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Tetchy さんのレビュー一覧

Tetchyさんのページへ

レビュー数132

全132件 61~80 4/7ページ

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No.72:
(10pt)

セイヤーズが英ミステリの大御所になった証拠がここにはある

前作『学寮祭の夜』でついに結ばれることとなったハリエットとピーター卿。
彼ら2人がハネムーンに選んだ先はハリエットの生まれ故郷パグルハムだった。そこでピーター卿はハネムーンに先駆けて「トールボーイズ」という名の屋敷を購入していたが、訪れてみると主であるウィリアム・ノークスが見当たらない。近所に住む家政婦のミセス・ラドルの話ではブロクスフォードへ行って不在だとの事だったが、彼女以外の世話人たちは誰もその予定を知らない。
ピーター卿も当初の取り決めと違う段取りに疑問を持ちながらも新しい生活をハリエットと始めて、ノークスの帰りを待つこととした。しかしいつまで経っても帰ってこないかつての主は地下室で死体となって発見される。甘いハネムーンが一転して、2人は事件解決に借り出されることになってしまった。

原題は“Busman’s Honeymoon”。直訳すれば『バス運転手のハネムーン』。この意味は作中に出てくる「バス運転手の休日」という成語をもじったもので、意味は「バスの運転手が休日もドライブして出かけるようないつもの仕事と同じような休日を過ごすこと」転じて「ピーター卿がハネムーン先でも事件に巻き込まれいつもと同じように捜査し、解決すること」となり、文豪セイヤーズの洒落っ気あふれた題名となっている。

さて今回の物語はピーター卿シリーズ後期物の例に漏れず、長大となっており、総ページ数は文庫で約630ページにも上る。実際、死体が発見され事件が事件として姿を現すのは185ページでそれまではハリエットとピーター卿の初々しいハネムーン―というよりも新婚生活―の顛末が面白おかしく語られる。
相変わらず一つの単純な事件でこれだけのページの話を引っ張るわけだが、今回はピーター卿自身が事件よりもハリエットとの夫婦生活について思考を向けたり、トールボーイズ屋敷を取り巻く人間たちの関係を描いたりでなかなか話が進まない部分があり、正直、中だるみする部分があるのは否めない(それでも今まで鉄面皮でピーター卿の忠実なる執事として振る舞い、どの人にも慇懃かつ紳士的に接していたバンターがピーター卿のヴィンテージ・ワインをミセス・ラドルが台無しにする一幕で物凄い剣幕で罵るシーンはかなり驚いたし、今までシリーズを一貫して読んだ身にとってはかなり笑えた)。
しかし、それを補って注目すべき点がある。今回セイヤーズはかなりの試みをこの作品で行っている。それは本格ミステリにおいて語られることのなかった「人が人を裁く」という意味についてかなり掘り下げて書いてあるのだ。

確かに誰かがかつて云ったように、本格ミステリとは読者と作者との知的ゲームであろう。事件が起き、それがどのように、誰が、どうして、何をして、いつ、どこで成されたのかを調べ、解き明かすことそのものを単純に愉しむだけであった。
ここでセイヤーズはその行為によって周囲の人間たちにどのような影響を与えるのかをハリエットとピーター卿の2人に考えさせる。これはミステリを書き続けるにあたり、セイヤーズがミステリを文学たらしめたいがために至ったどうしても避けられない必要事項だったのだろう。
前作『学寮祭の夜』では上流階級の物としてのミステリを市井の人々の抱く憤懣を描いたが本作においてもその傾向は継続されている。貸した40ポンドの金に執着する庭師が洩らすピーター卿への羨望、40ポンドのお金に自分の将来の自動車工場の夢を託す者もいれば、ワイン1ダースに10ポンドを費やす貴族もいるという現実を描く。

『学寮祭の夜』では2人が結婚するに至り、この上ない倖せな結末を提供してくれた。では本作でもこのハネムーンが同じく至福を与えてくれるのかといえば実はそうではない。
シリーズの掉尾を飾る本作がこのような重い結末となるとは露にも思わなかった。
今までは犯人が誰かを当てれば物語は閉じられた。しかし本作はそうではない。あえて犯人が処刑される日までを描いている。
貴族探偵として無邪気なまでに物語を縦横無尽に駆けずり回っていたピーター卿が最後に直面する苦痛。そこにヒーローたる探偵の姿はなかった。エピローグとでもいうべき最後の章「祝婚歌」の冒頭で語られる探偵作家ハリエット・ヴェインはそのままセイヤーズその人である。
つまり本作においてハリエット、ピーター卿は創造上の人物ではなく、現実レベルまでに引き上げられた生身の人間なのだ。

