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ニッポニアニッポン
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ニッポニアニッポンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.70pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 1~20 1/2ページ
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初めて阿部和重の小説を読むという人にはこの作品を推すかもしれない。 「シンセミア」「ピストルズ」は長すぎるし、「インディヴィジュアル・プロジェクション」では堅すぎる。「グランド・フィナーレ」は最悪の選択肢。こうしてみるとやっぱり「ニッポニア・ニッポン」が入門書のように感じる。 推す理由としては、まず物語としてしっかり面白い、というのが一つある。 「自分の苗字に鴇という字があることからトキの存在に興味を持った主人公が、やがてそのトキを国家から解放するためにテロ計画を遂行する」 こんなにキャッチーなあらすじに、(そりゃ今でこそ形骸化してるけど)インターネット、引きこもり、ストーカー、なんてキーワードが付いて回る。 「ね、おもしろそうでしょ?」なんてテンションで知り合いに薦められそうな身なりだ。 で、作品に張り巡らされたテクニックもすごい。荒唐無稽なあらすじを小説としてまとめあげた文章もさることながら、まるでサイトのリンクを辿るみたいに飛び飛びで挿入される過去話や、唐突な場面転換など、至る所に物語の要素に連なる技巧が点在していて、ニクい。 惜しむらくは話そのものが意外と綺麗にまとまってるところ(もっと破天荒な展開があってもよかった。したらば少なくともこの主人公をもっと躍動させることができた)と、ラストはなんだかんだでいつもの阿部和重なところ。でもまあこういうオチはお家芸か。 三島賞取れなかったのは残念だけど、よりにもよってグランドフィナーレで芥川賞取っちゃう阿部和重だから、そこんとこも致し方なし。 | ||||
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ティーンの思春期、反抗期って考えていることと、実行できる事の差への苛立ちだと思う。その差をどう埋めるかが問題なわけで、それをテロによって埋めようとする心象は、大江健三郎の17歳に通じるテーマ。 | ||||
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さらにこじらせた主人公による、パラニューク的(あるいは「12モンキーズ」的)環境テロリズムの不幸な結合。 | ||||
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本作品の主人公 鴇谷春生(とうやはるお)は、自身の姓に含まれるトキへ並々ならぬ関心を抱いている。学校にもいかず、仕事もぜず、トキに関する様々な情報を調べ上げる日々を送っているのだ。春生がたどり着いたのは、トキの飼育、解放、密殺の三択。 本作品は、春生の、特別天然記念物トキをめぐる革命闘争の記録である。 同級生 本木桜をストーカーした挙句、故郷から追い出された春生は、なんら悪びれることもなく、親の仕送りで暮らしている。読み進めるうちに春生の人間性が伝わってくるのだが、なんとも苦い気分になる。春生の、ことごとく自己を正当化し、周囲のネガティヴな反応を一蹴する、歪んだプライドを感じてしまうのだ。トキのように、自分は特別な存在であるという意識が、沸々を湧き出てくるようだ。これが春生のアイデンティティ。 春生は、武装を整え、佐渡トキ保護センターへ。特別な存在のトキは、特別な存在の春生によって、自由になるべきだという発想だ。 春生は、佐渡へ向かう途中、瀬川文緒という中学生と出会う。文緒が、ただならぬ気配を察知したとき、春生は、文緒に桜を重ねて心情を吐露する。初めての魂の叫び声だ。 「俺はやっと、自分の使命がわかったんだよ。人生最大の目的をしっかり掴んだんだ。明日は絶対にそれをやらなきゃいけないんだよ。だからもう、俺を迷わせるのはやめてくれないか! ・・・」 どこかゲーム感覚であった春生の計画は、痛々しいまでの自己実現への希求だったことがわかる。春生の革命ははたして成就するのか。なんともやるせない幕切れなのだが、どうだろうか。 | ||||
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阿部は本作にて、三島由紀夫『金閣寺』の愚直なまでの反復をやってみせることで、鬱屈した若者の内面に迫る近代小説の可能性を実験したのだろうか。それとも村上春樹がリアリズムの訓練と嘯いて『ノルウェイの森』の執筆動機を語るように、技術上の要請として本作を書いたのだろうか。 中高生は誰もが通過する届かない思慕の念を溜め込んだあまり、ドス黒い鬱屈を天然記念物のニッポニアニッポンの殺害に転化してしまうという、いびつで苛烈なロマンティシズムの破綻。比喩表現を最小限に抑えた愚直で朴訥とした文章が、私たちのの些細な負の感情を鋭敏につかみとり、かっさらうようにして滅亡への道へ誘う。 | ||||
