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凍
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凍の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全122件 61~80 4/7ページ
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| 山野井夫妻の個の強さと互いの信頼。 読むべき本のひとつであるとともに、知っておくべき人。 (本人たちは決して望まないでしょうが・・・) ところで、笹本稜平の「還るべき場所」は、彼らのとあるエピソードがヒントになってるのかも? | ||||
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| 旅行記「深夜特急」で知られる沢木耕太郎さんの小説が好きですが、この「凍(とう)」は、格別です。アルパイン・クライマーである山野井泰史さんが、同じくクライマーである妻と一緒に、ヒマラヤ山脈のギャチュンカン(, Gyachung Kang、7,952m)頂上をめざしたことを題材にしたノンフィクション的な小説です。 一般的に、大規模なベースキャンプを作り、そこから次々に前進キャンプを作りながら、大人数・大荷物で押し上げるように数名を山頂に上げる「極地法」(ポーラー・メソッド)という登山法があります。ものすごいゴミを捨てていくことが問題になっていますね。対して山野井さんの行なっているのは先鋭的なアルパイン・スタイルです。酸素ボンベも使わず、サポートチームもなく、単独あるいは数名で一気に山頂をめざします。こんなことも、初めて知りました。 ネタバレのことは書きませんが、内容は壮絶です。吹雪にあって、氷壁でビバークしたり、一気にクレーターに滑落したりといつ死んでもおかしくない事態が連続します。読み進むことを辞める事ができない一冊。 | ||||
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| これは本当に沢木耕太郎の書いたものなのであろうか? 読後に真っ先にこう感じた。ここまで衝撃的な題材を沢木が選ぶこと 自体が私には信じられない。 どれだけの文学賞を獲ろうが感心できないものは感心できない。駄作である。 | ||||
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| ノンフィクションだけにすさまじい臨場感。 特に奥さんの妙子氏のタフネスさには言葉が出ない。 一種、なにか頭の線が切れてるのかと思うほどの精神力には脱帽。 登山家や冒険家だけは分からない、何がそうさせるのか。 でも惹きつけられるのだ | ||||
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| フィクションかノンフィクションかを論じてる人もいますが、私はノンフィクションとして傑作でした。 論文ですら、それが果たして『すべて実証されている事実か』という問題になります。 文学は論文ではありません。 文学においては、作者の解釈が『事実』であると思います。 作者の主観や解釈を完全に排除した文学はありません。 客観的事実のみを読みたい方は、天候記録くらしか読み物はないと思います。 | ||||
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| 極限の人間には「生」というものに対する執着度が生死をわけるんだな、と感じた。 事実は小説より奇なり まさにこの言葉がピッタリ。 ノンフィクション小説を読むとフィクションは読めなくなる。 また、「男」と「女」の根底にある造りの違い(精神的なものであったり肉体的なものであったり)も感じた。 冬の夜に読むと、一層その世界をイメージできて、字も少し大きくて読みやすいので、すぐ読み終えました。 | ||||
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| いろいろな意味で打ちのめされた本でした。 まず、ノンフィクションというものの概念が覆された。小説に敵うドラマはないと思い込んでいた自分が恥ずかしい。 山へのひたむきな思い、パートナーとしての相手を思いやる気持ち、人間の限界値の高さ、どれも想像を絶する世界でした。 雪崩、低温、ホワイトアウト、切りたつ壁…、これでもかと襲い掛かる自然の脅威の前に、下さねばならない決断。「本当にそれで大丈夫なの?」登山には全く門外漢である読者も、山野井の判断にハラハラします。 お互いを信じつつ、でも「死」もありうる中での二人の行動。手足の指が18本失われ、食事もほとんど取れない妙子が、夫の力となり、必死にビバーグするテラスを作るさま、妙子を思いやり安全を確保する判断を下す泰史。こんな愛の形もあることに衝撃を受けました。 本書は、ドキュメンタリーであり、恋愛ものであり、冒険ものでもあります。 出会えてよかったと思える素晴らしい本でした。 | ||||
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| 友人から薦められ 購入し読みました。 よかったです。あんな人生もあるのかと思った。 | ||||
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| 読んでいて本当にドキドキしてしまいました。 山野井夫妻の冒険が凄過ぎました。そしてそれを描写する沢木耕太郎氏の文章力。どれをとってもすばらしい一冊です。 この本を読んでから山野井さんの情報を色々読みあさる位のファンになりました。 本当にすばらしい本でした。 | ||||
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| 20ねんか30年か前に著者のノンフィクションをよみあさっていた時期があったのだが、この作品だけよみそこなっていたので、購入して、読み始めた、改めて沢木耕太郎のインタビュの旨さと、感性に惚れ惚れする。 | ||||
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| 山岳物を漁り、本書に辿り着いた。 どんな優れたお話もこの事実の前には薄らぐ。 読了後、山ノ井夫妻の動画を観る事により補完された。 | ||||
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| ほんとに辛さが体験できます。 指を犠牲にするシーンなんてもうね。。。 面白かったけど 二度と読みたくないです(^^; | ||||