本作はシリーズの総決算であり、そのため色々なエピソードが語られる。読み応えある内容が満載である。
本作でシリーズは幕を閉じる。それは大団円というにはあまりに暗い余韻を残す。しかし文豪セイヤーズが本当に書きたかったテーマがここに来て結実したのは明らかだ。セイヤーズがなぜ21世紀の現代においても評価が高いのか、その証拠がこの作品に確かにある。


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忙しい蜜月旅行 (ハヤカワ文庫 HM (305-1))
No.71:
(10pt)

必読の傑作として強く勧めたい

素直に傑作と認めたい。

次から次に主人公を襲う危難や事故の原因を作った空軍の対応はもとより、自社のミスで事故が起こったであろうと憶測するがゆえに人道的手段よりも会社の損益を天秤にかけ、旅客機が帰着したときに起こるであろう脳挫傷被害者への保険負担、アマチュアパイロットがジャンボ機を操縦している事実から推測されるサンフランシスコ市街への被害に対する賠償金などを算盤に掛けて自社のジャンボ機の墜落を願う会社重役、それと対極を成すアメリカの正義を象徴するような絵に描いたヒーローとなるような筆頭パイロット、不撓不屈の精神で困難に立ち向かう主人公などハリウッド映画好みの人物設定が眼前としてあるのは否めないし、また彼らがこういったパニックストーリーにそれぞれ有機的に機能するように計算された配置を成されているのも盤上の将棋の駒のような動きをしているような感じもするが、これほど読者を楽しませるのにあれやこれやと試練を畳み掛け、葛藤する人間ドラマを盛り込んでいるのは正直素晴らしい。亜宇宙空間での事故に関する良質なシミュレーション小説としても評価は高いだろう。

なんせ今回ほどストーリー紹介の不要な小説も珍しい。最高水準のジャンボジェット機が空軍の訓練ミサイルのミスショットにより風穴を空けたまま、素人パイロットの操縦でサンフランシスコへの帰還を目指す。
このたった2行で十分だ。おそらく今後この小説のストーリーは忘れないだろう。久々ページを繰る手がもどかしい小説を読んだ。

しかしこれがデミルの小説であるとは恐らく思わないだろう。デミル特有のワイズクラックがここではそれほど強調されておらず、文学的風味も抹消され、小説のムードとしてはやはりパニック小説に徹しており、余計な挿話は挟まれていない。デミル一人ではここまで贅肉を削ぎ落としたストーリー展開はなかったろう。
当時トマス・ブロックがビッグ・ネームだったのかは寡聞にして知らないがなぜデミルの名が表出しなかったのか、すごく気になるところである。

超音速漂流 (文春文庫)
No.70: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(10pt)

ロシアの恐ろしさを備えた人生讃歌

タイトルの意味は「花嫁修業学校」。しかしこの穏やかなタイトルとは裏腹に内容は骨太の大傑作。ロシアという閉鎖的な大空間においてありとあらゆる人々の人生が錯綜し、壮大なる絵画を描く。

発端はロシアを旅行中のアメリカ人青年がふとしたことから迷い込んだ森林の中に建設された「チャーム・スクール」からの脱走兵との邂逅から始まる。冒頭のここら辺の文体は牧歌的だがこの青年がやがて大使館にこの存在の一報を入れたその瞬間から物凄い緊張感を纏って進行する。
「チャーム・スクール」―それはベトナム戦争などで捕虜となったアメリカ兵をインストラクターとし、アメリカ人としての教育をロシア人に施し、アメリカへスパイとして潜入させるための学校。やがては世界各地の民族に対しても同様の学校を作り、ロシア人で世界を支配しようと画策する。
この物語はこの「チャーム・スクール」を設定し、そしてこれを一介のアメリカ人青年から大使館へ電話させたという構成をとったことでほぼ80%完成したといってもいいだろう。

通常の作家なら通俗的に超人的な能力を持つ凄腕のスパイを配し、ハリウッド映画ばりにアクションシーンをふんだんに盛り込んで銃撃シーン、格闘シーン、爆発シーンを連続させて「チャーム・スクール」に捕らえられているアメリカ人捕虜の救出、黒幕の抹殺、そして施設の壊滅を派手派手しく描く所だが、やはりデミルはデミルである。おいそれとそう簡単にはそういった手法を採らない。
まずは大使館や外交官といった特権階級の人間でさえ、ロシアでは外出するのも捕虜として捉えられる事と紙一重である事をこの電話に対しての主人公二人の活動を通じて詳細に緊張感をもって描く。この作品は一貫してそういった緊張感が張り詰めている。
ロシア、そしてロシア人というのは資本主義社会では到底考えられない自分勝手な哲学、主義が横行し、憚らないのだと読者の胸に刻み込むように描かれる―しかし、アメリカ人作家の手によるロシアの描写であるから情報としては一面的である事を忘れてはならない。過剰に書いてあるだろう事は推測できるから全てを鵜呑みにしてはいけないだろう―。
そういった背景を緻密な描写を丹念に重ねながら、チャーム・スクールの調査、侵入の困難さを少しでも触れれば切れそうな張り詰めた糸のような緊張感の下、確かな筆致で描く。

