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愛と幻想のファシズム
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【この小説が収録されている参考書籍】
愛と幻想のファシズムの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.12pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全107件 41~60 3/6ページ
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手にとって納得したなら判りますが、状態は酷くページ変色・擦り傷あり、しかもガイドラインから外れていないという説明でした。 中古でもネットでは状態良く見えないのでハッキリ説明すべきです。 現代は、見える化、説明責任の時代です。 | ||||
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冒頭からやたらかっこいい。 主人公達はクラシックを聴きながら、やたらお酒の名前を口にしつつ、 寸暇にはダーウィンを読んだりする。 「鳩が餌を食っていたから死のうとした」 と、文学的な文句をもりこみつつ、気恥ずかしいくらいのかっこよさで万事が進んで行く。 主人公もサブ主人公もその恋人も、 皆がなにかしら退廃的で選民思想にかぶれ投げやりで、それがなんともいかしている。 というのが、90年代ぐらいの感覚だったのかもしれない。 古い本だし、今の感覚でいささか時代がかった感じがするのは当たり前かもしれない。 問題はサバイバリストである主人公にまったカリスマがないことで。 社会で生きるということの根本は狩りである、というテーマは、 まぁその通りだと思うが、少し成功した実業家などがいかにも言いそうなことで、 少し特異な環境で生きた主人公がその理屈を痛快に披露してくれるからといって、 世の知識人や成功者が彼に投資をするかというと、まったく想像ができない。 ピエロとしてまつりあげようかとは思うのかもしれないが。あるいはそういう皮肉がこもっていたんだろうか。 | ||||
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ニーチェの影響か、権力の意思というものが上手くかけてる。 「狩猟」という観点から超人思想ではないが、実際にファシズムが起きるとしたら こうだという非常な唯一無二のリアリティがある。ただトントンと話が進みすぎるような気がしないでもない。 もう一捻りあってもいいような気がする。 村上龍の主人公は勝利者だ。勝利者が勝つという当たり前でできていて、そこがこの小説の醍醐味だが キリスト教的なひねり、奇跡に慣らされていると、では奇跡はと求めたくもなる。 それがないところがこの小説の良さでもあるのだが多分私がキリスト教に毒されているからだろう。 奇跡は? 救いは? と問いたくなる。 神は死んだというニーチェ思想というところから順当に彼らは勝っていく。 多分私は彼らに狩られるだろう。だがその前に時代精神として立ちふさがるだろう。 そういう妄想にかられるほどよくできた小説。 | ||||
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村上龍ファンです。 いかんせん文体が、尻つぼみ……。オープニングのテンションのまま進んでほしかった。 他に素晴らしい本があるだけに、ここで沢山の人に評価されて、代表作(思考的には確かに代表作なんだけど)みたいになってるのが、ファンとしては黙ってられない。 | ||||
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ドライブ感というか疾走するかのごとく、たたみかける感じがある上巻が好きで購入。 | ||||
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ok no problem fine. good enough nice | ||||
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ok no problem fine. good enough nice | ||||
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非常に面白い誇大妄想気味のエンターテイメント。 願わくば、副主人公の死ではなく、組織そのものの瓦解か何かを描いてほしかったです。 そうじゃなければあまりにもご都合的ですし。 | ||||
