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(短編集)
仮面劇場
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仮面劇場の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.50pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
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<表題作の感想のみ。ネタバレ注意> 1978年にTV放映された横溝正史シリーズⅡがいろいろとYoutubeにアップされていて、そんな本作のドラマ版を流し見していて、最後の「原作では金田一耕助は出てきませんが~」ってテロップがおかしかった。金田一耕助シリーズという名称ならともかく、横溝正史シリーズⅡなのだから、そのままでいいじゃないか。可哀そうに由利麟太郎と三津木俊助は存在を消されてしまったわけだw まぁ後に加筆して、金田一耕助の登場作品にするのは、著者自身も何度もやっていたことで、目くじらを立てるまでもないのだが、明らかに補陀落渡海にヒントを得たような設定に惹かれて、原作小説をポチった。 補陀落渡海のことは本作にも触れられていなかったが、本作はドラマ以前に何度も改題されて、その度に加筆や修正が入った最終Ver.らしく、なんでも初出時には、甲野家は紀州の出の設定だったというので、補陀落渡海から思いついたというのは、間違いないだろう。 ドラマと原作では当然いろいろと設定の違いはあって、中には片や殺された被害者の一人であるのが、片や(登場はするのに)実在はしなかったというものまであるが、整理していくと、大道寺綾子と犯人の設定の違いに収斂されていく。 原作の綾子は、逸早く虹之助と甲野家に関係があるのではないかと疑い、後には能動的に事件に関与(というか、事件を攪乱)までしているのだが、その割には影が薄く感じた。 それはドラマで綾子を演じた司葉子の貫禄なのかと一瞬考えたが、そうではない。原作の綾子が二十代後半なのに対して、司葉子は当時44歳だったが、それも関係ない。 原作では、彼女は甲野家と縁者の志賀恭三と恋仲であることを早々に由利麟太郎に告げている。一方ドラマではそれを隠していて、それが原因で脅迫まで受けることになるのだが、冒頭で知り合った金田一耕助にまとわりついて、鎌倉の自宅にまで逗留させる。 それは事件に耕助を関わらせる脚本上の方便であったり、(脅迫云々は)綾子の能動的な関与を減らす代わりに加えた司葉子サイドへの忖度、あるいはそちらからの要請だったかもしれないが、視聴者(少なくともわたし)にとっては、陰惨な事件の触媒になっただけの年増のバカという印象を強くさせたw いずれにせよ、制作側に責任がある。 犯人の設定変更も同様。 著者や乱歩の作品を読みなれていれば、身体障碍者が犯人というのは珍しくもないが、ドラマでのあの大きな変更は、あるいはこれも防衛的忖度が働いたのかもしれない。 しかしそれでは、救助時点で虹之助を診察した医者が無能、かつ虹之助の演技がトンデモなく達者だったことになる。最初に花火が鳴り響いた時点では、まだ凶悪な運命のイタズラに気づいていなかった筈であり、つまり三重苦を装う必要性も低かった筈なのに……。【注1】 ということで、多くのドラマ化作品と同様に、原作⇒ドラマで劣化したように思うが、一方で、著者の側に身体障碍者への若干の蔑視が混入している感もぬぐえない。 虹之助は誰彼問わずに毒を仕込んだということで、死ぬべき凶悪殺人者として断罪されて、綾子も含めて登場人物は誰一人彼の死を悼まない。しかし彼は幼時、聾唖だったが盲人ではない状態で九州の山窩の元に捨てられた。まずまともな教育は受けられなかっただろうし、あるいは「人を殺しちゃダメ」という最低限の道徳教育すら会得する機会がなかった可能性もある。幼児は無邪気に虫の羽根をむしり取ったりすることもあるが、まさにそのまま大人になったようなものだ。 これは綾子自身が、(たしか)原作でもドラマでも発言していたように、その教育こそ、ヘレン・ケラーに対するサリバン先生のようなチャレンジの機会だったのでは? 著者の差別意識というより、平均的な時代的感覚のような気もするので、むしろこちら方向の修正こそ、1978年のドラマ化で行うべきだった。根本のアホな改変をやめたうえで、金田一耕助に弁護のひと言くらいは言わせて欲しかった。もし今後本作が再映像化されることがあれば、ぜひ問題提起してほしい。 ところで、虹之助が義眼を得たのもそこにストリキリーネを仕込めるようにしたのも、彼が甲野家に帰ってくる前とのことだが、その手段と費用は誰が負担したの? 費用の工面はもちろん、虹之助が主体で動くのもかなり困難だと思うが。 再ドラマ時にはぜひ、ここもクリアにして欲しいw 【注1】とは言え、原作では虹之助が不用意に言葉を発するシーンがあり、謎を強める演出のひとつでもあるが、逆のベクトルで不自然である。 | ||||