しかし、ここで私はここでかなり不安だった。外出さえもがこれほど困難なロシアの中でしかもチャーム・スクールを難攻不落の要塞の如く描いて物語が発展するのかと。チャーム・スクールにどうやって潜入するのか?捕虜たちをどう救出するのか?しかも上巻の最後ではこの主人公二人はロシアから強制帰国を命じられ、ロシアを離れようとするのだ。

まず前者の私の問いに対して、デミルは全く私の想像を超えた設定を持ち込む。それは主人公二人をロシア側が誘拐し、しかもチャーム・スクールにてインストラクターに仕立てようとすることだった。これには全く以って脱帽。しかもこの一種アクロバティックなプロットが上巻の彼らの行動、ストーリー展開の中で無理なく納得させられるようになっているのだから、見事としか云いようが無い。
さらに作者はここから読者を新たな世界へ導く。戦争捕虜というものが―特にロシアにおける―、どのような仕打ちを受けるのか、これを淡々と冷酷に詳述する。その後、主人公二人はチャーム・スクールの内状を人々の出会いを交え、知っていく。実は物語としてもっとも面白く感じたのはここだった。特にホリスがチャーム・スクールで再会するかつての戦友、彼がもう何処が本統の居場所なのかわからなくなったよと述懐する場面、またベトナム戦争で撃墜された時に捕虜として捕らえられていた副パイロットの心情を彼らによって教えられ、ホリスが長年抱えていたしこりを氷解させる場面はこの作品の中でのベストシーンだ。
物語はその後ホリスの、ロシアで長年一緒に勤務した悪友セスの潜入作戦を経て、脱出劇と壊滅劇が繰り広げられる。ここで明かされる前述の後者の問いの答えは非常にショッキングなもので、後味は悪い。特にチャーム・スクールに好まざるべくいるアメリカ人捕虜たちのストーリーが語られた後となっては。

デミルは登場人物一人一人に哲学をしっかりと設定する。そして彼らがその己の規範に従い、時には呪縛を感じながらも行動する。一人一人が脈打つ実在の人間のようだ。
この小説は単なるエスピオナージュ、スパイ小説ではない。人生讃歌である。誰一人として単なる主人公の引き立て役の駒で終わっていない。そういっても過言ではないだろう。特に最後に杓子定規な正義が成されなかった点。ここに人生を生きることの難しさとデミルのアイロニーを感じた。
一人でも多くの人がこの作品を読むことを期待する。

チャーム・スクール (上) (文春文庫)
ネルソン・デミルチャーム・スクール についてのレビュー
No.69: 6人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(10pt)

ノンフィクションとフィクションの狭間で

これは新たなる島田氏の代表作だと云っても過言ではないだろう。『秋好事件』のノンフィクションタッチがこの作品でいかんなく発揮されており、島田氏がただ単純にノンフィクションを書いたのではないことも判った。
巨匠にして新たなる手法を生み出す、この貪欲さは新本格第1期組の、最近新作を出さない輩共に見習って欲しい姿勢である。

『津山30人殺し』をモチーフに、というかそのものを題材にかの御手洗潔のパートナー、石岡和己を主人公にして陰惨な連続殺人事件を繰り広げるというこの設定からして斬新だ。最初は単なる横溝正史へのオマージュだと思っていたが、いやいや、やはり島田氏、オリジナリティー溢れる作品となっており、島田作品以外何物でもない。
上巻に高木彬光へ、下巻で彼の生んだ名探偵神津恭介に賛辞を表しているが、これはこの作品そのものが彼の作品に対するオマージュではなく、恐らく当時彼が亡くなられたことによるものだろう。

今回特徴的なのは下巻の中間で都井睦雄の30人殺しへ至る経緯がその生涯と共に語られており、しかもそれが物語の謎の中心であるが故、フィクションとノンフィクションの境がぼやけ、真にあったかのように錯覚させられることだ。『秋好事件』でもそうだったがこういうノンフィクションを語らせると島田氏は抜群に上手い。臨場感と睦雄の人となり、そして事件の引き金となった経緯が非常に説得力を持って語られるのだ。
そういった中でも大トリックを仕込んでいるのが非常に嬉しいし、また、菱川幸子の殺害方法が運命の皮肉さを伴っているのが単なる推理ゲームに堕してなく、小説として余韻を残してくれるのがプライドを感じて嬉しい。

