切除してから、どうにもひねくれている。飲み会の席でプラナリアの話題をふって、 「ほら私、乳がんでしょ。だからそういうもんに生まれたら取った乳も勝手に盛り上がってきて、再建手術の手間とお金が省けたなーと思ってさ」 などと放言し、周りを気まずくしたりする。自ら社会不適応者を任じて、乳がんを唯一の持ちネタと公言してはばからない。私は、この世の中を斜めに見た春香の態度が、どうにも癪に障る。 彼氏の豹介や、仕事の世話をしてくれた永瀬さんら、春香を取り巻く人々は、良い人たちである。なのに、春香は、彼らを失望させることばかりする。私は、どうしても春香より、春香を持て余す人々に共感してしまう。 だが、私が春香と同じ立場ならどうだろう。同情的な雰囲気を嫌って、先に自嘲気味な笑いを取ろうとするだろうか。それとも春香のように、周りを不快にする態度を取り続けるだろうか。変なプライドが邪魔しない分、乳がんをアイデンティティを言い切ってしまう春香は、潔いのかもしれないとも思う。 同時収録の『ネイキッド』は離婚して無職になった女性を、『どこかではないここ』は夫がリストラされたため働き始めた主婦を、『囚われ人のジレンマ』は恋人がいながら不倫をする女性を描いている。どの作品も明るい未来が見えてこない。『プラナリア』と同様、主人公たちは、一歩が踏み出せず うじうじしているのだ。いまだ出口なし というところでとどまっている。彼女らの鬱屈した思いがひしひしと伝わって、読んでいるうちに一緒にヘコんでしまう。 男性読者から見たときは、彼女らの行動は不可解に映るかもしれない。『あいあるあした』は、居酒屋の店主の元へ転がり込んできた女性を、男性目線で描いているのだが、女性の行動に対する男性の戸惑いが良くあらわれている。こういう女性心理の深堀りができるのは、女性作家ならではなんだろうな。 | ||||
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短編5編がすべて「無職」をテーマにした作品です。そのなかで「ネイキッド」に注目しました。 2年前夫から一方的に離婚言い渡され、夫の会社で働いてた34歳の無職の女性が主人公で、その 彼女を心配する親友、社会にでてからずっと毎日忙しく、少しでも暇ができたらやりたいと思った ことがたくさんあったのに、あんなに時間がほしかったはずなのに、今はその貴重な時間を無駄に してる自分、最後は親友と過ごした夏休みのことを思い出し涙することで終結する小説です。 現代の無職をめぐる心模様を巧みに描いており、こんな一節がります。「いざ本当に暇になって みると、その全てを失っていた。私に会いたがってくれていた人たちは、私個人にではなく、成功 している雑貨店のオーナーとしての私に会いたかっただけでようで、仕事を辞めたらばったり連絡 がなくなった。」 | ||||
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タイトル作の他、「ネイキッド」、「どこかではないここ」、「囚われ人のジレンマ」、「あいあるあした」の全5編を収めた中編集。私は「恋愛中毒」に続いて本作を手に取った。作者は通常恋愛小説家と見做されている様だが、両作からは主に他者との係わり合いの中で泥沼化した人間心理を執拗に追求している印象を受けた。 本作中の各編も陰惨で救い様がない物語(「あいあるあした」だけ毛色が少し異なっている)だが、作者がヒロイン達に対して、同情でも共感でも批判でもなく、淡々と言っても良い程の客観性を持っている点に怖さと痛みを覚えた。サイコ・ホラーと呼んでも不自然でない内容である。執筆時期の関係で、「恋愛中毒」より若書きの感は否めない(ヒロイン達の年齢も若い)が、それにしては物語の構成が非常に巧みで読み応えがある。私のような男にとっては、女性心理の一端を垣間見られるという恩恵(?)もあり(それが、怖さを増しているのだが...)、一読の価値がある作品だと思う。 | ||||
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プラナリアの主人公ルンちゃんは乳ガンで乳房を切除した女性だ。 重い病気から甦った元病人が、他人に病気の話を切り出すには色んな感情を伴うと思う。 やっぱり、同情して欲しいと思う人もいるだろう。逆に、"病気で心を入れ替えるほど単純じゃない"と露悪的に病気を強調する人もいるだろう。いずれドン引きされるのだから、最初に話しておくという考えは合理的かも知れない。 元病人が病気を口に出す理由は様々だが、周囲の人は"同情されたいのだ"としか考えないものだ。 そんな元病人の気持ちを全てすくい上げて、その機微を表現したこの作品は、乳ガンに限らずあらゆる病人の気持ちを代弁している気がする。 ルンちゃんは自我が強い。社会性が無いとも言う。