■スポンサードリンク
メリーゴーランド
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
メリーゴーランドの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.23pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
自分自身の読解力の無さを棚上げにしての感想なので星ひとつ上乗せで。 残念ながら、この作者が何を伝えたいのか分からないまま読み終わった。 印象に残るのはユーモア描写の多用。 それが強すぎて内容が頭に残らない。 登場人物が多いのによく似たキャラが多い。 げきだんの座長とねねこと咲太郎はまとめて同一人物にしていい。 かえでもいらない。 林田も理事長もいらないし、挙げ句の果てには室田もいらないと思った。 アテネ村無くす話書く前に、もう少しなくすものがあるだろう。 ダラダラと長く、高評価されているのに疑問を感じる。 本当に読むのが苦行だった | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
過労死続出の職場を辞め、Uターンしたのが9年前。啓一は田園都市の市役所勤務。愛する妻に子供たち、あぁ毎日は平穏無事。…って、再建ですか、この俺が?あの超赤字テーマパークをどうやって?!でも、もう一人の自分が囁いたのだ。“やろうぜ。いっちまえ”。平凡なパパの孤軍奮闘は、ついに大成功を迎えるが―。笑って怒って、時々しんみり。ニッポン中の勤め人の皆さん、必読。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
なんというべきでしょうね。最近、朝の民放のニュース番組を妻と子供が見るので、私もついつい見るのですが、この間キャスターの男性アナウンサーが52歳になったんですって。これが52歳とは思えない軽さ。騒ぎ方、はしゃぎ方、コメントなどが20代のノリなんですね。相方の男性アナも同期とか。こちらも信じられない軽さ。もちろん演出的な要素もあるでしょうが。 前置きが長くなりましたが、荻原という人の小説を読むと、いつも同じような感想を持ちます。それが身上なのでしょうが、ノリが軽いというか、劇画のような文体。いい年をして地の文に若い人が使うような口語体が混じる。会話文の軽さ(若い人でもこういう話し方はしないのではと思う場面も多々あります)。 なんというかテレビ的、ドラマ的、マンガ的なんですよね、すべてが。 ストーリー自体はオリジナルでも、細かい設定とか展開の仕方とか、セリフ回しとか、何となくマンガか映画かドラマかどこかで 見たような既視感がつきまとうのはなぜでしょう。「あざとい」という感じがどうしてもしてしまうのです。 一方でこういう小説が流行るのは分かるような気がします。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
地方都市に取り残されたテーマ―パークの再建。いや再生いやいや推進と自治体の体面丸出しのプロジェクトを任された市職員。これといったアイデアが無くゴールデンウィークスペシャルが近づく。しかしかれの前に立ちはだかるのは天下りの仕事もろくにできないテーマパークのトップたち。あれこれ画策し何とか成功裏に終わらせたが、新市長の公約通り赤字経営のため閉館してしまう。主人公遠野敬一の振る舞いがどうも釈然としない。間違ったことでも上司へは一切反抗しないどころか、長いものには巻かれろ式の人生が読者に共感を与えない。一般文学通算522作品目の感想。2013/01/13 17:10 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公は、市役所の一職員 ある地方イベントの推進役を引き受けることになる 障害となるのは、役所体質、昔の仲間、 そして変わることのできない自分自身だ その昔の仲間が、時々鋭いことを言う まるで著者の思いを代弁しているかのようだ 「他人にズズンとモノを伝えたかったら、 自分の血の最後の一滴まで絞り出す。 そうしなくちゃ、人の血を騒がすことなんてできねぇ」(P171) 「目的はなんだ。お前が自腹を切って人に見せるのか? そうじゃないんだったら、まず個人的な趣味は捨てろ」(P182) 「どっちもって発想がだめなの。男も女も、老いも若きも、 そういうのはだめさ。誰もが好きっていう毒にも薬にも なんないモノには、たいしたモノがないの。狙いは絞んなくちゃ。 投網じゃないんだから」(P311) ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 平凡づくしの状況設定で、ぐいぐい読ませる小説に仕上げるには 掘り下げた人物描写や、緻密な物語設定が必要だ しかし残念ながら、この小説には どちらも足りていない.. ステレオタイプの登場人物も、周到に張ったつもりの伏線も空回りしている 著者の思いを体現できていない かわいそうでならない | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
小説の中に、演劇の話として〔豆男〕の話が出てくる。 稲が十分に育たない痩せた土地に豆を育てる男の話。 最後には助けた村人からも糾弾されて殺されてしまう男の話。 慣習から抜けられない村人へ向けた男のセリフがいい。 「千年先までそうしてろ」 権力にへつらうな。求めるな。 わが道を行けばいい。 それで死ぬことになるとしても 自分を裏切りながら生きるより、ずっとましだ。 などと思ってはみたが、長いものにはまかれろ。 寄らば大樹の陰。そんな意識が浸透している 私の頭は、ちょっとやそっとじゃ変わらない。 この言葉を捨てゼリフに使うようじゃ、意味がない。 そうしてろと突き放しながらも、考えるのだ 明日のために。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本書は、著者のデビュー作『オロロ畑でつかまえて』とそれに続く『なかよし小鳩組』に連なる系譜の“父ちゃん奮闘”のユーモアとペーソスに満ちた小説である。 遠野啓一は民間企業を辞めて故郷にUターンし、中途採用された市役所公務員。年度替りの4月、彼は市が出資している第3セクターに出向を命じられた。そこは7年前の開園以来、閑古鳥が鳴く、超赤字のテーマパーク「アテネ村」を運営する会社だった。そしてその「リニューアル推進室」でゴールデンウィークの新規の集客増員企画を任されることになってしまう。 啓一は過去の人脈や民間企業時代のノウハウを駆使して、残業・休日出勤もいとわず仕事に精を出すのだが、そこは田舎のこととて、役所からの天下りの年寄り理事たちや起案書・報告・連絡・相談といった旧態依然としたお役所システムが彼の前に立ちはだかる。愛する妻や子供たちのため、“お父”の奮闘は続く。いつも頭に去来するのは、小学1年の息子、哲平が学校の作文、「お父さんの仕事について」で自分をどう書くだろうかということだ。 イベントは大成功、「アテネ村」は予想以上の集客を果たした。しかし、それはそれで理事たちの反感を買うのだ。唯一ほめてくれたのは市長だけで、啓一は「新生アテネ村準備室」の室長に抜擢されるのだが、そこにも市長の政治的な思惑があった・・・。 本書は全編に渡って荻原テイストあふれる、可笑しくて、やがて哀しき奮闘物語であるが、一方で地方の行政、公務員の世界・生態を痛烈に風刺した小説でもある。似たようなお話として織田裕二主演で映画化された『県庁の星』も頭に浮かんでくる、なんとなくほろ苦い“宮仕え小説”である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
赤字のテーマパークを立てなおすために出向したものの、そこにはやる気のある人間は一人もいなかった。勤務時間を気にし、穏便に穏便にという雰囲気がありありと読める。実際の公務員もこんなものなのだろうと思わせるには十分である。 主人公も取りたててやる気のある人間には読めないが、それでも赤字テーマパークをなんとか立てなおそうと奔走。家族や劇団なども巻き込むことになるのだが・・・。 何が主人公を動かしたのか、公務員とはどんなものなのか、働く理由はなんなのか。その答えが本書にはある気がする。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!