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ハーモニー
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ハーモニーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.15pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全198件 141~160 8/10ページ
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文庫ももってましたが、どこでも持ち歩きたいくらい好きな小説なので、kindle版も購入しました。 他のレビューにこの本の内容のすばらしさは、たくさん書かれているので、内容については何もいうことはありません。 この小説の内容以外で特筆すべき点は、eHTMLというプログラミング言語のようなものを小説にちりばめたこと。 読み始めたころは、なんだろうこのプログラミング言語のようなものは?と思って読み進めてましたが、最後でその意味を知り、「やられた・・」。と思わず声に出してしまいました。 生きているということはなんなのかを、死の淵に立ちながら書いた著者の渾身の作品。 私の読書人生の中でも衝撃を与えてくれたすばらしい良書です。 | ||||
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久しぶりにワクワクするSFを読みました。 人間のあくなき探究の末に行き着くところが、病気のない世界=個人の意識がない世界。 科学的であり、予言的でもある本書をきっかけに、超高齢化社会を考えられればよいなと思いました。 | ||||
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ミステリーやら哲学やらが絶妙に混ざっており、最後まで一気に読んでしまいました。 小難しい単語を大量にチョイスするところや、やや感情的な文体やらに幼い印象を受けましたが、それを差し引いても面白かったです。 今のわたし達が抱える様々な課題について見直すきっかけになります。 | ||||
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折しも、iPS細胞の山中教授がノーベル賞を受賞。 難病患者には大きな朗報だが、反面、人間自身を改造する可能性を秘めたテクノロジーでもある。 「ハーモニー」で描かれる世界は21世紀後半の設定だが、内容はきわめて現代的である。 「大災禍」後、すべての人間の健康状態が24時間モニタリングされる未来世界と、フクシマ 原発事故以降、生涯にわたって放射線被曝モニタリングを迫られる福島の子どもたちの間の 差は、ほとんどないように思える。 物語の後半は一転して、人間にとって「(自我)意識」や「感情」が本当に必要なのかと いったきわめて哲学的かつ根源的なテーマ展開になる。 もちろん抽象論ではなく、アクションシーンなども含めて急展開するので退屈することはない。 ある意味、「攻殻機動隊Ghost in the Shell」で、擬体たちの存在意義の最後の砦であった 「ゴースト」を全否定しようとするのであるから、ただならぬ内容だ。 中学生時代から数知れぬSF小説を呼んできたが、本書は2000年代の日本が生み出した世界に誇れる 衝撃的な作品である。 | ||||
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みなニコニコと腹を隠して、ありがとうやら素敵やらを頻発する狂った現代に最早まともな人間はいないと砂を噛むよな毎日に、リストカットを代替えにしてくれたような作品。虐殺器官もお勧めします。 | ||||
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人から勧められて読んだ本です。 普段SF物や戦争物などは読まないため、読み始めるまでに時間が かかってしまいましたが、一旦ページをめくり始めたら面白いことこの上なし!! この前に読んだ同じ作者の『虐殺器官』と併せて読むと 更に面白さが増します。(勿論単体でも十分楽しめます。) 話の内容は他の方が書かれていますので、詳しくは書きませんが、 普段自分の「意志」「意識」「感情」があることで どうしようもなく迷い悩む、そんな日々があることは悪くない、 そう思える内容でした。 「こうする方が結局はいいに違いないけれど、どうも自分の中ですっきりしない。」 「こうしたいけど、世間的にはどうなのか?」そういう様々な感情で葛藤しながら 毎日が過ぎることもありますね。 それが何の迷いもなく、「正しいからこうする。」「みんなのためだからこうする。」 なんてすっと処理できればどれだけいいか、と思うこともあります。 しかし、全ての人がそう行動する世界、自分の「意志」や「感情」に囚われない世界 だったらどうなるんだろう。 そういうことを考えさせてくれる内容でした。 『虐殺器官』も「自分の意志」について触れられた作品だったと思います。 作者の伊藤氏ご自身が病魔に襲われた中でこういったことに思考を巡らし考えられた作品だとしたら、 余りにも悲しいのですが、彼の作品はこれからもずっとずっと人々に一過性の楽しみだけでなく 深い印象を残していくと思います。 彼の作品をもっと読みたかったですね。 | ||||
