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涼宮ハルヒの溜息
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涼宮ハルヒの溜息の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全70件 1~20 1/4ページ
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前作から続けて読んでいます。前作のハルヒはSOS団をつくるやら…でとても暴走してました。不思議的存在を求めてやりたい放題なハルヒとその周りに集まる人物達は皆個性的で面白かったです。 さて、今回は文化祭がテーマとなっています。ハルヒは結果的にどんな映画を作ったのか… ハルヒが願ったことが実現する世界は本当に恐怖。みくるちゃんのめからみくるビームがでたり、公園の鳩が白くなったり…かんがえるだけで恐ろしいですが、ハルヒらしさがあって今回も面白く読むことができました。 最終的にハルヒの物語はどう結末を迎えるのか…今から楽しみです! | ||||
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ラノベをちょこちょこ読みつつ有名どころも読んでいる。本作はアニメは1期とエンドレスと消失だけ観たが原作は最初のを2年くらい前にようやく読んだ。久しぶりに2巻目を読む。文化祭にむけ映画撮影をする…な話なので要はアニメの自主制作映画舞台裏…なのである。なるほどこの原作をああいうふうに料理したのね。ということはライブの話はぜんぶアニメオリジナルなのかね。3年くらい前に某実写映画をみたらライブ回のオマージュ元だというのはわかったが。あとは挿絵がずいぶんラフだな笑。アニメ化前に書かれたのでそんな期待度の高い段階じゃなかったとかそーゆうことかしら。 この映画撮影にむけた話は1冊目よりもおもしろい。ただアニメにしてもあまり絵的に面白くなかっただろうから映画本編にしたのかも。誰でもわかるだろうけどこれはメタフィクションである。 1作めでこの世界の神であるらしい、となったハルヒが監督となり映画を撮影してく…つまり監督と映画の関係とハルヒとこの世界の関係が一緒、とゆう。 よって、監督としての強権を意のままにふるいまくるハルヒが映画を媒介して現実に影響を及ぼすようになっていく。ネタばれになっちゃった。まあいいや、だいぶ前のだしみんな知ってるだろう。 映画撮影はハルヒにとっての真実を理解するためのツールのようなものである。自分が強権をふるえば意のままに現実に非常識な現象を生み出すとこができる、というのを映画をつうじて知ってしまえば映画の世界だけでなく、その外側の現実も監督として強権をふるって意のままにできるといずれは理解する。なのでハルヒが強権をふるえる世界が映画の中だけだと思わせなくてはならない。自主映画撮影とゆうストーリーと本作のSF設定が重なる。監督はハルヒ、出演は3人、そんでキョンの役目は序盤にある通り。このSF話の解決に向けたハルヒと3人とキョンの役割もそれとまったく同じ。 ハルヒにそう思わせるためには映画をつうじて起こった超常現象を彼女が気付かなければいい。気付かなければないのと一緒。つまりシュレディンガーの超常現象。猫が喋る超常現象をハルヒが認識さえしなければ無いのと一緒で猫は喋ったことにならず世界はいままでと変わらないのである。 文化祭に向けた映画のオチをどーするかで小泉がこう語るのでモロにビューティフルドリーマーである。おとなになるのならないのモラトリアムグルグルこそハルヒの苦悩だと一作目でもやっていた。このあとでエンドレスな夏がまってるわけか。 読んでいておもったのだが、SOS団の3人に対しキョンは普通普通と自分を評価するが彼は全然普通じゃない。この2冊めでもで延々続く彼の一人称語りはときどき作品の時間軸の流れからハズれ、ハルヒがこのあとなにを言うか解っている前提のことまで言う。「あいつはこういうだろう、~、ほらな」って感じで。この語りはいつ行われたものなんだ。ふつう、この手の小説の一人称語りはストーリーの流れと一致しているか過去を回想するのどっちかが基本だがキョンはそのふたつがごっちゃになっている。本作はカギカッコを使ったキョンの台詞が少なく、キョンのモノローグのなかに混ざった言葉にハルヒが返答し、全部そうかと思えばカギカッコつきで会話するときもある。