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わたしを離さないで
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わたしを離さないでの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全544件 461~480 24/28ページ
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カズオイシグロの作品は独特の雰囲気を備えていてどの作品にもそれが貫かれているのが固定ファンを“離さない”理由のひとつだと思う。今回も裏切られることはなかった。崩壊寸前にまで追い込まれるアイデンティと知らないうちに持っている差別意識やエゴ。また新作を待ち続ける長い日々が!! | ||||
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この本を読んだのはもう数年前。 でも、未だに消えることのない、心の中に漂う悲しみや切なさや絶望。 つい最近、もう一度読み返してみる。 誰しも生まれる自由はない。 親を、環境を選んで生まれることは、出来ない。 この作品における極端に特殊なシチュエーションはメタファーに過ぎないと思う。 恐らく私たちすべてに言えること。 生まれ持った宿命を許容するとは、どういうことなのか・・・。 不幸な、あるいは自分が望まない「環境」を努力で変えていける人も確かにいるだろう。 しかし、多くの人は生まれた環境、両親、家業や立場(長男だとか一人っ子だとか片親だとか孤児だとか)の中でもがき苦しみながらも、許容して生きているのではないだろうか。 この作品を読み終えて私の中に、「許容とは何なのか?」 という疑問がずっと停滞したままだ。 もしかしてその答えは、一生かけて見つけていくようなものなのかも知れない。 そのテーマを得ただけでも、私にとってこの作品は、カズオ・イシグロという作家は、マイベスト、だと思う。 他の、「日の名残り」、「私たちが孤児だった頃」、「浮き世の画家」なども、 基本的にこの作家が投げかけているテーマは同じ、だと思うので、そちらもお勧めしたい。 日本が産んだ、世界で読まれている偉大な作家だと思う。 | ||||
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カズオ・イシグロの小説は何より文章が平易でありながら美しく、ナレーターが時系列で記憶をたどるというパターンを取るものが多いので、読みやすい原書から入りたい日本の読者にはとても適していると思う。 Never Let Me Goの場合、クローンで生まれた子供たちの孤児院という設定から、これは純文学なのかSFなのかという戸惑いのようなものが常につきまとう。その上、クローンだったのだという情報さえ、半分以上を過ぎたところ(この版では166ページ、)でようやく出てくる。カズオ・イシグロが比較的長い休みの後にクローンの子供を題材にして何か書いているらしいという噂は早くからあったが、その背景情報を知らなければ(一体何が起こっているのか)という不安感のようなものを抱きながら読み進まなければならない。 「Never Let Me Go」というタイトルは架空のジャズシンガーの歌の題名から来る。長い間子供を欲していた女性がようやく自分の赤ん坊を手にし「私を離さないで」と歌う。(コンテキストから言うと「私を離れないで」だがletが入るところに視線のひねりがある。) 望んでいた赤ん坊が生まれたと思ったら今度はそれを失う恐れを抱くことになるという、この歌詞の中の女性の悲哀と、生まれた時からすでに臓器ドーナである、つまり、犠牲者であるHailshamの生徒、Kathy、Ruth 、Tommyの悲哀があまり結びつかないことに多少違和感があった。 全編、胸の痛くなるような哀愁と忠誠(イシグロのよく取るテーマである)の痛みがある。失ったものを取り戻せる場所である筈のNorfolkで、ナレーターのKathyが静かに涙を流す最後のシーンが特に美しい。 | ||||
