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春にして君を離れ
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春にして君を離れの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全195件 1~20 1/10ページ
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アガサ・クリスティが別ペンネームで書いたシリーズ。そのくらいの予備知識で読み進めると、とても良い読書体験が出来ると思います。 | ||||
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人は変われそうで変われないものなのでしょうか。 心に残りました。 | ||||
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らしいです。なかなか面白かった。 | ||||
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表題の通りで、この作品の出来事を端的に述べるなら遠出して、 途中足止めを食らったご婦人が、暇に飽かせてあれこれと思索にふけって自宅へ帰る。 ただそれだけの作品だ。だがそれでちゃんと面白いのだから流石のクリスティである。 元々クリスティはミステリー作家として有名だが、その粋は人物やその関係性の掘り下げ部分であり、 事件や表面的な謎はラッピング部分といって過言ではない。 ホワイダニットさえ書ける余地があるなら、事件さえも不用というのが彼女である。 そういう意味で、本作はクリスティの髄液と言っていい作品だと思う。 内面的に自分を掘り下げて真実にたどり着きながら、 結局は勇気が無く変れない。安易な道を行ってしまうという主人公の選択。 学生自体に校長先生に指摘されたまま、人間はそんな簡単に変れないのよ。 というラストは流石のクリスティだと思う。 この手のタイプの人間が、自分から内証して真実にたどり着き、懺悔してめでたしめでたし! というのではリアリティの無い話だよなあ。と途中まで読んで思っていたので。 たぶんそういった俺の反応も含めて、先生の掌の上なのだ。判っているわよそれぐらい。というわけだ。 | ||||
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「ロマンチック・サスペンス」(帯書)と判りにくい分類だがミステリーではない。クリスティーにしては珍しい作品だと興味を惹かれて読んだ。初出は1944年だが、時代は1930年代半ば過ぎ、第二次世界大戦勃発寸前である。 ロンドン近郊のクレイミンスターという架空の街に住む上流中産階級の主婦ジョーン。結婚28年目。夫ロドニー・スカダモアは弁護士事務所を経営、事業は勢況で何の心配もない。子供はそれぞれ独立し、長女はロンドンで「人柄のよい株式ブローカー」に嫁ぎ、長男はローデシアで農園経営。次女はイラクの土木事業局の上級職員の主婦でバクダッドに住む。これらの地域は皆イギリス植民地である。家庭も平穏。彼女は様々なボランティア活動に精を出し、「政治にも積極的な関心を持つ」と言う街の名士である。彼女が一番気に掛けているのは世間に対する体面だと判る ジョーンは訪問先のバグダッドからロンドンに帰る途中である。末娘の急病と言う知らせで、「私が傍にいなければ」と急行した。単なる食中毒だったようで既に回復途上。婿にも丁重に扱われて一月以上の滞在になった。現在鉄道宿泊所(レストハウス)で翌朝発のオリエント急行に接続するトルコ鉄道駅への連絡自動車を待っているところ。思いがけなく女学校時代の友人と出会う。落ちぶれて見えるが、ブランチ・ハガードだ。学校時代の憧れであったが奔放な女性で男づきあいも派手、子供を残して出奔し音信が途絶えた。5年前に末息子の出術代が不足だと訴えて来て、要請額の半分を送ったがそのまま。出来ればここで会いたくない相手だが見つかってしまう。幸いバクダッドの夫に会いに行く途中とかで逆方向だった。互いの家庭の近況報告中に、バーバラは謹厳実直なロドニーを「ご主人はまんざら夫の座におさまっているわけでもなさそうな目つきだったわ」と当てこすり、バクダッドのバーバラについても、「心配ないわ。若すぎたのよ。それにこっちの生活が生活だからねえ-、女の子はときにはフラッとするわ」と呆気に取られる謎の言葉を吐く。もう一言別の謎めいた発言も。「何日も何日も自分のとこばかり考えて過ごしたら、自分についてどんな発見をすると思う?」かと。 翌朝は霧雨になった。乗車したバスの乗客はジョーン一名。