涼宮ハルヒの溜息
- ライトノベル (149)
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前作から続けて読んでいます。前作のハルヒはSOS団をつくるやら…でとても暴走してました。不思議的存在を求めてやりたい放題なハルヒとその周りに集まる人物達は皆個性的で面白かったです。 さて、今回は文化祭がテーマとなっています。ハルヒは結果的にどんな映画を作ったのか… ハルヒが願ったことが実現する世界は本当に恐怖。みくるちゃんのめからみくるビームがでたり、公園の鳩が白くなったり…かんがえるだけで恐ろしいですが、ハルヒらしさがあって今回も面白く読むことができました。 最終的にハルヒの物語はどう結末を迎えるのか…今から楽しみです! | ||||
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ラノベをちょこちょこ読みつつ有名どころも読んでいる。本作はアニメは1期とエンドレスと消失だけ観たが原作は最初のを2年くらい前にようやく読んだ。久しぶりに2巻目を読む。文化祭にむけ映画撮影をする…な話なので要はアニメの自主制作映画舞台裏…なのである。なるほどこの原作をああいうふうに料理したのね。ということはライブの話はぜんぶアニメオリジナルなのかね。3年くらい前に某実写映画をみたらライブ回のオマージュ元だというのはわかったが。あとは挿絵がずいぶんラフだな笑。アニメ化前に書かれたのでそんな期待度の高い段階じゃなかったとかそーゆうことかしら。 この映画撮影にむけた話は1冊目よりもおもしろい。ただアニメにしてもあまり絵的に面白くなかっただろうから映画本編にしたのかも。誰でもわかるだろうけどこれはメタフィクションである。 1作めでこの世界の神であるらしい、となったハルヒが監督となり映画を撮影してく…つまり監督と映画の関係とハルヒとこの世界の関係が一緒、とゆう。 よって、監督としての強権を意のままにふるいまくるハルヒが映画を媒介して現実に影響を及ぼすようになっていく。ネタばれになっちゃった。まあいいや、だいぶ前のだしみんな知ってるだろう。 映画撮影はハルヒにとっての真実を理解するためのツールのようなものである。自分が強権をふるえば意のままに現実に非常識な現象を生み出すとこができる、というのを映画をつうじて知ってしまえば映画の世界だけでなく、その外側の現実も監督として強権をふるって意のままにできるといずれは理解する。なのでハルヒが強権をふるえる世界が映画の中だけだと思わせなくてはならない。自主映画撮影とゆうストーリーと本作のSF設定が重なる。監督はハルヒ、出演は3人、そんでキョンの役目は序盤にある通り。このSF話の解決に向けたハルヒと3人とキョンの役割もそれとまったく同じ。 ハルヒにそう思わせるためには映画をつうじて起こった超常現象を彼女が気付かなければいい。気付かなければないのと一緒。つまりシュレディンガーの超常現象。猫が喋る超常現象をハルヒが認識さえしなければ無いのと一緒で猫は喋ったことにならず世界はいままでと変わらないのである。 文化祭に向けた映画のオチをどーするかで小泉がこう語るのでモロにビューティフルドリーマーである。おとなになるのならないのモラトリアムグルグルこそハルヒの苦悩だと一作目でもやっていた。このあとでエンドレスな夏がまってるわけか。 読んでいておもったのだが、SOS団の3人に対しキョンは普通普通と自分を評価するが彼は全然普通じゃない。この2冊めでもで延々続く彼の一人称語りはときどき作品の時間軸の流れからハズれ、ハルヒがこのあとなにを言うか解っている前提のことまで言う。「あいつはこういうだろう、~、ほらな」って感じで。この語りはいつ行われたものなんだ。ふつう、この手の小説の一人称語りはストーリーの流れと一致しているか過去を回想するのどっちかが基本だがキョンはそのふたつがごっちゃになっている。本作はカギカッコを使ったキョンの台詞が少なく、キョンのモノローグのなかに混ざった言葉にハルヒが返答し、全部そうかと思えばカギカッコつきで会話するときもある。キョンのモノローグ自体がある種のメタ的な構造でこの小説のストーリーの流れからハズレたりしてなんだか変なので、それがキョンの特異性なのではとも思えてくる。 映画監督という役職とハルヒの特異性がメタ的に重なるように、この小説とキョンの語りもまたメタ的に重なってるような。キョンだけこの小説のストーリーを時折外から傍観するので。ふつうの人間に用はないというのだからキョンもまたなんか特異性があるに違いなく。 もういっこおもったのはハルヒは映画撮影のなかで起こった超常現象に気付かなかったのかなあ、とゆうことである。あんだけ好奇心旺盛な彼女が長門が急に移動したこととかに興味持たないのおかしくないかなって。たぶん、気づきたくなかったんでないか。彼女は単に、映画撮影を通じて、SOS団のメンバーと一緒に遊びたかっただけでないのかな。 んじゃなんでこんな横暴に強権ふるっているのか…というと、それ以外の付き合い方ができないのでは。SOS団団長とか映画監督とかいう肩書でああいう振る舞いしないと、他人とどう接したらいいのかわからないのでは。彼女のモラトリアムな苦悩らしきものは、ただ単に、高校ではそれまでのとてもつまらなかった学生時代と違う、楽しい青春を送りたいとゆう、ただそれだけでないかなと。 なので、SOS団のメンバーが何者かについても、知りたくないんでないか。彼らが未来人や超能力者で、自分が神のちからで呼び集めただけだと知ったら、がっかりするんでないか。彼女が気づきたくないから、気付かないのでは。謎の転校生だのメイドだので作った秘密結社なるオタクってこんなん好きでしょな偏見を煮詰めたごとき集まりは、文字通りにそれまでのハルヒにとって唯一知っている楽しい青春がそんなオタクカルチャーの中にしかなかった、とそんな感じでないかと。 「ビューティフルドリーマーで繰り返す文化祭の前日」とはおとなになりたくないオタクにとってのモラトリアムに埋もれた永遠の夏の暗喩だが、ハルヒにとっては自分には無かった、ただ楽しくまぶしい青春それだけにみえたのかも。 だから、なんらかの超常能力によって未来人や宇宙人や超能力者が集まってきたのでなく、ただそんな楽しくまぶしい青春を送りたく、しかしコミュニケーションが不得手なのでキョンに頼りつつメンバーを集め、そんな楽しい青春を送りたいだけのつもりでSOS団作ったんだけどそのハルヒが、とゆうあたりがこの小説の構造にも思えた。よってハルヒはシュレディンガーの超常現象の蓋を開けたくなかったのだろう。 ただの語り部のようでその語りがなんとなく変なのでそれ自体が特異性なのかもしれないキョンがその救済者となるかも。 …とゆうのを読みつつ考えるとアニオリらしいライブ回のやりとりに原作との整合性で気になるところも出てくるが、アニメが消失で止まり原作がいまだに終わって無いのを踏まえると細かいことを言ってもしょうがない気もする。 | ||||
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すげえ! | ||||
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憂鬱と比べると、ストーリー展開がほとんど無く、ダラダラと映画製作に伴う話が展開するだけ。 最後まで読み通すには忍耐が必要。 何とか4作目まで頑張ります。(^_^;) | ||||
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憂鬱と比べると、ストーリー展開がほとんど無く、ダラダラと映画製作に伴う話が展開するだけ。 最後まで読み通すには忍耐が必要。 何とか4作目まで頑張ります。(^_^;) | ||||
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