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オッド・トーマスの霊感の評価:
8.00/10点 レビュー 2件。 B ランク
書評・レビュー点数毎のグラフです
平均点8.00pt
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オッド・トーマスの霊感の感想
▼以下、ネタバレ感想
オッド・トーマス、君に幸あれ
死者が見えるという特殊能力を持った青年オッド・トーマスの物語。オッドは死人が訴えるメッセージを読み取り、彼らの無念の死の元凶となった犯罪者を捕まえる事を厭わない。しかし彼はそれには決して銃を使わない。オッドは朝起きると、まず今日も生きていた事に感謝し、その日一日奉仕して今日も生き延びられる事を祈る。これらのオッドの性格付けと見なされていた設定が後半、彼のそれまでの人生に与えた影響によるものだというのが解る。彼の両親は離婚しており、プレイボーイの父親と美しい母親は今でも健在だ。しかし彼らは社会的常識の欠落者、というよりも利己中心で自己保身の性格が突出した人物、つまり結婚生活に全く適していない人物なのだ。特に凄絶なのはオッドの母親だ。彼女の場合は精神的不均衡に由来するものだが、自分を守るが故に他者との係わり合いを徹底的に嫌うその性格、そしてそれにより被ったオッドのトラウマを想像すると背筋が寒くなる。子供が風邪や病気で苦しんでいるのに、その世話に関わる事で“要求される事”を嫌い、それに対応する事で自分の何かが奪われていく負担を感じる母親が、オッドの咳を止めさせるために隣りに添い寝し、一晩中銃口を彼の眼に突き付けていたというエピソードは凄まじい。この一種作り物めいている人物設定だが、実際にいるのではないか。モンスター・ペアレンツと揶揄される自分勝手な親が蔓延る世の中、全くおかしな話ではないと思えるのがなんとも痛ましいところだが。これを筆頭に狂気の90年代と作者が常々訴えている人間の利己主義の暴走が本書でも幾度となく語られる。このような虐げられた幼少時代を過ごしたオッドがサイコパスにもならず、ダイナーのコックとしてつつましいながら恵まれた生活を送っているのは彼を取り巻く人々の慈愛と、彼の運命の恋人ストーミー・ルウェリンの存在。特にストーミーはオッドの精神の拠り所であり、彼のこの上もない宝物だ。このキャラクターは白眉であり、理屈っぽいところは数あるクーンツ作品で見られるヒロインの典型なのだが、彼女に対するオッドの深い愛情がそこここに配されていることで、なんとも愛らしい人物になっている。そして開巻一番驚いたのは今まで作品に挿入されていたクーンツ自作の詩が『哀しみの書』から『歓喜の書』に変わっていたことだ。世界は哀しみに溢れ、彼の描く世界・物語は恐怖の連続であり、登場人物たちはまともに見えて実は狂気と正気の淵でギリギリの均衡を保っている。終わってみればハッピー・エンドだが、物語はほとんど救いが見られない様相を呈しており、クーンツはその絶望を悲しむ、それこそ彼の作品自体が『哀しみの書』となっているように感じられる。それがしかし本書では『歓喜の書』となっている。この答えは最後になってようやく解ったような気がする。それについては後述しよう。さて本書を読んで連想するのはハーレイ・オスメント演じる死者が見える少年コール・シアーが登場するM・ナイト・シャマラン監督の映画『シックス・センス』。主人公オッド・トーマスはその少年が成長した姿のようだ。死者が見えるだけでなく、その能力を使って死者の悔いを晴らす、起こりうる惨劇を防止するために行動する彼の信条はあの映画の後の少年だとしても違和感がないだろう。ちなみに映画は99年の作品で本書は2003年の作品だから、恐らくクーンツはあの映画を念頭に置いていたのではないかと思われる。そしてそれは最後の最後で明かされる、ある事実からもその影響が強く表れている事が解る。そしてこの2003年という年に注目したい。この頃のアメリカは哀しみが国中を覆い、死の影が誰も彼もに付き纏っていた。それは本書でも語られている2001年の同時多発テロという空前絶後の悲劇によるところが大きい。そして本書でもショッピングモール内での銃乱射事件というテロが物語のクライマックスになっている。これが本書におけるオッドの使命なのだが、この事件でオッドは最大の不幸を経験する。物語半ばでもしやと想像していたことであり、でもハッピー・エンドで終わるクーンツだからそれはないだろうと思っていたが、作者は敢えてそれを用意した。ここでクーンツが本書の冒頭に『哀しみの書』ではなく『歓喜の書』を挿入したのかが私には解った。哀しみを乗越えた後に歓びが訪れる、人はその困難に打ち勝たなければならない。そしてこれこそで哀しみに打ちのめされた人々に対するクーンツからのメッセージだったのだろう。オッドはそれの具現者だというのが最後に解るのである。しかしなんとも遣り切れない思いが募る。クーンツがこの物語に込めたメッセージは解るがやはりこの結末だけは避けて欲しかったというのが本音だ。しかしそれが故になぜ本書がオッドによる一人称小説になっているのかもまた読後に解るのだ。それは小説的技巧のみならず、なぜ彼がこの物語を紡ぐ事を友人の作家リトル・オジーに勧められたのか、それが実にストンと心に落ちてくる。そんな多重的な構造を含め、本書は最近のクーンツ作品でも群を抜いて素晴らしく感じるのだから全く皮肉な物である。オッド・トーマス、君に幸あれ。思わず読後、こう声を掛けたくなる作品だ。 ▼以下、ネタバレ感想
▼以下、ネタバレ感想