キョンのモノローグ自体がある種のメタ的な構造でこの小説のストーリーの流れからハズレたりしてなんだか変なので、それがキョンの特異性なのではとも思えてくる。 映画監督という役職とハルヒの特異性がメタ的に重なるように、この小説とキョンの語りもまたメタ的に重なってるような。キョンだけこの小説のストーリーを時折外から傍観するので。ふつうの人間に用はないというのだからキョンもまたなんか特異性があるに違いなく。 もういっこおもったのはハルヒは映画撮影のなかで起こった超常現象に気付かなかったのかなあ、とゆうことである。あんだけ好奇心旺盛な彼女が長門が急に移動したこととかに興味持たないのおかしくないかなって。たぶん、気づきたくなかったんでないか。彼女は単に、映画撮影を通じて、SOS団のメンバーと一緒に遊びたかっただけでないのかな。 んじゃなんでこんな横暴に強権ふるっているのか…というと、それ以外の付き合い方ができないのでは。SOS団団長とか映画監督とかいう肩書でああいう振る舞いしないと、他人とどう接したらいいのかわからないのでは。彼女のモラトリアムな苦悩らしきものは、ただ単に、高校ではそれまでのとてもつまらなかった学生時代と違う、楽しい青春を送りたいとゆう、ただそれだけでないかなと。 なので、SOS団のメンバーが何者かについても、知りたくないんでないか。彼らが未来人や超能力者で、自分が神のちからで呼び集めただけだと知ったら、がっかりするんでないか。彼女が気づきたくないから、気付かないのでは。謎の転校生だのメイドだので作った秘密結社なるオタクってこんなん好きでしょな偏見を煮詰めたごとき集まりは、文字通りにそれまでのハルヒにとって唯一知っている楽しい青春がそんなオタクカルチャーの中にしかなかった、とそんな感じでないかと。 「ビューティフルドリーマーで繰り返す文化祭の前日」とはおとなになりたくないオタクにとってのモラトリアムに埋もれた永遠の夏の暗喩だが、ハルヒにとっては自分には無かった、ただ楽しくまぶしい青春それだけにみえたのかも。 だから、なんらかの超常能力によって未来人や宇宙人や超能力者が集まってきたのでなく、ただそんな楽しくまぶしい青春を送りたく、しかしコミュニケーションが不得手なのでキョンに頼りつつメンバーを集め、そんな楽しい青春を送りたいだけのつもりでSOS団作ったんだけどそのハルヒが、とゆうあたりがこの小説の構造にも思えた。よってハルヒはシュレディンガーの超常現象の蓋を開けたくなかったのだろう。 ただの語り部のようでその語りがなんとなく変なのでそれ自体が特異性なのかもしれないキョンがその救済者となるかも。 …とゆうのを読みつつ考えるとアニオリらしいライブ回のやりとりに原作との整合性で気になるところも出てくるが、アニメが消失で止まり原作がいまだに終わって無いのを踏まえると細かいことを言ってもしょうがない気もする。 | ||||
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すげえ! | ||||
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憂鬱と比べると、ストーリー展開がほとんど無く、ダラダラと映画製作に伴う話が展開するだけ。 最後まで読み通すには忍耐が必要。 何とか4作目まで頑張ります。(^_^;) | ||||
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憂鬱と比べると、ストーリー展開がほとんど無く、ダラダラと映画製作に伴う話が展開するだけ。 最後まで読み通すには忍耐が必要。 何とか4作目まで頑張ります。(^_^;) | ||||
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溜息…内容はもう忘れてしまった。また買おうかな。 | ||||
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1作目の憂鬱が面白かったので、2作目の溜息を読んでみました。 個性的なキャラが、今回もいい味を出しています。 日常と非日常は紙一重かも?と感じられる一冊です。 | ||||
