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愛と幻想のファシズム
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【この小説が収録されている参考書籍】
愛と幻想のファシズムの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.12pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全107件 61~80 4/6ページ
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内容はまさに”幻想”のファシズムについてです。 およそ30年前に書かれた小説とのことで当たり前ですが 現在と時代背景は異なります。 驚くべきは弱者への差別、ファシズムという命題に堂々と挑んでいることです。 人間という生き物の弱さを鋭く指摘した上で狩猟を至上とし農耕を弱者と 定義しています。システムに拠らなければ生きていけない大衆を 嘲り、容易く操ります。作者は他民族に犯されることを知らず、危機感をもたず 見下されていることにすら気がつかない日本人(=農耕民族)に苛立っているようにも感じました。 はるか上から自分たちを見下し操ろうとする”システム(ザ=セブン)” を情報操作で自分らと同じ土俵に引きずり下ろす様はまさに現在の システムの脆弱性を示しているようです。 発想が突拍子も無いこと、物事がうまく行き過ぎること 最も興味のわく政権をとった後の狩猟社の記述がないことが 残念な点かと思います。一方で鈴原冬二は強いリーダーのいないこの国で (生まれてはいけないが)望まれている存在なのかなと感じました。 正直この小説は読者を選ぶと思います。この本は少数派である 有識層かつ強者の視点から描かれており、(自分も含まれますが) システムに拠らなければ生きていけない多数派の弱者を卑下する 内容であるからです。しかし抗い難い魅力があることも事実です。 現在我々に落としがたい垢としてつきまとうシステムを破壊し 原始の時代に回帰したいという曖昧な願望が心の奥底に確実に 存在するからです。 | ||||
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農家である私に憎悪の念を抱かせ作者をハンティングしようと思わせた。これも作者の策略か。 私は動物として生き残るより人としての死を望む。 | ||||
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久し振りにダンボールから取り出して目を通してみた。 南米発のデフォルトで米ソが手を取り合い、日本にカリスマが登場する 物語。 書かれたのが1987年だが、現実の歴史は、1991年バブル崩壊、1997年に アジア金融危機と山一破綻、2002年にITバブル崩壊、2007年にサブプ ライム問題、というように「システム」の本質的課題を先送りにする 毎に起こる問題の深刻さが増して来るようだ。 主役の鈴原トウジはハンターだ。でも「ハンター」は、今、本家アメ リカでは、発達障害の文脈で語られることが圧倒的に多いようである。 行きどころは、CIAかNASAくらいなのだろうか。 日本ではどうか。アメリカに追いつく前に「アメリカという巨大な システム」の崩壊に直面することになるのではないだろうか? 村上龍の勉強量の凄さにはこの作品を読むたびに今でも圧倒される。 でも、彼の本当の凄さは30年先を見通す独特の直観力にこそある だろう。10年先、いや早くて5年先を見通す手がかりとして、 20年前に書かれたこの本を今一度手に取ってみることを多くの人 にお勧めしたい。 蛇足ながら最後に。「固定客」のいる作家の作品にレビューをつける のは、小心者の自分には結構勇気が要りました(笑)。 的外れな意見と思うなら、どうか看過下さい。 | ||||
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久しぶりに本棚にあったこの本を読んでみて, 作者が当時,そして現在も抱えている危機感を, 20年遅れてようやく共有できた気がした。 いまだにこの小説が80年代前半に書かれたこ とが信じられない。まるで今の日本を20年後の 歴史家が,当時を思い起こして描いたかのよう である。 例えば「グローバリゼーション」というコト バを使わずに,この現象が正確に描かれるので, 逆に本質がよくわかる気がする。 「現在」を映し出すように描かれた小説はい くらでもあるが,誰もみたことのない「未来」 を見てきたように正確に描いたこの小説は恐る べき文学である。 | ||||
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村上龍氏の最高傑作だと思う。 これ程時代を切り取り、日本という国を切り取り、エンターテインメントとしても最高の 文章に落とし込んだ作品は珍しい。 「今」読めば、「今」でしか感じられないモノを感じます。 一度読み始めれば、一気に読み切ってしまう。 兎に角、ご一読をお薦めします。 | ||||