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前半、特に年配の方には、違和感があるかもしれません。が、最後まで読んでいただくと、決して裏切られません。著者がぎりぎりのところで到達した思考のようなものに触れることができるような気がします。 SFなのですが、人間とは何か、宇宙とは、世界とは、生きていることとは、考えていることとは、自分とは、現在の社会のありようとは、、、と、考えさせられます。著者が、様々なことについて考えた中で、行き着いたアイデアの一つだと感じました。 人類の幸福追求の行き着く先、、、、素晴らしいハーモニーの奏でられた先にあるもの、、、、とは。 | ||||
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<?Emotion-in-Text Markup Language:version=1.3:encodeing=EMO-590378?> <!DOCTYPE etml PUBLIC :-//WENC//DTD ETML 1.3 transitional//EN> <etml:lang=body> <review> <quote> かつて人類には、わたしがわたしであるという思い込みが必要だった。 </quote> 大災禍という悲劇が世界を襲い、人類はその混乱から新しいユートピアを目指した社会を作り上げる。しかし。。。 長編SF小説。HTMLやXMLならぬ、ETMLというタグに沿って書かれてある。著者は若くして世を去った伊藤計劃。その後、この作品は内外で数々の賞を受賞することになる。主要な登場人物は以下の3人。 <list:item> ・トァン ・ミァハ ・キアン </list> 悲劇的な物語である。 細かい舞台設定にはあまりなじめず、 特に前半は、正直、こんなもんかなと思って読んでいたが、 後半にいくほど引き込まれ、 やりきれない気持ちにさせられた。 扱っているテーマとストーリーには、 深く考えさせられるものがある。 面白い、というのもどこか違う気がする、個性的な作品である。 とても印象に残った。 </review> </etml> | ||||
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「大災禍」と呼ばれる世界的な混乱を経て、築かれたのは高度な福祉厚生社会。 医療分子がフィジカル・メンタル両面での健康状態を常にモニター(監視)し、 健康と優しさ、倫理に包まれた“ユートピア” (※トマス・モアの著作に近い意味合いにおいて)。 そんな社会にて3人の少女が餓死という選択をすることから始まる物語。 早逝の鬼才伊藤計劃による最後の作品です。 動物の進化の延長としての「人間」と、社会的存在としての「人」 との矛盾点がこの作品のメインテーマ。 ただし、SF作品ならではの観点として、よくある個人の自由と公共性の対立に収まらず、 高度に発達したシステムに対する人の意思・意識といったものの必要性まで踏み込んでいます。 現在でも、投資ロボットが一定の運用成果を出していたり、経営に関する基礎データを元に 簡単な現状分析・戦略提案・実施シュミレーションはシステムが自動で行っています。 一方で、氷点下での体内機能維持のために糖尿病という形質を獲得したように、 人間は種の存続を目的として動物的要素を多分に有し、平和で理想的な「社会」に とって非合理的かつ不確定な存在です。 (※作者は前作「虐殺器官」においてこの動物的要素と紛争、テロ、虐殺 との関係性に言及しています。) 最近の実際の事件を見ても、人間が社会的観点から誤った判断、意思決定、行動を 繰り返すのは自明であり、そうした前提事項へのアンチテーゼとして切りこんだ作品 として本作は大変面白いと思いました。 | ||||
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本書のディスユートピアは、無菌室化された世界の残酷さと「素晴らしさ」が描かれている。 筆者は病床で本書をどのような気持ちで書いていたのだろうか?病気の根絶した世界。死の床にいる筆者にとってそれはあこがれでもあったのではないのだろうか?たとえそれが、いかに管理された未来であったとしても。 ここに書かれた社会を否定的に見るのは簡単だが、評者(評者も割と病弱である)も憧れを禁じえない。 死を背負っての筆者が書きえた本書のクオリティーの高さ。素晴らしい。 | ||||
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「誰も病気で死ぬことがない世界」 ある年齢になるとWatchMeというソフトウエアを体にインストールし、体内の恒常性を常時監視する。 それはメディケアシステムと繋がっており、異常に対して万全の予防を自動的に行う。 アルコールもジャンクフードもタバコもない世界。 太りすぎもやせ過ぎもない世界。 この社会が唯一是とするのは生命至上主義。 すなわち社会の成員全員が自分の/他人の健康を最大限に尊重すること。 テクノロジーによる高度医療社会は一見ユートピアにも思える。 一切の痛みのないからだが、すっかり「わたし」と切り離された世界で繰り返し問われる“人間は、なぜ人間なのか” 人間が動物である部分と社会的な存在であることの折り合いって難しい…。 上質なSFは哲学的なトーンになるものです。 もうしばらくはこの小説のいわんとしていることをじっくり考えたいと思います。 | ||||