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秋といえば文化祭で,文化祭といえば映画製作と,学園ものの定番イベントが中心で, ここでも彼女は唯我独尊の女王さまぶりで,序盤は同様のドタバタ劇の様相ですが, そんな彼女のが望まないはずの平凡な日常が,気付かぬ内に彼女の望む非日常へと転がり, 目からのビームや喋る猫など,本人の知らぬところで周囲が大慌てをする様子が面白いです. もちろんただの騒動では終わらず,時空やら宇宙やら彼女を巡る壮大な背景があり, 止めたいのか進めたいのか,見守る(?)三者の異なる見解と思惑,誘導が興味深く, それに振り回される少年とのやり取りは,饒舌,寡黙,意味深な彼らの綱引きのようで, 中心の『旗』である彼が引っ張られ,彼女がその上でケラケラと笑う姿が浮かんできます. ただ,彼女の言動に不快感を抱くことが増え,ギャグで済ませるには度を超えており, 実際に少年が激怒し,落ち込むこともあったようですが,それとてほんの一瞬に過ぎず, これが『涼宮ハルヒ』ということなのでしょうが,結構なストレスであるのは否めません. (怒った彼のご機嫌を取ろうとしたと思われる,『小細工』はかわいらしかったのですが…) 現実と虚構の境目がぼやけつつある中,ちょっとした奇策で破滅,もしくは進化を回避, 引っかき回された内面を落ち着けた少年が,自分なりの線引きをする姿は印象的でしがが, 今後もエスカレートしそうな彼女のことを考えると,続刊に手を出すことはためらわれます. | ||||
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アニメで既に見ているのだが、やはり面白くスラスラと読むことが出来た。世界を改変する力を無自覚に持つハルヒを、SOS団員は観察するしか出来ないと言う、ドタバタ喜劇を可能にするSF設定が素晴らしく、わがまま勝手に暴れ回るハルヒが生きている。いくらでも話が作れるこの設定を思い付いた作者は天才的である。 またラノベライター全般かも知れないが、まるでアニメ化されるのを前提に書いてるように感じられた。みくるなどはアニメでこそ映えるサービス満点のキャラで、認めたくない人もいるだろうが、一大ブームを巻き起こした一つの要因は萌えと言うか、エロ要素だと私は思う。 第一巻ほどのインパクトはないが、唯一の普通人「キョン」がハルヒ女王様お気に入りのキーパーソン。あまりの暴走ぶりをキョンにたしなめられたハルヒが機嫌を損ねて世界が不安定になり、仲直りするよう仲間に頼まれたキョンが世界を救うためにハルヒの前向きさを認めた場面が今巻のハイライト。一読の価値があると思う。 | ||||
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SOS団は、文化祭に向けての自主製作映画の撮影を始める。それに伴い、今回もハルヒの行動に振り回される団員たち。もちろん映画撮影の裏では、SF的存在のメンバーの活躍もしくは、隠れた苦労も見られる。涼宮ハルヒの世界を歪める力をなんとか彼女の気が済むように接待プレイで制御しようとするのだが……密かに大変なことが起こってしまいます。 ただ、この2巻では、キャラたちの掘り下げがあまりない上に、前巻の「朝倉」のような敵も出てこない。ほぼ完全に日常会となっている。 オチは流石に、超古典的解決をみてキレイに纏まっているが、1巻を読んだときのような感動はなかった。特にこの2巻は、SOS団メンバーの短所ばかりが窺えてきて、主人公は苛立ちを募らせ、読者もストレスを感じざるを得ないだろう。しかし、この2巻を読んでしまえば、3巻から先のストーリーが楽しめることは保証できる。おススメです。 ところで……もしもハルヒがゾンビ映画や地球滅亡系のパニックムービーなどにハマってしまったら――と想像するとちょっと笑えませんねコレ。 | ||||
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アニメオリジナルシーンである文化祭でのGod knowsを知っているので、原作は物足りなく感じてしまうかな…。でも、ハルヒ率いるSOS団の活躍を時間を忘れて読んでしまう。 | ||||
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中盤までクソくそ糞どーでもいい話しかなかったけれど130ページから涼宮ハルヒが始まりました笑 折れそうになりましたけどレジェンドラノベなので続きを読もうと思います。 | ||||
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人に勧められて読み始めたシリーズだけども、キョンの視点で語られるストーリーは飽きない。朝比奈さんの可愛さを疑わせるような一文があったこともストーリーをまた楽しくさせる要素。 | ||||
