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春にして君を離れ
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春にして君を離れの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.50pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全207件 101~120 6/11ページ
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| ジョーンはホームから離れた地で、自分の今までを回想し、真相と思えるものにも手が届いていた。なのに。 変わったように見えたけれど元の場所に戻るとまた元通り、それってリアル。 旅行先での新鮮で刺激的な経験は家に戻ってしばらくすると薄れてくる。日常が舞い戻るから。 感じたことを忘れない為には、定期的に思い出すようにしないとな。写真やアルバムを見返すでもよさそう。 感情は揺れやすいものだから、気持ちよりも習慣や日常を変えないと本当の変化は訪れないのかも知れない。 他人は、自分が思うように感じているわけではない、という事は肝に命じておきたい。 ロドニーはいい旦那さんを全うしていると思う。 | ||||
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| 読むのが早すぎました…。 大人になってから読めば良かった…と、少し後悔しております。 主人公のジョーンが「嫌な母親…」という印象が強くて始終不快感があり、物語も回想録のような流れで退屈だと思いました。 それでも再読していく内に、なんとなくこの小説の悲哀に満ちた魅力が分かるようになってきました…が、あまりにも人生経験が浅すぎるため何かもっと深い意味(作者の伝えたいこと)があったとしても、私にはまだ分かりません。 分からないことは幸せなのかもしれません。(なぜこんなことを思うのだろう) しかし、多少の不快感を覚えながらも何度も読み返してしまう不思議な作品であり、それ故に最高評価をつけました。 将来読み返した時は、傑作だと思う日がくるかもしれません。 「愛するだけでは十分ではないのだ」(ジョーンの言葉引用) 愛がある場所には喜びがある。 愛がある場所には安らぎがある。 相手を傷つけるのならば、それは愛ではない。 私は単純にそう考えています。 ジョーンのように、相手の心情を欠片も理解しようとしない愛は愛ではありません。 しかし、ジョーンの心の奥底にはちゃんと純粋な愛があるような印象も受けます。 まるで、彼女の「絶対傷つきたくない」という強い想い(自己愛)が自らの愛を殺してしまってるかのようです。 正直、ジョーンの視点に立つことは困難です。 これは私がまだ若い(というか幼い)からなのだと思います。やはり読むのが早すぎたと痛感しています。 もっとこの作品を理解できるようになりたいのですが…。 ※追記 私は今まで「この夫婦の人生を変えたい」と思ってましたが、それは自分のエゴだと気づきました。 人は常に「他者を変えたい」という、誘惑を持ってるような気がします。 しかし、時と場合によっては、干渉しすぎない【無関心】というのは、「見捨てる」ということに繋がります。 『何が正しくて、何を愛といえるのだろうか。』 『私の選択は、エゴなのか?愛なのか?』 人を愛するのって、簡単なことなのに、なぜこんなにも複雑に感じてしまうのでしょう。 | ||||
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| アガサクリティーなのにミステリーではない。 ミステリーと思い込んで読んでいたのだが人は死なない。 ある既婚女性の回顧が延々と語られる。夫や子供達、友達について。 ある日彼女は気づく。これまでの私は自己中心的で相手の気持ちなど一度も考えたたことがなかったのじゃないかと。そのときの焦り、困惑ぶりにゾッとする。 自分はどうなのか?と考えてしまうから。 サスペンスと言われれば確かにそうかもしれない。 自分がどんな人間か考えて自分が厭になったらどうしようかと。 結末でどうするのかと思っていたが、これでよかった。この方が楽だ私も。 | ||||
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| 国や時代を離れても共感できてしまう、凄いですね。主婦のなんてことない語りなのに、グイグイ読ませられました。 「あんな事があった、こんなに私は幸せ、あの子はだめね、あの時だって…そういえばあれはどういう事だったのかしら。よく考えたら…そんなわけないない、でも…」 何度も重ねられる記憶の中のシーンが響き合って。人の死なないミステリを堪能しました。 人の為と言って人を操ることが無いようにせねばな…と自分の姿も振り返りました。 | ||||
