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(短編集)
白痴
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【この小説が収録されている参考書籍】
白痴の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.12pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全81件 61~80 4/5ページ
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「堕落論」なんて現代人が読んでも共感できるわけがないです。 なぜ「堕落論」「白痴」が戦後の国民に衝撃を与えることができたのか? それは当時の読者がまさに戦争の体験者だったからです。 本作では原作にはない戦時中の具体的なエピソードや安吾の他の随筆の要素を交えて、現代人にも非常にわかりやすく構成されています。 「堕落論」から同時収録の「白痴」への繋がりが見事で、制作担当者の努力に拍手を送りたい。 戦争を知らない世代のためにアレンジされたマンガ版「堕落論」。 おすすめです。 でも当時の戦争を知っている先輩達には当然原作がおすすめですが……。 | ||||
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「白痴」も「堕落論」も<読破>というような分量ではないのですが、それなりに安吾を愛好する者としては、どう漫画化したのか気になって買ってしまいました。「白痴」はともかく「堕落論」は8,000字程度の評論ですから。 ご商売でしょうからネタをバラしたりはしませんが、いくら著作権切れだからといってもちょっとひどい改変が加えられています。「坂口安吾・作」なんてなってますが。「白痴」は脚色し過ぎだし、まあ元々フィクションですからそのへんは許容範囲内としても、「堕落論」に至っては、単にテクストをなぞるだけでは仕事した気にならなかったのか、噴飯物の設定と筋立てが加わっています。 どちらもごく短い作品ですから、興味のある人は原典にあたるべきでしょう。 | ||||
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まさに現代版の小林よしのりのような内容である。 戦前の日本の美しさを虚しい美しさと言い表していて、前後のギブミーチョコレートや闇市、売春婦などの社会風刺を落ちるところまで落ちるのは人間だからしょうがないとしている。 マンガのタッチも小林よしのりに似ているため、とてもスムーズに楽しく読めた。 堕落論,白痴という題名からおもしろくなさそう先入観をもっていたが、実におもしろかった。 | ||||
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安吾がみれるはずもない2000年以降の政治、日本について、約2ページにわたりぶった切る! というどう考えてもネタ的な本。 随所に原作のねじまげがみれる。 安吾に限らず、どのコミックも最後は9、11とか政治とかが、なぜか描かれている。しかもサヨク的に。ネタなのか本気なのか? なんでラスコーリニコフが9、11の夢を見るんだ? | ||||
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大学生の時に「堕落論」を読みましたが、あの頃は「堕落せよ」という フレーズだけがただただ印象的で、その後12年、坂口安吾って 「人間ダラダラ生きましょう」と言ってる人だ、だらしない人だと 思っていました。 が、こうやって改めて読んでみると(マンガだけど)、坂口安吾は けしてだらしない人ではないということが分かります。戦前・戦中を 通して、人間はどう生きるべきかを考え続けた人なのですね、きっと。 白痴で描かれる人間のリアルさもおもしろいです。 相当に人間を見ている人なのでしょう。 12年前に私が坂口安吾に理解できず、共感もできず、深入りも しなかったのは、彼の書く文章がかなり主観的・観念的・抽象的 だったからだと思うのです。1946年に発表された原作に対して 時代背景も分からなかったし。けれどもこのマンガでは、 坂口安吾の言いたいことが戦争を全然知らない私たちにも 具体的にイメージできるものになっています。 彼は、政治的な体制がどうであれ、自分の好きなこと、自分の 欲しいことを明確にして生きていくことの大切さを説いている ように思いました。その反面で欲するままに生きることの害悪 も警告しているようです。 だったら、どう生きたらいいのだろう、と思いますが、それが たぶん人間の核であり、本質かなと思います。 もう一回原作を読んでみたら、本質にたどり着けるかもしれません。 | ||||