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鴇とトキの同定にはじまる設定の荒唐無稽さは感じられたが、主人公の内面描写や環境描写をはじめとして深く感情移入させられた。(本木桜や瀬川文緒の絡ませ方も巧みである。)突飛なようだが、主人公たる少年の孤独さ寂寥さという点では『ライ麦畑でつかまえて』とも通底するモチーフをもった小説であると思う。 「俺にとって今、真に重要なことは、『人間の書いたシナリオ』をぶち壊す、この一点に尽きている。トキ救済は、単なる名目にすぎない」(68頁)。 「お前たちも、運試ししてみればいいさ、運が悪けりゃここへ逆戻り、運が良ければ、どこまでも好きに飛んでゆけばいい・・・・・・」(173〜4頁)。 あくまでも密殺(166頁)を目的に侵入した鴇谷春生が、ラストでトキの解放(5頁)に振れたのが印象的。最後の最後に主人公は、「ニッポニアニッポン」と命名されたが故に自らの運命を自由に選択することのできない境遇に置かれた鳥たちの姿を、挫折から這い上がらんとする自らの姿に漸くピッタリと重ね合わせたかのようである。 | ||||
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この本単体、として考えれば決して悪い作品じゃない。力のある著者だろうとも思う。 もし、似たような先行作品がなかったら鴇に名前が似てるから、自分を稀有な存在と誇るひッキーのストーカー主人公が鴇奪還し殺そうとするって設定はあっぱれだったと思う。でも、すでに先行作品に(著者自身意識しているように)金閣の美に魅入られて、焼失せしめんとする三島由紀夫金閣寺という作品がこの作品の数十倍の筆力をもって、注意深く力ある流麗な筆致と心理描写で読み継がれている中で、今さらこんなことを書く意味がどこにあるのか解せない。 仮に、同じモチーフで、ひきこもりとか現代的モチーフを用いていることが評価に値するという意見があるとしたら、村上龍の「共生虫」のほうがはるかに上手。こうしたすぐれた先行作を意識したにしてはあまりに無防備で、筆力に書くと思います。 | ||||
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この本単体、として考えれば決して悪い作品じゃない。力のある著者だろうとも思う。 もし、似たような先行作品がなかったら鴇に名前が似てるから、自分を稀有な存在と誇るひッキーのストーカー主人公が鴇奪還し殺そうとするって設定はあっぱれだったと思う。でも、すでに先行作品に(著者自身意識しているように)金閣の美に魅入られて、焼失せしめんとする三島由紀夫金閣寺という作品がこの作品の数十倍の筆力をもって、注意深く力ある流麗な筆致と心理描写で読み継がれている中で、今さらこんなことを書く意味がどこにあるのか解せない。 仮に、同じモチーフで、ひきこもりとか現代的モチーフを用いていることが評価に値するという意見があるとしたら、村上龍の「共生虫」のほうがはるかに上手。こうしたすぐれた先行作を意識したにしてはあまりに無防備で、筆力に書くと思います。 | ||||
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主人公の壊れていきかたが、スコセッシの『タクシードライバー』に似ていると思った。 ロバート・デ・ニーロほどの魅力は、主人公にはないけれど。 少年の内面の描き方はステレオタイプで新鮮味がない。 トキと天皇制と絡めて描くのも、安易過ぎる。 もう少しひねって欲しかった。 最後のシーンに向かっていく描写にはエネルギーを感じられたし、 一気に読めた。そこは評価したい。 やたら難解な漢字がでてくるのは読みにくいし(パソコンで書くと簡単に変換してくれるからって、やりすぎな感じだ)、 作者の知的コンプレックスが見えてくる様で、 見苦しかった。 | ||||
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主人公の壊れていきかたが、スコセッシの『タクシードライバー』に似ていると思った。 ロバート・デ・ニーロほどの魅力は、主人公にはないけれど。 少年の内面の描き方はステレオタイプで新鮮味がない。 トキと天皇制と絡めて描くのも、安易過ぎる。 もう少しひねって欲しかった。 最後のシーンに向かっていく描写にはエネルギーを感じられたし、 一気に読めた。そこは評価したい。 やたら難解な漢字がでてくるのは読みにくいし(パソコンで書くと簡単に変換してくれるからって、やりすぎな感じだ)、 作者の知的コンプレックスが見えてくる様で、 見苦しかった。 | ||||