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| クリスティーによる物語も、中村妙子さんの日本語訳もすばらしいです。 これまでに読んだクリスティーの作品で、最も日本語訳が好きだと思う作品です。 ストーリーについては、他の方も多く書かれているので、ここでは、訳について少しレビューしたいと思います。 例えば、 車の車輪が泥に取られたため、作業をする男たちの描写 「……サンドイッチを食べ食べ、二人の男がスコップで泥を掘ったり、ジャッキを投げ合ったり、…。男たちは悪態をつきつき、汗を流しながら働き、車輪は怒ったような唸り声をあげて空廻りした。」 「食べ食べ」「つきつき」とは、日常的にそう使われる言葉ではなく、部分的に抜き出してもしっくりこないかもしれません。 でも、文章中で読むと、とてもリズム感が良く、男たちが活発に作業する様子が、読みながら感覚としてよく伝わりました。 これは、一例に過ぎませんが、すばらしい訳だと思います。 「春にして君を離れ」というタイトルは、シェイクスピアの詩の一節から抜き出したもので、英語では「Absent in the Spring」というようです。 このタイトルの訳が中村妙子さんオリジナルかどうか、私が少し調べてもわからなかったのですが、これもまた、素敵な言葉ですね。 機械的な訳ではとても生み出せないタイトル、日本語訳だと思います。 以下、直接関係のない話ですが、 ソフトやプログラムを用いた翻訳が発達して、じきに人間が行う翻訳の仕事がなくなるのではないか、という話を聞いたことがあります。 しかし、本作を読んで、それはまだまだ難しいと実感しました。 うまく言えないのですが、物語を翻訳するという行為は、機械的なものでは決してなく、小説を執筆することと同様、文学作品として創作するということに近いものではないかと、本作を通して思いました。 | ||||
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| 期せずして、人生観がガラリと変わった時を挟み、2年ぶりに、再度、読むこととなりました。 端的にいうと、私自身を主人公に投影出来るのか、出来ないのか、という大きな点において、変わっておりました。 私の一度の読破では、きっと細かな部分や伏線において十分理解ができないことを含めても… 2年という年月の間におきた、「自分を振り返るべき出来事」によって、まるで主人公が、以前の私のようであると思えるようになりました。 また、今回の読書にて、アガサクリスティーという作者の作品について、そして物語、人の感情、関係性、人生について堪能し、楽しむことが出来ました。 勿論、まだきっと理解しきれていない、分かった気になっている部分があるかとは思いますが、まるで初めて読んだ別の作品のようで… | ||||
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| 一気読みだった。 事件の起きないアガサ・クリスティーの小説は初めて読んだが、まさか自分がこんなにショックを受けるような内容だとは思わなかったし、この本は小説というより、自分にとってはもはや事実であった。 ずっとこの本を読みながら、心の奥底で、50代の母を思い浮かべながら読んでいた。 最後に、栗本薫さんの解説――「ジョーン・スカダモアを連想させるような家族を私が持っていた」という文を読んだところで、こらえきれなくなり(自分が母を思い浮かべては打ち消しながら読んでいたことに気付き)思わず少し、泣いてしまった。 私の姉は、母を嫌って実家には近づかない。しかし、私はどうしても母を愛してしまう。 ひとりぼっちのジョーン。 誰も愛せず、誰からも愛されない。 この本のラスト2行を読み終えた瞬間思ったのは、正直に言うと「私は母をひとりぼっちにはさせまい、無条件に母を愛する人間がこの世に一人くらいいないとあまりにもかなしい」ということだった。 今更、母に何を言うつもりもない私はロドニーなのかもしれない。(夫か、親を選べない子供かという立場の違いは大きいけれど) その一方で、恐ろしいかな自分もまた、ジョーンにそっくりだと思った。 自分は母によく似ている。 だからなのかわからないけれど、私はとても自分の子供を産む勇気は持てない。 心のどこかで、自分本位な自分を恐れているからだ。 自分もまた、ジョーンのような妻、母親になるのではないかと、いつの頃からか思っている。 「人を愛すること」とは本当はどういうことなのだろうかと、今一度自分に問いかけるきっかけとなった。 この本が心に突き刺さる人は、きっとこのことを深く考えることになるだろうと思う。 ついでに…ロドニーは確かにもっと他にやりようはあったとは当然思うところであるが、彼はあくまで結婚という契約を遵守したのかなと。なのでロドニーに対してあまり悪感情は(少なくとも初読では)抱かなかった。エイヴラルとの対話で、「お前は決して母のようにならないはずだ」と暗に諭したシーンでは、彼は彼で自分の行いの結末を受け止めているようにも感じた。 | ||||
