■スポンサードリンク
書楼弔堂 破暁
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
書楼弔堂 破暁の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.23pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全34件 21~34 2/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
レビューの書き方も知らない奴が多すぎる。 定価で買う価値があるかどうか、良い悪い、どのような人にオススメか、だけでいい。 レビューは評価であって読書感想文じゃない。 あらすじやネタバレを書く痴れ者は本に対する愛が足りないか、読書の作法を知らないか、読書量が圧倒的に足りないか、友人がいないか、その全てに当てはまる奴に違いない。 本書についての僕の評価は星で表した。 定価で買う価値はある。京極作品を読んだことの無い人にも読みやすいと思う。面白かった。 時間を置いて何度か読み返したい。以上。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
個人的には高遠の旦那としほるの遣り取りが下手な漫才を聞くより面白い。 百鬼夜行シリーズにも劣らぬ名作です | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
電子書籍で買おうしている方にご注意。 紙の方にある扉絵の写真が電子書籍版にはありません。 何で入れてくれないのか分かりませんが、電子書籍版を買う時はそういうものとしてご購入下さい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
御一新から二十年と少し。 まだ江戸の地続きの明治だった頃、東京の郊外、周りには田んぼと畑しかないような鄙びた土地に、3階建ての巨大な本屋があった。 まるで、灯台のような不思議な形で、窓というものがなく、知らない人は決して本屋とは思えないその本屋の入り口には、ただ一文字「弔」という文字が墨痕淋漓と認められていた。 弔堂。 それがこの本屋の名前だった。 飾り気のない、白一色の着物をきた店主は言う。 ここは、本の墓場である、と。 本は記号であり、過去であり、そこに書かれた何かを浮かび上がらせる墓石のようなものである、と。 また、彼はそこにある夥しい本は、自らのために集めているものだともいう。自分にとっての生涯ただ一冊の本に出会うために、ひたすら集めて読んで売っているのだと。 不可思議な男であるが、読書好きの人間であれば彼のいうことはストンと腑に落ちる筈だ。素晴らしい本に出会ったと思いつつ、もっと何かいい本がないか、運命の一冊がないかと次々に本を読む気持ち、また一冊一冊の本(場合によっては絵や新聞でもいい)を再読してもしなくても大事に思う気持ちもとてもよくわかる筈である。 そんな彼のもとには、噂を聞きつけたり、狂言回しとしての主人公・高遠の手によって、さまざまな悩みを持つ人々が訪れる。 彼らの悩みを、彼は本を通して解決する。 その手法、語り口は、同氏の「京極堂シリーズ」の中禅寺秋彦を思い起こさせる。真っ黒な装束にて、語り口で憑き物を落とすあの男の裏返しのような人物が本編の主人公で、このあたりは、旧シリーズのファンであればニヤリとすること間違いない。 また、旧シリーズとのことでいえば、その京極堂シリーズや巷説シリーズの方々もこの作品には登場する。 そういう意味では、京極夏彦ファンにとっては、本作の分厚さも含めて買いの一冊なのは間違いない。 しかし、ファンとしては、それでもやはり京極堂シリーズの最新作、もしくは薔薇十字探偵社のシリーズを読みたくもあるのだがどうだろうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
作者には発表した後の作品については文句も言えないかも知れませんけど、読者として・・・作品にではなく、電子図書としての在り様に言いたいです。 Voyage本体でこの作品を読んでいて、今日発見した事なんですが購入した電子図書の中に突然何人の人がハイライトを付けましたって行間に出るんですね!勿論速攻出るのを消しました。kindleの機能の中に流通してる電子図書の誰が何をしたって言うのを買った人が確認出来るみたいです・・・気持ち悪いな~まるで汚れきった中古本を買った気分・・・と言う事は誰が何を買ってどう言う文言に注目してるかって言う事が出版社や版元には判るって事ですかね?それとクラウドに管理者権限でアクセス出来るならば逐一購入者の年齢性別地域思想の偏りや嗜好で統計が取れるって事でしょ?まあそんなプライバシー関係には全く興味は無いのですけど、しかし電子図書の癖に中古本みたいに他の読んだ人のアンダーラインや附箋張りは気味が悪い、気持ちが悪い、興味が無い・・・何でこんな事したんだろう?