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ハードカバーが1987年に刊行されていて、何かの雑誌の連載小説だったらしいので、書き始めたのは1985年、プラザ合意の頃であろうか?1990年代を舞台とした近未来小説として書かれているが、時間軸で言うとその先に来てしまった現在にいる今読んでもなんら色あせておらず、それどころかある種の預言書なのではないかと思われるほどのリアリティを持つ。 この小説には現在起こっていること、起こりつつあること、起こるはずも無いけど起こってほしいことなど、さまざまなことが書かれている。実世界と比較するとインターネットや携帯電話などの社会インフラの発展により加速した部分や割愛された部分が多々あるのだが、米国によるグローバルスタンダードなど本質的な部分が言い当てられていることを考えると、バブル崩壊以前にこの小説が書かれていたというのはすごいことだ。 僕が小学生だった1985年と35歳になった2008年で比べると世の中はえらく殺伐として無機質なものになっているように感じている。1985 年当時、うちの両親の世代も、彼らの幼少期と1985年を比べて同じようなことを言っていた記憶がある。経済発展、技術発展の先にあるもの、それらが必要とする合理化の先にあるものは、圧倒的に無機質でつるんとしたものなのではないだろうか。人間が地球の表面にこびりついたつぶつぶのようなものだとすれば、無機質でつるんとした地球には人の存在する余地は無い。つるつるにしていく行為は自分たちに対する排斥行為に当たることになる。深読みすればこの小説は、そんな人の世の向かう先すら示唆してしまっているのではないかと感じられる。 長いですがお時間があればぜひ読んでみて頂きたい。 | ||||
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中学生の頃、夢中で読みました。 バブル期、バブル崩壊の頃の様相を反映しているようですが、今読んでも全く古さを感じません。 古い価値観を破壊して、新しい価値を創造していく事とはこんなにもすさまじいものなのかと、興奮を覚えました。 できれば、自分もこういう改革の当事者であればなぁと淡い夢を抱いたのを覚えています。 | ||||
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バブル経済といわれた、日本経済絶頂期の長編小説。「閉塞感」というあとがきのキーワードが示すように、それを打ち壊したいという願望がシミュレーションされている。タイトルに「ファシズム」とあるが軍事よりも経済的。 この小説の主要人物は『コインロッカー・ベイビーズ』のハシ・キク・アネモネがモデルということなので、『コインロッカー・ベイビーズ』を先に読んだほうが良いかもしれません。『新世紀エヴァンゲリオン』の元ネタは確かにありますが、内容とは無関係でした。 力作ではあると思いますが、特に面白いとは思えませんでした。好みが分かれる作品だと思います。そういう意味において『愛と幻想のファシズム』は、村上龍作品が自分の好みに合うかどうかの試金石となる作品だと思います。 | ||||
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二週間掛かった。長い。 トウジになるのか ゼロになるのか スケールの大きい話。バブル崩壊手前で書かれた作品。 極限状態で、同じ人間関係が保てるか。そういう判断基準もあるんだなぁと思った。 読み方次第で、犯罪者を作り出してしまう作品だと思う。 また数百冊の経済関連書籍を読んだ著者。細かい部分まで徹底して書いている気がする。知識不足でよくわからない。 システムへの反抗というテーマは難しすぎる。わからない。 引き込み度が高い作品。 | ||||
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発表当時に読んだ。バブル真っ只中にも、バブル崩壊後にも、そしてほんの何日か前にも。 本作は政治的な側面が強いが、昨今経済分野での仕事が目立つ村上龍氏の経済小説の原点と言える作品か。 主人公「トウジ」を中心とする結社の伸張が描かれる上巻では、読者は言葉にできにくい「高揚感」と「不安」を持つのではないか。 高揚感は閉塞感に対する風穴の期待の裏返しであるし、不安は「ファシズム」という語感に対して我々が受けた教育の反映だといえる。 ファシズム=悪という「常識」的な刷り込みに揺さぶりをかけてくれたと言う点で、私にとって本作の価値はとても大きい。 為政者は動機の道徳的崇高さで評価されるべきでなく、結果で評価されるべきであるという「マキアヴェッリ」的な視点に立てば、日本だけでなく各国の現政体が最適な形態であるかには疑問を感じる。 強力なカリスマ性を持ったファシストが歴史から姿を消して既に半世紀以上が経過した。 平均的な教育を施されたこの国で「トウジ」が現れる可能性は限りなく低いだろうが、強力なカリスマ性と優秀なテクノクラート組織を合わせ持ったファシストが現れたときに、我々は本当にその魅力に抗えるのだろうか。 バブルの全盛を迎える前に既にこの作品を世に問うていた龍氏の視点と、本作を貫く圧倒的な筆力と龍氏自身の若さ故の作品全体に漲るエネルギーを高く評価しないわけにはいかない。 | ||||