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非常に抑制された静かな語りですね。語り手キャシーの豊かで温かい感性が、幼い頃のヘールシャムでの生活から、その後の日々を生き生きと語っています。人と人との交流がとてもリアルで、穏やかです。その日常の中に、ちらりちらりと謎めいたものが示されますが、決してあざとすぎることもなく、自然にひきこまれていきました。 このキャシーの豊かな感性そのものも、作品の中核に繋がるものなのだなと気づかされました。作中での「感性豊かな絵画作品」と同様のポジションなのではないでしょうか。 非常に特殊な設定の物語ですが、ここに描かれている「抑圧するもの」「利用されるもの」「差別的感情」「死生観」などなどは、普遍性を持っていると思います。 | ||||
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単行本が出版された時から、気になっていたのですが、本の重さとたぶん内容も重いのではないかと考えて、手が出ませんでした。今回、文庫になったので、いつか読むつもりで購入しました。実際、読み始めは頭の中に、様々な疑問と「もしかしたら?」という恐ろしい予測が渦巻いて一章ずつ辛抱して読み進めるのがやっとでした。第一部の後半、「やはりそういうことだったのか」ということが分かってからは、次の展開が知りたくてどんどん読みすすんでいきました。 第三部に入ってから読了までは、読むことを止められず、悲しいとか感動したとかそういった感情の動きが一切なかったにも関わらず、自分の眼から涙があふれて頬をつたっていくという初めての経験をしました。読み終わった後、もう一度、苦労して読んでいた第一部を読むと、そこには結末を知ったからこそわかる精緻な表現があり、作者の構成力に感嘆しました。 柴田元幸さんの解説に「作家が想像力のなかにとことん沈潜したその徹底ぶりによって、これまでのどの作品をも超えた鬼気迫る凄味と、逆説的な普遍性をこの小説は獲得している」とありますが、そのとおりだと思います。「この世に生を受けることの意味」と「おそらく罪悪感から生じるであろう中途半端な正義、あるいは理想主義の、残酷」を深く深く考えさせられた作品でした。 | ||||
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異常な運命を辿る主人公とその仲間の生徒たちの日常と思い出が落ち着いた調子で綴られている物語。 無人の風景に想像を膨らませたり、グループの中での自分の居場所を確立するための攻防がとてもリアルで、微妙な均衡の探り合いが日常を構成していることが身にしみた。 自分より恵まれているにしても、過酷な暮らしをしているにしても、わたしたちは自分たちとその仲間以外を、本当に、自分や仲間と同じ人間だと絶えず実感しながら生きていると言えるだろうか。 理解できない奇妙な生き物、あるいは神聖な存在、哀れむべき対象として、それにふさわしいとき以外は、いないこととして生きていないだろうか。 自分の幸せに浸るために、自分の目的を信じて全うするために、ときには自分で自分を慰めるために。 高層マンションのペントハウスにすむ人も、今日の宿に困る人にも日常はあって、特にその子ども時代は、他の人には異常であっても、その人のルーツとしてよりどころとして存在し続ける。 そして、人間が誰かとそのよりどころの感触を分かち合うとき、私たちは相手を同じ人間として深く意識できる…。 この小説を読むことは、主人公たちとこの感触を分かち合うことだ。 もし仮に自分たちがこの小説の世界に存在していたとしたら、自分たちはおそらく彼らを人間だと意識しない相手である。 しかし、この小説を読んで、彼らを人間だと思わないでいることなんてできないだろう。 人間を人間として見ること。この小説を読んで、それが「命の価値」とか「生きる意味」なんて陳腐な言葉よりもずっと、私たちが意識すべきことだと思った。 誰かが死んで泣ける物語がいい物語だと思っている人には、ぜひ一読をお勧めする。 | ||||
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この物語の特異な輪郭が見えて来たとき、 つき合う価値があるかなという不安がアタマをよぎった。 作者の勝手な空想につき合わされ、 ぐるぐる引き回されて、最後は元の場所、というような。 活字好きな僕は別にそれでもよかった、本が読めれば。 でも読んだあと何も残らない というような読書体験はできれば避けたい。 果たしてそれは杞憂だった。 特異な設定の主人公と共に遠くまで旅をした。 その主人公の切実さに共感した。 自分自身の切実さに通じていると錯覚(?)すらさせられた 不安を燃料にした車に揺られ、うとうとと夢を見ながらずいぶん遠くまで来た。 多分ノーフォークあたりまで・・・。 今、本を閉じ、車は僕を乗せずに行ってしまった。 でも、今も、同じ車に乗っているような感覚が拭えない。 少し遠くまで来すぎたみたいだ。 一人の帰り道は長くて寂しいものになりそうだ。 | ||||