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大学生の時に「堕落論」を読みましたが、あの頃は「堕落せよ」という フレーズだけがただただ印象的で、その後12年、坂口安吾って 「人間ダラダラ生きましょう」と言ってる人だ、だらしない人だと 思っていました。 が、こうやって改めて読んでみると(マンガだけど)、坂口安吾は けしてだらしない人ではないということが分かります。戦前・戦中を 通して、人間はどう生きるべきかを考え続けた人なのですね、きっと。 白痴で描かれる人間のリアルさもおもしろいです。 相当に人間を見ている人なのでしょう。 12年前に私が坂口安吾に理解できず、共感もできず、深入りも しなかったのは、彼の書く文章がかなり主観的・観念的・抽象的 だったからだと思うのです。1946年に発表された原作に対して 時代背景も分からなかったし。けれどもこのマンガでは、 坂口安吾の言いたいことが戦争を全然知らない私たちにも 具体的にイメージできるものになっています。 彼は、政治的な体制がどうであれ、自分の好きなこと、自分の 欲しいことを明確にして生きていくことの大切さを説いている ように思いました。その反面で欲するままに生きることの害悪 も警告しているようです。 だったら、どう生きたらいいのだろう、と思いますが、それが たぶん人間の核であり、本質かなと思います。 もう一回原作を読んでみたら、本質にたどり着けるかもしれません。 | ||||
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全編にわたって気だるく薄暗い雰囲気が漂い、どこかしらネチネチとしてグダグダで陰湿な展開ぶりである。ゆえに思わず苦笑してしまった場面もあったが、読後にそれが不快という感情を呼び起こすことはなかった。むしろ今までにないフワリとした不思議な感覚を得た。ぼんやりと心地よささえ感じた。 「私は始めから不幸や苦しみを探すのだ。もう、幸福など希わない」 「幸福などというものは、人の心を真実なぐさめてくれるものではない」 「私はただ、私の魂が何物によっても満ちたることがないことを確信した」 などと、印象的な文が散見される。 「続堕落論」には、文学は制度や政治への反逆と復讐であり、反逆と復讐自体が協力なのだと述べられているが、確かに「幸福を追求し何事にも前向きに積極的に生きよう、前進し続けよう」という現代社会のスローガンに対して、この小説は強烈なカウンターパンチを浴びせる代物だ。しかし、それを浴びせることもまた協力への一歩。むしろこの小説の側の方が生きている人間の真実なのかも知れないと思った。 | ||||
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いやぁ〜、まったく読解力の無い人たちのレビューが多くて驚いちゃいました。 「ひょっとして堕落しちゃったほうが人生楽なんでしょうか、みたいな話」? 凄いですなぁ〜、これ。 こんな風にしか感じ取れない人は、そりゃ、面白くないはずだ。 それは、まったく、この本を読んでいない事に等しい。 安吾は無気力な駄目人間なんかじゃない。 彼は常に戦い続けた。 ニートなんかと一緒にするな。 もし、この小説からニート的なものを感じるならば、それは、唯単に読者に読解力が無いだけである。 気安く現代の社会問題と結びつけて、評論した気になるなよ。 また、安吾からは文学性が感じられないという意見もあるが、それは、安吾が谷崎潤一郎などの美文を嫌い、「小説は文章よりも内容」という自説を説き、「悪文」こそが「美文」という安吾独自の逆説が、そう感じさせるのだろう。 そもそも「文学性」がある作品=良い作品なの? なんで? それに、「文学性」ってつまりはなんなの? | ||||
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坂口安吾の小説は基本的に暗い。たとえば、最初の短編「いずこへ」の書き出しはこんな感じである。 <私はそのころ耳を澄ますようにして生きていた。もっともそれは注意を集中しているという意味ではないので、あべこべに、考える気力というものがなくなったので、耳を澄ましていたのであった。> 無気力で厭世的である。暗い。 もちろん、「考える気力」がなければ、こんな知的な文章を紡ぎだせるはずがないので、正確にこの状況を描写するならば、「何も考えたくない」という方が適切だろう。坂口安吾が生きた時代というのは、そんな息苦しい時代だったかもしれない。