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片思いの相手への猛烈な恋慕の情を押さえきれず、ストーキングを繰り返したあげく家に侵入 し日記を盗み見て、それらすべてのことを「彼女を守るため」の自分の使命ということにすり替えた り、たまさか苗字に「鴇(トキ)」という字が含まれていたために、佐渡で国によって生育さ れている鴇と、自分が宿命的なつながりがあると思いこみ、「解放」あるいは「密殺」を企て ようとする超ド級の勘違い野郎の小説。 社会から疎外された孤独な男が国家を揺るがす大事件を企てるという小説には他に、作家自身 が言っているとおり三島由紀夫『金閣寺』があるが、僕はそれよりもマーティン・スコセッシ の映画『タクシードライバー』を思い出した。あの作品でも、孤独な主人公に二人の女性が関 わってくる(クライマックスで主人公が助ける少女は実はジョディー・フォスター)。しかし、 それらと同様のモチーフにおいても、この作品では滑稽でかつもの悲しく書かれている。 異常な切迫感にせき立てられながら計画の実行へとつき進んでいく主人公「春生」の描写は面 白いのだが、それ以上にそこまでに思い詰めていたその計画への熱意が、些細なことで揺らい でいくことのもの悲しさが、さらに笑える。 春生はトキのユウユウに子どもが生まれたというニュースを知り、それまでシンパシーを感じ ていた彼に怒りを覚える。童貞の自分とは違い、毎日ユウユウはメスと交尾に励んでいたから である。動物にそこで嫉妬するな(笑) 『ニッポニアニッポン問題の最終解決』という大それたネーミングの計画は、徐々に化けの皮 がはがれ、結局実は、初恋の相手に変態扱いされた「人生に大逆転劇を起こす」という、あま りにも陳腐な願いを叶えることが目的だったのである。 そのほかにも、社会に対して(勝手に)抱く疎外感や、過剰な自己顕示欲にまみれた彼の性格 は、今風に言えば要するに「中二病」なのである。 計画実行の顛末にしかり、こういう「最後のところで折れてしまうのね」という弱い男の性み たいなものは、個人的には嫌いではない。 | ||||
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デビュー作の『アメリカの夜』と本作でもって阿部和重は記憶されるのではないか。その言及対象や構図や時代性を抜きにしても、過渡期の少年の思想史として美しいと思う。 | ||||
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この作品の発刊により、阿部和重が韜晦の技師であることは明らかになった。 概要・17歳の少年は、自分の名に「鴇」がある故に、トキへのシンパシーを感じている。 トキの解放または殺害を試みるために、ネットでサーチを行い、大量の情報を入手する。 そして、佐渡にあるトキ保護センターへ向かう、といった極めて単純なストーリーだ。 しかし、阿部和重の作品には小説としての面白みの他に、解読の面白みがある。 解説者が記述しているように、二人のヒロイン・本木桜と瀬川文緒の名前の由来は カードキャプターさくらの木之本桜であるとか、おじゃ魔女ドレミの瀬川おんぷに由来するものだとか。 個人的な見解を述べると、阿部和重の面白みは「小説を読むだけ」には絶対ない。 隠された魅力を探し出すところにあるのだ。 また、解説者が「読みやすく、何度も読み返せる」といった文を書いているが、 僕はインディヴィジュアル・プロジェクションよりもハードな文体だと感じた。 この作品は文学を探求したいものしか、楽しめないのではなかろうか。 ただ単純に、小説で感動したい! なんて人には絶対にむかない。 阿部和重は常に読者を騙しているので、隠された魅力を突き止めていくところに、本当の意味があるのだ。 この作品は特にそういったものだ。 ただ単純に読むだけではなく、色々と視点を変更しながら、論理的に考えていくことに本当の魅力がある。 阿部和重の巧みな技術を解読することにより、絶頂の快楽が与えられる壮大な作品だ。 阿部和重は韜晦の技師である。 | ||||
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この小説は、佳作としてある作品のような気がします。政治的なテーマが通低にあるような気配を漂わせながら、引きこもりな凶悪少年の妄想がついに現実へと向かう、その一部始終が、緊張感を持って語られていくさまはなかなかのものがあります。初読の際は、「うーん、つまらんかも」と思ったのですが、しばらく経って再読したら「うーん、おもしろい」に変わっていました。 初読の当時は、まだ、『ニッポニアニッポン』のもつ時代性を掴みきれていなかったのかもしれません。その意味でも、じつに同時代性を伴った作品だとは思います。最後に、阿部氏のロリータ・コンプレックス描写は小気味いいものがあります。 ボクは好きです、こういうの。 | ||||
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この小説は、佳作としてある作品のような気がします。 政治的なテーマが通低にあるような気配を漂わせながら、 引きこもりな凶悪少年の妄想がついに現実へと向かう、 その一部始終が、緊張感を持って語られていくさまはなかなかの ものがあります。 初読の際は、「うーん、つまらんかも」と思ったのですが、 しばらく経って再読したら「うーん、おもしろい」に変わって いました。 初読の当時は、まだ、『ニッポニアニッポン』のもつ時代性を 掴みきれていなかったのかもしれません。その意味でも、じつに 同時代性を伴った作品だとは思います。 最後に、阿部氏のロリータ・コンプレックス描写は小気味いいもの があります。 ボクは好きです、こういうの。 | ||||
