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永遠の0
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永遠の0の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.96pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全2076件 761~780 39/104ページ
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永遠の0 生々しい表現に何度も本を閉じようとしましたが、勇気を出して読むことで深い感動を得ました。 『海賊と呼ばれた男』同様、作者の素晴らしい表現に強く惹かれました。 全国民の老若男女に是非読んでいただきたい。 | ||||
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戦争を体験した人間、戦争の話しを聴いた人間、だんだん、戦争を映画等、脚色されたものでしか感じられなくなってしまっている現在に戦争を意識させた小説。戦争を美化されているとか、昨年に引き続いて話題が絶えない。 | ||||
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深い読後感をもって読了しました。主人公である宮部久蔵の生と死(あるいは輪廻転生)の物語であると同時にその後の家族たちの物語でもあり、更には太平洋戦史や組織論までに及ぶ射程を有する一書。頭の中が何かいまだにボーっとしています。あの戦争でお亡くなりになり傷ついたた全ての方々(一部責任者を除く)に、思いを馳せているところです。 「あの頃、私たち搭乗員は非日常の世界を生きていました。そこはすでに条理の世界ではありませんでした。死と隣り合わせの世界というか生の中に死が半分混じり合った世界で生きていたのです。死を怖れる感覚では生きていけない世界なのです」(88頁)。 「八時間も飛べる飛行機は素晴らしいものだと思う。しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない」(242頁)。 「山本長官は将棋がたいそう好きらしいが、碁は知らんらしいな。もし碁を知っていたら、今度の戦争も、違った戦い方になったと思うな。・・・ 将棋は敵の大将の首を討ち取れば終わりだ。・・・ 碁は国の取り合いだ」(275〜6頁) 「B17の搭乗員の戦死者は五千人を超えているのです。この数は実は神風特攻隊の戦死者四千人を上回るものです」(413頁) 「我々が特攻で狙ったのは無辜の民が生活するビルではない。爆撃機や戦闘機を積んだ航空母艦だ」(423頁)。 「伊藤提督と三千余人の乗員たちは沖縄のために殉死したのだ。神風特攻隊も同じだ」(488頁) 「俺の命は彼らの犠牲の上にある ・・・ 彼らが死ぬことで、俺は生き延びている」(522頁) 「あの時、宮部さんは絶望的状況の中に、助かるかもしれない一本の蜘蛛の糸が目の前に垂れているのを見つけたのです」(558頁)。 なお、一点、372頁に「川辺中将」とあるのは「河辺中将」の誤りでは。また、評者には、主人公の名前は幕末に自刃した尊王攘夷の志士肥後熊本藩士宮部鼎蔵と『七人の侍』も久蔵を合体させたもののようにみえました。それにしても、何故爆弾は不発だったのか?戦争のむなしさを表現しようとしたのでしょうか? それにしても、げに吐き気を覚えるのは、無能無策で状況判断もできずに軍略そして作戦に失敗した将官たちです。彼らこそ範を示すべく真っ先に特攻に行くべきだったでしょう。 | ||||
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なぜ宮部が特攻を志願したのか。 ここが本作の力点であり、 ラストまで引っ張りに引っ張る。 ところが、だ。 あれほどまでに生に執着していた宮部が 突如自ら特攻を志願し、死を選ぶ。 こんな読者をバカにするような展開はありますか? 私は結婚しているからこそ言うが、 家族を思ったら他人を犠牲にしてでも生き残る。 星二つとさせていただいたのは、 冒頭の表現、「悪魔のようなゼロだった。」 このキャッチに星一つであり、 それがベストセラーを呼び込んだ。 残念だが売れる為に利用された愛の形、 それが永遠の0という作品である。 | ||||