彼は1906年生まれ(生誕100周年で去年からたくさん本が出ているらしい)で、戦前に青年期を過ごし、戦中に壮年期を過ごし、戦後日本が明るくなっていく前に没した。ちなみにこの作品群は、戦後間もなく、日本がまだ荒土だった頃のものである。 で、作品に戻ると、何も考えたくないときに人間が何を考えるか、ということがこれらの作品群に描かれているとぼくは感じる。人間、なぜかは分からないが、何も考えないでいるということは非常に難しい。実際不可能である。煩悩とはほとんどあらゆる思考のことであるが、煩悩を捨てることがいかに難しいかは熱心な仏教徒でなくても分かる。 さて、思考を放棄したいときに人間はどうなるかというと、「思考を放棄するというのはどういうことか」ということを考えるようになる。そういう閉塞、逃げ道のなさを坂口は描いているように見える。「デカダン」とはそういう後退的なループに知的リソースを投入(浪費)することではないかと思う。表題作の「白痴」は象徴的で、「白痴」とは(象徴的に)何も考えない人を意味していて、作品内では語り手は白痴の女を侮蔑的に語るけれども、そこに裏返しの羨望を読み取ることはたやすい。 ということで、なんだか行き着くところのないどんよりとした思索を楽しめる人にはお薦めである。(要はあんまり今風じゃないのね)。 | ||||
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エッセイを書かせては天下一品の安吾は小説家としては残念ながら"二流の人"であった。その安吾の特徴が良くも悪くも出ている作品集。 安吾はエッセイを通じ、漱石の諸作品が男女の愛を扱っているのにも関らず、生身の人間が描けていないと批判していた。ところが、安吾自身はもっと描けないのである。「白痴」では女性を無垢の存在にする事でしか、男女の愛を描けない。「二流の人」は皮肉な題名だが、竹中半兵衛の後継として秀吉の参謀を務めた黒田如水が、秀吉の天才的なアイデアの前で、二番手に甘んずるしかない様を描いたもの。だが、如水の深謀配慮のおかげで黒田家が徳川時代まで繁栄した事を考えると、やはり如水は一流の人だったのである。大阪の陣の際、家康が最も警戒した武将は如水だったと言う。 小説家としての安吾の評価が何故今一つなのか、実感できる作品集。 | ||||
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エッセイを書かせては天下一品の安吾は小説家としては残念ながら"二流の人"であった。その安吾の特徴が良くも悪くも出ている作品集。 安吾はエッセイを通じ、漱石の諸作品が男女の愛を扱っているのにも関らず、生身の人間が描けていないと批判していた。ところが、安吾自身はもっと描けないのである。「白痴」では女性を無垢の存在にする事でしか、男女の愛を描けない。「二流の人」は皮肉な題名だが、竹中半兵衛の後継として秀吉の参謀を務めた黒田如水が、秀吉の天才的なアイデアの前で、二番手に甘んずるしかない様を描いたもの。だが、如水の深謀配慮のおかげで黒田家が徳川時代まで繁栄した事を考えると、やはり如水は一流の人だったのである。大阪の陣の際、家康が最も警戒した武将は如水だったと言う。 小説家としての安吾の評価が何故今一つなのか、実感できる作品集。 | ||||
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堕落することって気持ちがいいの? 全部捨てちゃえばもう何も失うものもないし高みを目指して努力する必要だってなくなるんだからひょっとして堕落しちゃったほうが人生楽なんでしょうか、みたいな話。 内容は非常に哲学的でシンプルな会話の中に作者の人生観やらが滔々と混じってだらだら語られるのでもういらいらしてしかたない。半分くらいまでしか読めませんでした。 | ||||
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しばき倒すぞこのニート野郎が!! と読みながら笑ってしまうギャグマンガ的私小説! もうこれでいいじゃん(笑) 今ではニートなんて言葉も時代遅れな感じがするけどホントの落伍者はこれを読むな!美化してもメシは食えんぞ働け!! 「いずこへ」の感想です。 | ||||
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この短編集に入っている「風と光と二十の私と」を読んで、わたしは一発で安吾のファンになってしまった。これは安吾のエッセー的作品になるのだが、その中で彼は繰りかえし「人を嫌いになりたくない」と書いている。子供達の描写が細やかで驚いた。安吾という人は様々な面をもっている。そう感じさせたのが、次に読んだ「白痴」。これは文体からして全く違う。 正直最初は何の話がしたいのかわからない。しかし、物語が進むにつれ、物語の芯が見えてくる。此れを自然に出来るのが安吾に天性の才があったからとしか思えない。 同書にはこの他6編が収められている。 | ||||