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「ニッポニア・ニッポン問題の最終解決」計画を構想する内省的な前半と、それを実行に移す過程を描く、「物語」的な後半で読み応えが違ってくる。後半は、「なぞとき」(といっても推理小説的なものではない)的な展開が多い著者の作品の中ではちょっと珍しいかなという感想。ここでは「映画」の「シーン」を描いている気がするし、そうならば「物語」の結末としては納得。ただし、「小説」の終わり方としては、「インディビジュアル・プロジェクション」同様、「物語」への肩透かしを食らわせてくるので要注意(そんなおおげさじゃないですけど)。あ、あと、この文庫本には、斎藤環先生(精神科医:存じ上げないのですが)のあとがきで本の表紙、登場人物の名前に関する解説をしてくれている。思わず、「ヘー」と思えるネタである。 | ||||
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阿部和重の小説は映画の為にあると言っても過言ではない。 (別に映画化に向いているという意味ではなく) 彼の小説群は青山真治や黒沢清の映画作品に近いイメージがある。 (特に『helpless』はこの小説のテーマと重複している部分がある) 彼の小説が多くの人に読まれ 小説という枠組を越えて語られるのは文芸界だけではなく 日本映画界にとってもプラスになるのではないだろうか。 | ||||
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う~ん、なんて言うのかな。まとまってるし、上手いといえば上手いんだけど、ただそれだけ、ということになっちゃいますね。残念なことに。この作品、素材が物凄くいいんですよ。読者を引き込めるし、読んでる間でも私なんか期待に胸を膨らませてましたから。だけど、結局は「えっ、それで終わり?」となってしまって、すこしガックリ。あと、素材と世界観がどう考えても笑いの方向に持っていけるのに、その方面に意識をさほど向けていないようであり、その点でも残念です。私などはついつい「このアイデアを筒井康隆に渡せば何倍も面白い作品をかくんだけどなぁ」と思ったぐらいです。犯罪者をテーマに据えた作品は古今東西沢山あるわけで、例を出すならドストエフスキーの『罪と罰』だとか三島由紀夫の『金閣寺』があります。しかし、どう考えてもこれらの「歴史的」な傑作の次元にはたどりついていない。そうでないならば、筒井康隆のように「笑い」の側面を追求するなどの特別なオプションが必要になる。そうでなければ、とてもとても☆五つはつけれねぇな。だからこの時点で☆四つが限度。しかも、ラストが無駄。たかだか一頁ほどだけど、読者の今日を削ぐ事をしてはいけません。作為が見え透いていて気が滅入ります。これで☆一つ減点。注目すべき作家の一人であることは間違いないのですが。 | ||||
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「インディヴィジュアル・プロジェクション」で衝撃を与えてくれた阿部和重の2001年の作品。 これまでも、どこまでが現実かわからない世界の描写がすごかったですが、本作品の主人公は妄想・壊れ具合が最高です。 トキの字「鴇」を、苗字に持っているゆえに、トキにこだわる17歳の主人公。故郷で、好きな女の子との仲が、絶望になり、都会で一人暮らしをして、インターネット漬けの毎日。 そんな彼は、「ニッポニアニッポン問題の最終解決」に向けて着々と進みつづける行動(インターネットでの情報収集や、スタンガンとか危ないグッズのインターネット通販)をとります。そして、その間に入る彼の妄想全開その他の回想シーンが笑えます。 「何でトキをテーマに?」と思ったけど、日本の3つの象徴の最後のひとつという主人公の強引なこじつけにはちょっと納得できました。 最後に、後半は、いきなり、学習効果を発揮して、女子中学生に優しくなったり、これまで主人公の視点だったのが、最後の最後にいきなり他者の視点になるのが気になりました。なんか力抜けるし。そして物語は別の人に受け継がれる? | ||||
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「インディヴィジュアル・プロジェクション」で衝撃を与えてくれた阿部和重の2001年の作品。 これまでも、どこまでが現実かわからない世界の描写がすごかったですが、本作品の主人公は妄想・壊れ具合が最高です。 トキの字「鴇」を、苗字に持っているゆえに、トキにこだわる17歳の主人公。故郷で、好きな女の子との仲が、絶望になり、都会で一人暮らしをして、インターネット漬けの毎日。 そんな彼は、「ニッポニアニッポン問題の最終解決」に向けて着々と進みつづける行動(インターネットでの情報収集や、スタンガンとか危ないグッズのインターネット通販)をとります。そして、その間に入る彼の妄想全開その他の回想シーンが笑えます。 「何でトキをテーマに?」と思ったけど、日本の3つの象徴の最後のひとつという主人公の強引なこじつけにはちょっと納得できました。 最後に、後半は、いきなり、学習効果を発揮して、女子中学生に優しくなったり、これまで主人公の視点だったのが、最後の最後にいきなり他者の視点になるのが気になりました。なんか力抜けるし。 そして物語は別の人に受け継がれる? | ||||
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