途中で渡る二つの涸川は水が満ち始めていて時間が掛かり、トルコ鉄道終着駅のテル・アブ・ハミドに到着した時は週3回出るだけの列車はとうに出発し、翌々日まで駅傍のレストハウスに立ち往生する羽目になる。トルコ国境に近い場所で駅とレストハウス以外は砂漠。乾いた空気と果てしない晴天の下に宿泊客はジョーン一人。翌々日に出るはずの汽車も来ないと告げられる。日に三度変り映えのしない食事。持参した本は読んでしまった。たまには何もせずに一日のんびり過ごすのも良い、と意気込んだジョーンも早くもぐったりする。この際バーバラに言われた「何日も何日も自分のとこばかり考えて過ごしたら、自分についてどんな発見をすると思う?」考え事をするしかない。 この先は延々と続く彼女の思考過程だ。自分探しの旅、一種の心理小説である。頭の中にもう一人のジョーン・スカダモアが登場し、彼女がこれまで確信してきたことの全てに疑問を投げかける。先ず先の訪問の際にバーバラが時折見せた戸惑いは何だったのか、に始まり、夫や子供たちや(使用人たちに)頼られ愛されてきたか。家庭を万全に差配してきたと考えてきたが果たしてそうだったか。駄々っ子の独りよがりのように持て余されてきたのではなかったか。夫の常套句「可哀想なジョーン」の意味は何だったのか。私をロンドンで見送った際、発車を待たずに帰って行った夫の後姿がひどく若返ったようだったのはどうしてか。また反対に、弁護士稼業は嫌だ牧場を持ちたい、と言う夫を必死に説得して、現在の豊かで安定した生活を維持し得たのは誰のお陰だったか……とかの自負も湧く。鬱病になりかけたとこで汽車がやってくる。 7日間の帰路を経て無事に自宅に着いたジョーン。砂漠とは異世界の穏やかな故郷の景色、何一つ変わっていない我が家、はたしてどちらの想念が真実だったのか。6週間ぶりに再会する夫にどんな挨拶をする?「ロドニー、許して-知らなかったのよ」か「ロドニー、ただいま……今帰りましたのよ!」か。著者クリスティーのサタイアたっぷりな場面だ。その答えは控える。 もう一つこれもクリスティーのからかいの一つ。帰路の列車で同室したロシアの亡命貴族夫人は「まもなくドイツとの戦争が始まる」と話し、自宅に着く前日、ロンドンで夕食をともにした長女のエイブリルも「戦争が間近い」と言う。「政治にも積極的な関心を持」っているはずのジョーンには及びもつかない予測だ。家庭のことだけが思考限界の上流中産階級夫人への苦笑と読んだ。 | ||||
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アガサクリスティにこんなテイストの作品があったんだ、と初めて知りました。 大事件は起きないけど、周囲の人生をジワジワとコントロールし削っていく主人公に、脅威を感じた。 ここまでではないにしろ、人を自分の思い通りにする人たちを思い出した。ロドニーが帰宅したとに、ジェーンが選択した方は、、、、、。 これが人間のリアルなんだろうと思った。 | ||||
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一般にノンミステリと呼ばれる作品。殺人などのいわゆる「事件」は起きないが、物語の進行に従って、女性主人公の考える自分に起こっている出来事の様相が見事なまでに反転する。ホワットダニットの傑作といっていいだろう。 | ||||
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共感する部分も多かったけれど、主人公は病的に鈍感だし、人に押し付けすぎるしそれに反省しないのは、悪いけれど、弁護士の妻が明日から農場で働けるのかって言ったら疑問。 夫に職業選択の自由はもちろんあるけれど、妻にも住む場所を選ぶ権利はあるから手放しに応援しなかったからと言って悪いことじゃない。 あと、子供の教育の大枠は男が作るものっていうような描写があって旧時代的だなって思った。 総じて面白かった。 | ||||
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じわじわと真綿で首を絞めるような毒親ぶりを、毒親の視点で書くところが天才。 アガサ・クリスティの最高傑作。 夫を責めるレビューが多くて、娘も同意見なんだけど、そうかなあ。 | ||||