連続殺人が続くのも、最後の最後まで御手洗を登場させず、石岡という凡人に解決させることにより、不自然さが無い―よく名探偵がさんざん人が死んでおきながら犯人は貴方だ!と誇らしげに指摘する厚顔無恥さがこの作品には無い。昭和初期の殺人事件に基づいて連続殺人が成されたというのも島田氏がこだわる日本人論、昭和論をほのめかしており、しかも忘れ去られるであろう事件を再認識させてくれたのも作者の真面目さだと思う。
あと最後の最後であっと云わされるミチの正体。こういう演出が心憎い。

島田氏の創作意欲は衰えを知らず、毎年新作を発表している。恐らくこの作品はその口火となったように記憶している。読んでみてやはりこの作品は新生島田荘司の誕生を高らかに宣言しているように感じた。
本当に素晴らしい作家だ、島田氏は。

龍臥亭事件〈上〉 (光文社文庫)
島田荘司龍臥亭事件 についてのレビュー
No.68: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(10pt)

芳醇なワインに似た読後感

いやはや、デミル、貴方は上手い、上手過ぎる!!
これぞ小説なのだと醍醐味をとことん味わわさせてくれました。最後の一文なんか、もうシビレまくりです!!これは正に俺が好きな締め括り方。俺が作家ならこう締め括る。哀しいラストに一縷の希望を託す、非常に美しい最後だ。だから最後の最後まで俺の心の隙間にピースがカチッと嵌ったのだ。

ビヴァリーヒルズも足元に置く高級住宅地、ゴールド・コースト―オーストラリアのそれでなく、ニューヨークの郊外にある建国当時から住むヨーロッパの財閥が成した街―。ここに暮らすワスプ、弁護士ジョン・サッターと生粋の貴族の出である美しい妻スーザン。この一風変わったセックスを好む夫妻の隣り、豪邸アルハンブラに最後のマフィア、ベラローサが越してくる。好むと好まざるとに関わらず―いや正にこの場合は好まざるとに関わらず限定か?―隣人付合いをすることになるサッターだが、これがやがてこのマフィアのコロンビア麻薬王殺し容疑の弁護の役回りを演じることになり、また妻のスーザンとの破局、そして栄光のウォール街弁護士の肩書きの剥奪を招くことになるのだった。

書きたい事は色々ある。ありすぎて取り留めがなくなるのでご容赦願いたい。
まずベラローサの造詣。最初は映画『隣りのヒットマン』の影響のせいでブルース・ウィリスを当て嵌めていたのだが、上巻の最後の方から、やはりこれはデ・ニーロだと得心した。もう全く以って彼。ここで俄然、私の中で物語は映像と共に進み、読書に拍車がかかった。
その他の登場人物の内、スーザンは最初、二コール・キッドマンとも思ったが、それは時たま頭をよぎるだけで特に俳優になぞらえなかった。
あとはマンクーゾ。彼のイメージは俳優は特定できないが、帽子をかぶり、肩まで掛かる天然パーマ気味の長髪と白髪交じりの口髭を生やした初老の痩身の、黒のスーツが似合う男がはっきりと浮かんだ。これはかなり正しいイメージだと思う。
こういった人物がイメージとして湧き上がるほどの性格付け、また夢の中の世界として描かれる金持ちの敷地やリトル・イタリーのレストランの描写が非常に素晴らしく、小説を読みながら映像を思い浮かべることが出来た。特にこの小説は映画好きが読めば読むほど映像を喚起できると思う。

またサッターの独白で明かされるベラローサの、サッターを自身の弁護士として取り込む手練手管の精緻さ。これが何とも懐が深く、本当にマフィアならそうするだろうと思わせるほどのリアリティがある。こういった構成が結末の悲劇への十分な裏付となっている。
しかもプロットは堅固なのに人物が前述の通り、個性豊かで単なる駒として機能しているわけではない。これらの人物ならばそれぞれこのように行動するだろうと納得させるだけの筆力があるのだ。
いやあ、神業ですよ、これは。デミルを読むと私も含め、作家を目指す人はしばらく創作意欲が無くなるのではないのだろうか。
芳醇なるワインを飲んだ心地ですな、特に読後の今は。

ゴールド・コースト〈上〉 (文春文庫)
ネルソン・デミルゴールド・コースト についてのレビュー
No.67:
(10pt)

