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妊娠カレンダー
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妊娠カレンダーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.79pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全56件 21~40 2/3ページ
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大好きな姉を苦しめるモノから姉を守る。 手段として姉を傷付けようとし、結果的に姉の為になる活動をする。 初めて読んだのは10年前で、ふとした拍子にこの話を思い出して再読。 妹の気持ちがとてもわかるような、やっぱりわからないような。 こんなにもやもやした気持ちになる物語はなかなか無いです。 他の短編も粒ぞろい。 オススメです。 | ||||
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すごいな、と感じたのは各章において怖いと感じさせる終わり方なのに、その過程の文章がまったく恐怖とは無関係な表現であることです。 妊娠中の姉にいわれのない八つ当たりをされていたり、鍋でジャムをかき混ぜたりしてるだけなのに、終わりに近づくにつれ、学生時代にアメリカ産のGFはヤバイことを教わっていたエピソードが出てきたり、姉が食欲旺盛になってきてGFジャムを貪る描写があったり、じわじわとせりあがってくる恐怖を感じます。 他の二作品も気づかない程度に、しかし確実に蓄積される怖さというあたりでは変わらぬ恐怖なのですが、この作品については終わり方がとにかく秀逸ですね。産まれてきたであろう姉の子どもと、産んだ姉に会うために病院に向かう妹の描写で終えている辺りは決して無責任ではない投げっぱなしの怖さを感じます。 改めて読んでみても一番怖いのは姉の子どもに対して「染色体」という表現を用いているのが恐ろしいセンスだなあと思いました。 あとGF怖いわ。 | ||||
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非常に良い本です。発送も早くて、また、利用したいと思います。 | ||||
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アメリカ人からこの本の英語訳版をもらいました。1年以上放置。最近たまたま本棚の奥で見つけて読んでみました。あらら・・・お、面白かったです!とても言葉の使い方や表現が素敵だったので日本語でも読みたいと思いました。で、読んでみたら…あらら・・なんだろう、意外なことに白けてしまいました。安っぽかった。つまんなかった。日本語が彼女の世界観を壊している。なんでなんだろうか。わからない。日本語が英語に負ける時なんてないと思っていたのでとても悔しいです。でも、もし英語で読む機会がありましたらぜひぜひ英語で読んでみて。彼女の世界観に英語がすごくマッチして日本語では感じなかったもの感じれます。いつも聴いていた曲をハイレゾで聞いた時の驚きのように。 | ||||
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表題作の「妊娠カレンダー」は、初出が「文學界」平成二年九月号。第104回芥川賞受賞作だ。で、話の内容は、大学生の妹と妊娠している二十代後半の姉とその夫と三人で一つ屋根の下で暮らしていて、主人公である妹の視点から、妊娠中の姉の様子を観察しているというもの。この姉妹の両親は事故で死んだらしい。時々、姉の夫(主人公から見たら義兄)の両親が三人で暮らしている家を訪ねてくる。 妊娠した姉は、つわりがひどくなり、そのことで妹や夫にひどくあたりちらし、心療内科にも通う。どうやら、この姉は高校生の頃から十年間心療内科に通っているもともとメンヘラで、そんなメンヘラな姉を妹は冷静に見つめている。妹のほうは、大学生で、時々スーパーの実演販売のバイトをしていて、姉と比べてまともだと思ったら、こいつもなかなかのメンヘラだった。ある日、バイト先のスーパーで、そこの店員が棚に商品を並べていた時に転んでしまい、生卵のパックをグシャグシャにしてしまい、近くのグレープフルーツにも生卵がかかっため、妹はバイトの帰り際、店長から、売り物にならなくなったグレープフルーツを大量にもらって帰る。