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紙の月
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紙の月の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.78pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全102件 61~80 4/6ページ
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角田光代さんの本は4冊めになります。これと似た話は角田さんの「三面記事小説」の中にも出てきます。 そちらは短編集なので、紙の月ほど登場人物は多くありません。 紙の月は映画化されると知って本を読んだわけですが、そうなると映画も気になりますね。いずれ映画も 観てみたいと思います。 紙の月では梨花がどうして横領犯になっていくかが細かく書かれています。光太との出会いが無かったら、 または違う形であったなら、梨花に子供がいたとしたら、正文が異動していなかったら、梨花が料理教室 に通うことが無かったら、もしどれか一つが違っていたのならこういう結果にはならなかったのかもしれ ない。 また、梨花が5万円の化粧品を顧客から預かったお金で支払っていなかったら。それがなかったら、梨花 は横領などしなかったのではないかと思う。ふとしたきっかけで横領犯になってしまった梨花。梨花が自 分のしていることを客観的に見ることができればまた違ったのだろうと思う。 光太の男としての魅力は若さだけのような気がする。しかし、好きになってしまえば魅力など関係ない。 存在自体が魅力なのである。なので、梨花が取った行動がわからないこともない。しかし、そこは大人で ありブレーキをかけなければならないこともある。しかし、梨花にはそれができなかった。結果として、 もう戻ることはできない、行けるところまで行こうということになってしまった。可哀想だとは思うが、 そういう点では大人になっていなかったのだ。 八日目の蝉もそうですが、角田さんの小説にはとても惹きつけられます。一瞬でも、希和子と薫が本当の 親子のような、梨花がこのまま幸せに暮らせそうな錯覚に陥ります。もっと角田さんの作品を読んでみた いと思います。 | ||||
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あっという間に読めた。誰にも感情移入はできなかったけれど現実味があって面白かった。 多分、他人の不幸を楽しむような嫌な感覚だ。 どの登場人物も流されて生きていてイライラする。人間的魅力がないとつくづく思う。 満足することを知らず、皆ばかみたいだ。 | ||||
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角田ファンです。 女性の細やかな心の動きや無意識の悪意を描くのが非常にうまい作家で、今作もその辺りはさすがです。 大学生の彼が魅力的でないというレビューもあったけれど、横領にかかる異性がダメンズというのは非常に現実的だし、ダメンズぶりも説得力があります。 主人公が堕ちていく過程のなかで、女性の就労や男女差別、役割意識、高齢者の孤独といったもの、時代の歪みがあぶり出されていく構成になっており、社会な作品でもあります。 作者は恋愛が描きたかったといっていましたが、この作品のテーマはタイトルからしても「お金」です。 恋愛がどこに描かれているのかわからなかった。最初から最後までお金の話。 誰も恋愛してないし、あるのは空しさとそれを埋めるための何か。 そういう意味でも、このタイトルは秀逸ですね。 自分はなんのために金をもつのか、それでなにを埋めたいのか、深く考えさせられました。 途中で別の視点からの物語がいくつか挿入されるわけですが、それが中途半端というか…消化不良で物語のスピード感を乱していた印象をぬぐえません。 別の視点からの話は1つか2つにして、メインの話ともう少しリンクさせるようにした方が良かったのでは。 その部分がマイナス1です。 | ||||
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映画版が大入り満員御礼・批評家全員絶賛売り込み中・50億円突破になってる原作。 「客観的に見ていかに非合理でも、人は夢を見ずにはいられない。 そうでなければこの世はあまりに救いが無い。 ドンキホーテ的な」(宇多丸) 作品である。 ドンキホーテって、すべての物語の原型なんだな・・・・・ | ||||
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素直に面白いと思うけど、主人公の梨花も友人の亜紀、木綿子、元カレの妻も、みんな自立心のない女たちだなと思った。 そういうところが私の価値観とまったく違うので、誰にでもある闇とは思わなかった。 与えられるだけの人だったから男に与え続けたのだと思う。それが高校の時の途上国の子供たちへの寄付にも結びつく。 寄付もそうだが、与える行為とは難しいのだ。経済的自立ができるような支援でないと、もらい続けなければならなくなる。 ここに出てくる女は基本的に甘っちょろく、クリエイティビティでないのだなぁ。 身の丈にあった生活の中で、楽しいことはたくさん作れるし、ブランドものを着なくてもかっこいい人はたくさんいるし、ブランドで固めてる人は逆に寒いし。などなど、30過ぎてるんだからわかるだろ?と突っ込む部分も多々あった。 | ||||