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若干、「そんなアホな」とつっこみたくなる展開が多い気がします。 たとえば私設の武力組織はまさに万能だし、要人に対しては脳のケミカルをいじる薬を使ってなんでもできるし 主人公たちのパーティーは用済みになった人間以外は、下巻で一人を除いてほとんど誰も消えない 結局、「トウジは運がよかった、まさに奇跡的に」と片付けざる得ないような感じがします このへんは「5分後の世界」のほうが圧倒的に現実感があるので、それと比べると少ししらけてしまいます。 しかし、アメリカに飼い慣らされているという話には妙にリアルな感触があります とくに、この小説は「経済・金融システム」(政治はそのための道具)と、それに抗う人間をテーマにかかれているのですが 2012年の現在、金融をみているとすくなからず実感を持たざるを得ません。 アメリカの資本はドルが基軸通貨であることを利用して、情報とニュースをコントロールして自己の利益のためにあらゆる通貨の価値を誘導しています。 そしてアメリカと日本の関係は、僕がよくしならい、僕が生まれる前の状況と何も変わっていない むしろ悪くなっているという感覚が明瞭になってきます。 5分後の世界やコインロッカー・ベイビーズなんかは、読み終わった後、どちらかというと登場人物や情景に思いを馳せるのですが この小説の場合はオダギリやキク以上に強烈な個性を持っているトウジや極寒の狩猟場ではなく なぜかリアルな世界との対比に思いを馳せてしまい、なんとも薄気味悪い閉塞した気分になります。 「そんなアホな」と思われる展開が多いにもかかわらず、リアルなのです。 リアルじゃないという錯覚は、それだけ今の日本がトウジ的なもの、狩猟者的なものから遠くはなれているという事実からくるのでしょう。 | ||||
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私はもう、この本の世界が好きか嫌いかで言うと、そんなに好きじゃないし、どこか嫌悪感すら感じてしまう。 それなのにおもしろい!もう相当前の作品なのに、つい最近書かれたものだといわれてもほとんど違和感がないように思う。 著者の徹底した現実主義・リアリズム、何かオブラート・きれいごとに包まれたものを顕にしてしまうようなするどい描写が読者にカタルシスを与えている。著者がこの作品で描いた世界は真実かと言えば、まだわからないのだけれども、これだけ力のこもった現実描写はあまり見ない。 | ||||
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この小説では、「鈴原冬二」という主人公のカリスマ性に、周囲の人間、そして財界・政界を含む日本中のひとびとが惹き付けられていく、という設定をベースに物語が進められます。 ところが、この小説の最大の問題点は、この鈴原冬二なる人物に、まったくカリスマ性や魅力が感じられない点だと思います。 幼いころから苦労して学んだわけでもない、ふつうの家庭で愛情受けて育ち、金融界や政界で経験を積んだわけでもない、驚異的な頭脳や論理的思考能力があるわけでもない、ただちょっとハンティングした経験があるだけ、というバックグラウンドしかないこの人物に、日本中が熱狂的に心酔する必然性が、全く描けていないのです(なぜか声が聴衆を魅了するのだ、といった記載はありますが…)。 その肝心な部分がいい加減なので、小説全体に全く説得力がなく、物語に入っていけません。 また、セリフの応酬で、どちらが喋っているセリフなのかが理解できない部分が多い点もマイナス評価としたいです(どちらの人物でも言いそうな内容なので、発話者を特定できないセリフが多い)。安易に人間を殺していく手法や、ご都合主義な展開が多い点も、やはり評価できません。 | ||||
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まず、読むのに体力を使う。疲れる。 登場人物達の個性に圧倒される。 そして、そんな中で彼らに憧れていく自分がいる。 彼らは現代のシステムに反抗していく。 僕らがあいまいに意識している支配構造へ。 主人公のトウジは個人として完成されている存在だ。 そんな存在になることが今を生きる方法なのかもしれないと感じた。 | ||||