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すごいベストセラー。映画もヒット。百田さんは安部政権に接近。 田母神氏を応援。 この作家の全ての作品を読み、映画を見、レビューを読んで深く考え込んでしまった。 自分自身は、読後号泣した。映画は監督が嫌いなので、CGは素晴らしかったが小説以下。 感動も何もなし。そして作者の思想と行動の現実。 「つらいことは現実で十分。小説とは読者を感動させること。夢を与えること」というのが氏の姿勢。 参考文献は全部読んでいた。 右よりの作家が書いたから面白いのであって、左よりの作家が書いたら面白くもなんとも無い。 何故自分はあんなにも感動したのだろう? 自分自身の心の中に、太平洋戦争で亡くなった日本人・在日の人・アイヌの人・そして沖縄の人に 対してものすごい申し訳ない思いがある。 彼らがどれだけ生きたかったか、苦しんだか、どんな思いで時代を生きたのか。 そしてどんな国になってほしくて自分の命をささげ散っていたのか。 今生きるこの国と国民と自分自身は、戦争で亡くなった人に胸を張って報告できるか。 それを思うと胸が迫ってきて涙が出て止まらなくなってしまう。 そういう自分自身がいて、平和ぼけでも戦争よりはどんなにいいかを強く思うのだ。 だがただ平和だけで、彼らにとても報告できないこの国のありよう、 自分自身のありように、恥を知れとつぶやく。 主人公が死を選択したのは、年端も行かない特攻隊員の若者を、 自分自身が生き延びることで死地に赴かせることになる現実に耐えられなくなったからだと思う。 だから、最後の最後に戦友に妻と子供を託して、自分は死へと赴いたのだと思う。 資料からの引用ばかりとか、構成やご都合主義を批判する方がいるが、 それはこの作品にとって、どうでもいいことだと思う。 重要なことは、僕たち日本人は太平洋戦争のすべてを知る義務があり、 考える義務が有り、忘れることは許されないのだということだと思う。 そして指導者・マスコミ・天皇・国民の戦争責任と、 アジアへの侵略戦争の事実を真摯に受け止め、 きちんと事実と向かい合い、考え、行動することが必要だと思う。 特攻隊や軍人にもこんな日本人がいて、こんなふうに生きていたであろうことに思いを寄せ、 彼が託した家族を、同じ時代に生きた日本人が自分を省みることなく精一杯守り、 戦友が託した約束を命がけで守ったということもあったであろう歴史に思いを寄せることが大切なんじゃないかと思う。 太平洋戦争と、特攻という忘れることは許されない事実を単なる背景にすることなく、 その歴史に翻弄されながらも矜持を忘れず、約束を守り、精一杯生きることを選んだ日本人と、 精一杯死ぬことを、選択し、生き残る人に自分の思いと家族を託して散っていた日本人の物語である。 僕たちはこの物語を自分自身のこととして受け止め、生きていく必要がある。 そして亡くなっていった膨大な人々へ、笑われないように軽蔑されないように、 この日本という国を創っていく義務と責任ががあるのだと思う。 | ||||
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作家の力作で、読み出したら読者をなかなか離さない。 ストーリーの展開も緻密で時間を忘れてしまいそうだ。 | ||||
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ベストセラーということで読みました。 第二次世界大戦の話、零戦、特攻の話。 戦争のことをこれだけテーマにしながらどうしてベストセラーになったのだろうか。 世論での愛国心の高まりを感じる。 話としては予想された通りの結末でそれを裏切るような新鮮な驚きがいつ来るのかなーと思いながら読んでいた。 やくざを殺しに来てくれた男が景浦というところが一番新鮮だった。 どうして宮部が最後特攻に行ったのか。 その点は説明されていたが、あまり納得できなかった。 象徴的なエピソードがないから、であろうか。 そもそも、家族のために生きて帰りたいというのはもっともだが、小説としての動機はどうなのか。 ちまたに凝ったラブストーリーが溢れている中で、あまり面識のない人とお見合い結婚するという背景でどうも感情移入しづらかった。 私は戦争を戦った日本人を尊敬するし、殉教的なテロリストとは全く異なると考えているし、まあ当たり前といえば当たり前なんだが、これを多くの日本人が読んで、自分なりに考える材料となるとうれしいです。 | ||||