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現実と異なった背景・道具を用意し、読者が作品と現実を重ね合わせるなかで、現実の中の普段気づかずにすごしていたり忘れようとしているものに直面させてくれます。背景・道具立ては「SF小説」的ですが、内容は現実的です。 主人公の置かれている境遇は一見特に悲惨ではあるけれども、では、今まさにわれわれの置かれている境遇とどう違う? 子供のときの幸せや漠然と感じた恐怖、大人への不信感やあこがれ、はなんだったのか? 自分のなれるもの、できることが限られているとわかったときに、どう対峙すべきか? 読んだあとにいろいろと考えさせられました。 ただ、主人公の視線で語られてはいても、主人公の生き方に感動させられはするものの、著者の考えている事は主人公のたどった道を全面的に肯定しているのだろうか、とも思います。 | ||||
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読み進むにつれて、ふいに伝わってくる暗く嫌な予感。描かれる若者たちの真の姿が分かった時に襲ってくる、ガーンと鈍器で殴られたかのような衝撃。読み終わってしばらくしても、死体でも見てしまったような、嫌悪を伴う不思議な感覚が離れませんでした。 何となく予感していたけれど、よくもこんな場所に連れてきて、こんなものを見せてくれたな、と著者を呪いたくなったぐらいです。笑) 小説の特殊なプロットから言うと、なるほど様式には、SF、ミステリーの要素はありますが、その特殊なプロット=世の中を眺める窓枠、が覗かせてくれるのは、「わたし」や「あなた」も含めた、ごくごく普通の人間の生命そのものの意味ともいうべき、根源的、普遍的な主題です。なので、この小説をSFに限らず何かのジャンルに分類して語ることは、余りふさわしくないかもしれません。(もし、そのせいで読むチャンスを逃す人がいるならば。) 「日の名残り」も彼の傑作には違いありませんが、自分にとってはこの作品の方が衝撃であり、大切な作品になりました。\800円になって、しかも軽くなったのなら、お買い求めにならない理由はありません。 | ||||
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まず、この小説が何について書かれているかとか、どんな展開かとか、どんなトーンの物語だとか、 とにかく、なにも言いたくない、読み終わってそう思える小説だ。 なぜなら、私自身が先の展開が気になって仕方がなくて、 そのため一晩を挟んで足かけ二日で一気に読んでしまったのだから。 この作家の本を読むのは初めてで、本当のところ原書で読みたかったのだけど、 原書で読むのは時間がかかるので、読みやすくて字の大きい訳本のハードカバーにした。 だから、どんな文体なのかしらないのだけれど、これだけははっきり言える。 あっと息をのむようなスリリングな話の展開では決してないし、そんなイベントもおこらない。 でも、確かにぞっとするものを内包したなにか大きなミラーボールのようなものが、 同一中心をもつ一回り大きな和紙かなんかでできた球体に覆われていて、 ちろりちろりと洩れ出てくる光にいざなわれての一気読み、という読書体験でした。 読後にもあれこれ読者に想像の余地を残して置いてくれる本という印象。 | ||||
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そもそも「提供」とは? 誰が、一体何を、どのようにして「提供」するのか? ロスト・コーナーとは? 忘れられた土地? 寮の4階にある遺失物保管所って一体? イギリス・ノ−フォークには何があるのか? "教わっているようで、教わっていないこと”とは何? 「ポシブル」って? 冒頭から、謎がなぞを生み、読者を変な世界に引き込むイシグロの領域。 「ヘールシャム」には一体、何があったのか? 単行本、この文庫本共通のカバーになっている"カセット・テープ”の秘密とは? 種明かしはしたくてもできない、寧ろしないほうが絶対にいい、予備知識なく読んだほうが圧倒的に面白い。 (実話をもとにしたのかどうか、イギリスってこんな国だったのかということ・・・・・) | ||||