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現在陰謀まで読み進めていますが、溜息だけは「無くて良かったんじゃないか?」とすら思います。 何故2巻にしていきなり1巻の半年後を書いてしまったのか。もう少し計画を練ってから書くべきだったのでは。 この溜息がシリーズ最大の関門だと思います。これで切ろうと思った人はもう少し我慢して、消失まで読んで貰いたいです。 消失もつまらなかったら、すみませんが切った方が賢明です。 | ||||
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「創作の極意と掟」という本において、筒井康隆さんがハルヒシリーズの何かを褒めていたのを読み、じゃあ読んでみようかということで、「憂鬱」をまず読み2作目のこれを読み始めたのですが・・・挫折。 まず、「オタクども萌えろ!」というイラストレーターのドヤ顔が見えそうな表紙イラストでまず引きました。 そこをぐっとこらえて読み始めたのですが・・・なにかノレない。結局半分くらいでやめてしまいました。 なぜ面白くなかったんだろう。私もはっきり分からなかったのですが、もともと筒井康隆さんが褒めていたから読み始めたことを思い出し、筒井さんの初期のドタバタの名作「俗物図鑑」を読み返してみて理由がわかった気がします。 荒唐無稽な作品というのは、全体のストーリーが荒唐無稽であればあるほど、ディテールの部分はリアルでないと単なる「馬鹿なこと」になってしまうと思うんです。例えば、上記「俗物図鑑」は、いろんなものの評論家が集まってプロダクションを作るという話ですが、その中に「吐瀉物」平たく言えば「ゲロ」の評論家というのが出てきます。この吐瀉物評論家が、吐瀉物を見ただけで(舐めてみたりもするんですが)その吐瀉物を排出した人の人となりをズバリ当ててしまう。この時の推理が実に緻密なんです。「俗物図鑑」には、盗聴評論家、窃視評論家、痰壺評論家など「ありえない」評論家ばかりが出てきますが、ひとりひとりのセリフを見ると「もしそういう職業が実在したらこういうことは言いそうだ」ということを言っています。 さて、それを踏まえてこの作品のストーリーを改めて振り返ると、荒唐無稽なだけでリアルな部分が全然ないんです。「憂鬱」にもそういう嫌いはありました。しかし、個性的すぎるハルヒが巻き起こすドタバタを、物珍しさもあり楽しめたという部分があります。「憂鬱」の後半は完全にSFでした。しかし、冒頭のハルヒの自己紹介というネタ振りがあり、キョンが信じられないいろいろな事件に巻き込まれていきながら、それを最も切実に欲していたはずのハルヒだけが全く気づかないという図式は、古典的ではありますがドタバタとして面白かったと思います。 しかし2作目となるこの「溜息」では、ハルヒの周りにいる人たち(キョンを除く)はただの人間ではないという事はすでにわかってしまっているので、インパクトはもうないわけです。「憂鬱」では、冒頭のハルヒの自己紹介は事件でした。お笑いで言うところの「ツカミ」です。「いや、ホンマにおったんかい!」というストーリーで最後まで読めました。しかし「溜息」では、異世界人等々はもうすでにストーリーという名のステージに立っています。そしてそれは「憂鬱」で登場してしまってますので出落ちにはなりません。よほどうまく「ツカミ」を持っていかないとストーリーにならない状況なんです。そしてその「ツカミ」に当たる部分はない。異世界人等々も、普通の人間としてハルヒのわがままに付き合うだけ。ハルヒという人物像がまずリアルではない。そして異世界人等々がなぜそんなハルヒに付き合わないといけないかという理由も現実感を持っては説明されていません。読んだ部分までで判断する限り、彼らがハルヒに付き合う合理的理由はないと思うんです。そして私自身もハルヒに付き合う合理的理由を見いだせませんでしたので、本を閉じました。 レビューを見ると、シリーズの中では単体としてはつまらないけれども今後の伏線になるということのようですね。しかしプロならば、伏線だけで1作にしちゃダメですよ。1作にするなら単体としてある程度は面白くないと。もう長いこと、直木賞作品もそうですし芥川賞作品もそうだと思うんですが、「後半面白くなるんだろうな」という期待感を人質にとって、前半のつまらない部分を読むという苦行を読者に強いている作品が多いように思います。紙上エンターテイメントとして、小説が長い間頂点の座をマンガに奪われ続けているのはその辺に原因があると私は思ってます。