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重厚。 伊坂幸太郎「魔王」のレビューで本作を知り、初めて読んだ。 圧巻だった。 村上春樹、伊坂といったベストセラーが今ひとつ心に響かず、自分に問題があるのかと落胆していた。が、村上龍に出会い「自分はこちら側の人間だ!」と感じた。救われた思いである。 暴力的にヒューマニズムを否定する主人公達が、弱者を「淘汰されるべきもの」として切り捨て、独裁へと突き進む物語。 主人公の忌み嫌う「システム」、その象徴として「農耕」が名指しされる。 農耕により食糧の大量かつ安定供給が可能になった結果、ホモサピエンスの大繁栄がもたらされた。これは生ぬるい「弱者をも内包し得る社会」でもある。 農業に限らず、現状維持的な企業、団体、民主主義国家というシステム。これに無自覚・思考停止状態で「安住」する大多数の「弱者」。これらに対する「狩人」の嫌悪感。 そして立ちはだかる、さらに巨大な「狩人」。 思うに「弱者」を「大衆」という言葉に言い換えると、分かりやすいのではないか。 未熟児だったこともあり「弱者」側の視線で生きてきた私は、「自分は淘汰されるべき存在なのではないか」ということを考えていた。小学生の頃の話だ。 そんな自分が40歳を過ぎた今、はっきり言えるのは、 「弱者こそ危機感を持ち、思慮深くなければならない。それでこそ生きる価値がある」 ということ。 逆説的ではあるが、危機意識を持った本当の「弱者」は、意外に強い。 一方で、自らの弱さが見えていない盲目的な「大衆」は、集団で溺死させられたネズミのようになり得る。 本作で筆者は、そんなことを言いたかったのではないか? 二十余年の時を経た今も、全く色あせない渾身の一作。ぜひ、若い人にも読んでもらいたい。 | ||||
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前編に比べて後半はスピード感は上がりながらも淡々と読了。ラストはあぁそこで終わるのねと思いながら、納得しました。最後には破綻してしまうのでしょうが、おそらくこの小説のテーマからは逸れてしまいそうなので。 個人的には、狩猟と農耕を反義語として、また小説の中でも文字通りに受け取り読んでしまうと、主題からは逸れてしまうように感じます。あくまで分かりやすい例えであり、農耕批判をしているのではなく、システム、プライド、自身での決断(本質的な意味で)の有無ではないかと。 システムがシステムを荒廃させてしまう一面もあり、それも人故のこと。機械的なシステムは常に正確ですが、変化に応じて新しいシステムを生み出すのはやはり人間なのでしょう。あくまでツールであるのに、そのツールを使う事や利権、手段と目的を混同していく事は多いモノです。 戦後の日本は、誰もそのシステムについて責任を負うこともなく、またそのシステムになれてしまい、人は考える事さえ放棄してしまう...。もしくは、システムの一部になっていることにさえ、気がつかなくなってしまうのでしょう。 コインロッカーベイビーズは読んだ事はありませんが、あとがきからすると一連の流れがあるようなので読んでみようと思います。 | ||||
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10年以上前、大学生の時代に読みました。 村上龍は『希望の国のエクソダス』をはじめ、予言的な小説を書く事で話題となりましたが、 その先駆けが本作であったと思います。 感想は、「とにかく疲れた」。 情報量が豊富で正確なうえ、それらが物語に乗ることで魅惑的になり、 中だるみすることなく、一気に読むことを強いるような力が本作に宿るため、 読了する頃にはヘトヘトになっていました。 今でももう一度読んでみたいのですが、あの疲労感を思い出すと、 気力・体力が充実した時でないと無理だなと思います。 ちなみに庵野秀明の「エヴァンゲリオン」を好きな方にはお勧めです。 この作品の主人公二人の名前は、エヴァ中のあるキャラの名前にも使われています。 | ||||
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政治や経済に関しては無知なので、ウィキを使いながら何とか読破しました。(でも別に細かい知識は無くとも読めます。)読みながら思ったことは、村上龍さんは私(達?)が漠然と考えていて、でも形にできないものを実にうまく表現してくれるな、ということでした。体制への不満、アメリカ追従という日本、流されるだけの国民、プライドの無い人々、彼らへの侮蔑と憎しみ、そして苛立ちが文面から伝わってきました。それらは日本に生きる私が日頃感じていたことでした。反面、感情移入できないのはこの物語が強者(トウジ)の視点で書かれていることです。私の祖父母は農家です。両親も私自身ものその恩恵に与って安らかな人生を歩んできました。トウジ等はその農民を徹底的に軽蔑し攻撃します。それは自分自身を否定されたように感じました。でも、それを差し置いてもこの物語は一読の価値はあると思います。弱者でない方には痛快な読み物となるでしょう。 | ||||