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読みながらぞわぞわと恐怖感を感じました。 キャシーが過去を懐古する形で物語が進みます。 「介護人っていったいなんなの?」という疑問は キャシーの言葉から少しずつ想像できます。 想像すればするほど、「怖い」です。 不勉強なので実際に知りませんでしたし、 前提条件からして私には理解できない世界です。 そういう特殊な環境下でも、ごく普通に生活し、考え、育ったキャシーたち。 読み進むにつれ、切なくて悲しくなります。 何よりも、その「運命」を受け入れている彼らが怖いと思いました。 そんなの絶対におかしい、と思う私がいました。 迷信でも根拠が無くても、信じたくなるキャシーの気持ちが痛かった。 物語の終わりを知ってから読むとまた違うんでしょうか。 試してみたいと思っています。 | ||||
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過酷な運命から逃げようとせず、受け入れながら生きる主人公たちの生き方が、 なぜか不自然には感じられません。 自分では動かしようのない、既成の制度や、階級のなかでとらわれて生きている私たち自身、 本当の意味で自由な存在ではないからかもしれません。 とはいえ、最後に全てを受け入れるように見えるキャシーの生き方が、 決して受動的な消極的なものではないところにこの小説のすごさがあります。 あきらめるのではなく、限りある生を、動かしがたい条件の下であっても、 彼らが丁寧に愛しみながら自己を賭けて生きるさまが描かれているからでしょうか。 そこにこの静謐で穏やかな小説のもつ、凄みのようなものがあるように思えます。 最後の場面は、何度読み返しても、苦しいほどの感動を覚えます。 希望がなければ生きられないと思いがちですが、あらゆる希望を奪われたとしても、 ひょっとしたら幸福な記憶だけでも人は自分を支えつづけることができるのではないか、と考えさせられました。 | ||||
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設定が特殊ですが、この本に表現されているものはなぜか普遍的なものとして感じられました。 少年時代の思い出は大人になってその輝きが脆いものの上にあったと知ったときでも、それゆえにさらに輝かしく思えるものです。 思春期に夢中になっていたものや、悩んでいた人間関係を思い出し。何でこんなものに?とくすぐったくなる感じ。 現実を知っていたはずなのに、理解していなかったと気づく瞬間。 たとえば戦争や災害、病に直面したときの人間のある種のあっけらかんとした強さ。 彼らは我々の人生のある側面の象徴なのかもしれません。 死、生、倫理、こうしたテーマを宗教的色彩なく描くことは、死後に何も残らないことを知っている現代の我々にとっての生の価値を描くことなのでしょう。 | ||||
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とても特異な道具立てで書かれている作品です。その特異さがある種の警告と受け止められるかもしれません。しかし、根底にあるのは生きることの切なさに対する作者の暖かい理解であると思います。きめ細かい愛情に満ちた良書。 | ||||
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お話の語り手は、キャシー・H。 31歳で、11年以上を「介護人」として勤めたという。 読者に語りかけるように彼女が示す言葉は、 穏やかで知性的、あたたかみがある。 彼女は静かに、閉鎖的で守られた場所で過ごした幼いころから そこを出て介護人として過ごした日々を語り続ける。 親友たちとのエピソードは、彼女の成長のお話でもあり 友情や愛情、独善、嫉妬など親近感のあるいきいきした内容ですが、 すこしずつ彼女の住む世界と、私たちのいる世界が異なること、 そこにはらんだ不穏の影に気づかされます。 終始一貫して静かなトーンで進められるお話ですが 圧倒的な支配感がありました。 謎、人物たちのかかわり、文章の書き方、構成。 すべてにひきつけられました。 | ||||
