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書楼弔堂 破暁
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書楼弔堂 破暁の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.23pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全43件 1~20 1/3ページ
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どこを楽しもうか探しているうちに終わった。 | ||||
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百鬼夜行シリーズから京極さんの大ファンですが、その理由は「面白いから」というのはもちろん大前提で、この作家さんの物語は読み手に力を与え、同時に力の抜きどころを教えてくれるからです。 登場人物の生き様やふとしたひと言、その中に押し付けがましくも教訓めいてもいない救いがさり気なく散りばめられていて、読む度に救われます。 私は小説というフィクションの世界をフィクションと思えない質なせいか、登場人物の言動に落ち込んだり傷付くことがよくあるのですが、京極さんの小説ではそういったことがまずありません。京極さんの書く物語が「無難」から程遠いものであるにも拘らずです。これは自分としては驚くべきことです。 早く結果を出さなきゃと焦り、今後の自分の人生の選択に悩み、このまま中途半端に人生が終わったらどうしようと恐怖し、ノイローゼ気味になっていたときに本作の最終話「未完」を読み、とても心が楽になるのを感じました。ああ、そうすればいいんだ、それでいいんだ、と。 京極さんの物語にはいつも救いをもらっています。いつかご本人にお礼を言えたらいいなと思う。 悩みを抱えている人は、この本を開いて弔堂を訪ねてみてください。今よりはずっと心が落ち着くはずです。 | ||||
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京極堂には はまる と知っていて、あえて読まない様にしていたが うーむ。 | ||||
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京極堂シリーズをメインとすると、近作はパターンだけで小説としては明らかにダメなのが多かったが、客の欲しい本が必ずある本屋という設定はかなり京極先生に向いてると思う。明治30年代なので、メインシリーズに繋げていけそうだし、ミステリに戻るためのリハビリとして書いてもらいたい。 | ||||
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美しい文章表現と知識教養が身に付き、読むとかしこくなります。 | ||||
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訪れる客、書物、印刷物、刷り物、迎え入れる小童、そして主人、と噺の筋を次から次へと追う形式で、話の中心に引き込まれていきます。 それはそれで楽しい経験となり、さらに客が語る身の上話、客の印刷物への執着、主人による解題、とこれはまた別の筋です。 トリッキーなつくりです。それが延々と各話成立するのは、著者に既にストックと語り始めればやってのけることが叶うという経験に裏打ちされた自信とがあるからではないでしょうか。 面白いシリーズの開幕です。 | ||||
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マニアには、たまらない。謎めいた脇役、誰が主人公がわからなくなる謎めいた物語、たまりませんでした。 | ||||
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明治20年代半ば、まだ田舎の風情を残した東京の郊外で、病み上がりでぶらぶらしている元お武家出身の高遠が弔堂という不思議な本屋を知ります。ぽつんと建っている燈台のような窓のない建物には”弔”(とむらい)と書かれた半紙が。 店主は元僧侶だという白装束の着物を着た物静かな男性。「本は墓のようなものであるから弔っています。それをお客様に買っていただいて生かしてもらうのがこの店の役目」だと述べます。 高遠が狂言回しの役になり、弔堂を通して歴史上でも知られた様々な人物と出会い、自分の人生を振り返ることになります。 登場するお客さんたちは、最後の浮世絵師月岡芳年、青年時代の泉鏡花、勝海舟と東洋大の創立者であり妖怪博士と呼ばれた井上圓了、ジョン萬次郎と土佐勤王党で人斬り以蔵として知られる岡田以蔵、日本の児童文学の父と言われた巖谷小波、そして最後の一編にはなつかしいあの人のご先祖らしき人が。 個人的には、泉鏡花、井上圓了、巖谷小波に興味があり、読後に調べてみましたがちゃんと実際の出来事に沿って書かれていることがわかり、彼らの人生の一時期を伝記のように知ることができました。 他のレビューアさんたちもおっしゃっているように、店主には京極堂と共通したものを感じます。が、京極堂がもっと癖が強く行動的でもあるのに対して、この店主は常に薄暗い書楼の帳場に座って淡々と客の要望する本を選び、意義を説くあたり、いかにも元僧侶という感じがします。 客が自然と自分の抱えている問題を吐露することになり、それが亭主の話によって自然に解けてゆくあたりは、京極堂の”憑物落とし”とも似ていますし、現代でいうカウンセリングの役割を果たしているように思えます。 ミステリ色はほとんどなく、天窓から入る光と蝋燭のともし火の中で、ゆったりと時間が流れていきます。 正直、最初は読んでいて眠くなりました(苦笑)。衒学的で理屈っぽいのは京極氏の小説に共通していますから、独特のこの雰囲気がしんどい人はダメだと思います。が、読んでいくうちにそのリズムがだんだんと気持ちよくなり、半ばあたりでは早く次が読みたくなっていました。 京極氏の小説にはめずらしく、お店でうなぎをうまそうに食べる場面があり、なんだか池波正太郎のような。また、猫が登場するので猫好きの方にもいいかも。 ガス燈が灯り、蒸気鉄道が走り、まだ緑深かった明治の東京がレトロでなつかしく風情があります。心安らぐ連作集です。 | ||||