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映画を観る前に~ と購入してみたのですが、映画とは別に本だけでも楽しめる作品だと思います。 あの時代のことをよく知らず、祖母に聞いた空襲や防空壕への避難ぐらいしか聞いたことはなかったのですが、 この本は最前線の戦闘機での奮闘ぶりがよくわかる1冊でした。 読んでいて思ったのは、机上論だけで指揮する立場の方々の立てた無謀な作戦の数々を もっと的確に指摘できる人がいなかったのか!ということ。 現場を知り尽くした指揮官が上に立っていたなら、状況はもっと変わっていたのではないか。 現在の政府組織も全く当時と変わらぬ状況ではないだろうか…と、 あまりにも人や戦闘機などを軽々しく扱い過ぎていることに対してとても腹が立ちました。 実際に家族を亡くされた方だったら、悔しくて読み進めることができないかも…と思いました。 フィクションとはいえ、史実に基づいている部分が多いようですし、臨場感たっぷりでした。 難しい言葉や表現がたくさんあり、無知な私は辞書を片手に何度も初めて聞く言葉を調べながら読みました。 今後を担う若者たちにこそ、ぜひとも読んで頂きたい1冊です。 | ||||
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この小説が映画化されると知り、その前に原作を読んでおこうと思い立ち、飛びつきました。最初は大したことないなあという印象でしたが、どんどん小説の中に引きづり込まれていきました。1年ちょっと前に知覧特攻平和祈念館を訪れたて以来、特攻で亡くなられた英霊の方々にはその勇気と高い志に敬意を表するばかりです。靖国参拝も結構ですが、日本人は皆、知覧に出向き、いま何をなすべきか、どう生きてゆくべきか、謙虚に自己反省すべきではないかと思います。特に今の国会議員の方々は靖国ではなく、平和祈念館に行って欲しいですね。そしたらもっと良い政治が出来るのではないでしょうか。政治に興味ない若者もこの小説を読み、自分の生き方を見直して欲しいと思います。映画化された作品はまだ見ていませんが、原作を超えた秀作になっていることを期待します。 | ||||
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いろいろ評価のわかれる作品です。 作者がタカ派的な思想の持ち主で、特攻をを美化して書いているつもりでも、 読み手によって受け取り方は、様々だと思います。 特攻はかっこいいという人から、軍国主義を美化していると思う人。 私はこれは反戦小説として読みました。 無能な政治家や、軍指導部の無責任が、罪もない市井の人々を苦しめ、 小さな紙切れ1枚で、若者を戦地に向かわせ、家族をめちゃめちゃにしてしまった。 2度とこのような悲劇を起こしてはいけない。絶対に戦争は避けなければならないと。 そのためには、平和憲法は守らなければいけないと作者は言いたかったのではないでしょうか。 | ||||
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特攻隊員として亡くなった祖父、宮部久蔵の当時の姿を探るべく、孫の健太郎が日本中を訪ねまわる。 物語は、インタビュー形式で展開していく。幾人かの話を聞くうちに、宮部久蔵の真の姿が浮かび上がる。 無知な読者たる私のような者への配慮であろうか、話は度々宮部久蔵から離れ当時の日本海軍の仕組み、歴史に埋もれた大戦の真実を掘り返しながら進む。それらを、いささかわざとらしいと感じたのは私だけではありますまい。ただ、それほど大きなマイナス要素にはなりませんでした。 物語は上質なミステリーが如く、ちりばめた伏線も綺麗に回収する。 後半は、終始眉根を寄せながら読むことになり、エピローグでは涙と鼻水で顔面崩壊確実。決して、オシャレなカフェなどで読んではなりません。「ならん!」と、強くここに記すものであります。 ☆5つと高く評価した作品ですが、もう読みたくはありません。 強いられる死。希望を譲り渡す葛藤。それを受けた者の葛藤。 読んでいて、ただただ辛い。 いつか私もその地へ赴き、特攻隊員の想いを感じてこようと思います。 | ||||