恋は惚れた方が負け

まさかアイリッシュがこんな悲恋の物語を書こうとは思わなかった。冒頭、別人になりすました若き淑女の登場から、度重なる齟齬から発覚する、花嫁入替りの事実。その事実が発覚すると同時に主人公の巨万の富を持ち出して逃亡する花嫁。復讐の鬼と化した主人公は1年と1ヶ月と1日を費やし、とうとう彼女を捕まえる。しかし、そこで彼女の巧みな話術によって誑かされ、結局彼女とまた2人の生活を始める。それが彼の正に人生の大きな過ちの始まりだった。花嫁の捜索を頼んだ探偵を自ら殺めることで闘争の日々が始まり、拠点を転々とし、ついに私財も底を尽く。彼女に唆されて博打ぺてんを仕掛けたものの、呆気なくばれて、ついに一文無しになり、彼女は昔付き合っていた悪党に手紙を送り、とうとう主人公の保険金殺人を図るのだが・・・とまあ、波乱万丈な物語で特に主人公が復讐を成し得なかった辺りから正に先の読めない展開となり、主人公は人生の落伍者へと、花嫁は希代なる悪女へと転進していく。

この花嫁、ボニーの造型が素晴らしい。時には天使のような、時には状況の犠牲になったか弱い乙女のような、そして時には人生の酸いも甘いも経験し尽くした売女のような女として描かれ、しかもそれが全て違和感なく1人の女性としてイメージが分散しない。特に最後の辺りで主人公に毒殺を図る鬼気迫るやり取りは背筋が凍りつく思いがした。
こういった人物造型含め、心情を暗示させる風景描写、移ろいゆく人々の心情描写がアイリッシュは抜群に上手い。真似をしたい美文・名文の宝庫である。

恋は惚れた方が負けである。それは自分の人生経験でもそうだった。
しかしアイリッシュは最後までその愛を貫くことで人間は変わる、そんな美しくも儚い物語を綴ったのだ。

暗闇へのワルツ (ハヤカワ・ミステリ文庫 ア 3-2)
No.66:
(10pt)

日本描写の細やかさにサプライズも加わった傑作

今回のクーンツは近年の作品の中では上位の部類に入る力作だと思う。『ベストセラー小説の書き方』で日本を舞台にした作品を書いた件が述べられていたが本作がそれ。
この作品を書くに当ってクーンツは京都への取材はせず、日本に関する膨大な資料と日本に詳しい知人への訊き込みで書いたというが、とても信じられないほどの緻密さである。過分に日本人の礼儀正しさを賞賛しているような気がするが凡百の外国作品に見られる「日本人」=「ちょんまげ」というような荒唐無稽さは無く、当時日本に住んでいるクーンツの知人から日本に取材に行かずあれほどの物を書いたことが信じられないとの賛辞を頂いたそうだが、それも頷ける。
しかも日本での話はおつまみ程度といったものではなく、全体の8割を占めるから、日本ファンに向けてのほんの手遊びで書いたものではない事は明らかである。登場する日本人名も佐藤とか鈴木とかありふれたものではなく、またかといってニツヅカとかマクラダとか本当にいるのかと首を傾げたくなるような奇妙なものでもなく、小説として十分特徴ある人物像が描け、しかも不自然ではない名前であることも驚き。
そして凝った日本料理についても日本人であるこちらが知らないような、もしくは食べたことないような高級な物だが実在する物として容易に想像できる物である事も更なる驚きであった。通常ならばここまでだけでも9ツ星なのだが、今回はあの傑作『雷鳴の館』にも通ずるサプライズが最後に用意されており、飽きさせない。
この最後に解る登場人物の相関関係の複雑さもよく練られて書かれているし、またシェルグリン議員がなぜ我が愛娘を洗脳させたのかが納得のいく説明で解決されることも素晴らしい。

クーンツの傑作『雷鳴の館』、『ウィスパーズ』、『ウォッチャーズ』、『邪教集団トワイライトの襲撃』に比べると物語力はやや劣るかもしれないが読者に真面目に向き合うクーンツの姿勢と複雑なプロットを見事に書き上げた豪腕を評して星10とする。
真夜中への鍵 (創元推理文庫)
ディーン・R・クーンツ真夜中への鍵 についてのレビュー
No.65:
(10pt)

さすがこれこそ巨匠の作品!