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| してもよいと思う。 女性にしか書けない視点だし、この思い込みのきつさはクリスティーの作品ではおなじみのキャラクターです。 姉妹には強く勧めた記憶があります。 時代変われど、所変われど。。。うーん皆一緒 | ||||
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| 1人の女性が、自分を見つめなおすという、興味ぶかい内容。どんどん読み進めていった。 | ||||
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| アガサ クリステイーの作品は色々読ませていただいたのですが、この本は知りませんでした。 そして、こんな小説をおよそ100年も前に書かれていたのですね。 人の気持ちのわからない人、でも、自分ではそれでよいと思っていて、何も疑わない。 自分の信じている価値観で生きていて、それに属さない人は 間違っていると信じている。 今風にいえば 発達障害にもあたるのでしょうか。 子供の虐待にもつながることをしておきながら、自分はよき母 よき妻と信じて疑わない。 本人に悪気はないけれど、身近にいる人間は、一緒に生活しているのがつらくてしょうがない。 その当時ももちろんこういう人はいたのでしょうが、 教養ある上品な人間として振る舞われているので、 社会的には罪には問われず、本人も自分は正しい人間だと思っている。 こういう小説を書けるアガサはやはりすごい作家だと思います。 | ||||
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| アガサクリスティーがこのような本を書くとは知りませんでした。本当の意味でミステリーなのかも知れません。「何も知らずに生きていく、それは哀しいことだけど」という昔誰かが唄っていたのを思い出しました。 しかし、恐るべしクリスティー。 | ||||
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| 中年になると、「私の人生はこれでよかったんだろうか」と振り返ることがあるという。心理学などでいうところの、いわゆる「中年の危機」である。 「もしも、あの時、こちらの道を選択していたら、どんな人生だっただろうか」 という、生きられなかったもうひとつの(あるいは別の)生き方を思うことがあるという。 主人公の主婦も、そんなひとり。子供たちが巣立ち、人生の残り時間を意識するお年頃・・・・というありふれた主題なのだが、ぐいぐいと引き込まれてしまった。推理小説のように、主人公の人物像が一点に集約されてゆく。 ミステリーの女王といわれたクリスティーがこんな小説を書いていたのは驚きだった。 もっとも、出版時は、ミステリーファンをがっかりさせないため、クリスティー自身により「メアリ・ウェストマコット」名義で発表された、ということも初めて知った。 七つの海を支配したといわれる大英帝国だが、この主婦の旅にもそんな残像が背景に描かれている。 イラク(バクダッド)からトルコ、ヨーロッパを横断して、故国イギリスまでの女のひとり旅。 だが、そんな広い土地がみんな小さくなってしまうほど、彼女の家族やその周辺の人々のことが語られる。 時代は作中では、「ヒトラーが戦争を始めるかもしれない」という話題からも、原作の初出が1944年(昭和19年)ということからも、時代背景のずいぶん違う作品のはずだが、親子、夫婦の普遍的なものがたくさん盛り込まれている。 さいごの栗本薫さんの解説も若々しく鋭い。こういう事って往々にしてあるな、こういう人っているな、と思う。 他人に対して共感を欠く人、ということだが。 この主婦は、昔気質でいわゆる「良妻賢母」ともいえる、完璧な女性。 父が軍人だった、ということからも、義務や規律を重んじる家庭に育ったのだろう。 この主婦の「ちょっと変」というか、ある意味「暴力的」というか、そういうところが子供たちにとっては辛かったろうが、そこを夫君である父親が補ってきたらしい。 しかし、その夫君は決して優しいだけの男ではないものの、どうやら「強い女性」が好きらしい。 恋愛結婚だったという、この主婦を妻にしたのは、夫にとっても運命の出会いだったのだろうなと想像できる。 この「母」と同性である娘たちは、いったいどんな家庭を築いてゆくのだろうか。 