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キャシーという一人の女性。介護人、提供者といった言葉や、提供者となった友人たちを介護するキャシーの状況から、恐怖感を覚え、それが明らかになったときは戦慄が走った。 読み進むうち、クローンや臓器提供を実験的に行い、その結果生まれてきた者たちが疎まれ、プロジェクトは頓挫したところに、キャシーの現在があることが分かる。 彼女の疑問や仲間との違い(提供者でないこと)による苦悩があらわになる。 この小説は、クローン問題を物語という形で実験的に書き進めたものではないかと感じた。 ただ怖い怖いという小説とは異なり、派手さがなく、ゾクゾクするような知的興奮がページをめくるごとに加速され、最後まで読み進んでしまう。カズオ・イシグロの小説は中毒になる。 | ||||
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気持ちよくおわるありがちなお話ではけしてありませんでした。 この作品自体が何かの問題提起であったとしても何が問題なのかを 考えるのはほとんどすべて読者に委ねられているような気がします。 何がテーマの小説か知っていたからかもしれませんが 私の場合「感動」や「衝撃」はそれほどありませんでした。 それでも主人公や彼女と同じ世界に生きた人々の描かれ方は とても丁寧で、緻密で、心に強く印象を残しました。 それらが長くて退屈だと思うときもありましたが 彼らの日常を読み知ることこそがこの作品の意義なのでしょう。 実話っぽくてちっとも笑えない。 たくさんの人に読んで欲しいです。 とくに高校生とか、若い人に。 | ||||
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『日の名残り』と同じような主人公の独白形式の作品です。徹底的に感情を押さえ込んだその語り口は、物語の背景の特異さに対する読者をぐいぐいと惹きつけていきます。"ヘールシャム"という施設はどういう施設なのか、そこで暮らしている“わたしたち”はどんな仲間達なのかを、あくまでもたんたんと語られていきます。題材が特異なだけに、今現在にこういう施設があっても不思議じゃない。そしてもしあるのなら、あるということの恐ろしさに絶望するでしょう。読み終えた時、カズオ・イシグロに巡りあえてわたしは幸せだと思いました。 | ||||
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閉じられた世界で、サッカー好きの彼が自分たちの運命を予感するかのように時に荒れ狂うのを鎮めてやれるのは彼女だけ。その彼女をキャスと愛称で呼ぶのも彼だけ。強い絆で結ばれていながら、その事に気づいた時は既に遅かったのでしょうか? 絆が本物であれば、猶予が与えられる、という希望。当然のように二人でそれを叶えようとすることで、少なくともお互いの気持ちは確かめ合えたのですね。 無駄かもしれないと予感しつつそれでも必死にトミーが書き続けた精巧なスケッチは、彼の魂の静かな叫びのようです。切ない。 ルースも最後の最後に人間としての真価を発揮しました。 人間のあくなき欲望が生命倫理を踏み外させる事への怖れ・・・を感じもしました。そして、至高の愛を或る舞台装置で描いた物語でもありました。彼らは特殊な立場でありますが、多くの読者がレヴューに書かれているように、実は私たちも彼らと似ていますよね、本当に。 私たちそれぞれにも、乗り越えなければならぬ「提供(怪我や病気、苦難)」があり、「死」も逃れられぬ運命なのだから。 実は読み終えて、最後のノーフォークのシーンを何度も思い出しては胸がえぐられるように切なくて涙が止まらんかったです。実に三日間、夜になると思い出しては泣きました。キャシーの気持ちが乗り移ったかのように。キャシーが感情を抑えている分、こっちが爆発を・・。 死ぬ時は一人なんだ、誰だって。その事に耐えられないから天国や輪廻を信じたくなるのでしょうね。愛するものが帰ってくる時や場所があると、信じたいのです。 「リヴ・フォーエヴァー」を歌ったクイーンの一人は偶然にもノーフォークの出身でした! 今ともに生きている人を、大事に愛したい。辛い読後感だからこそ、その決意が長続きするのだと思います。イシグロさんと、美しい翻訳をしてくださった訳者の方に限りない感謝を。 | ||||
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