そしてラノベというのは活字作品として久々に王者・マンガといい勝負をしそうな挑戦者だと私は思っていました。実際、いくつかのラノベは非常に面白かった。ハルヒシリーズというのは、私としてはランキング1位の選手の実戦を見てみようというような期待感もあって読み始めた作品なんです。シリーズ2作目でこれは正直がっかりしました。最低限、本当に最低限ではありますが、伏線になるのならば後続作と一緒にして上下巻なり上中下巻なりにして欲しかったと思います。 いきなり話は変わるようですが、ラーメンズという二人組がいます。テレビにほとんど出演せず、舞台だけのコントグループであるにもかかわらず、公演は常にプラチナチケットになります。そんなラーメンズが無名時代、当時人気番組だった「ボキャブラ天国」のオーディションを受けたことがあるんだそうです。オーディションで30分くらいのコントをやって、審査員に「それ、同じこと30秒でやって」と言われたそうです。その審査員の気持ちがわかります。作者に私はこう言いたい「この『溜息』、同じこと20ページ以内で書いて」。 | ||||
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ハルヒの"憂鬱"が目立った第1巻に比べ 今作のハルヒは、より"ハイ"になった印象 我が儘っぷりが増幅してます 笑 そのためか、確かに途中までは 皆さんの言う様に、ハルヒの我が儘っぷりに付き合わされるみくるの画が やたらと目立っているような感じです しかし、第1巻にも感じたように 作者:谷川流は、その画にもキチンと理由を持たせています なぜ今作が『映画創り』である必要があったのか? そして一見、一致団結している様に見えるSOS団に 意見の相違が垣間見える場面も印象的(これは今後の展開が楽しみとなりそう!) ただ1つ、最後に惜しかったのは ラストシーンが案外普遍的だったように感じられたからです もっとひねらせたオチだったら★+1してたかも | ||||
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市販で探すのは大変だが、アマゾンで手軽に頼むことができ、とても助かった。 | ||||
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ハルヒが、考えていることがわからないのでちょっと驚いたり、します(*'∀`)♪ ハルヒが、考えていることが、現実になっているとなると、世の中が、おかしくなっていると、思います☆⌒(*^∇゜)v 次の「涼宮ハルヒの退屈」も、買いたいと、思っています(@▼@) | ||||
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涼宮ハルヒシリーズの第二作になる今作なのですが…その出来については非常に厳しいものがあります。ストーリー自体はSOS団が文化祭で発表しようとする自主制作映画の撮影風景を描いたものなのですが、ハルヒのわがままandヒステリーぶりが目立ち、作品全体に悪影響を及ぼしています。他の巻にもハルヒのわがままといったものは多少なりとありますがこの巻においてはそれがことさら強調されているので、正直読んでいてイライラするかもしれません。しかし次巻である退屈以降は面白いエピソードばかりなので今作でハルヒシリーズの読書を切るのはもったいない、ここさえ耐えきれればあとは楽です。そういう部分で今作はハルヒシリーズの読書における大きな試練となっているのかもしれません | ||||
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涼宮ハルヒシリーズ第2巻。最初から最後までキョンのツッコミだけで一気にもっていく、というユニークな手法は第1巻と同じです。切れ目なく続くツッコミは、まるでマッサージを受けているような心地よさ。キョンはとにかく打ちまくる。でも、ヒット率も高い。6割5部くらい(甘すぎるかな?)。 「魔法や未知の科学技術などを涼宮さんは必要としませんよ。彼女が『在る』と思えば、それは『在る』ことになるのですから」ということで、ハルヒの妄想でまたちょっと非日常な事件が勃発します。第1巻よりは地味な結末ではありますが。長門、みくる、古泉の目指すところもそれぞれ違うようで、この世界は本当はどうなっているのか? という興味は次巻以降に続いていきます。 | ||||
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