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何となく思い立って1日で読みました。 桐野さんほどの毒は無くて読みやすく、また桐野さんのあの皮膚がひり付くような感覚までは感じませんでした。 (別に桐野ファンでは無いけどドロドロ系と言うことで) でも同世代だし、容赦無く年は取って行きあくせくと変化の無い毎日を過ごす中でまたドキドキするような事が起こったら・・・そして少し足を延ばしてお金を出せば、きらびやかな世界に行けるのであれば(私は九州の地方住まいなので、たまに上京すると驚かされます)・・・全然リアルじゃない!理解できない!とは正直思わなかったですね 東野圭吾の古いのばかり読んでる母に回そうと思います。 | ||||
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何が欲しかったんだろうと思わせておきながらのラスト。 う~ん。物足りない。逃げおおせてくれればよかったのにな。 | ||||
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一人の女が何の魅力もない男に貢いてゆく・・・そんな単純な話ではないと思いました。 大金の横領も味付けに過ぎないのではないかと・・・ 問題は何も求めていない愛人にひたすら貢ぐ姿でした。また貢がれ続けた亜紀の娘の結果も・・・お金を貯めることに執着した木綿子の娘の結果も・・・ 全ての親が当てはまるとは思いませんが、我が子に何から何まで与え続ける親。または真逆に物を全く与えない親。 そういった日本を分かりやすくお金に翻弄される女性を描きながら訴えたのではないかと思いました。 不景気な日本と言われてますが、圧倒的に物質は豊かになっていると思います。 質を問わなければ100円で日常品が揃ってしまう日本です。 改めてお金の使い方、大切さ、そして心はお金では繋ぎ止められないと言うことを考えさせられました。 沢山の習い事にゲームに洋服・・・幸せすぎる日々・・・その中で子供たちが親の願い通りに育ってくれれば良いのですが・・・ 梨花のような寂しい人間が増えませんように・・・ 亜紀のように物を与えてれば、気持ちを紡いでいけると言うような大人が増えませんように・・・ 木綿子のようにお金に振り回される人間が減りますように・・・ 祈るばかりです。。。 そして自分自身、お金に振り回されずに生きていけますように。。。改めてそう思わせてくれた作品でした。 | ||||
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著者の作品は初めて読んだが、なかなか良い、映像化されるらしいが主人公の梨花役は、宮沢りえはピタリとはまると思う、今から楽しみだ、。 | ||||
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かなしい“さが”を感じました。 ちょっとしたきっかけが知らず知らずにエスカレーションし、ぐるぐると火だるまになっていく。 最初のきっかけは、さりげないさまであり、見過ごしてしまうような事象だと思います。 多くはそういうところでストップがかかるものかもしれません。 そういったきっかけは元をただせば、今の生活環境であり、さらには生まれてからの環境が影響するんだと痛感しました。 だれでも条件が組み合わされば、このような事態を招くことがあると思います。 付き添って養われているんだ、そのことにより上下関係があるんだという思いは、やがて自分自身も同じような行為をしているといった因果を省みる事ができます。 これも、自分自身が気がつかないうちに、そのような行動・行為に走ってしまうのだと思います。 この主人公の行為はわるいのですが、そう思う前に、渇望を満たそうとするところが、どうしてもかなしくて、切なく映ってきます。 主人公の知人と対比させることにより、主人公の像が浮かび上がってきます。 主人公は金銭欲ではないので、与えることに対して欲求が満たされるのです。 それは二次的に生産加工されたものに満たされているのです。 学生の頃に海外に寄付をして、手紙が返ってくるという”与える”ことに満足するのです。 一方、主人公の知人は、背景があるもののいずれも金銭欲であり、モノトーンで満足感を得るのです。 現実がしっかりとみえない、まさしくタイトルにある「紙の月」は、月のごとく見えてはいるが、それは幻想の中にあるのです。 現実をしっかりと見据えれば、“紙で作った月”ではなく、本来輝きある月が見えてくるんだと力説しています。 また、”作った月”はその努力により、不変の形であり、直に手に取ることができるのですが、本当の月はただ見ているだけですが、日々色や形が変化し、その遠くからの輝きに届かなくても愛おしみを感じるものです。 | ||||