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戦争を美化したものは多いが、これは心底頷かされ戦争の悲劇を2度と起こしてはいけないと警告しています。若い世代の方は必読です。 | ||||
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手に入れてすぐ、一気に読み切りましたが 評判ほど感激なし。それほどでした。 | ||||
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作者は著書について、現代の若者に60年前にあった戦争の事を語り継ぎたかったと話している。読んでその意図は伝わる作品だったが、実在する将校名が数人登場し批判の対象となるなど、その客観性を考えた時に小説(虚構)の範疇を逸脱しているという感は否めない。そのためストーリーの部分が海軍批判や戦争記述の長さに圧倒され、希薄になってしまったように思う。生還を貫こうとした天才的零戦パイロット(主人公の祖父)の死の謎を探る旅を通じて、特攻隊という極限状態を描こうとしたが主人公宮部久三と二人の孫の人物像は平面的で奥行きに乏しく、小説と言うよりも芝居の台本といった感じである。ここらが放送作家の限界かな。 | ||||
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未だ読了には至っていないが、大学で端くれとは言え歴史学を学んだ人間として、 この作品は“程度の低い教科書”だと断言させてもらう。 この作品は、構成として“聞き書き”の手法を採っているが、歴史学への醜悪な挑発と言える。 歴史学ではこの手法を“オーラルヒストリー”…いわゆる口伝の聞き取りと言う。 自分が世話になった教授でこれを専門にしている人が居た。 授業が面白く、話も上手な人だったが、殊の他オーラルヒストリーの手法については厳しい人だった。 教授曰く、人間の記憶はとかく主観的で曖昧なものであるが、 歴史学とは事実の探求であり、客観性が担保されなければ資料として意味を為さない。 “オーラルヒストリー”はそこに根本的な矛盾を抱える以上、 研究者は常に謙虚で慎重に居る事を忘れてはいけない、と。 その前置きの上で、2つの絶対条件を教わった。 1.録音は絶対してはいけない。話の記録はメモを取れ。 2.語り手と心から打ち解けられるくらい、何度も通って話を聞け。 1は、オーラルヒストリーの最も危険な落とし穴である“聞き手の主観”が“録音を何度も聞く”事で増幅されたり、 或いは“録音”という油断によって聞き落しが出る危険性を指摘するもの。 語り手の主観が混ざる以上“同じ話”は二度聞けないと思え、という事だった。 メモは単なる記録だけでなく、聞いた時の状況や“聞き手の主観”を整理した資料として扱え、 集中して話を聞く為、話を整理する為のツールにもなる、という事だった。 2は、オーラルヒストリーの中でも“思い出したくない記憶”、それこそ戦争体験等について、 気楽に話してもらえる関係性を築け、という事だった。 人間、話したくない事や美化した思い出もあり得る以上、 一回で全てが聞けると絶対に自惚れるなという訳だ。 また、何度も同じ話を聞いて今までの記録と衝き合わせる内に、 違った記憶や主観が出てくる事もあり、それこそ重要な資料になるという事だった。 印象的だったのは、その教授が話を聞かせてもらった人が夕張のメロン農家で、 何度も通う内に採れたメロンをたらふくご馳走してくれるようになった、というエピソードもあった。 それくらいの関係性を築けという事であるらしい。 改めて作品を省みると、卑しくもジャーナリストがある種の資料、 それも記事化する事を前提としてオーラルヒストリーの真似事をしている訳だが、 その手法はまるで最悪の典型例と言わざるを得ない。 そうして得られた情報が“正しい”とされるのは、例えそれが偶然正しかろうと、 行為自体が歴史捏造に等しい蛮行だからだ。 もしこの作品を読んだ人間が“歴史を正しく認めろ”と主張するような事があるなら、 こんな作品が罷り通る事は絶対に許されない。 エンターテインメントとして読み捨てるなら別だが、 題材として“歴史”を取り扱っている以上、やはり座視してはいけない。 