読んでる人間には全くと言って良いほど関係無い機能じゃないですか?これによって中古本と言うよりなんだか、読んでる本を複数の人に強姦された気持ちとか穢された気になり、朝っぱらからかなり気分が悪いです。読む人には誰がどう考えて様がどう読もうが関係無いじゃないですか??出版社や版元、編集者が気にするなら理解は出来ますけど読者には他の人が如何だろうと気にする物ですかね・・・??? 兎も角、こう言う機能は気持ち悪いし気分が悪い、出来たら電子図書返すんで返金してもらいたいものですわ・・・ 何でココに書いているかと言いますと、先にkindleのレビューは書いてしまったんで書き込めなかったからです(失笑) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「臨終」、「発心」、「方便」、「贖罪」、「闕如」及び「未完」の6つの作品から構成される"本探し"をテーマとした連作短篇集。時代は明治中期、「書楼弔堂」とは古本屋の名前。この店主が所謂"書痴"で、零落しながらも空虚・無為な元武士を狂言回し役に設定している辺りは京極堂シリーズを想わせる。店主は自身の古本屋を墓場と呼び、本(=墓)を売る事を「弔う」と呼ぶ。「弔堂」たる由縁である。 店主の信念は、「人には人生において大切な"一冊の本"があれば良い」である(ただし、より良い"一冊の本"を見つけ続けるために店主の店には本が溢れている)。本作の各編には様々な事情で"幽界を彷徨う"客が登場し、それに纏わる数奇な物語が紡がれるのだが、店主が客の素性や心理状態を洞察し、あたかも"憑きもの落とし"の如く、至高の"一冊の本"を「弔う」姿はやはり京極堂シリーズを彷彿とさせる。作中には、怪談の「百物語」等も話題にのぼり、相変わらず遊び心にも満ちているのだが、「人にとって本とは何か」という問題と真面目に対峙している様にも見える(本の内容は単なるinformation)。明治の有名人が実名で登場するのも見所の一つ。これらの人物の異聞・外伝といった趣きも呈している。特に、「未完」の客にはアッと驚かされる。 時代を明治に設定したのは、江戸文化と和魂洋才の明治の文化との対比を狙ったものかと思いきや、実は真逆で、真理や価値観が時代・洋の東西を越えて普遍性を有するとの趣旨らしい。また、店主の台詞がチェスタトン張りの逆説に満ちている点も特筆物で、読んでいて刺激を受けた。何事も表裏一体であり、視座によって如何様にも解釈出来るとの意匠だろう。また、 「この世に無駄な事(本)などない。世(本)を無駄にする愚か者が居るだけ」 という主張が全編を貫いている点も印象に残った。「作者のファン=本・活字好き」だと思うが、そうした方にお薦めの読み応え充分の秀作だと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
明治の作家や浮世絵画家数人について、その創作のあり方について、書物を突破口として提示する趣向、 と言っても、もちろん、論文ではない。ちゃんと物語になっているけれど、著者による作家論としても 読めるので、著者自身に興味があったら、より面白く思えるかもしれない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
京極作品が好きで他の作品との繋がりもあると聞き、楽しみに購入。 京極堂シリーズ程ではないが、ぐいぐい読ませる内容はさすがだなと 改めて感じました。章ごとにエピソードとしては完結していくので、 受けた印象としては非常にコンパクトにしマイルドになった百鬼シリーズの 憑き物落としを連続して見ている様な感じ。 よって内容の展開もマイルドになってる感は否めず。 それでも中禅寺祖父のエピソードが入っていたり、繋がりと、予感が随所にあるので ファンは堪らず読み進めてしまいますね。 (ここから多少のネタバレ) そして気になったのが、最後に弔堂が主人公に薦める未完の本。 未完の9冊の小説に対して肯定的に魅力を語る弔堂。 あれ?これって百鬼夜行シリーズこのまま放置するつもりなんじゃ、、、 というか、リアル伏線を貼ってませんか京極さん。。。 曲解かもしれませんが、待ち続けている身としてはどうにも気になるエピソードでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
今までのシリーズに比べて、ずっと「言葉」に重点が置かれているように感じました。 京極堂シリーズに一貫して流れている「ないもの(或は見えないもの)」と「あるもの(或は見えているもの)」の違いの説明もあって、あ~、そういうことだったのか!と、今更ながら気が付きました。 情報があふれている今の世の中、本を読まずともそれは、いとも簡単に手に入れられるけれど、案外見落としているものが多いのだろうな、と考えさせられます。 内容的には、朱川湊人氏の「鏡の偽乙女」に、似てはいたけれど、京極堂シリーズや巷説シリーズが好きな方には、絶対的にこちらだろうな、と思います。 あの激動の時代、突然リセットされた時代にあって、著名人も含め人々がいかに流れに合わせようとしていたか、等々、楽しみ方がたくさんある本だと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