この作品を以って、なぜ今この現代においてでさえセイヤーズが巨匠扱いされるのか、またクリスティーと並び賞されるのかがはっきりと解った。
特に読み始めの頃はP.D.ジェイムズを読んでいるかの如くで、セイヤーズの影響をジェイムズが強く受けている事を肌身で感じた。
ある閉鎖された世界における多種多様な人々を念入りに描く、これはジェイムズが好んで使う手法だが、しかし本作はジェイムズの作品にない明るさがある。個人的にはジェイムズよりもセイヤーズの方が上だと思う。

今回オクスフォードが舞台ということで教授、学生、給仕など登場人物が半端でなく多いのだが、それでも性格付けが非常に上手く、また描き分けも見事で物語として非常に愉しめた―個人的にはヒルヤード女史が非常に印象が強い。『殺人は広告する』でセイヤーズは広告業界の内幕を描いたが、その頃に比べると出来はダントツだ。
描かれる事件が学内に陰湿な落書きや悪戯が頻発し、やがてそれが傷害事件にまで発展するというものでコージー以外何物でもない。そのため今回派手なトリック、意外な結末というのは成りを潜めている(以下ネタバレに続く)。



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学寮祭の夜 (創元推理文庫)
ドロシー・L・セイヤーズ学寮祭の夜 についてのレビュー
No.64:
(10pt)

やはりこれこそクーンツの最高傑作

やられた。
クーンツがこんな作品を書くなんて。

はっきり云って昨日までは世評に云われているような言葉を理解できる犬と人との交流がさほど感動的ではなく、寧ろベストセラー作家クーンツの感動させようというテクニックが透けて見え、あざとさを感じ、せいぜい9ツ星どまりだと思っていた。この評価は最後のシーンでちょこっと加点されたが、今回の「やられた」感のキモはここではない。

私は<アウトサイダー>にやられたのだ。
まさか最後の最後で<アウトサイダー>にああいう事をさせるとは思わなかった。何とも哀しい末路である。
しかしこの結末で非常にニュートラルな感慨を抱け、最後の静謐なエピローグがより際立って感じた。これこそがまさに単なる物書きと作家とを隔てるサムシング・エルスなのだ。

しかもクーンツの悪い特徴である素っ気ない結末で締め括られるわけでなく、カチッと最後のピースが当て嵌まるかの如く、素晴らしいエンディングを用意しており、心にずっしりとストーリーが残った。
殺し屋ヴィンス、追跡者レミュエル、これら脇役が全てプロットに最後の最後まで機能しているのもクーンツにしては珍しい。
文句なく満点である。
ウォッチャーズ〈上〉 (文春文庫)
ディーン・R・クーンツウォッチャーズ についてのレビュー
No.63: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(10pt)

現時点最後の作品でも傑作なのだなぁ

外伝においても物語の属性としては派手な演出が繰り出される“動”のラインハルト編、気のおけない仲間たちのエピソードを描く“静”のヤン編という風に明確に色分けされているのが興味深い。
特に今回は同盟軍史上の英雄ブルース・アッシュビーの死の真相を探る隠密行動を強いられるというテーマで歴史の暗部を明らかにしていくこととなるのだが、それが必ずしもドキドキハラハラの演出で繰り広げられるのではなく、やる気の無いヤンのマイペースぶりで淡々と物語は進行していく。途中捕虜収容所へ着任させられ、脱走事件などが起きるものの、物語はあくまで起伏がない。
しかし、これが約40年間捕虜だったというケーフェンヒラーという人物を際立たせる効果を確実に上げている。大往生で亡くなるシーンが殊更に静謐さを湛えているのはこの淡々とした演出の御蔭であろう。

現時点においてこれが『銀英伝』シリーズの最終巻である。作者としてはまだ語り尽くせぬ思いは確実にあると思うが、それは時間が解決する事。
本統に最後なのか、それとも新たなる伝説が紡ぎ出されるのか、じっくりと待つこととしよう。


▼以下、ネタバレ感想
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銀河英雄伝説外伝4 螺旋迷宮 (創元SF文庫)
田中芳樹銀河英雄伝説外伝4 螺旋迷宮 についてのレビュー
No.62: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(10pt)

地味な発端 派手な結末

セイヤーズは凄い!
本統に現代のミステリに通じるセンス・オヴ・ワンダーがある。

今回も例によって発端の事件は地味。いや料理屋で隣り合わせた医師が非難にあった事件にもなっていないある老嬢の死から始まる。こんな、事件にもなっていない1人の死を解こうとする無益な探偵活動から始まり、終わってみれば3人の死者と1人の殺人未遂で終わるという派手な結末となった。

ピーター卿が単純な自然死の真相を暴こうとする動機。「この世には犯罪で殺されるよりも普通に亡くなる人の方が多い。だが普通に死んだ者達の中にも殺された人がいるかもしれない。それはただ単純に発覚しなかっただけで完璧な犯罪だったんじゃなかろうか。6人殺した毒殺魔が7人目を殺した時に捕まるのも、6人目までの手際が良くて発覚しなかっただけなんだ」という趣旨の台詞を述べる。おもわず頷いた。

最終的にはかなり凄惨な事件だった。読むのに苦労したが苦労して読んだ甲斐が大いにあった。

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不自然な死 (創元推理文庫)
ドロシー・L・セイヤーズ不自然な死 についてのレビュー
No.61:
(10pt)

しっくりとハマりました!