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私は日ごろから、家族の絆は本当に存在するのかと言う疑問を持って過ごしています。上手く成り立っている様に見える家庭は、その中で犠牲を払っている人がいるのではないかと言う気がして生きてきたからです。「家族の絆」を検索していて、まさかこの小説に出会うとは、それも、ミステリィ作家だと思っていたアガサクリスティの作品とは少なからず驚きましたが、興味深かったので読みました。読後感は私の思いと一致していました。 簡単に言うとロドニーが自分の人生を我慢をしていて、ジョーンが自分の生き方を変えなかったと言う構図です。ロドニーが3人の子どもたちとジェーンとのクッション役を務め、相手の気持ちを汲み取り穏やかに話しかけたので子どもたちは生き方を間違えなかったのだと思います。 今、世の中では古い価値観が新しい価値観に書き換わろうとしている流れです。ジョーンは古い硬い常識にとらわれた学歴、職業、見栄え、経済的な余裕等の目に見える物に価値を置いています。ロドニーは目に見えない、もっと魂の奥底から湧き上がってくるような真の自分の願いに従いたいと言う思いで生きています。それに共感してくれたのは家族以外のレスリーで、深い絆が透けて見えます。 結局のところ、ロドニーとジェーンの価値観の違いとは魂の深いところでのレベルの違いで、価値観は全く共有できないものだと感じました。エネルギーは上から下に流れるから、ロドニーがジェーンを見下したように見えるのは仕方がないと思います。ロドニーには本当に大切なことや物事の本質が普通に分かるのです。これは説明しても通じない不毛地帯です。 ジェーンは砂漠に置き去りにされた数日間に本当の自分と向き合うことができました。今までは頭の中の思考がうるさいほどおしゃべりをし、内省にはほど遠い状態でしたが、外面に目を向けるのに疲れ果て、目を背けていたインナーチャイルドと対峙するチャンスを与えられたのです。一種の瞑想状態に置かれました。そのときの魂の声は本物で、少なからず自分の本質に近付けました。しかし、元の生活に戻ったときには、本質から遠ざかった外側の世界ばかりに目を向ける意識に戻ってしまった。最後のチャンスを自ら手放してしまった訳です。自分を変える難しさと共に、夫婦とは、家族とは等についても考えさせられました。 アガサクリスティーは何をどう感じていたかは分かりませんが、この小説を3日で書き上げ見直しもしなかったと言うことがどこかの記事に書かれていました。大切な物は目には見えないのだと言う宇宙から降りてきたメッセージを届けたかったのだと思えてなりません。 | ||||
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ミステリーではないけれど、傑作らしいと言われており、手に取ってみた。確かに、事件は一切起こらず、人生の晩年を迎えたヒロインが、振り返って、夫を始め、子供達ら家族の事を回想しているだけの小説だった。 だが、こんな退屈な粗筋なのに、他人を見下し、ひたすら自分の行動を正当化して生きて来た、ヒロインの身勝手さが浮き彫りになって、これはヤバイ、と思いつつ、どんどん読まされた。何しろ子供達全員から嫌われ、敬遠されてるのに、自分は間違ってない、と思い込んでる様は、滑稽ですらあった。 そして良妻賢母だったと信じてる彼女に、最愛の夫がとどめを刺す。慰めるフリをして。彼女を憐れむ夫の底意地の悪さに、クリスティーの真骨頂を見た。 | ||||
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犯罪ものではなく、ロマンティック・サスペンスというジャンルもあまり適当ではないと思うのですが、忙しく日常生活を送る中年主婦が、1人家族から離れた砂漠にて、これまでの生き方を省みるストーリー。 人は見たくないものを見ず、周りの人を知ろうとせず生きるとこはできるし、自分を含めけっこうそのように生きている人は多いと思えるのが怖いところではある。多かれ少なかれ人は自分の正義の中で生きていると思うし。 主題の焦点がわかる気はするけど、あまり共感できず、じゃあ自分はどうするというとあまり解決策も見いだせないので、後味が悪くなってしまう小説でした。 | ||||
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あらゆる物事を、自分の見たいようにしか見ることができないこの人は、なんとかならないものだろうか。抹殺できるものであれば、この登場人物、本書の語り手であるジョーン・スカダモアを亡き者にして、彼女に苦しめられた人たち(特に、家族たち!)を解放してやりたい、その人らしい自由さを取り戻してあげたいと、ジョーンの回想話を聞きながら、そんな思いにとらわれました。 本の読み手の〈私〉が、登場人物のひとり、それも主役と言うべき〈語り手〉を殺すという、これは実に風変わりな〝殺人〟小説であるのかもしれない、なんてね。 本書の111頁。ジョーンの夫のロドニーが、某女性の墓碑銘を読み上げるシーンで、なぜともなく涙があふれてきて、止まりませんでした。物事の上っ面(うわっつら)しか見ることができない、それも自分に都合のいいようにねじ曲げてとらえる語り手・ジョーンの回想によって、実際にその水面下で起きていたドラマが浮かび上がってきて見えるというのは、実に不思議な読み心地でした。クリスティー一流の話術、ストーリーテリングの妙に魅せられました。 かなり以前に読んで「これ、すげぇ傑作じゃないか!」と驚き、と胸を突かれた作品。 やはりこれ、しみじみ胸に迫るものがある、味わい深い名品と言うしかありません。 栗本 薫さんの巻末「解説」も、実に読みごたえのある真摯な文章なんだなあ。ぐいと胸を突かれましたわ。 未読の方には、せひとも読んでほしい一冊。 | ||||