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活動シーンは少なく、散歩程度、一度駆け足、くらいで、だいたいは書題の古本屋さんの店内での問答が主の小説ですが、気持的には波乱万丈で、途轍もなく面白い。だいたい京極堂さんの本は、動きが少なく、会話、対話、口舌が主ですが。 あるとき、主人公が弔堂まで客を案内し、小童番頭(少年使用人頭 使用人は一人しかいないが)撓(しほる)に指図され、彼が主を呼びに行っている間に主人公が椅子を出すのですが、出てきた弔堂の主から、「おい撓(しほる)、そんな半端なところに椅子をお出ししたのじゃあお客様が座り難いだろう。もっと帳場のほうに寄せて」と言われ、撓(しほる)が、椅子を出した主人公を「一度冷ややかな目で見た後、椅子を移動して」というくだり。こういう描写にハマる。情景が彷彿とする。面白い。 | ||||
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文字だからこそ表現できる「語り得るもの」、これに魅せられてまた次の本を手にとってしまうのですね。 | ||||
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この世に「本」が存在する意義と読むことの意味を考える重要な機会を与えてくれる。本が売れず、また本を読まない人が増えた現代だからこそ読んでほしい。 またPISAの結果が芳しくなかったとニュースになった。特に読解力が落ちているのだそうだ。当然だろう。日本人が本を読まなくなったからだ。今から数十年前、私が高校生だったころ。通学電車の車内には、宿題をやる高校生か本または新聞を読むサラリーマンがたくさんいた。それが、現在車内の人々(高校生・サラリーマン・OLを含めて)はほとんどがスマホに見入っている。ゲームかYou tubeか。またはイヤホンをさして音楽を聴いている。本を読む人はごく少数だ。 視覚や聴覚に直接働きかけるメディアは、刺激が強すぎてどうしても「受ける」ことにエネルギーをとられ、考える余裕がなくなる。さらに、短時間で「理解」した気になるが、すぐに忘れてしまう。そして新しい刺激を求めて動画を際限なく検索する結果となる。これでは考える暇はない。 本は文字情報であるから、考えないと内容を理解できない。相当に知的な体力を必要とする。鍛えられていない人はついていけなくなる。だから読まなくなる。 けれども、私たちが生きるためには考えることが必要だ。何を考えることが重要なのかを押してくれるのが本ではないか。書楼弔堂は、自分に必要な本を売ってくれる。そうした本に巡り会えた人は幸福である。 | ||||
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この本は長く価格落ちしなかったので、仕方なく?ではないが思い切って買いました。本の状態は問題なし、本の内容も問題なしで買って満足です。 | ||||
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歴史の授業で出てきた人物が、京極さんの書き方で読めるので、そこがとても面白かったと思います。 命とか行き方とか、いろいろ考えさせられる本でした。 | ||||
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悩みを抱える人が、吸い込まれるように訪ねる書楼。そのひとにあう本を提供。 | ||||
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この白々しい会話はなんだ。回りくどいばかりで読者をどこへも連れて行かない言葉の羅列。 こんな書き手じゃなかったのに。 あの頃のグルーヴ感はどこ行った? | ||||
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何と言うか、文章が回り口説過ぎて内容がちっとも頭に入って来ないです。 無理に難しい言葉や漢字を使おうとしてる節が感じられ内容が不自然なんです。 読んでいても文字を追うのが精一杯になり情景が全然頭に浮かばないんです。 京極作品はずっと他のシリーズも読んで来てますけど、 これ程退屈って言うか読み進めるのが苦痛に感じる作品は初めてです。 続編の「炎昼」も買ってあるんですが、良さが解る様になるまでは ちょっと読むのは一旦止めにしようかな?って検討中ですよ。 | ||||
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注:ネタバレあり! 著名な文学者の在りし日の姿を覗き見たような感覚になり、何だか得した気分なりました。 もちろん これは小説なのですが、教科書にのっているような人物が生き生きと動き話す姿は「さすが京極夏彦先生!」と思いました。 最後の話で「中禅寺」なる人物が出てきます。そう!あの百鬼夜行シリーズの京極堂の祖父にあたる人物のようです! まさか、こんなところで中禅寺秋彦の過去が出てくるとは。。 嬉しい展開でした(^o^) あと最後にしほるが最高にカワイイです❤️❤️❤️ | ||||
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ほんの少しの難ありとの記載がありましたが、全く気にならない程度で、細かい商品詳細を載せている事に好感が持てました。 | ||||
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やはり、弔堂と京極堂が、高遠氏と関口巽氏が、ぼんやり重なってしまいます。ただし悪人は一人も出てきません。たとえ殺人者であっても。 百鬼夜行シリーズのような突き抜ける面白さは感じられませんでしたが、静かにやさしく時間が過ぎて行く、ちょっと良い話の数々でした。 | ||||
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京極堂シリーズに比べると文章が若干現代よりになって、すっと読めた。 実在した人物や書物が出てきたが、本を読む前にそれらに触れていると感慨深いものがあった。 そうだっらいいなぁ、みたいな、現実が小説に紛れ込んだような楽しい感覚だった。 続きがあるので、そちらも読んで見たいと思った。この本に書かれている書物や、人物の本も。 | ||||
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