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どうもリアルだなぁと思っていたら主人公と同年代で、まさに 「同級生のりかちゃん」。 梨花にも他の3人や牧子にも、かなり感情移入しました。 お金をテーマに、時代とその時代に育ち現代に至る女性、夫、若者、老人、すごくリアルに描かれている。 梨花や牧子ほど裕福ではなかったけど、ほしいものはたいてい買えて育ち、成人後は振り返ればバブル真っ最中だったけれど、当時は疑問なんてなかった。リッチなステイタスとか、真面目に働けば誰もが普通に手に入る(と思ってた)。 不妊治療だって今ほどメジャーではなかった。 サリン事件以降どんどん不景気で、末端まで節約・節約生活って、それにも限度がある。 梨花の夫も、夫婦は基本お互い様だけど、 きちんとした良い妻なのに一度のささいな事にかこつけて?、全く触れない、金銭面で張り合うなんて男性として‥どうなんだろう。 かなりすれ違ってる。でも大抵は、離婚したくないし至らない。 女性の心理と時代をすごくちゃんと描いていて秀作だと思いました。 この国は、庶民はみんな傷ついてる。こんな不景気になって。真面目に働いても財を為せない報われない、教わって努力してきた事が全く通用しない。貧富の差。そんなことを感じました。 | ||||
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八日目の蝉で、「どうして私だったのよ」というセリフで有名に なった角田さんの作品です。 こともあろうに、宮沢りえさんの帯にひかれて手に取りました。 買ってすぐに、あんまり好きな題材ではないことに気が付き、読む のを躊躇しましたが、出だしのチェンマイが好きな町だったので。 題材は、よくある女子銀行員の、若い恋人への貢ぎから、口座の 操作から、痴呆老人の財産管理。膨れ上がる嘘から嘘への連鎖。 はまり込む蟻地獄に、気が付けばもはや蟻地獄の針は深々と 痺れる毒をゆっくりとゆっくりと、しかし確実に送り込む。神経が 麻痺する。現実夢。もはや白昼、深夜不明の状態で、迷走を続ける 梨花さん。 あまりにもよくあるシチュエーションで、またこれか。 というボヤキに、少しづつページをめくるのが辛くなっていたの ですが、最後に。 三尺玉って、基本的に単発なので、ヒョロヒョロヒョロッとあがり、 弾ける。普通の花火だなあ、と思っていると、周りに小さな花火が 弾け出し、大きな円に光を紡ぐ。 そんな感覚でした。 女性の狂気。平凡な日々に潜む危険。その香り。 家を守る犬よりも、餌をねだる、危険が迫ればすぐ逃げる猫を思い 出す。そんな作品でした。 基本的にありふれた、よく聞く題材をこんなまとめ方。 90点。 これがありふれた題材に思える自分がちょっと悲しい。 | ||||
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横領がばれてチェンマイに逃げた梅澤梨花(41歳)を 彼女と、彼女の友人知人 中高時代の同級生・岡崎木綿子、すごい節約家でクラス会にタッパー持参してあまりものはお持ち帰り。 卒業してから付き合ったモトカレの山田和喜、不倫真っ最中。 主婦になってから料理教室で知り合った岡崎亜紀は買い物症候群 その3人とから語られていくのですが、 ほんのちょっとしたことから人間が堕ちていくのが結構リアルで。 ああ、こんな風に人はほんの少しの不満をほんの少しの事で解消していたのが、 少しずつエスカレートしていき、 嘘を嘘で取り繕ううちに抜き差しならなくなっていくのだなと。 お金で解決できることはたくさんあるんだけど、 お金で解決のできないことをお金で解決しようとするからこんなことになるのよね・・・ 依存に陥っていく罠はいたるところにあるのだから。 自分で自分を律することができるかどうかが別れ道なのだろうけどね。 この小説、本当に嫌な奴ってのは登場しないんですよ。 しいて言うなら梅澤梨花の夫がそうなのかもしれないけど、 ちゃんと生活費渡すし、暴力振るうわけじゃないし、 まあ、妻に無関心かつちょっと俺様、そしてセックスレスなわけですが。 だからといって世の中もっとふざけた夫はたくさんいるわけで。 でも、梅澤梨花が一番駄目なのは、すべてにおいて受動的。 何をするのも自分で決めるというより人の顔色をみるばかりで。 うん、本当に嫌な奴は出てこない代わりに、 魅力的な人間も一人もいない・・・ すごく気持ちの悪いお話でした(笑) | ||||
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主人公の梅澤梨花の気持ちに、なかなか共感することは出来ませんでした。 それは、私が男であるからかも知れません。 平凡な結婚をし、専業主婦として子どももない暮らしがどんなものか、想像もつかないからです。 その単調で退屈な暮らしが、この物語の引鉄かも知れないと思いました。 それ故に働いたパートから、働くことで自立の意識を持ち、その自信が若い男の甘い言葉に誘惑されていったのかも知れません。 本当の「愛」を知らずに結婚し、「お金」でもって「愛」を買った女性と言えるのかも知れません。 主人公が、化粧品の支払いに集金してきた金に手を付けてしまうシーンがあります。 まさに、魔が差した瞬間です。 それが、すべての始まりになります。 私は、このシーンを読んだ時、ムルソーが太陽のまぶしさに引鉄を引くシーンを思い浮かべました。 何故、そこで「不条理」の世界を思い浮かべたのかは解りませんが、何となく共通するものがある様に思えました。 それにしても、「お金」を巡って様々な女性をこの小説で見ることが出来ます。 中條亜紀と岡崎木綿子は両極端化も知れませんが、確かにこうした女性はいます。 そこから考えると、主人公は金銭に関しては普通の女性です。 でも、「愛」を買うために「お金」を必要とし、不毛の地へと踏み出してしまいます。 女性の使い込みは、男へ貢ぐことによって起こると言う事は、経験上言えることだろうと思います。 それも、大人しくて真面目な女性ほど、その危険がある様に思えます。 この主人公も、まさにそんな女性です。 | ||||