そういう意味ではたぶん、異性の「息子」よりも、同性の「娘たち」の方が、苦労が多そうな感じだ。 「平穏な家庭にもある微妙な問題」の、現代にも通じそうな見事な描写の小説だと思う。 部屋なんか、家なんか、多少散らかっていても、温かく細やかな愛情のある家庭が、子供にはいちばん、そう、「レスリー」の家のように、というふうにも見えるし、そうすると、”「理解ある親」をもつ子はたまらない ”という『こころの処方箋』にでてくる故・河合隼雄さんの言葉を思い出し、思春期にまでわかりあっていたら、それはそれでまた、大変なんだろうな、と、親の年になった自分の体験も絡んでいろいろと考えさせられる。 主人公の主婦は、生活に困る境遇ではなく、では「どんな妻」、「どんな母」であればよかったのか、”愛するだけでは十分ではないのだ”、と旅の途上で心を震わせる。 あくまでも健気な女性ではあるし、けっして悪人ではない。きちんとした恥ずかしくない人生をおくり、立派な仕事をやり遂げた。 昔読んだ、曾野綾子の『善人はなぜまわりの人を不幸にするのか』という本も思い出した。 でも、善人って、どんなひとだろうか? 思い込みや信念の強い人で、周囲にはちょっと迷惑、往々にして迷惑、という人は、男でも女でも、世の中にたくさんいる。 家族にとっては迷惑でも、仕事では有能な人、とか、場所により、役割やそれぞれの立場によっても変わってくるだろう。 それが、神ではない人の哀しさなんだろうか。 温和な夫の接し方は、「いやなやつ」とも言えようが、他人を(怒鳴り散らしたりして)変えようとはしない、という意味ではオトナ、それもまた愛であり、受け入れる強さ、といえるのだろうか? それとも、もっと語り合って(あるいは喧嘩でもして)、解りあえる可能性があるのだろうか? (この夫婦には、そんな可能性もあるような気がする。) 作品は、ハッピーエンドだろうな、というところまで話が行くけれど、どっこい現実は違った、という結末だった。 「あなたのお気持ち、(ぜんぶ)解ってましたよ。」という金婚式成熟シーンが、この作品の将来にはなさそうな気配だが、あったらあったで、気持ち悪いということになるんだろうか。または「妻は悪かった」、「母は悪かった」ということにされてしまうんだろうか、とまた、いろいろと考えさせられてしまった。 | ||||
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| 人生の節々で読み返すであろう本。 主人公のことを「いるいる、こういう人」と思った瞬間、自分がそうでない保証はどこにもないことに気づく。「自分は違う」と思うことこそ、主人公と同じ過ちを犯しているのだから。 精神の底のなさを切り取れるから、彼女の書くミステリーは単に「犯人捜し」で終わらないストーリーなのだろう。 誰も死なない、何の事件も起こらない、一人の女性が旅行して戻るだけの話なのにこれほど恐ろしいテーマがあるだろうか。 敬服します。 | ||||
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| たぶん、この本は手放さないです。 読んだ際に、自分にもこんな所があると意識できました。同時に危ないと思いました。意識していないと、自分も「こう」なってしまうと思ったからです。 | ||||
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| 遠く離れた異国の砂漠の地で汽車を待つ数日間に、 深い自己内省をせざるを得なくなり、やがて明らかとなる真相。 自分や家族をよく知っており、愛していたはずの自分が、 自分のことも家族のことも何も知らず、愛してもいなかったと気づいてしまう。 これは、自己再生に向う旅だった・・・・しかし、結末は。。。 古風な女性らしいジョーンの心の動き、彼女をとりまく家族、とりわけ、夫のロドニーの 彼女に対する憐憫、思いやりにのあらわし方が1940年代のイギリスらしさ、 また、クリスティらしい上品さがあり、とても楽しめた。 | ||||
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| 興味があったが、いいいのかなあって思っていたら、娘が買ったのですぐ読ませてもらいました。さすがクリスティーって感じの作品。こういった話って巷にいっぱいあるのに、口に出して語られることがあまりないところが怖いのです。きっとアガサが長年生きてきて、ふと感じた夫婦や家族の在り方をスパイスを利かせて書いたのでしょう。最初のつかみがおもしろくないと、すぐに投げ出してしまうこの私が、一気に読みました。珍しいです(笑) | ||||
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| 事件は何も起きない。 一人の初老の主婦の心の旅に付き添っているような感覚。 自分探しの長い旅の末にたどり着くのは、自分。 心温まる家族ものが好きな人には向かないお話。 | ||||