誰かの作った資料を読み漁っただけの人間が書いたものであり、 判で押したような額面通りの事しか書いていないという意味と、 その例示する手法が完全に間違っているという事を以て、 “程度の低い教科書”であるとしか言いようは無い。 歴史学を学んだ者の端くれとして、この程度の事は言わせてもらいたい。 これが、例えば戦争体験を遠い記憶の向こうへ押し遣った祖父との、短くも濃密な交流を通じ、 あくまで主人公が“個人的な体験”として“祖父の歴史を知った”という作品であったなら、 ここまで酷評する事は無かったと感じている。 なお、幕間として描かれるライター男性が展開する主張の気色悪さは、 現実味があって一顧の価値があったと評価を付け加えさせて頂く。 | ||||
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戦争を知らない世代だが、 どうしてあんな無茶なことを日本はやったのか? どうして考える優秀な人々を葬ったのか? ずっと疑問でした。 父母に聞いても そんなもんだと思っていた。 疑問を持つような余地は無かったという。 日本は無謀さを隠して戦争は悲惨に終わった。 指導者が裁判にかけられるのもいたしかたないと思う。 それをお国の為に死んだ人を悼むと称して また戦争の種をまいている政治家の靖国参拝は そうして死んだ人、死に追いやった原因は何かを 考えていない。 この作品は資料が丹念にたどられているところを評価する 特攻だけで無く、南方で餓死・戦死をとげた人々は 兵隊を消耗品のように考えていた当時の為政者による。 本当は宮部久蔵のような人はいなかったと思うが それでも、そんな中それでもいたのではないか いたはずだという願いにも似た小説だ。 最後の戦死したシーンだけが今一つの描写で この評価とした。でも、丹念な調査と考証に敬意を表したいと思う。 誠実な作家だと思う。 | ||||
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宮部久蔵に影響を受けた人たちの生き方がすばらしかったです!! | ||||
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私は右でも左でもありませんが,この本は色々な意味で考えさせられる内容だと思います。「宮部」を通じて描かれる主題についてはブレることがありませんが,決して単一的なモノの見方をしているのではなく,様々な立場(時代,年齢,性別)の登場人物を通じて,いろいろな意見を提示してくれます。 テーマは軽くないですし,戦時の様子については説明や表現の仕方を間違えるとすごく偏りのあるものに読めますが,この本は,そのバランスも良く考えられていると思います。良書だと思います。 もちろん感動する内容なのですが,単純なそれではなく,複雑な感情を含む「感動」を得ることができました。 | ||||
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この作品には多くの嘘が含まれています。子供時代、「ゼロ戦レッド」「大空の誓い」「紫電改の鷹」などの戦争漫画を読んでゼロ戦に憧れすっかり軍国少年になり、その後、戦前のファシズム思想史を専攻して、子供時代に読んだ戦争漫画や戦記物がまるっきり嘘だったと知った者にとって、絶対に看過できない嘘が多くあるため、黙っていられませんでした。 最初は単なる著者の不勉強のためであると思っていましたが、戦前回帰を目論む安倍首相に近づき、NHKの経営委員におさまったり、都知事選で同じく戦前回帰を公言する田母神候補支援を表明するなど、単なる勉強不足だけでなく、著者の権力志向による意図的な「嘘」だと考えるようになりました。 前半に色々な登場人物に語らせているように、ゼロ戦が旋回能力や航続距離の性能を向上させるため、防御を犠牲にした戦闘機であること。それはゼロ戦だけでなく、特攻作戦や日本軍の全ての作戦行動に共通していることは間違っていません。一人の戦闘機乗りを一人前に養成するのに、今の金額で約二億円ものコストがかかるのに、それををほぼ百発百中撃墜されるか、途中で故障して海上に墜落して無駄死にさせてしまう。今放送中の大河ドラマ「軍師官兵衛」で、盛んに「戦わずして勝つ」というセリフが出てきますが、戦前の日本軍は全く真逆の過ちを犯していたのです。