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1987年発表の作品の下巻。 上巻で伸張した主人公「トウジ」率いる結社の国外の対立勢力との闘いを描いていく。 上巻で圧倒的なスピードで勢力を拡大したトウジ達が直面する、国外勢力の壁。 下巻で描かれる主人公達は「閉塞感」や「疲労感」をまとって描かれている。 さらに結末はあまりに儚い印象を受けた。 システムの埒外から革命的な組織を作ろうとしていても、現状を打破するためには現状のシステムを取り込まざるを得ないという、トウジたちのジレンマが行間から伝わって来るようだ。 現代社会でトウジ達のように「適者生存」を大原則とした政策を掲げることはおそらくタブーであろうが、生物活動上の大原則である「適者生存」は、これからヒトという種が健全に繁殖する上では、とても抗いがたい魅力を持っている。 医療の進歩や技術革新は本来生存すべきでない個までを、社会的コストやリスク負担を伴って生存させてはいないだろうか。 適者のみが生存できる社会は本当に非難されるべきだろうか。 道徳的な人権思想やミクロな幸福感を満たすために、生活習慣病的にゆっくり社会全体あるいは種全体が病んでいく。 気付いたときには複合的かつ不可逆的な病の進行が明らかになるだけ、そんな社会を我々は望んでいるだろうか。 あくまでフィクションであり、現実に起こりえる可能性を考える必要はないかもしれない。 ただし、平和でのどかな「人権思想」に基づく「平等」社会は、本当にヒトにとって理想的な社会であるのかと言う点をこれでもかと揺さぶる良作である。 | ||||
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中1の頃に買って途中で放棄した小説。 大学2年の今、読み返す。 間違いなく今まで読んだ小説の中で、ストーリー、構成、スピード感、リアリティ全て圧倒的No.1。 中1の時に買って読んだが、途中で諦めた理由も今になってよくわかる。 知識の量が絶対的に足りないからだ。 中1の僕にこの小説を読みこなせるほどの常識力も、経済、政治の知識もなかった。 この小説ではヨーロッパが民主化に向かうことや、ソ連が崩壊することは予測されていない。 だが、今私達がこんな日本に生まれ、生きているからこそこの小説はよりリアルさを与えてくれる。 1989年に書かれた小説とは思えないほど、リアルで現在に通じるものが充分にある政治小説。 村上龍最高傑作と言っても過言ではない。 私達は今、こんな日本を望んでいるんだろうか? | ||||
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村上龍の諸作の中でも意欲作という意味では屈指の作品。 僕は村上龍の最高傑作は「コインロッカーベイビーズ」だと思っている。同作が発表されてから 既に20年以上経っている。つまり僕としては この20年間 村上龍は それを超える作品が出せていないと判断していることになる。 そんな中で 本作は惜しいといえば惜しい。 村上龍の身上の一つは 野球、映画、テニス、ゴルフ等への広範囲な好奇心にあると思う。実際 村上は実に軽快なフットワークで いろいろなものに挑戦してきている。実際 本をかく前は 美大生であったわけだし その前はバリストを行う佐世保の高校生だった。本を書いた後も 映画監督をやるなど 要は 中々騒がしいお方である。これは誉めているのだが。 その村上が経済とテロに注目して作り上げた近未来の日本を舞台にした小説が本作だ。 経済とテロという題材で読ませる村上の筆は大変なものである。かような題材を扱った小説としては 嚆矢の部類に入ると思う。今読んでいても先見性はあるし 面白い。 但し 幾分か「詰め」が甘いような印象をどうしても感じてしまう。小説がSFになってしまい 「絵空事」という範疇に かすかに入ってしまっている部分があるからだ。「コインロッカーベイビーズ」もSFながらも最後まで圧倒的な現実感を失わなかった点との差があるのだと思う。 しかし 面白い。村上龍のフットワークの軽さは 僕らの財産の一つでもあるのだ。 | ||||