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遠い昔に読んで大好きだった作品ですが題名が思い出せずずっと探していました。横溝先生の暗く淫靡な世界が濃縮されています 間違いなく今の私の『癖』を作った小説の一作品です | ||||
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副題をつけるなら、この言葉が合う。 それにしても、昭和8年に瀬戸内海1泊2日のクルーズがあったとは驚き。 初めの小舟の上に少年の入ったガラスの棺を渦潮のある海域に流すことからして、異常。少年もそうなら、家族も凄い。 由利先生、今回は犠牲者増やしたという印象です。 | ||||
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表題作と、短編2作が読める。 表題作は、最近、古谷一行のドラマを見たので、原作と比べてみたくなって読んでみた。 結果、40年以上前に読んだ高階良子の漫画版が、原作よりドラマより一番面白いのではないかという結論に達してしまった。漫画版を再読したくても、電子書籍化されていないようで残念。 短編2作は、時代が違うせいか、かなり無理がある気がする。 香水を喉の奥に吹きかけるって、ちょっと考えられないんだが・・・。 | ||||
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「仮面劇場」は由利先生と三津木俊助が登場、「猫と蝋人形」と「白蝋少年」は三津木俊助のみが登場。 「仮面劇場」 盲聾唖の三重苦の美少年虹之助の登場を発端に、3つの殺人事件と1つの殺人未遂事件が発生し、琴江が誘拐されるなど、テンポよく物語は進行していく。 小豆島の名家である甲野家の過去の人間関係が事件の背景にあり、琴江や跛の人物といった謎の人物の配置、絶世の美少年が物語の進行役になるなど、横溝正史テイストを感じさせる作品。 虹之助と甲野家のつながりは良く考えられていると感じたが、真犯人とその動機、虹之助の登場の仕方の不自然さ、ある人物の取った行動の不自然さ、毒物の投入方法、毒物の隠し場所、○○術といった真相には物足りなさを感じる。 「猫と蝋人形」 三津木俊助の妹通子に関係する事件。 自宅の前の川の淀みに流れてきた短刀が突き刺さった蝋人形、数日後に同じように短刀が突き刺さった状態で流れてきた通子の夫の死体と飼っていた猫。事件の発端は面白いし、一旦解決したと思った事件にはさらに裏があるのだが、真相は平凡。 「白蝋少年」 絶世の美少年の死体とその前で復讐を誓う醜女。 その二人の死体が深川の木場で見つかる事件。 その女が死んだ理由が何とも悲しい。 | ||||
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横溝先生の現代劇は、どうも金田一幸助でないと、気乗りしないです。偏見ですが。 推理小説としては他の作品と同じく、面白いのですが。 | ||||
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「仮面劇場」(昭和11年、21年改稿版)、「猫と蝋人形」(昭和13年)、「白蝋少年」(昭和13年)の3本を収録している。 由利・三津木ものである(「猫と蝋人形」には由利は登場しないが)。このころの横溝作品らしく、グロテスクな美と冒険活劇が混じったようなミステリとなっている。 「仮面劇場」は、意欲的な作品。ミステリにおける「犯人」像のひとつの挑戦となっている。これはこれで凄いと思う。しかし、もう少し頑張って欲しかった。後半でガタッと崩れてしまう・・。 「猫と蝋人形」と「白蝋少年」は、小品である。 | ||||
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この物語の主人公虹之助はヘレンケラーみたいに三重苦の持ち主。山かに育てられた設定になっているが…… 山かがどんな人なのか今一つわからずじまいであった。 | ||||
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