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シンプルな白一色の装丁が、逆に期待を膨らませる「ハーモニー」文庫版。 近未来、体内に埋め込まれたナノマシンにより、大人たちは未然に病気を防げる世界。 理想的ともいえる超福祉・健康管理社会において、子供たちがとった反抗。 html記述のような文体で綴られる物語には、ライトノベル的な読みやすさと、本格的なSF的展開が同居しています。 この文体自体にも伏線が張られているところも見事です(これ以上は未読の方に悪いので伏せますが)。 ライトノベル的、という意味では、ヒロイン達のDQNネームの斜め上を行く名前もそうですが、実在するライトノベルをネタにしたようなセリフもあり、その部分もオマケ的に楽しめます。 所々にドキッとさせられるセリフ、そして現在進行形のIT技術の進化の果てを予測したような未来の社会。 読了後に「ハーモニー」というタイトルが、何を指しているかが分かったとき、ちょっと背筋が寒くなりました。 気軽に読みはじめ、深く考えることもできる1冊です。 | ||||
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わたしという一人称で語られる、人類という種が到達し得る一つの絶望的なユートピアの姿を描いた類稀なるSF小説です。ゼロ年代ベストとの評価は妥当だと思います。 詳細はネタバレになるので避けますが、時代とテクノロジーの流れとしては『虐殺器官』から繋がっていてより未来の話になっているものの、人間の社会とテクノロジーある種のロジカルな発展をしていった末の姿としての違和感はなく、それゆえに恐ろしくもあります。一人称が女性になったせいか、物語の雰囲気としては前作よりも物静かに感じますが、取り扱っているてテーマはより人間という動物の進化に対する深い仮説から成り立っています。 色んな作品へのオマージュに作者の遊びゴコロを感じつつも、作者が実生活で死を見据えた病と格闘する中で記したこの小説が、構成員がみな健康的に生きられる社会と自分の意識の死というものを救い得る物語をそれらに対して否定的な『わたし』の視点から書いているところに、作者自身の死に対する距離感をもった諦観や解放などの感情と、意識を失うことへの憧れと恐怖、を感じてしまいます。 さらに言うなれば、『わたし』の消失を『わたし』が記録することは、体験できる死が常に誰かの死でしかないように原理的には不可能なので、この『わたし』による記録という形式でこの小説を書いたことは、自分の死を描こうとしているような無謀なトライアルに筆者がのぞんでいるように思えてなりません。ひょっとしたら、その無謀な試みにこそ読者は感動させられるのかもしれません。 この絶望的なユートピアと消失する『わたし』を描くことで、少しでも彼の魂が救われたことを切に願ってやみません。 | ||||
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芥川龍之介は「人間性そのものを変えないとすれば、完全なるユウトピアの生まれる筈はない。人間性そのものを変えるとすれば、完全なるユウトピアと思ったものもたちまちまた不完全に感ぜられてしまう」と書いた.ならばさらに徹底的に人間性を変えて,「不完全に感じ」る能力すらなくしてしまえばどうか? 人為的に人の感情をなくすことが出来たらという想定に基づいて書かれたのが本作.人為的に人の感情を増幅させることが出来たらという想定に基づいて書かれた『虐殺器官』とちょうど表裏をなす. | ||||
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完全に余談になりますが、 SFとして、また作家の評判から手に取った人には「ラノベ臭せー、セカイ系っつのコレ? エヴァ好き?」と言われ、 かといってそれを真に受けてラノベを求めている人に読ませりゃ「文多いし挿絵ないし無理」と言われよう、 そんな本って多いですよね。 | ||||
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40過ぎたSF好きのおっさんでも十分面白く読めましたよ。まあ年と共に細かな瑕疵や甘さなんかは生温かく見過ごせるようになってきたこともあるが。今高校生位の奴らがその年齢でこの本が読めるのは幸せだろうなと思う。時にこれラノベなの?あんましライトじゃない気もするけど、ラノベ読んだこと無いから分かんねえんだよな。中3の娘に読ましてもいいかな?ちょっと早いか? | ||||