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順番は逆になりますが、「希望の国のエクソダス」以来久々に 村上氏の小説を読みました。エンターテイメントとして本当に 楽しませていただいたというのが正直な感想です。 こちらの知識不十分のために、満喫とまでは行き着くことが 出来ませんでしたが、 ・世界経済の知識(近代の経済史) ・世界の近代史(特に明治大正昭和の日本の歴史) がしっかりとしていれば、☆5つ以上に楽しめる作品のように思います。 この小説がバブル崩壊以前に書かれていることや、 現在でさえも閉塞感や経済的半植民地状態が続いていることを 考えると改めて村上氏はすごいなと思います。 それからもう一つ分るのは、歴史をしっかり分析・研究すれば、 やはりある程度未来は予測出来るんだということでしょうか。 | ||||
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今でこそ時代錯誤な作品だが、当時としてはなかなか鋭いものだったと思われる。淡白な文章ではあるが、要所ではそれなりの力を持って迫ってくるものがある。上巻は、作品としてはうまく着地していると思う。 ただ、下巻のほうも含めると、個人的には評価が変わります。 詳しくは、当方の下巻のレビューをご覧ください。 | ||||
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上巻までは、良しとして下巻はクオリティという観点からみると落ちたように感じる。 まず、上巻で圧倒的個性を持って描かれていた登場人物たちが、どこか物語を進める上での駒のように、のっぺりと描かれている感じがした。 次に、明らかに付け焼刃な作者の専門知識(薀蓄とでもいうべきか)を、だらだらと著述するだけという箇所が大幅に増えた。これのせいで、物語進行が妨げられ、話がどん詰まりになってしまっている。 メリハリが感じられない文章のせいで先の展開がさほど気にならず、ラストの感動も減退してしまった。 ただひとつ褒めるとすれば、作家としてのイデオロギーを示そうという努力が見受けられることかと思う。 | ||||
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村上龍は自らを、「私は寓話作家だ」と語っているが、この作品は、彼が作り出した「寓話」の中でも最上級のものだと思う。好きになれる作品です。 | ||||
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もう10ウン年前に読んで吐き気を催しました。自分の中にあるヒューマニズムを「弱者が群れる為の偽善」と情け容赦なくズタズタにしてくれます。対する主人公トウジの強者生存、生態系の論理は問答無用に美しく、物語の人物達ご同様引きずり込まれそうになります。が、この本が単なるヒーロー小説を凌駕しているのは既存のシステムの枠外にいてそれの支配を憎悪するカリスマが既存のシステムを破壊する為に自らも新たなシステムの一部に転化せざるを得ないという「王の悲劇」が描かれているところにあると思います。最後に誰も指摘してないんであえて書きますがこの小説の本当の主人公はゼロです。 | ||||
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不思議に思ったのでコメントしておきますと、この作品の下敷きは間違いなくニーチェの「ツァラトゥストラ」でしょう。とすると、オリジナルはもう100年以上前に書かれているわけで、特に新味はないということになります。しかし、それはこのような小説を構成した作者の才能がないことを意味しません。 とすると、主人公に託して作者が訴えたかったと推測されるメッセージは、おそらくアンビバレントなものではないかと思います。当然、ニーチェを誤読した戦前ドイツがどうなったのかはすでにわかっているわけですから。 この小説の主人公に、何の疑問もなく感情移入できる方は、自らのメンタリティを冷静に見つめ直す要があると思われます。また、「改革に反対する者はすべて悪だ」と断言する、強権的なリーダーを待望する国民の多くにも・・・ 減点したのは、あとがきで「ボクこんなに勉強したんですよ」とのたまう稚気と、本文の文体にナルシスティックなものを感じるからである。高橋和巳の「悲の器」やウンベルト・エーコの「薔薇の名前」らと参考文献量という観点でのみで比較すれば比べものにはならないだろう。文体については、それが多くの読者を引きつけるというポジティブな役割も果たしているのだろうけれども。 | ||||
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頭脳明晰、容姿端麗、強烈なカリスマ性を併せ持った狩猟人、鈴原冬二が日本を、そして世界を牽引する! 主人公鈴原冬二がゼロを初めとする優秀な部下達と共に徐々に表舞台に立ち上がり、世界を動かしていくさまがとてもリアルに描写されていて爽快!筆者は本書を執筆するにあたって百冊に及ぶ文献を熟読したというのもうなずける話だ。中途半端な日常を過ごす若者たちに刺激を与えるであろう強烈な力作! | ||||
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