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如何にも上巻という内容だった。 登場人物の紹介に徹しつつ、 下巻へのお楽しみの種を多数蒔く。 若い人から老人まで 年齢はバラバラだけれども 共通しているのは理想と信念を持ち若々しいこと。 しかし、若さは思わぬつまずきを招くことも・・・。 下巻も、楽しみに読みたいと思います^0^ | ||||
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上巻以上にスリリングで臨場感もあって 作品のスピードさながらに猛スピードで読みきってしまいました。 職場の人に薦めてもらい読んだのですが、 「コインロッカーベイビーズ」と、なんか雰囲気が似ていて好き 読んでいる途中、職場の人にそんな感想をもらしたところ、 筆者が書くあとがきに驚きのコメントが載っており、思わず、 「コインロッカーベイビーズ」をAmazonで購入してしまいました(苦笑) 他のかたも書かれていらっしゃいますが、 バブル崩壊前に、まるで世界経済の未来を 予想するかのような想像力と取材力には頭があがりません。 現代にも通ずる一冊と推奨させていただきます!! | ||||
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ご都合主義的にストーリーが進行してゆき、ただのハンターがカリスマになるのを不自然に思わせないのはさすがの筆力。 コミック的な経済小説だが、細部が村上氏のおベンキョーによって強力に補完されているため、すんなりと現実感を感じて読める。 現実と虚構を入り交じらせてリアリティーを醸しだす手法は海外小説では「ジャッカルの日」などに見られたが、この手のジャンルとしては日本では嚆矢の部類に入るのではないだろうか? ありえたかも知れない過去、ありうるかも知れない未来を氏は好んで描く傾向にあるが、その意味でもこの作品は氏にとっても最初の作品であり、また転機でもあったと思う。 前期作品においてはやはり「ブルー」や「コインロッカー」を引きずっていて、ご本人も自らを「詩人」だと思っていたらしいが、今や「長編作家」であるとし、おベンキョーしては吐き出す大江健三郎的作家になってしまった感がある。 そして、氏にとってそういったタイプの最初の作品がこれだと思う。 それは村上氏が、大江氏と同じく社会経験なしに作家になってしまったが故の必然であり、今となっては殊更不自然でもないのだが、そのバイアスが作品にも大いに反映されている。 この作品でも氏の権力やシステムに対するある種のルサンチマンを嗅ぎとることは容易だが、その独特の英雄待望的傾向や反民主主義思想に対する興味深さをひとまず置くとしてもエンターテインメントとして秀逸であり、とても楽しめる作品である。 最も作者の分身に近いと思われる副主人公がファシズム体制について行けずに最後に自殺を遂げるところを見ると、案外作者も「民主的」かと安心させられるところもある。 | ||||
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主人公が、いかにカリスマとなっていったか。そしてどのように日本を、さらに世界のシステムを再編しようとするかを描いている。スケールが大きくて、疾走感があり、わくわくする作品だ。 主人公の一人称で書かれているのだが、そのために主人公の個性をあまり感じないことが不思議だった。語り手である、ハンターを自認する主人公の描写が乏しくなるのは当然だが、そこに本人が新たなシステムの部品に過ぎないという一種の傀儡性を感じて、皮肉などんでん返しを予想してしまった。だから、平地から駆け上がって休まずに上り詰め、頂上が見えた瞬間で終わってしまうような終わり方に賛否はあるだろうが、私はこの結び方は正解だったと思う。 「半島を出よ」「ヒュウガ・ウイルス」「五分後の世界」と遡って読んできたのだが、一連のテーマの原点とも言える、既存の社会やそのシステムに対する作者の苛立ちとそれに甘んじている国民への怒りが感じられる、良く研究されて書かれた経済シミュレーション小説だ。 あとがきにも触れられているが、これこそ村上龍の作家としての転換点にあたる作品なのだろう。経済番組のホストとなる対外的な看板を掲げた明確な第一歩だったのではないだろうか。 なお、文庫版のあとがきにある、主人公たち3人が「コインロッカー・ベイビーズ」の主人公たちの生まれ変わりである、という言葉もファンとしては嬉しかった。 | ||||
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