戦術、戦法が戦国時代よりもむしろ後退してしまっている。 しかし、著者はその原因を、新聞が戦争を煽ったためと片付けてしまっています。確かに戦前の新聞が戦争を煽ったことは確かでしょう。でも、戦前の新聞の力が軍部や政治家、国民すべてをコントロールしたと本気で思っているのなら大ばか者です。戦前の新聞なんて、部数は今よりはるかに少数部数で一家に一紙なんて読まれていなかったし、文盲率も高く、新聞の影響力などは微々たるものです。 本当に、戦争を煽ったものは何か? それは明治維新後、各学校に御真影を飾り、教育勅語を徹底的に浸透させた天皇制絶対主義にあることは明らかでしょう。維新直後は西欧諸国に遅れていることを自覚していて謙虚だったのが、辛亥革命、ロシア革命前夜で内部がガタガタだった清、ロシアにたまたま勝っただけなのに、実力だと勘違いして、無謀な戦争への道を突っ走ってしまったのは、天皇を振りかざせば何でも許されるという天皇制絶対主義国家自体の過ちです。しかし、著者はそのことには一言も触れておらず、新聞のせいにして終わりにしてしまっている。 また、フィリピンのガダルカナルなどでの戦闘を、アメリカと日本の戦いと片付けてしまっていて、原住民であるフィリピン人のことには一言も触れていない。戦前、フィリピンにはアメリカからの独立を目指す反米ゲリラ闘争を行っている人たちが各地にいて、最初、日本軍を「解放軍」と思い込んで歓迎したが、実際にはアメリカ軍より酷い原住民虐殺を行ったため、反米ゲリラが反日ゲリラに変わってしまった。そのため、日本軍はアメリカ軍だけでなく、フィリピンゲリラとも戦わなくてはならなくなり、自滅していったのです。そもそもフィリピンなどの東南アジアは、食料など豊富で、本当に「解放軍」であったなら原住民から食料を調達できて、ガダルカナル島の玉砕のように餓死者が大半であることはなかったはずです。先日亡くなった小野田元少尉が、その生き証人でしょう。なぜ小野田元少尉が何十年も逃げ回らなくてはならなかったのか。「解放軍」であったなら、敗戦後もフィリピン人と一緒に独立戦争を戦っていたはず。しかし、住民虐殺を行っていたから逃げ回らなくてはならなかった。戦争の舞台となったフィリピンの現地人について、一言も触れていないのは致命的な欠陥です。 小説(フィクション)だから、無視していいのか。著者がそう考えているのなら、小説家以前に人間として認めるわけにはいきません。 「生きて帰る」。そのモチーフを貫くのなら、ラストは特攻ではなく、どこかの島に意図的に不時着して生き延びるとか、アメリカ軍に投降して生き延びるとか、いろいろなラストシーンを選択できます。特攻せざるを得ないのなら、アメリカ軍ではなく、出撃地に戻って、特攻を命じた司令官室に爆弾もろとも突っ込み、司令官を爆殺する。そして、その事件は長く秘密にされていた、という結末にする。どうせフィクションというなら、私なら、そういうラストシーンにします。 著者はこの作品の映画を「反戦映画だ」と開き直っていますが、とんでもない。結局、最後に特攻をさせることで、「散華」(国の為に散ること)の思想を美化させているだけです。前半の、ゼロ戦が一発弾が当たれば撃墜される防御の思想がゼロの戦闘機だと語らせるのは、一見公平な立場に立った小説だと誤魔化すため、また「散華」を美化するため小道具に過ぎなかったのだとわかります。 | ||||
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映画のCMを見て「永遠の0」を知った。レビューを見ていると、あまり良くない評価も多くあったが、実際 読んでみると非常に読み応えのある作品であった。歳のせいか涙腺が弱くなっているとはいえ、初めて小説を読んで泣いた。戦時中の詳細な記述もさることながら、後半の推理小説の「ドンデン返し」のような展開は予想外であった。明治維新の動乱やこの小説の太平洋戦争などで、若くして命を失った数多くの人々の犠牲の上に、今の日本が成り立っているのだと痛切に感じた。「特攻」に代表される、当時の「戦争」という異常な時代の中で生きていた人々の心情は、今の平和な日本で暮らす私には到底知ることはできない。ぜひ今の若い人たちにに読んでもらいたい至極の一冊であると思う。 | ||||
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