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神の月 とても面白かったです。 人間の欲望、特にお金に関することを考えさせられました。 人って、幸せになるためにお金が必要だけど、お金だけでは、満たされないものが沢山あって、 難しいですね?! | ||||
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「森に眠る魚」が面白かったのでその後何冊かこの作家さんの本を読んでいます。 この作品はドラマを先に見てしまったのであらすじや結末もあらかた知っているのに読み進めるに従って息苦しくなりました。 若い男に大金を貢いで一億円横領してしまった愚かな女性の話・・・ではなくて、まあ世間的にはそうだけどその女性にとってはちょっと違うかなみたいな。その”おろしたての石鹸”みたいにきれいで正義感の強かった女性を知っている周りの人々にとっても腑に落ちない事件でいったいあの彼女がどうして・・・とか言っちゃってるその周りの人々自身の金銭がらみの問題もひっくるめて展開していくのですが。 あくまでも養ってあげてる感ありありの器のちっちゃい夫に対しての反動や年若い男の子に対する見栄やそんなところから始まって、本来手に入れることの出来る筈の、それこそ本当の自分の世界を夢中で追い求め続けた結果気がついたら一億円使ってしまっていましたという感じでしょうか。そのエスカレートしていく様があ~わかるわかる、そうそうそういう感じあるよね的についつい感情移入してしまい、そういうところ角田先生は本当に上手だなといつも感心してしまいます。だからよけいに息苦しくなってしまうのでしょうね。 | ||||
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『八日目の蝉』『対岸の彼女』に比べると細かいところでやや雑ですが、続きが読みたいと思わせる力は『紙の月』が最も強いです。友人や元彼たちのエピソードの入れ方もうまいです。新聞小説は冗長になりがちですが、そういうこともなく、すばらしい1作です。これからも角田作品を読み続けたいと感じました。 | ||||
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評者は本書をほぼノンストップで読み通すことができた。 本書の主人公は、梅澤梨花という41歳の神奈川県に住む主婦である。 梨花は夫の正文と2人暮らし。世間的には大きな不自由のない、ごく普通の夫婦である。 しかし梨花は毎日の生活に対して、本人にもよく分からない何かの違和感のようなものを抱いている。 それから脱却するため、近所の銀行にパートして働き始めた。 そして銀行の仕事の中で平林光太という大学生と知り合った。 そこから坂道を転がり落ちるように転落し、不正に手を染めていく。 梨花のストーリーがメインストーリーで、他に梨花の中高時代の同級生・岡崎木綿子、モトカレの山田和喜、 料理教室で知り合った岡崎亜紀の3人のストーリーがサブストーリーとして展開される。 評者が本書を読んで感じるのはお金のというものの持つ力の大きさ・魔力である。 世の中のどんな人間でも、何らかの不満や空洞や悔恨や違和感を持って生きている。 しかし、そのような不満や空洞は、実は、お金、大金さえあればほとんど解消することができるのだ。 しかしだからといって、それをお金で解消しようとすれば、今度はお金に翻弄されてしまう。 本書のラストシーンでこんなフレーズがある。 「いこう、この先へ。 …。この先に未知の私がいる。逃げおおせれば私はさらに新しい私に出会う。 だからいこう。どうせ逃げ出したのだ。さらに遠くへ逃げればいい。」 無限のループから、さらに遠くへ逃げ切ることができるだろうか? 評者は、逃げ切ることができることを祈る。 評者はこれまで、角田光代さんの作品は『八日目の蝉』『対岸の彼女』等数作しか読んだことがない。 なので、あまり発言権はないが、本書は『八日目の蝉』と並ぶ傑作だと思う。 | ||||
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古本屋を色々と探したが見つからず、ネットの方が簡単で早かった。初めからネットで探せば良かった。状態も良く満足してます。 | ||||
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登場人物の名前梅澤梨花、中条亜紀、山田和貴、等たびたび表されて文章が出来上がってる所が解り易く良かった、悪い事をしているのに読者としては逃げ切れれば良いのにと思ったりしたが最後にやっぱりかぁと言う思いでした。 | ||||
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