家に帰ると、そのグレープフルーツでジャムを作るのだが、姉は、その頃にはつわりは治っていて、その反動で、食欲が旺盛になっており、妹が作ったグレープフルーツのジャムを、そのままスプーンですくって食べる。しかし、そのグレープフルーツはアメリカからの輸入品で、防かび剤であるPWHに漬けられていてその薬が人体にとって有害であることを妹は知っている。そのことを知っているにもかかわらず、妹は、アメリカからの輸入品であるグレープフルーツでジャムを作り、妊娠中の姉に食べさせ続けるといった内容で、本当に、姉妹そろってメンヘラだな、と思う小説だった。 作品全体の雰囲気は、固有名詞がほとんど出てこないので、透明感のようなものがあります。主人公である妹の名前も姉の名前もその夫の名前も出てこず、唯一、名前が与えられているのは、メンヘラの姉が通う心療内科の二階堂先生だけだ。これは一体なんだろうと一瞬思ったが、まー、書いた作者もあまり深く考えず、こうなっただけだろう。 表題作以外の作品 ・「ドミトリイ」 「海燕」 平成二年十二月号 ・「夕暮れの給食室と雨のプール」 「文學界」 平成三年三月号 表題作以外の二篇は、勘違いかもしれないが、村上春樹の短編と雰囲気が似ていると思った。同じ早稲田出身ということもあって、作者が意識していた時期もあったのだろうか? それでも「ドミトリイ」はあって当然のものがなくなる、自明の存在が消えていくといった作者がしばしば使うテーマが、話の軸になっている。 | ||||
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上質の中編3篇です。私は、特に2番目の「ドミトリイ」が好きでした。特殊な変性を遂げつつある不思議な雰囲気の学生寮。静かに死と共存するような先生。単調に降り続く雨。雨がやがて訪れる緩やかな死を強く暗示させてくれつつ、不思議に広がっていく天井のしみ。うん、とても優しいけどカフカ的な素敵な雰囲気です。これ大好きな作品でした。読み終わるのが惜しかった。 「妊娠カレンダー」も興味深いです。妊娠した姉の様子を科学の実験ノートのように客観的に眺めてくれています。母性愛とかカットされて、生物的な生理的変化が淡々と記されて類を見ない作品になっています。つわりのスプーンの砂のにおい、そしてつわりが終わって、無性に「グレープフルーツのジャム」を食べまくる姉。PWHとか頭の片隅に冷静に見つめる私。最後の「破壊された姉の赤ん坊」も衝撃的な表現ですね。破壊されたは姉にかかるんでしょうけど。試食コーナーでバイトするご本人は、「帯同馬」のお姉さんになっていくんでしょうか。 「夕暮れの給食室と雨のプール」は明るいメルヘン調の作品です。チャーリーとチョコレート工場みたいに、思い切り想像力を働かせて書いて頂いています。半導体製造工場みたいな給食室の描写がうまいですね。最初、ジュジュが犬か猫か、どっちかなと思って読み始めました。 これだけの中編3編が1冊に収められた作品で、驚きました。水準すごく高い作品集です。読む機会を得て幸せでした。 | ||||
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表題作の他、「ドミトリイ」、「夕暮れの給食室と雨のプール」の全3つの作品を収めた中編集。数理と不条理とを併せ持った作者の持ち味が良く出ている。 表題作は、題名こそ平凡な印象を与えるものの、妊娠した"姉"の妊娠発覚から出産までの模様を、ヒロインである"妹"の日記によって綴るという変わった視座で描いた作品。幸せな過程である筈の妊娠を、一種のメタモルフォーゼの様に描き、更に"妹"の悪意が加わって、悪夢の世界へと誘う手腕が買える。「ドミトリイ」は、古びた下宿屋とその管理人とを重ね合わせ、皆川博子氏の諸作品の様な幻想と恐怖を醸し出している。身体の部位に対する執拗な描写が生々しい。作者の他の作品でもそうなのだが、作者が魅力を感じる(描く)男性はどうやら<先生>らしい。「夕暮れの給食室と雨のプール」は、短編と言って良い長さだが、不思議な懐かしさと幻想味を覚える掴み所のない作品。 初期の作者の作風が非常に良く出た中編集。表題を見て、敬遠したくなった男性の方にも一読をお薦めしたい充実した内容だと思う。 | ||||