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伊藤計劃が優れた作家であるのは認める。だが、エンターテインメントとしてうますぎる事が小説としての出来にマイナスに働くように感じられるので個人的にはあまり好きな作家ではない。しかし、それでも本書はかなりいい線をいっていると思う。 『虐殺器官』は読みやすくて面白い小説ではあったが、内容は納得いかなかった。表現は正しいが内容は間違っていると感じた。本作『ハーモニー』は読みにくいしプロットもそれほど効果的とも思えない。だが、洞察は実にするどい。表現は間違っているが内容は正しいのだ。ミシェル・フーコーの思想をこれだけ的確に物語に組み入れた小説は他にない。私は『虐殺器官』より『ハーモニー』の方を高く評価する。 ただ、本書が小説として面白いかとなると今一歩の感がある。深い小説ではあるが、傑作ではない。各所で高評価されているが、過大評価ではないだろうか。ちなみに、伊藤氏の作品で一番出来がいいのは、中編の『The Indifference Engine』だと思う。 | ||||
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久しぶりにSFにはまりました。究極の医療社会を設定していますが、それはすなわち、人間の意識さえも不必要な社会である。科学を発達させどんどん便利になって行くが、その先に一体なにが待ち受けているのか。筆者が病床で命と真摯に向き合い到達した一つの世界。 この作品のおかげでまたSFにはまりだしました。 | ||||
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この本はナンセンスである。 ここでナンセンスというのは「つまらない」ということではない。 記述不可能なことを記述しようとしていて、言葉が「意味をなさない」のである。 物語は、世界中から「わたし」が消滅することで終わる。 自我とか、自己意識とか、「わたしはわたしだ」という、そういう「わたし」なるものが、世界中から消える。 そしてそれは世界の調和、つまり「ハーモニー」を意味する。 主人公は世界で最後の「わたし」であり、この小説は、その最後の「わたし」によって語られた「記録」ということになる。 もちろん、「わたし」が消えたからといって人類が滅亡するわけではない。 これまで通り人々は生まれ、育ち、老い、死ぬ。人間の思考力も、これまでと変わらない。 何一つ変わることなく、世界は存続する。ただ、そこに「わたし」だけが存在しないのである。 このように奇妙な世界の到来を、本作は描ききっている。 良質なSFはすべからく哲学的トーンを帯びるものだが、この『ハーモニー』もまた例外ではない。 しかし、である。このような「出来事」は、本当に語られ得るのだろうか? 「わたしから「わたし」が消えた」、このような命題を語っているのは、一体誰なのか? 物語の語り手たる主人公は、最後まで「わたし」として物語を語る。 それは、「わたし」が「わたし」であることが何かを「物語る」ための条件だからである。 物語には、「語るわたし」がいて、「聞くわたし」がいる。たとえそれが形式上の「しきたり」に過ぎなくとも、物語はその枠組なしには語られ得ない。 だから、この物語は、「わたし」の消滅に「臨んでいる」こと、「今まさに「わたし」が消滅しようとしている」ことは語れても、 「わたしが消えてしまった」ことは語れない。「わたし」の非存在に、語りは届かない。 この小説は、「言語の限界」に向かって肉薄している。 そしてそれゆえに、その試みは決定的に失敗している。 この小説は決して(つまらないという意味で)ナンセンスではない。 読んで感銘を受ける私のような読者がいることが、それを証明している。 しかし、ここで語られたことはやはりナンセンスなのだ。意味をなさないのだ。 では、私たちは一体何に感銘を受けたというのか? おそらく、それはこの小説が「語り得なかったこと」について、であろう。 伊藤計画氏は間違いなく一時代を画する希有な書き手である。夭折が惜しまれる。 付記 誤解のないように(あるいは、さらなる誤解を招くように?)云っておきたい。 世界から「わたし」なるものが消え去っても、相変わらず人間達は自分の一人称を「わたし」と呼ぶだろう。 消え去ったのは、「わたし」という語によって語られている対象としての「わたし」ではなく、その「わたし」を「わたし」と自覚する「わたし」の方である。 それは、もし自分とまったく同じクローンを生み出したとしても、コピーすることのできないような唯一無二の「わたし」であり、実は「わたし」という普通名詞では名指すことのできないような、超越論的なわたしである。 | ||||
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下記のように瑕疵はあるのですが、割り引いても星五つ。一気に読まされました。 1.ミァハはチェチェンで酷い目にあってから、日本に来てトァンに出会う。この時間軸に、微妙に無理押しな感がある。ロシア兵士って、この年齢の子に欲情するかな?とか、銃を口に云々が借りて来たエピソードみたい、とか。日本に来て数年だと、もう少し帰国子女っぽさというか何かありそう、とか。 2.トァンは、双方の陣営に泳がされていたということで、双方の筆頭格のイデオローグと対話を交わすことが出来る。 このうち、特にトァンの父が無防備に出てきて 比較的あっさりと殺されてしまう。双方の陣営が、互いの監視下で泳がせていると、お互いに承知の状態で、トァン父のような立場の人が こういう形で出てきて殺されてしまう事に違和感を感じた。 ああ、もう一冊読みたかったなぁ。 | ||||
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