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内容は皆さんが感想を書いておられる通り傑作だと思う。 アガサはこの作品を1週間で書き上げ一語も訂正せずそのまま出版したらしい。 カバー絵はあの竹久夢二の次男の竹久不二彦画伯。抒情的で印象深い。 昔一度手放したこの本を再度購入できて良かった。 | ||||
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少し古く、メジャーな本でもないので、図書館にもなかったです。思いがけずアマゾンで中古で安く手に入りました。本の内容はもちろん感動したのですが、なかなか手に入らなかった本が、こんなにも迅速に私のところにやってきたことにも感動しました。 | ||||
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推理小説では有りませんが、内容はさすがアガサクリスティだなぁと感じました。とても読み易くて、イメージが浮かび易いと思いました。訳された方の力量なんでしょう。最後はどうなるのかなぁと思いましたが、こういう所は推理小説的な感じも受けました。最近の母娘の葛藤問題なんかを考えると、読者の中には身に覚えのある方も出るかも知れません。一冊一冊、凝っていて、本当に外れのない作家だと思います。 | ||||
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読了後、すぐに風呂に入ったが全く温まらなかったのはこの本のせいです。 あらすじを知り興味を持ち読み始めました。 主人公はいけ好かないです。 ですがどうも読み進めるうちに俗に言う『ざまぁ』系の気配を感じ下世話な気持ちが早り、ページを捲る手が止めらません。 よくもまぁこんなつらつらと移り変わる心情や情景、会話が描けられるなと思い面白くて迎えるラストスパート。 山場を終え最後の最後。 冷水を頭からぶっかけられました。 いつからこの主人公が自分とは違うと錯覚していた? 憐れなるジョーン。そして私。 このレビューを読んでいる方が私と同じ感想を持つかは知りませんがいずれにせよむちゃくちゃ面白いのでおすすめです。 アガサ・クリスティ、友だちにはなれないけど読破したいなと思います。 | ||||
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原田ひ香の作品の登場人物がこれをベタ褒めしていたので読んでみました。なるほど。推理小説とは違うドキドキ感があって、人間の賢さとか豊かさとかのとらえかたについて、とても深い考察があると思いました。知らぬは本人ばかりなりかぁ。でもそれを見直すよりは、否定しないで埋没したほうがラクだったりもするのが人生ってもんなのかなぁ。怖い怖い。 | ||||
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アガサ・クリスティのミステリ小説は実は一冊も読んだことがないのだが、殺人事件は起きないがとても面白いらしいというこの本のことをネットで見て、読み始めてみた。 特に事件といった事件も起きないし、せいぜい家族やご近所の噂話のようなレベルに留まる程度なのだが、ページを捲ればめくるほど、この頼りない語り手の粗のような部分が明らかになってきて面白い。 ただ、最初は読者にその語り手の実際の性格などが彼女の周りの人物とのやり取りで浮き彫りになるものの、それを本人がだんだんハッキリと自覚していく、というのが特段推理しなくても分かるレベルで明らかなのでそこまでミステリ的要素はないと思った。 | ||||
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主人公のほぼ回顧録なんだけど、よくもそれだけでここまで面白くなったなあと思った。 ちょっと旧字体が多いのと、言い回しも独特なので、すんなりと読むのが難しい部分もあったけど、 kindleのおかけでなんとか助かった^^; 単行本であったら、結構苦労したはず。 主人公の考えや人柄、また、客観的に見た主人公像というのも想像しやすかった。 | ||||
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