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イデアの洞窟
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イデアの洞窟の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.43pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全4件 1~4 1/1ページ
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書物は、知の五つ要素のうち、二つまでしか内包し得ない、 それは、「名前」(単純に事物の名前)と「定義」(事物に 関する文章)だけだ、と古代ギリシアの哲学者プラトンは云う。 残る三つは「心象」「理解・認識」「イデア」となる。 直観隠喩法により「心象」ではおもにヘラクレスの功業や百合を持つ乙女の イメージを示唆し、「理解・認識」では註釈とメタフィクションを隔てる壁を 時おり穿ちながら、翻訳者と物語にふしぎな関係性をもたせ、 書物の二元論を破壊します。 著者(分身)はイデア否定論者で、恒常不変な超越存在に懐疑的であり (しかしイデア論については中途半端にしか触れられていない、 ただ彼がそれを信じていないと註釈されているのみである)、 刹那的な法悦を求めるカルト教団の行状を残虐な筆致で描いています。 彼らは、理性・論理など何の役にも立たず、ただ本能の赴くがまま 生きればよしとし、プラトンが開設したアカデメイアの教えと 真っ向から対立する態度をとります。 青年たちはアングラ劇団で狂的な喜劇に興じたり、 プラトン的「愛」(プラトニック・ラヴなる俗語があるように)と 相反する肉欲に耽ります。 上述した刹那の悦びも然りで恒常への反発と見ていいでしょう。 プラトニズムに対する批判が随所にあらわれていると思います。 | ||||
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読む者を迷宮の世界に運ぶ小説である。一般にメタ・ミステリとして評価されているようだが、むしろ斬新な手法を駆使した意欲的なミステリと考えたい。プラトンが実名で出てきたり、イデア論議が展開される場面があったりするが、作品自体は衒学的ではない。 土台の物語は謎の人物が書いた古代アテネで起こる美青年連続殺人事件。探偵役は<解読者>ヘラクレス。物語は英雄ヘラクレスの冒険談を模して12章から成る。そして本作自体は、主人公がこの物語を夥しい注釈付きで翻訳して行く形で進行する。本作自身も12章から成るという凝り様。元の物語は「直観隠喩法」というメタファーを使って書かれ、章毎にヘラクレスの冒険談を暗示している。そして物語が進むに連れ主人公は登場人物に自身の姿を見るようになり、遂には物語に主人公が登場するようになる。ここに至って読者は、主人公が物語を翻訳しているという設定が現実世界のものなのか、主人公の妄想なのか曖昧模糊としてくる。更に主人公は何者かに監禁された状態で翻訳を続ける。そして最後に待っている"真実"とは...。これが現実世界なら物語を書いたのは誰なのか ? そして、本作における主人公の存在意義は ? (私小説ではない)虚構小説における登場人物と作者(翻訳者)の関係の諧謔的考察と古代アテネ社会の風刺的描写を通じて、人間社会における"真実"の虚妄をトコトン追求した傑作ミステリ。 | ||||
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この本は、古代ギリシアの匿名作家がパピルスに記した推理小説『イデアの洞窟』を、モンターロという人物が編纂したものを、『わたし』という人物がスペイン語に翻訳したものを、ホセ・カルロス・ソモサが書いた推理小説『イデアの洞窟』を、ソニア・ソトが英訳したものを、風間賢二が日本語訳したものです。 何段もの階層構造をしているというか、翻訳が行われている訳ですが、さて、どこまでがフィクション(小説)で、どこからが現実でしょうか? もちろん、そんなことは、ちょっと考えれば、すぐにわかることです。でも、読んでいると、その境界が、わからなくなってきます。きっと、間違えてしまうでしょう。 おもしろい本でした。 | ||||
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単にタイトルに惹かれて手にとって見ただけであったが、読んでみるとなかなか素敵な一つであった。目先が薄ぼんやりと霞んだ展開の仕方もあり、休む間もなく350ページを読んでしまった。「わたし」はギリシャ語で書かれた『イデアの洞窟』の翻訳に着手し、脚注の形でその進行状況が語られる。古代の学術書・資料には原典にも「誰々の編集」というものがあり、この『イデアの洞窟』には一人の編纂者しかいなかった。「わたし」はやがて、この本の異常な性質に気がつき編者に連絡を取ろうとするが、彼は既に『イデアの洞窟』に呑み込まれていた。…………。 二重構造になっている。というのはそのままの意味で、「わたし」の世界と『イデアの洞窟』の世界の二つが平行して進行することを指す。この『イデアの世界』の中では殺人事件が起こり、ホームズとワトソンが調査をして回るというお話なのだが、これがまた入り組んでいて面白い。ホームズというのは私の比喩で、作中では「ヘラクレス」というが、その名の通り、作品の文体は「直観隠喩法」という、作品の主題から離れたイメージを読者に喚起する手法が用いられていて、それにより「ヘラクレスの12の受難」が象徴的に現れる。これは一体なにを意味するのだろうか?こうして翻訳者の「わたし」は『イデアの洞窟』に引きずり込まれてゆく。この「直観隠喩法」というのは時代的に考えても、著者の勝手な創造だと思われる。 エーコやナボコフが既にある現代にとっては、何とも手法に斬新さが無いと感じられるかもしれないが、この手法の面白さをここまで使い切るのは楽しい。読むのに予備知識として古典ギリシャ悲劇、プラトンについて少しあったほうが楽しく読めるだろう。 | ||||
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