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(短編集)
白痴
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【この小説が収録されている参考書籍】
白痴の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.12pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全12件 1~12 1/1ページ
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普通です。 | ||||
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普通 | ||||
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良い点は時代背景やその当時の社是がよくわかる。悪い点はその当時の社会秩序や世界観の批判が時代もあって描かれていないためである。本当に山口県の毛利などのチンピラに作られただけのゾンビがこの国の根本から腐らせてきた一部が垣間見える。 | ||||
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幸せな、今をくれたのは、神様です♪,ナクシテ全ては、ありませんでした。人間は優しい、気持ちを、見つけたかったのでしょう。時代が、かわっても、心を、大切に、シナイト、愛は、難しい、(゜〇゜;)????? | ||||
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奥付に、昭和四十九年三月十日 初版発行改版、昭和六十三年十月三十日 改版二十九版発行、とある。1988年に購入し「白痴」を読み始めて投げ出した記憶がある。読み続けるのは厳しいと感じたからだ。改めて読み始めたが、やはり読み続けるのは厳しいと感じながらも、我慢して読了した。 「賤業」、「会社員的」と面白い言葉も飛び出すが、文体が統一されているわけではなく、幾つかの文体で書かれていて、概ねスッキリしない叙述である。ゆえに読み続けるのが厳しい。 太平洋戦争で日本の戦況が極端に悪化していく中で、蒲田辺りの路地のような町内会に住む27歳の伊沢。気違いと白痴という美男美女夫婦、そのうち婦の白痴が、伊沢の部屋に転がり込んできて肉体関係をもってしまうが、伊沢はそのことを町内の連中に知られたくないがための行動をとる。一方で、伊沢は文化映画の演出見習い勤務であり、芸術と戦意発揚映画製作とのはざまで葛藤する。また空襲が迫る中、伊沢は生き延びるために白痴の手を引いて必死に逃げながらもどうにでもなれとも開き直る。 ただ伊沢にとって、犬でしかない、肉の塊でしかない白痴という女の存在は何なのか、最後まで分からない。それは伊沢自身の何かであったり、伊沢自身の一部、あるいは、くだらない人間というものを暗喩しているのかもしれないが、読了後も分からずじまい。 戦時下での状況と心持ちを表現するには、白痴という仕掛けが必要だったのか、白痴という存在が必要だったのか、戦時下での状況と心持ち自体が白痴なのか、定かではない。 「白痴」にも出てくる、安吾の談論風発は痛快である。だが、文学が主張するためだけにあるのではないとすれば、白痴が何であるかを主張するのではなく、白痴のありのままを書き綴った「白痴」は、まさしく文学である。 | ||||
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坂口安吾が書いたのは「堕落論」と文学史で丸暗記しただけで、原著は読んだことはない。 堕落論はエッセイで、白痴は小説でともに終戦すぐに発表されたもの。その二つを組み合わせてまんがにしているんだけど、特に堕落論の部分が原著をオマージュにして現代につなげた書き方で書いているものだから、余計にわかりにくい気もする。 とりあえず、先の大戦を生き抜いた人たちがどんな思いをしていたかということを、胸に刻んでおこうと思う。 | ||||
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坂口安吾の短編集。短編集なのだが、坂口安吾の考え方を吐露するための物語設定となっている。 たとえば、 食うために働くという考えがないから貧乏は仕方ない。遊ぶためなら働く。貧乏を苦にしない。夜逃げも断食も苦笑以外さしたる感懐もない。私の見つめる豪奢快楽は地上にはあり得ず、歴史的にもあり得ず、ただ私の生活の後ろ側にあるだけ。私は馬鹿なやつだが、人間そのものが馬鹿げている。 生きるために持ち続けていなければならないのは、仕事、力への自信である。自信というものは、崩れる方が本来の性格である。 私は貧乏を意としない肉体質の思想があったので、雰囲気的な落伍者になることはない。 差引計算やバランスをとる心がけが好きではない。自分自身を潔く投げ出して、それ自体の中に救いの路をもとめる以外に正しさはないのではないか。 一人の女に満足できる人間ではない。むしろ、如何なる物にも満足できない。つねにあこがれている人間である。恋をする人間ではない。もはや恋することができない。あらゆる物が「タカの知れたもの」だということを知ってしまったから。しかし、タカの知れた何物かと遊ばずにはいられなくなる。その遊びは常に陳腐で退屈である。 男というものは四十くらいから女に接する態度がまるで違ってしまう。その年頃になると、男はもう女に対して精神的な憧れだの夢だの慰めだの持てなくなる。ヌカミソやオシメなどの臭いの外に精神的などというものは存在しないと否応なしに思いつく。そして女の肉体に迷い出す。男が本当に女に迷い出すのはこの年頃からで、精神などは考えずに始めから肉体に迷うから、さめることがない。 恋の成功者になるためには、ぜったいに開き直ってはいけない。 みたいな話。 | ||||