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| クライマー山野井夫妻による、ギャチュンカン北壁登頂の様子を描いたノンフィクション作品。 山野井夫妻のケースは決して遭難とは言えないが、以前に山岳遭難を描いた、ジョー・シンプソンの『死のクレバス』というノンフィクション作品を読んだ時と、非常に近いものを感じた。 凍傷治療の場面では、自分の体にも痛みを感じるような錯覚を覚えて、思わず何度かページを閉じてしまった。 | ||||
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| 趣味であり生きがいのクライミング、多大な迷惑もかけたであろう二人をヒロイスティックにナルシスト沢木が ちっとも珍しくもない、凍傷.切断 に関して 感慨深く(恥) 書き上げました本。 ベース、筆者、はたまた読者も 真面目すぎる | ||||
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| 死ぬ人は諦めて死ぬのだ。 俺たちは決して諦めない。 だから、絶対に死なない。(p276) 帯の一文に惹かれて読み始めたが、想像を絶する過酷な状況下での二人のクライマーの決断力、行動力の凄さに、時間を忘れて読み耽ってしまった。 新婚の身としては、主人公の夫妻が、お互いを信頼し合い、強みを活かし合って、最強のチームとして行動する様に、大いに心打たれた。一緒にいる時のチームワークはもちろんだが、別々の時にどこまで相手を信じられるのか。相手も必ず生還できると信じた上で、もし死んでしまっても、崖でないから死体は回収できる、また会えるとまで思える心の強さ。その心の強さが、二人を生かしたのだと思う。 山に興味がなくても十二分に楽しめる。 | ||||
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| あまり活字が得意ではない私でも、一気に読んでしまいました++ | ||||
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| 山野井氏は、アルパインスタイルの登山家としては、世界有数の方です。 そのことを日本ではどれだけの人が知っているのでしょうか・・・。 ご本人と奥様は、有名になるとかの欲求は全くないようですが、もっともっと日本で知られてほしいです。 著者の沢木氏の技術は素晴らしいもので、山野井氏の生い立ちからギャチュンカン登攀とその後の葛藤まで、細やかに描写されています。 山野井氏いわく、 「すごいと思いましたよ。だってロープをどういうふうに結わえて、どういうふうに登っているか、登山の技術を何も知らない状態から、あそこまで書けたわけですから、すごい才能なんだなと思います。 「ただ、いくら沢木さんが素晴らしい作家であっても、残念ながら、生で見ていないというのは決定的ですよね。僕らが経験したヒマラヤはもっと美しくて、もっと偉大で、もっと厳しいものだった。僕らが感じたものは、やっぱり僕らだけの大事なものなんです。(Do 2012 Summer号 掲載記事)」 本書の描写よりもっと美しくて、もっと偉大で、もっと厳しい世界は、本当に生で見ない限り追体験はできない世界なのでしょう。 小説としては最高のもので、退屈な部分が一つもない傑作です。 | ||||
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| 登山家にして冒険家である山野井康史さんは山岳での想像を絶する厳しい体験を身内にも語らなかったようである。ノンフィクション作家である著者は山野井さんと付き合うなかで信頼関係を構築し、徹底的な取材と実際に現場近くまで山野井さんに同行したりして本書をまとめた。 その内容は山野井康史さんと妙さん夫妻のチャジュンカン登攀の実録である。ヒマラヤの高峰チャジュンカンは標高7952メートル、二人は北壁をアルパイン・スタイルで一気に登り、康史さんが単独で頂上に達し、クライム・ダウン(+懸垂下降)で一時遭難状態になったものの、奇跡の生還を遂げた。時は2002年10月。ベースキャンプからスタートして9日間の壮絶としかいいようのない山との、自然との闘いであった。 2日目に7000メートル地点に達しビバーク、当初は二人で登頂の予定だったが妙子さんが力尽き、4日目に康史さんが無酸素で単独登頂。登りもさることながら下降こそ命がけである。頻繁に大小の雪崩に遭遇し、猛吹雪に巻き込まれる。 6日目に下降の途中で妙子さんが滑落、かろうじてロープで確保。絶体絶命の状況下で二人は全知全能をかけ、下山に成功。瀕死の状態でベースキャンプに到達。この間、予定した日数を越えたため、遭難の情報が関係者の間にかけめぐった。康史さんの気力、体力、冷徹な判断力もさることながら、高所でほとんど食事をとることのできない体質の妙子さんは男勝りの登山力を示した。下山後は、ふたりとも手足に蒙った重い凍傷のため、指を切断する手術を受けざるをえなかった。これらの一部始終が余分な形容を削いだ文章で正確に行程が綴られている。ギャチュンカン登頂は驚異的な偉業だが、常人で凡人のわたしはなぜそこまで、と思ってしまう。 本書は最初、2005年8月号の「新潮」に全文掲載された。その時のタイトルは「百の谷、雪の嶺」。チャジュンカンの意味がそうらしい。その後、書籍にするに際して「凍」と改題。「凍」には「闘」の意味も込めているという。指を失くした康史さんは2005年7月19日にポタラ峰北壁に初登頂に成功したという。 | ||||
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| 私は、いわゆる「登山」や「クライミング」というものは、やったことがありません。 丁寧な取材に基づき詳細に描かれていますが、読みにくさを感じる部分はほとんどありません。 簡潔な文章中に、器具や用語、地域に関する説明があって大変読みやすかったです。 読みやすいというか、読み進めることで、私の中にいる2人を早く下山させたい…みたいな軽い焦燥感に途中駆られながら読了しました。 想像を絶する状況。 最悪の状態でする、生きて帰るための決断。 何度も思わず「はぁ?!!」「無理!」 と発してしまいました。 そして、読後すぐにネットでまだ夫妻が生きてるかどうかを調べてしまいました笑 表紙もイイですね。 タイトルも。 死に近い挑戦を続けるお二人ですが、凄く地に足のついた人達だなぁとも感じました。 生きる事に迷いがない人は、強い… | ||||
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| これまで栗城という人が叩かれる理由がよくわからなかったのですが、この本を読み、その理由がよくわかりました。 「単独無酸素」とは大変なことで、栗城氏のような登山スタイルで「単独無酸素」を名乗ることが、いかに不敬な行為であるか理解できました。 | ||||
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