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| ロドニーとジョーンと子どもたちの関係性は、 私が育った家庭にそっくりでした。 アダルトチルドレン的なパーソナリティである優等生的な性格の母親ジョーンは、(我が母に酷似しているのですが) 自分以外の家族を精神的に抑圧し続けていることにまったく無自覚です。 家族は何度もジョーンと人間らしい健全な関係を結ぼうと試みますが、ジョーンはことごとく的外れな受け止め方と反応をして、そのチャンスを潰し続けます。 ロドニーや子どもたちの絶望は限りなく深まりました。 幸いだったのは、ロドニーがジョーンを無理やり「制御」しようとしなかったこと。 ロドニーは人としてでき得る限りの粘り強さと、 慈しみの心を発揮して、ジョーンとの「共依存的な関係」を回避しつづけます。 もし、ロドニーがジョーンを「改心」させようなどと、躍起になってしまっていたら、ロドニー自身が深刻な共依存性者になってしまったでしょう。 (ここが、解説の栗本薫先生と私の見解の相違するところです) ロドニーはギリギリのところでジョーンと家族関係を構築し維持しつつ、毒親である母親ジョーンの暴威から、子どもたちを守り抜きました。 (私事ですが、残念なことに、私の父親は毒親の母親と共依存関係に深くはまり込み、家庭全体が殺伐とした機能不全家族になってしまいました。 それは私の父親もまたアルコール依存症の父親を持つアダルトチルドレンだったからでしょう) ロドニーは自分の人生の全てを捧げて、「かわいそうで哀れなジョーン」を見捨てずに共に生き、なおかつ子どもたちもなんとか大人へと導きました。 (ロドニーが我が子エイヴラルを諭したときの結婚観は、まさにロドニー自身が貫いていることでした) わたしはできればロドニーのような父親が欲しかった。でも、我が父も、自分自身の家庭内に一体何が起こっているのか分からない修羅場の日々を、二十年も耐えて働いて、私を育ててくれました。私は父親に感謝しています。 そして我家のジョーンたる、我が母親は…。 ジョーンと同じく「回心」の機会を前に逃避し続け、一生を終えようとしています。底知れず悲しいし、やりきれないです。 人生というのは、なぜこんなにも酷薄で恐ろしいものなのでしょうか。 人生を前にして人ができることは、レスリー・シャーストンやロドニーのように、「自分のなし得ること」の限界を見定め、粘り強くやり抜いていくことだけなのです。 | ||||
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| 読者の評価が分かれる内容です。推察するに女性の方が共感する方が多いような気がします。私も娘として母親として、この主人公の立場や状況を考えるととても他人事には思えない切迫感を感じました。子供に良かれと思ってしていることも実際は独りよがりの子供の気持ちや性格をきちんと把握できていない、しようとする努力もない、愚かで鈍い母親。 夫に寄り添うことなく、揺るがない出世と生活の基盤を求め、夫の夢の実現より社会的な地位に固執する妻。子どもたちにも見放され、夫の心ももはや妻の元にはない。孤独と迫ってくる老いだけのこれからの虚しい生活は、考えれば打ちのめされそうなほどなのに、その現状から目を背け、嘘に満ちた日常に何食わぬ顔で戻っている。娘夫婦には侵害者として嫌がられ、送り出されてほっと安堵され、貴族の夫人には無知と劣等感をさらけ出し、夫にはもう見放されている。 クリスティの設定した悟りの現場は不毛の砂漠、迷ったらもう戻ってこれない堂々巡りの砂の迷宮。ジョーンがこんな哀しいところにまできてしまったのには、多くのすれ違いと時間の経過があったはず。それなのに修復してこなかったこの夫婦、夫の妻に対する仕打ちはひどすぎる。ジョーンも夫を愛していないのか。この繋がりが虚しすぎて寒気がした。こういう鋭い洞察はクリスティならではだと思う。おそるべし。 | ||||
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| 物語の舞台は小さな宿泊所からほぼ変わらず、幸せな1人の女性の妄想と回想で進んでいく。 事件も起こらず、人も死なない。 これまでもこれからも変わらない日常生活が続いていくだけなのに、最後には主人公の女性の恐いくらいの不幸せに気づく。 見方が変れば、こんなにも世界は歪む。 こんな自分にも起こり得そうなことだからこそ、ぞくっとするほど怖かった。 これからの人生の教訓にしたいエッセンスがいっぱい詰まっていました。 | ||||
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