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一般常識として、妊娠はめでたく、喜ぶべきものだ。 ところが主人公は姉の妊娠を快く思うことができない。 この、常識と実感とのズレは非常に素直なものだと思う。 誰もが世間の常識通りのテレビドラマ的な感情を抱くとは限らないのだ。 むしろ、皆がこういった画一的な価値観に疑問を抱きつつも その通りにふるまっていることでこういった常識は支えられているのだろう。 妊娠をきっかけに尊大になっていく姉に嫌悪感を露わにするほど常識外れにもなれない主人公がとった行動は、 血縁や義務感に縛られた現代人のできる最大の抵抗なのかもしれない。 | ||||
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静かで淡々とした文体から、気づくと漂ってくる生々しさ。 人間の身体の感触が伝わってきました。どこかリアルな小説です。 とても「女性」を感じる本でした。 | ||||
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なんて気持ちで読みはじめたら、どっぷりはまって一気に最後まで読んでしまった。 | ||||
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少し恐くて、少し不気味で、でもエレガント。人の心の奥深くを描き、でも優しい描写と言葉で語られていて、好きです。続きを考えるのも楽しいです。 | ||||
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芥川賞受賞作「妊娠カレンダー」と、ほかの二編「ドミトリイ」「夕暮れの給食室と雨のプール」からなる初期短編集である。 いや、びっくりした。 小川洋子といえば、映画にもなって話題を呼んだ読売文学賞受賞作『博士の愛した数式』の作者であり、芥川賞選考委員も勤めて、今の日本ではメジャーな作家の一人だろう。それなのにまるで何も読んだことがなかった。たしか芥川賞受賞の時に名前を知ったのだから、もう20年も放っておいたことになる。「妊娠カレンダー」にも興味を持ったのに、題のせいもあってか何となく近づきがたかったかもしれない。それがちょっとしたきっかけがあって、ようやくその「妊娠カレンダー」を含むこの短編賞を読んでみた。そしてびっくりしたのだった。こういう才能がある人だったのか。 単に才能があると驚いたのではない。その才能のタイプ、資質ということになろうか。表題作以外の二編もとても魅力的で、これらの三編にこの作家のすべてが含まれているという気がした。この作家がわかったと思わせるものがそこにはあった。魅力から言ってもなかなかこれだけのセットはないと思うが、たまたまというわけではあるまい。ごく初期の三編でもあり、作家自身が魅力的なのだ。 まずもって文章の隅々まで繊細な意識が通っているのに感心した。それを、たとえば『作家の値打ち』の福田和也は、作者の「企み」とか「悪意」とか呼ぶ。といって普通の意味の悪意とは違う、要するに読者を振り回す仕掛けがあるということなのだろうが、そこにはある種の必然、作家の内面から来る要請のようなものがあるのを感じる。 描かれているのは微妙な不思議な世界だ。それはおそらく現実の素材の枠内にあるのだが、それでいて手の込んだ仕掛けの数々によって奇妙に現実離れしていて、はたしてリアルな物語なのかそうでないのかの境界線の近くを漂うかのようである。その極端な例が、ミステリーか、はたまたホラーかすらと思える「ドミトリイ」だろう。このサスペンス性はすごい。 そしてそれには理由がある。どの作品でも作者は、一見秩序立った日常に潜む裂け目を紡ぎだそうとしているように見えるのである。その意味では実存的なテーマといえるかもしれない。支えとなっているはずの日常に、ふと垣間見える不安、寄る辺なさ、孤独。「妊娠カレンダー」では、語り手の姉の妊娠が、姉自身だけでなく語り手にとっても、そうしたものとの対峙を強いることになる。 その姉の精神のしょうがいや、次の「ドミトリイ」における「先生」の身体的しょうがいは、それを暗示するモチーフといえるだろうか。いや、そこまでではなくても、たとえば「夕暮れの給食室と雨のプール」に登場する男が回想する「給食を食べられない」状態など、精神的肉体的苦痛がそれを表現してもいるだろう。そうした場では、必然のようにして、生きることの傷みのようなものが、そこはかとない哀れみと共感とをもって提示されて魅力的である。 