しかし、元病人に求められるのは何よりも社会性である。 ルンちゃんは"乳ガンは自分のアイデンティティーだ"とまで言う。永遠に傷跡の残る病歴を持つ人が、病気のない自分など考えられる分けもない。 それでも、恋人の豹介や、尊敬できる女性の永瀬さんや、その他の周囲の人が元病人に求めるのはその社会性だ。多分、元病人に最も求められる能力は、ほんの少し周りに合わせ病気を黙っている自制心なのだろう。 でも、ルンちゃんは自我を選ぶ。 私が最初に読んだ山本氏の著作は再婚生活だ。山本氏のうつ病の闘病記である。山本氏の代表作であるこのプラナリアが、うつ発症前に執筆された物で良かったと思う。でなければ、"患者体験をもとにした"とか陳腐な評価をされたかも知れない。 重い病気を経験する前に、これほど病人の心を汲み取った小説を書いた山本氏は、月並みな言い方だが、人の気持ちを汲み取る能力が優れてるのだと思う。 プラナリアを読んだ後で、再婚生活を思い出すと、あのふてぶてしい病人像を示した作品は、当然、世間の反発が有ることを理解した上で書いたように思える。山本氏の心意気を感じて涙が出た。 | ||||
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本小説は、どこにでもいそうな女性の、捻くれた一面がよく分かる短編集である。 「プラナリア」は、乳癌になったことで自暴自棄になり、周りに迷惑を掛けていることを自覚しているが、それが制御できないでいる、所謂、かまってちゃんの話。人間は病気を持つと傲慢になるというのが何となく伝わった。 「どこかではないここ」は、リストラで収入の減った夫、大学生の息子、高校生の娘という家庭環境に囲まれた生活を営むパート主婦の、どこかこのカテゴリーの人間独特の醜さが伝わる話。ラストに現代的な悲劇があり、ちょっと可哀想にも見えるが、こういう展開も分からないではないと思えてしまう。 「囚われ人のジレンマ」は、心理学を専攻する大学院生の彼氏と愛のない付き合いを続けるOLが、自分勝手な振る舞い続ける話。この別れる理由も無く付き合い続ける関係を囚人のジレンマ状態に例えているのが面白い。 これらの短編にでてくる女性は、決して特別ではないと思う。女性なら、こういった捻くれた一面は必ず持っているはずだ。 | ||||
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直木賞を受賞した山本文緒の短編集である。 5作中4作が女性の主人公であるが、背伸びをせず等身大のキャラクターが描かれており好感が持てる。いずれもストーリーそのものというよりも登場人物の境遇や心理の変化が作品の軸となっており、読者は感情移入しながら物語を読み進めることができる。 例えば4作目の「囚われ人のジレンマ」は、長年恋人関係を続けている彼氏のプロポーズに戸惑う女主人公が描かれているが、彼女がどうするのかどうしたいのかは最後まで分からない。何とも煮え切らないストーリーが多いものの、読んでいて不快感はなく、女性読者の支持を得るのもそのためであろう。 個人的に最も気に入ったのは5作目の「あいあるあした」であった。この作品だけ男性が主人公であり、他の作品に比べストーリー構成も緻密であるように思われる。 主人公の「俺」は離婚後会社を辞め、小さな居酒屋を営んでいる。そこへ来た女性客の一人すみ江と同棲しているが、関係は微妙であり他の客にも内緒にしている。 ある日俺は「人が来るから」と言って一時的にすみ江を追い出し、いつになくおめかしして「俺の女」を駅まで迎えに行く。三ヶ月に一度しか会えないその「女」とは……。 不覚ながら涙が出そうになった。その後すみ江がいなくなり物語は一瞬緊張状態を迎えるが、最後はまずまずのハッピーエンドに落ち着く。自分ならすみ江がいなくなったところで物語を終わらせるだろうなと思いながらも、主人公への感情移入からハッピーエンドに安堵しているもう一人の自分もいる。読んでいて楽しい、良質な短編集である。 | ||||
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冷徹な心理描写で綴られる、女性の孤独や空しさや生きることへに対する辛さ、諦め、そういった日常の、生きている限り終わらない「生活」を見事に表現している。 あまりにリアルで、もし同じような境遇の人が読むと、どよん、としてしまいそう。 救いや明るい未来の兆しはない。 でも、どこか笑ってしまう。悲劇と喜劇は紙一重だな〜と。 でも、それが、普通の人生、だよね。 | ||||
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内面に欠損した部分があるために不可避的に周囲との齟齬を生じてしまう、数人の女性を主人公に据えた、いくつかの物語です。細部に読ませる工夫がいくつも仕込まれていて、読みながらかゆいところに手が届くような巧さが随所で光ってはいるのですが、読んだ後いつまでも記憶に残る作品であるかと問われれば、答えは否と答えざるを得ないように思います。 | ||||