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大河ドラマで黒田官兵衛をやっている。そういえば海援隊の倭人伝というアルバムの「黒田官兵衛苦笑い 一生ツキがなかったと」という歌詞を思い出した。ネットで検索したら坂口安吾の小説から取ったらしいので、読んでみた。登場人物の切り取り方がシャープで、キャラが立っていて面白い。特に小西行長や伊達政宗。いい意味で漫画的。 | ||||
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坂口安吾策の本は初めて手にした。怪奇小説の類化、あまり長くなかったのですぐ読み終えました。 | ||||
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坂口安吾の小説は基本的に暗い。たとえば、最初の短編「いずこへ」の書き出しはこんな感じである。 <私はそのころ耳を澄ますようにして生きていた。もっともそれは注意を集中しているという意味ではないので、あべこべに、考える気力というものがなくなったので、耳を澄ましていたのであった。> 無気力で厭世的である。暗い。 もちろん、「考える気力」がなければ、こんな知的な文章を紡ぎだせるはずがないので、正確にこの状況を描写するならば、「何も考えたくない」という方が適切だろう。坂口安吾が生きた時代というのは、そんな息苦しい時代だったかもしれない。彼は1906年生まれ(生誕100周年で去年からたくさん本が出ているらしい)で、戦前に青年期を過ごし、戦中に壮年期を過ごし、戦後日本が明るくなっていく前に没した。ちなみにこの作品群は、戦後間もなく、日本がまだ荒土だった頃のものである。 で、作品に戻ると、何も考えたくないときに人間が何を考えるか、ということがこれらの作品群に描かれているとぼくは感じる。人間、なぜかは分からないが、何も考えないでいるということは非常に難しい。実際不可能である。煩悩とはほとんどあらゆる思考のことであるが、煩悩を捨てることがいかに難しいかは熱心な仏教徒でなくても分かる。 さて、思考を放棄したいときに人間はどうなるかというと、「思考を放棄するというのはどういうことか」ということを考えるようになる。そういう閉塞、逃げ道のなさを坂口は描いているように見える。「デカダン」とはそういう後退的なループに知的リソースを投入(浪費)することではないかと思う。表題作の「白痴」は象徴的で、「白痴」とは(象徴的に)何も考えない人を意味していて、作品内では語り手は白痴の女を侮蔑的に語るけれども、そこに裏返しの羨望を読み取ることはたやすい。 ということで、なんだか行き着くところのないどんよりとした思索を楽しめる人にはお薦めである。(要はあんまり今風じゃないのね)。 | ||||
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エッセイを書かせては天下一品の安吾は小説家としては残念ながら"二流の人"であった。その安吾の特徴が良くも悪くも出ている作品集。 安吾はエッセイを通じ、漱石の諸作品が男女の愛を扱っているのにも関らず、生身の人間が描けていないと批判していた。ところが、安吾自身はもっと描けないのである。「白痴」では女性を無垢の存在にする事でしか、男女の愛を描けない。「二流の人」は皮肉な題名だが、竹中半兵衛の後継として秀吉の参謀を務めた黒田如水が、秀吉の天才的なアイデアの前で、二番手に甘んずるしかない様を描いたもの。だが、如水の深謀配慮のおかげで黒田家が徳川時代まで繁栄した事を考えると、やはり如水は一流の人だったのである。大阪の陣の際、家康が最も警戒した武将は如水だったと言う。 小説家としての安吾の評価が何故今一つなのか、実感できる作品集。 | ||||
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エッセイを書かせては天下一品の安吾は小説家としては残念ながら"二流の人"であった。その安吾の特徴が良くも悪くも出ている作品集。 安吾はエッセイを通じ、漱石の諸作品が男女の愛を扱っているのにも関らず、生身の人間が描けていないと批判していた。ところが、安吾自身はもっと描けないのである。「白痴」では女性を無垢の存在にする事でしか、男女の愛を描けない。「二流の人」は皮肉な題名だが、竹中半兵衛の後継として秀吉の参謀を務めた黒田如水が、秀吉の天才的なアイデアの前で、二番手に甘んずるしかない様を描いたもの。だが、如水の深謀配慮のおかげで黒田家が徳川時代まで繁栄した事を考えると、やはり如水は一流の人だったのである。大阪の陣の際、家康が最も警戒した武将は如水だったと言う。 小説家としての安吾の評価が何故今一つなのか、実感できる作品集。 | ||||
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