ゴメスの名はゴメス
※以下のグループに登録されています。
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点7.00pt |
ゴメスの名はゴメスの総合評価:
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
全2件 1~2 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
緊張感がないです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
タイトルはずっと以前から知っていました。50年前の作品ですが、今回やっと読む事が出来ました。舞台はベトナム戦争が始まる直前のサイゴン。友人の行方を探す内に、スパイの争いに関わって行く事になります。巻き込まれると言うよりもあえて飛び込んで行くと言うイメージです。誰が敵か味方か分からない、サスペンスに満ちたストーリーも良いですが、何と言っても文章が良い。設定にも会話にも品がある。更に、ベトナムの情景描写が素晴らしい。当時は取材旅行に行ける時代ではなく、聞いた話と想像で書いたらしいですが、とてもそうは思えない。 | ||||
| ||||
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
日南貿易の駐在員・坂本は社員の香取の行方を追ってサイゴンに赴任する。会う人に「香取を捜すのをやめなさい」と言われてもやめないでいると、謎の言葉を残す人物があらわれたりする。さらに不意に襲われ、脅しの電話があり、事件に巻き込まれてゆく。 著者は〈舞台を南ベトナムの首都サイゴンに決めるまではまったくの五里霧中〉だったと記している。執筆された1961年は、派兵拡大を押し進めたアメリカの対ベトナム政策で泥沼化していた。地図もなく、新聞社に資料もない。サイゴンに駐在したことのある新聞記者や商社員に会って、サイゴン市内の見取図を作ったという。 大きな国が小さな国、特にアジアで戦争すると北と南に分断されるのはなぜ。そこで暮らしていた人々が悲しい目に遭うことがわからないのだろうか。坂本や香取、リエンをめぐる人々は第二次、インドシナ、そしてベトナム戦争の被害者。そうした悲しさがスパイの行動によって、いっそう際立ってくるも本書の特徴である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私が初めて結城昌治氏の作品を読んだのは35年位前のことで、「軍旗はためく下に」という著者が直木賞を取った作品で、戦場の様々な局面における日本軍国主義の非道性を生々しいタッチで描き出した短編集です。そのころは結城氏がスパイ小説を書いていることを知らなかったのですが、最近、五木寛之氏のエッセイの中で紹介されていたのをきっかけとして読んでみました。ベトナム戦争が本格化する直前のサイゴンを舞台とした作品ですが、まず最初の印象はテンポが良く、スピード感溢れる展開だということです。しかし途中から次第に複雑な当時の政治情勢が明らかにされてきて、シリアスさの度合いが深くなってきます。ストーリーの展開を述べるわけにはいきませんが、最後に政情を背景とした意外な結末で物語が締めくくられます。登場人物のプロフィールを詳しく紹介しては興ざめになってしまいますが、太平洋戦争後ベトナムに残留した日本軍人が重要なカギを握るとともにその悲しみが生き生きと表現されているところに、後の「軍旗はためく下に」と共通の問題意識が潜在していることを読み取ることができました。一読を強くお勧めしたい作品です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
50年以上前に書かれた作品です。ベトナムの当時の景色や胡散臭さが何とも土臭いというか。砂埃感を感じ読むことができる。 2014年に実際にサイゴンに行ってみたが当然ながらこの小説の感じはもはやなかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ベトナム戦争より前の日本とベトナム、第二次世界大戦の影、植民地の影。プロットも今でも色あせていません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
まずタイトルがいい。新装版の装丁もわるくない。あとがきを読んで知ったのだが、作者の結城昌治は一度もベトナムの地を踏まずにストーリーとキャラクターを作ったという。小説家の想像力と創造力に脱帽だ。 本書が執筆されたのは1962年。アメリカが本格的にベトナムに軍事介入する前のことだ。その段階で、作者は登場人物のひとりにこんな台詞を吐かせている。 「アメリカの援助によって、ゴー政権はまだ二、三年はつづくだろう。だが、いずれにしても結局は内戦だ。そして、憎み合う必要のない同じ民族が、北と南に分かれて血を流しあうのだ。(中略)窮乏に苦しむ国民にとって、これほど有難迷惑な話はない。さっさと革命がおこって、共産政権になったほうがどんなにいいか知れないんだ」 サイゴンが陥落し、南ベトナムが崩壊するのは、本書が書かれて実に13年後の1975年のことである。ベトナムは社会主義国家となって、サイゴンはホーチミン市と名前を変えた。 クサい台詞もときどきあるが、心に残った文章も多い。そして、ラストの数行には心からじーんとした。かつてフランスの詩人、ジャン・コクトーは言った。「人は多くの人々を知っているが、彼らがどうなったかは知らない」。中盤あたりに出てくるこの言葉は、本書のひとつの「肝」だろう。ああ、人間というのはなんと哀しい生き物なのだ。本を閉じ、コクトーの言葉を噛みしめ、僕はそう詠嘆せずにはいられない。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 11件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|