一方その対極にあるのが、ここでは「ドミトリイ」に登場するが、秩序があるゆえに「美しい」数学の世界である。おそらく作家個人も数学が好きなのだろうが、それは『博士の愛した数式』でも重要なモチーフのようだし、そこにおける人物のしょうがいにしても、この短編におけるのと同じ意味を持つに違いない(未読なので違ったらすみません)。おそらくそれらはこの作家の本質的なものに関わっている。 なお「ドミトリイ」については、振り回されることへの不満や、あるいは不全感を覚える読者があるかもしれない。しかしこれをやはり先に述べた「裂け目」の物語と捉えるなら、それはそれで一個の必然ではないかと私自身は考えている。 やり残した宿題をするような感覚でこの本を読み出したのだが、これだけ感心するとほかも読みたくなる。ここで作家の核心のようなものとして強く感じたことを確かめるためにも、ほかの作品も読もうと思う。 | ||||
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「ニ・ン・シ・ン」した姉に、有毒で「危険な輸入食品!」と確信するグレープフルーツでジャムを作って食べさせる妹の内心を、日記風に描いた芥川賞受賞作がとにかくすごい。小川さんの屈折した陰の部分がよく表れた傑作。 他二話でも、たとえば「夕暮れの給食室」に偏執せずにいられない奇妙な人々などが登場していて、小川文学の原点を知るための格好の作品集。 | ||||
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著者の芥川賞受賞作「妊娠カレンダー」と、「ドミトリー」「夕暮れの給食室と雨のプール」の3篇収録。前2者が日常世界の中で進行する歪みを描いた作品で、「夕暮れ〜」は過去の追憶。 前2者は身体感覚の描写がさすがだが、それを中心に組み立てて著者の身体フェチの極点とも言える作品。 しかし、「妊娠〜」は著者の作品の中で突出した傑作だとは思わない。平均的な水準の作品だ。著者の創作キャリアの早期の段階で将来傑作を連発する筆力を評価したにしても、デビュー作の「揚羽蝶が壊れる時」の方が作品の出来としては優れていると思うのだが。 3作とも、主人公の作為(ジャムを作ること、あるいは話を聴くこと)対する反作用が描かれておらず、私は宙ぶらりんの状態で放り出されるような読後感を持った。 | ||||
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表題作の「妊娠カレンダー」についてです。妊娠が単純に「オメデトー」じゃないことは、自分が妊娠したり近しい人が妊娠したりすればすぐわかることです。ねじれた気持ちがでてくるのはあたりまえのこと。だから内容的には平凡でつまらなかった。ねじれた気持ちの行き先など描写があれば別ですが、しりきれとんぼに感じました。内容に発見がなければ、では表現のしかたで楽しませてくれたらいいのだけれども、でてくる登場人物が、みな不愉快な人たちで、その人たちをまた不愉快に描写するのだから、面白くはありませんでした。平凡なできごとでも、深く研究すれば、人生の機微なりなにかしらの発見があるものですが、どぎつい登場人物とできごとを組み合わせても、新しい発見は生まれません。タイトルが内容をあらわしていないのも、よくありません。妊娠の経過は道具でしかありませんでした。 | ||||
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「妊娠カレンダー」は、何がどうなるんだろう、と謎に思いながら読み進めていたら、いきなりThe End.なにこれ?これで純文学とは言え、小説として成り立っているのかしら、起承転結ってもんがるでしょう?と完全消化不良。その後に続く「ドミトリィ」と「夕暮れの給食室と・・・」も、基本的に同じスタンスで、がっかりでした。主人公は割りと普通に暮らしている普通人。その周囲にいる”不思議ちゃん”とのやり取りが納められている。パターン化していて、発展も箸休めもなかった。この本から得られたものは、息を止めて神経を研ぎ澄ましたときに、感性で捉えられる一瞬の描写。「あ、そういう感じあるかも・・・」と思わせられるところが何箇所かありました。言葉の使い方は優秀かもしれません。 | ||||