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この短編集に入っている「風と光と二十の私と」を読んで、わたしは一発で安吾のファンになってしまった。これは安吾のエッセー的作品になるのだが、その中で彼は繰りかえし「人を嫌いになりたくない」と書いている。子供達の描写が細やかで驚いた。安吾という人は様々な面をもっている。そう感じさせたのが、次に読んだ「白痴」。これは文体からして全く違う。 正直最初は何の話がしたいのかわからない。しかし、物語が進むにつれ、物語の芯が見えてくる。此れを自然に出来るのが安吾に天性の才があったからとしか思えない。 同書にはこの他6編が収められている。 | ||||
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舞台は戦場。ダメ男とある女が部屋でただしゃべっている。状況はいたってシンプル。事件のよう類は皆無。ではどこが読ませるのか? ズバリ男と女の会話である。その会話は非常に哲学的であり、そこには坂口安吾ワールドが無限に広がっている。生死の捉え方、果ては墜ち方に至るまでがかくも美しくけそしてだるく描かれている。読むものを惹きつけ吸い込む本書は、個人的にはベスト・オブ・坂口安吾である。 | ||||
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頑張って一作目と「白痴」は読みました。 そしていかに名作といえど、相容れないものは相容れないとはっきり悟りました。 どう読んでも「バカで異常なダメ男の戯言」にしか読めず、理解も文学性を見出せませんでした。 谷崎の「痴人の愛」も三島の「仮面の告白」も、「要はあんたダメ男じゃん」と思いつつ、一応文学性は見出せたんですが、このへんが私の限界だったようです。さよなら坂口安吾…。今後私の人生に何かものすごい事件が起きたら理解できる日もくるかもしれません。 | ||||
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白痴を含む七編 一、「いずこへ」 一人称で語られる物語の初めに、安吾の人生哲学が書かれている。 落伍者の心情「何か一つの純潔とその貞節を守らずには生きていけられなくなるものだ。」「私はみすぼらしさが嫌いで、食べて生きているだけというような意識が何より我慢できない」「私は少年時代から落伍者が好きであった。」 自分をとことんまで貶めて、そこから観た真実をそのまま書き出す。これが安吾の芸術だ。絶望的な状況をそのまま受け入れるということ。このことが絶望的な状況から彼らを救っている。自らの絶望をしらけた視点で語ることによって絶望がユーモアに変わる。まさしく安吾は自らが『堕落論』で言ったとおり自分を貶め、道化になっている。世の中をプラグマティックにみていながらも、俗な人間の生の中に美のイデアを求めた芸術家である。 | ||||
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あちらこちら命懸け。まさにその言葉どおり、生き方どおり。堕落について肉慾について魂について。堂々たる堂々巡り、絶望、執着、切望の連鎖。とことん考えずにはいられず、正直すぎて都合のいいところにも落ち着けず、シャニムニつきぬけようというカッコヨサ!に、襟を正しちゃいます。「私は海をだきしめていたい」が特に好きです。「女は海~」ってだれか歌ってましたね(笑) | ||||
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安吾の小説には短編が多く、長編は中途半端なものが多い。また、「白痴」が代表小説であるが太宰や三島のようにいくつもの作品が一般に知れ渡っているわけではない。だが安吾は日本の戦後文学において、また日本文学において大変貴重な作家であるといえる。何故か、それは恐らく安吾が「聖と俗の混淆」を描ききることの出来た数少ない作家の一人であるからではないだろうか。安吾は時代を凛と見つめる冷徹な目と、時代の中に自らの身を浸し、漂う優しい目、その二つの視点を持っていたように思う。そしてその2つの目で時代を的確に、また「感傷的」に見つめることによって「白痴」のような小説を書き上げ、「堕落論」などの珠玉のエッセイを残しえたのであろう。 | ||||
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