江戸と昭和の話の間くらい。ちらほらと馴染みの名前を見かけるのが嬉しいけれど、それを抜きにしても「本」への愛情に満ちていて、ここに出てくる泉鏡花や井上円了の本を読みたくなります。昨今話題の“電子書籍か紙の本か・・・”という問題の回答にもなるかもしれません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
まず、「タイトル、なんて読むんだ?」から始まりました。 大極宮のHPで見つけ、試し読みをし、PCで小説を読むことが苦手な私でもスラッと読むことができて 「これは買いだな」ということで購入。 いわゆる「京極堂シリーズ」を読んでいる私にとっては、とても読みやすいなと感じました。(比べるものが違うのかもしれないですけど) 文学史に残るような作家をほとんど知らないのですが、「発心」を読んだ後に登場人物を検索してみると、作中に出てきた事柄が書かれていて、息をのみました。 ハードカバーで分厚くて・・・京極堂シリーズも分冊で読んでいる私ですが、この厚さ・重みは苦になりません。 またまた、京極先生の世界に溺れていきそうです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
明治20年代半ばの東京の外れにある本屋、店主は元僧侶。 本を求めて訪れた客に「さて、あなたはどのような本をご所望ですか」という決め台詞、これぞまさしく京極ワールド。 登場するのは歴史上実在の人物や、京極ファンなら懐かしい人の名もあり、巷説百物語シリーズのの江戸と京極堂シリーズの東京が地続き時続きである事を思い出させてくれる。 本、本屋、出版というものが大きく変わったこの時代、本と言葉の意味を滔々と述べる店主はやはりあの人にどこか似ている気が... 御一新を知らぬ人も増えた明治20年代は平成も四半世紀を過ぎようとした現代とも重なる感じがある。 「新シリーズ」と銘打ったからには、ちゃんと続けて下さいね。 京極堂シリーズの「鵺の碑」も、首を長ーーーくして待っていますから... | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
御一新以降の歴史が苦手で、まずは登場人物の生涯をおさらいしました。 弔堂という古書店では、実在の人物が人知れず悩んでいたであろうことを書物で解決へ導くのですが、 弔堂の主が悩みごとをズバリ的中させていく様子はとても自然でした。 最後のお話で皆様ご存じのあの神社が出てきます。 他のシリーズファンにも嬉しいサービスに、ニヤリとしました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
京極夏彦単行本を軒並み読み尽くし、京極堂シリーズの新刊を今か今かと待ちわびつつ書店を渉猟していた折、新刊発見! 毎度毎度なんとまぁ怪しげな表紙(笑) 冒頭から結末まで一気読みするのが好きで連載物の情報はリサーチしていないためとんと知らなかったのですが、 小説すばるに掲載されていたことを知っている方にとっては「待望の単行本化!」といったところでしょうか。 京極堂シリーズや巷説シリーズ好きの私は「厭な小説」や「死ねばいいのに」などの単発作品群にはズッシリくる京極節をとんと感じれず、いささかしょんぼりしていたので、今回こそは!(笑)と思いつつ(笑) 結果…買って正解! この作品を読んで改めて江戸→明治→大正→昭和→平成という時代の流れや、その時その時を生きていた人たちを感じることが出来ました。 教科書や国語便覧で写真と名前しか知らない人達がぐっと現実味を帯びたり、時代は目まぐるしく一気に変わっていくのではなく、一日一日が積み重なって徐々に徐々に変わるものなんだろうなぁ…とか思いました。 あと、今の当り前は昔はそうじゃなかった、っていう言葉が実(じつ)を結びましたね。 ストーリーや登場人物を詳らかにしてしまうのはこの作品の妙味を一気に開陳してしまうことになるので書きません。 が…、これは言いたい。 「巷説シリーズ・京極堂シリーズ好きの皆さん!ニヤリしますよ!」と(笑) 既刊本の登場人物がのちの作品にこっそり、でもしっかり登場するという手法、がっつり履践されています。 (その登場人物が想起出来なくてまた読み返すスパイラルにはまることが何度あったことか…。特に箱根の坊さん。) 次回作「ぬえの碑」を拝読できるのはいつの日のことやら…。 いやー、久しぶりに腰の据わった京極作品を読めてよかった! | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!