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友人に薦められ、妊娠中に読みました。芥川賞受賞作品だとは知らず、小川さんの作品も『博士の愛した数学』くらいしか知らなかったのですが、純粋に楽しめたと思います。淡々と綴られる日常の空気感は女性らしく柔らかで、それでいて、人のふとした冷たさを感じる冷静な作家さんだと思います。妊娠中の姉も、同居する夫も妹も、人としてクールなところがありますが、中でも“妹”の存在がなんとなくおそろしかった。肉親とはいえ同性である姉妹に平気に“毒盛り”をできる、それは妹という存在であるのかもしれないと、そう感じたのでした。 | ||||
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妊娠した姉のために くつくつ とグレープフルーツを煮込み ジャムを作っている、わたし。 姉はその鍋を抱えるようにして スプーンですくって食べ尽くす。 「アメリカ酸のグレープフルーツには 強力な毒薬が使われており 染色体をも破壊する」 ふと目にした広告。 その毒は胎児の染色体も破壊するのかしら だからわたしはせっせと 姉にグレープフルーツを食べさせる。 精神のバランスを欠いている姉と フツーであるようで やはり何かが損なわれている、わたし。 その二人を結びつけているのが 食べモノだ。 小川洋子氏の食べモノの表現は とてもグロテスクで 身体の内部を彷彿させる。 さるきちが口にしたものもね、 ぬめっとした腸や、 柔らかい皮が張った胃や、 きゅっと締まった卵巣といった、 臓器へと変容するのだなあ と、想像することができる。 さらに、 食べ物は 単に身体を形成するだけでなく、 精神にも深く寄与しているのだと、 考えさせられる。 摂食障害で 時に食べモノが敵となり、 食事が苦痛となっている さるきちにとっては、 彼女の作品て、 何かココロにひっかかるモノがあるのよね。 どうして破綻を期したのが 「食」なんだろう… ちょっぴりミステリアスな短編です。 本書には、他にも 「ドミトリイ」「給食室と雨のプール」が おさめられています。 | ||||
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芥川賞受賞作となった「妊娠カレンダー」。妊娠をきっかけに、刻一刻と変貌を遂げ、どんどん知らない人になっていく姉に戸惑う妹。やがてアメリカ産グレープフルーツジャムを作り続けることにより、周囲を振り回し続ける姉に密かな抵抗の手段を見い出す。「悪意」と言うよりは、ふとしたきっかけで、暗い考えにとらわれる、そのハードルのあっけなさみたいなものを書こうとしたのだろうか?「夕暮れの給食室と雨のプール」。婚約者との同居生活が始まる前の、細々した生活の準備の様子を書いても書いても、見事に生活臭がしないところがさすが、小川洋子(笑)。こういうノスタルジックな日常からファンタジーに迷いこんでしまう…というのも彼女の基軸の一つ。「博士の〜」や「ミーナ〜」もこの路線かな?しかし、私は作者の真骨頂は「ドミトリイ」だと思う。この頃すでに、短編集「海」の「バタフライ和文タイプ事務所」に匹敵する完成度のものを書いていることに驚かされた。読んでほんわかしたいい気持ちになるのは、「博士〜」や「ミーナ〜」だろうけれど、ザ・小川洋子なのは「バタフライ和文タイプ事務所」や「ドミトリイ」のような作品だと思う。 | ||||
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『妊娠カレンダー』です。表題作の他に、『ドミトリイ』『夕暮れの給食室と雨のプール』を収録した短編集です。表題作は芥川賞を受賞していますが……作者の小川洋子といえば代表作は『博士の愛した数式』でしょう。『ドミトリイ』の中には数式を駆使する数学科の大学生がいたりして、ちょっと興味深いです。三作に共通しているのは、けっこうダークな作風であることと、食べ物が作品の中心に描かれていることです。偽装とか薬物混入とか、食の安全がわからない昨今の中で読むと、更に面白さが増しそうです。どの作品も純粋に面白いです。文章は読みやすいし、純文学なんだけど、どの方向性に向かっているのか分かりやすいし、主人公の心理も分かりやすいです。ちょっとホラーっぽくもあり、謎解きっぽい要素もあったり、面白いです。 | ||||
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