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3年に及ぶ鬱病記録を大胆に日記風にまとめた『再婚生活』が刊行されたという記事を通じて初めて彼女の名前を知り、山本文緒の小説に興味をもった。新聞記事のインタビューで彼女は、「今の私に小説はプレッシャーです」と語っていた。本書は124回直木賞受賞作「プラナリア」を含む計5作品が所収されている。読み終えて、女性の心理や悩み・葛藤は尽きないものであり、それらは多くの女性が直面する問題であるとはいえ、男性にはなかなかその真意が分からないような気がした。「女性である(いる)こと」それ自体がすでにある種の悩みの源泉である以上、男性に理解し難いことが多いのは当然といえば当然だ。女性によく使われる「第六感」は男性には備わっているのだろうかと一人感慨に浸った。 乳がんを患った女性、キャリアウーマンから一転して無職になり離婚も経験した女性、年頃の息子と娘をもちパートや介護にも余念がない主婦、社会人の女性と大学院生の男との結婚観の相違、離縁しても娘を「俺の女」と思い続ける居酒屋の男と風変わりな女との変哲のない生活ぶり、といった主題がとてもリアルに描かれている。いや、私にはリアルすぎた(第4作品の女性の貞操観念は私には理解しがたい)。作者は大学卒業後に一時期OLをやっていたそうだが、そうした自らの体験も作品に活かされているのかもしれない。 個人的には最後のエッセイ「あいあるあした」が特に印象深かった。それ以外の作品は基本的に女性目線でストーリーが展開してゆくのに対して、本作品は36歳の男性のそれであるためか、妙に親近感が湧いたのであろう。それにしても本書所収の各エッセイはなかなか「幸せな結末」で終わらない。微妙に後味が悪いといえば悪いが、それも女性の心理は複雑でとても一筋縄ではいかないという作者のメッセージなのか。陸上選手の為末大が推奨していた『恋愛中毒』を読むのがなんだが恐ろしい(笑)。 | ||||
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『プラナリア』です。直木賞受賞作。 「プラナリア」「ネイキッド」「囚われ人のジレンマ」「どこかではないここ」「あいあるあした」を収録した短編集です。 いずれの作品も、主人公は普通の一般人。どちらかといえば弱者の立場です。 考え方は自己中心的だけど、与えられた状況の中で一生懸命生きている。でもなんとなく運に恵まれなかったり注意が足りなかったりして、上手く行かないケースが多い。心の弱さなんてものは誰しも多かれ少なかれ抱えているものですし、それが読みやすい文章で的確に表現されていて、非常に共感できる内容でした。 更にこの作品集の作品はどれも、いまいちハッピーとはいえないエンディングを迎えます。素敵な王子様が出現して救ってくれることはありません。その辺のリアリティーも良かったと思います。 中でも特に印象的なのは表題作の「プラナリア」でしょう。他の作品よりも主人公の弱者ぶりが強力です。 主人公は乳がんになっちゃった弱者です。運も悪いけど、本人にもそれなりに非があってでも本人的には必死なのだけど、いまいち閉塞感を打破できないでいる。そんな心模様が巧みに描かれています。 ストーリーそのものも、小さな伏線がいくつも張られ、しっかり回収されていて、題材のプラナリアも上手く使われていて面白かったです。 | ||||
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直木賞を受賞したことでも話題になった本ですが、読み返してみてあらためて感じるところの多い作品でした。 基本的に人物の描き方、物語の構成ともに非常にうまいです。 特にニート女性の中に共存する気楽さと苦しさ、明るさと暗さ、その両方の感情をサラッと行き来してしまうところなどは本当に見事です。 底知れぬ明るさの中に突如現れる虚無感や絶望感。 ついさっきまで穏やかな風景が広がっていたはずなのに、一歩進むと突然目の前に奈落の底が現れるような、そんな恐ろしさを持った作品でもあります。 でもその一方で、そうした不安を一気に吹き飛ばしてしまう気楽さもまた、どこからともなく根拠も無く現れるのです。 これはまさに現代のニートの本質を突いている、のかもしれません。 作品自体はとてもおもしろいのですが、読後感が悪いと言えば悪いかもしれません。 もちろんそうした読後感こそがこの作品の魅力なわけですけど。 | ||||
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