来た、来た、来たぁ~!シビレまくりのこの逸品!オイラはホンマに幸福者やぁ!も~、最高!
連鎖 新装版 (講談社文庫)
真保裕一連鎖 についてのレビュー
No.60: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(10pt)

田中氏、万能ぶりを存分に発揮!

『銀英伝』関連の田中作品に関してはもはや云う所無し。向かう所敵無しである。その圧倒的なクオリティの高さとエピソードの豊富さは比肩する物無しといった感じである。
本書は各所に散らばった『銀英伝』関連の短編を1冊に纏めた、云わば企画本であるが、冒頭の「ダゴン星域会戦記」以外はラインハルトとキルヒアイスを主人公とした物語が並び、統一感を感じさせる。不満を云えばそのラインナップゆえにどちらかと云えば帝国軍側寄りで、ヤン・ウェンリー好きな私としてはちと物足りない。

しかし、読めば読むほど『銀英伝』の深さに感嘆する読み物である。まず「ダゴン星域会戦記」はまさに本編第1巻から提示されたエピソードであることに驚嘆させられる。特に英雄視されているリン・パオとトパロウルの闘いが思ったよりも稚拙だったというのがミソ。ここらへんが実に田中氏らしいのである。
次からはラインハルト・キルヒアイス物となるのだが、その多彩さに再度驚かされた。なんと本格ミステリがあるのである。「朝の夢、夜の歌」がそれだが、他にも「汚名」などはミステリ風味の謎を含んだハード・ボイルド物ともとれ、非常に堪能できた。

これらの作品がいつ頃書かれたのかは寡聞にして知らないが、田中氏の万能振りをこれでもかとばかりに魅せつけられた。これが10点でなくてどうなる!?といった次第である。

銀河英雄伝説外伝5 黄金の翼 (創元SF文庫)
田中芳樹銀河英雄伝説外伝5 黄金の翼 についてのレビュー
No.59:
(10pt)

ホームズ物の知られざる大傑作!

やっと来た、という感じの満足感が得られた。物語作家ドイルの面目躍如たる一作。私は世評高い『バスカーヴィル家の犬』よりも本作を推す。今回はドイルがここまで書けるのかと感嘆させられた。

物語の構成はエピローグを加えると大きく分けて3部になる。1部は通常のホームズ譚―依頼人が来て、事件の概要を話し、ホームズが現地に乗り出し、事件発生後、証拠を捜索して驚嘆の事実を暴露する―である。しかし、今回白眉なのは第2部、つまり事件の背景となる加害者側のストーリーなのだ。これが実にいい!!
この構成は先に出てきた『バスカヴィル~』以外の長編、『緋色の研究』、『四つの署名』と同じなのだが、『緋色の研究』の時にも感嘆させられたが今回は更に作家としての円熟味が増したせいか、ものすごく芳醇な味わいがあるのだ。
なんとハード・ボイルドなのである!!!ハメットすら唸らせるかのようなその臨場感はまるでスペクタクル映画を観ているよう!
しかもそのサイド・ストーリーにも驚きの仕掛―これは今考えるとほとんどサスペンスの常套手段なのだが私には全く予想つかなかった―が施されている辺りにも正にぬかりなしといった感じ。
ドイルはやはりドイルなのだと感じ入った次第。思うに本来ドイルはこのような小説を書きたかったのではないだろうか。



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恐怖の谷  新訳シャーロック・ホームズ全集 (光文社文庫)
アーサー・コナン・ドイル恐怖の谷 についてのレビュー
No.58:
(10pt)

最後の「ささやき」の正体に戦慄!

はっきり云って最後にやられた。打ちのめされました。

前回読んだ『ファントム』は「太古からの敵」というほとんど太刀打ちできないような怪物を生み出し、パニックホラーを繰り広げてくれた。その先入観から今回は不死の殺人鬼がモチーフだと思い、どんな原因・理由でこの殺人鬼は蘇えるのだろうと思っていた所、下巻の登場人物一覧に「オカルティスト」なる文字が。これで以前読んだある作品の焼き直しかとがっかりしたが、あにはからんや、今回は論理的解決が用意されていた。
これで私は感心した反面、恐怖の正体が少し安易過ぎてがっかりしたのだが、最後に現れるブルーノ・フライを脅かす「ささやき」の正体のおぞましさ!背筋に文字通り虫唾が走りました。

あれだけの存在感で迫るブルーノ・フライがいやに打たれ弱かったり、最期が呆気なかったり、幾分か瑕疵はあるが、トニーとヒラリーのラヴ・シーンに共感し、思わず胸が熱いなるシーンがあったり(クーンツはこういう人と人との感情の交わらせ方が非常に巧い!!)、フランクの殉職シーン、また各登場人物の愛する人を失った哀しみなどドラマティックな演出が散りばめられており、非常に美味しい作品だった。

ウィスパーズ〈上〉 (ハヤカワ文庫NV―モダンホラー・セレクション)
ディーン・R・クーンツウィスパーズ についてのレビュー
No.57:
(10pt)

社会的弱者を書かせたら実に巧い!

旅先で読むことになり、読みやすい薄さにも関わらず時間をかなり費やしてしまった。

梗概にも書かれてあったが本作は島田作品の中でも異色の物で、作者本人でさえあとがきで全く予想外に生まれた副産物であると述べている。内容的にはミステリではなく云うなれば幻想小説のテイストを含んだ中間小説とでもなるだろうか、不思議な読後感の残る作品である。

そして私はこのような作品に弱い。
島田ミステリに通底する弱者への真心とロマンシズム、これが一貫して物語のBGMとして流れ、進んでいく。最後には珍しく悲劇的な結末で無機質に締められ、読者の心には冤罪に対してのほろ苦さが色濃く残る。
最後に門脇春男は救われたのか、それは判らないが不幸な者がここにいるということを強く教えられた。
天に昇った男 (光文社文庫)
島田荘司天に昇った男 についてのレビュー
No.56:
(10pt)

歪んだ論理が愉しめる珠玉の短編集

泡坂初期の短編にはチェスタトン張りのロジックが愉しめる。それは歪んだ論理とでも云おうか、読後に奇妙な味わいを残す。
本作では「赤の追走」、「紳士の園」、「煙の殺意」、「開橋式次第」がそれに当たる。

しかし本作は先ほど「奇妙な味わい」と述べたようにエリンの『特別料理』を意識したに違いないと思われる作品がある。『閏の花嫁』はもうほとんどオマージュであろうし、『歯と胴』は一種のホラーとも云える(題名からすればバリンジャーか)。

恐らく雑誌掲載の短編を寄せ集めたものであろうが、この完成度は素晴らしい。

煙の殺意 (創元推理文庫)
泡坂妻夫煙の殺意 についてのレビュー
No.55:
(10pt)

「暗闇団子」に参りました。

『展望塔の殺人』のように御手洗、吉敷に頼らない短編集でサスペンス・倒叙物・幻想文学・時代物とそれぞれヴァラエティに富んでいる。
新宿地下街図を「踊る手なが猿」になぞらえた奇抜な発想が見事な表題作、正統派トリック物から一転して意外な真相にいたる「Y字路」もいいが、何といっても最後に収められた「暗闇団子」が白眉だろう。こういう切ない恋愛物を書かせたら島田荘司は抜群に上手い。一瞬泡坂妻夫かと思った。これが読めて私は倖せだよ。
踊る手なが猿 (光文社文庫)
島田荘司踊る手なが猿 についてのレビュー
No.54:
(10pt)

深くコクのある物語

今回の鮫島は云わば忍耐の男だ。“静”の新宿鮫である。それは作者が「時の深み」を底流に物語を紡いでいるからだ。
新宿鮫Ⅰの頃から出ていた真壁を核にし、これまでの集大成として本書を書いた事は疑いない。当初ギラついたバイプレイヤーとして出てきた真壁をこんな風に鮫島と対峙させるとは誰が予想し得ただろう。私自身、丁々発止の大攻防戦を考えていただけにこれだけじっくりと味わい深い物語を展開させられるとはいい意味で裏切られた。
そして雪絵の母と大江の物語…。最後の、機動隊の奏でる喧騒をバックに駐車場の詰所で静かに語らう鮫島と大江。サイレンとパトライトの只中でそこだけ音の消えた世界で見つめ合う雪絵の母と大江。静と動が織り成す大人の時間の味わいが、この上なく美味であった。
傑作。
風化水脈 新宿鮫VIII (光文社文庫)
大沢在昌風化水脈 新宿鮫VIII についてのレビュー
No.53:
(10pt)

新宿が戦場に!

幸福に恵まれなかった人たちの物語。鮫島は今回脇役!?
毒猿―新宿鮫〈2〉 (光文社文庫)
大沢在昌毒猿 新宿鮫II についてのレビュー