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13
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13の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.14pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全14件 1~14 1/1ページ
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あの「アラビア夜の種族」の作者のデビュー作。鈴木光司「楽園」を思わせる壮大な物語。 熱量が多いのはいいが、ちょっとクドすぎる。同じことを繰り返しすぎて読むのがつらい。 せめて、三分の二位の文章量に出来たら良かったろう。 舞台設定等、諸星大二郎「マッドメン」と少し似ている。 あの世界観をもっと堪能したい人にはオススメだが、洗練度で「マッドメン」の方が勝っていると言えるかもしれない。 | ||||
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本書『13』の 13 って、何の数でしょう? 気になりました。 「左足」(60頁)を自ら切り落とした、片足の傭兵「13」の認識タグの番号13でした。 洞穴の中の片足の遺骨から、「二歳児」(70頁)のローミが手に入れた「首飾り」 そこに刻印されていた数字が13でした。 以来、ローミの胸元にぶら下がった、秘めた「首飾り」 その金属「タグの冷ややかさ」(107頁)と共に、 片足の傭兵「13」の魂がローミに乗りうつります。 本書『13』は、バイブル(聖書)にインスパイアされた一種のカバー・ストーリー。 表紙カバーの画は、ピカソの「泣く女」。100以上のバリエーションがある画。 泣いているようには見えない女の画です。 数字というものは、神のような抽象的存在です。霊的統一の、実体の無い存在。 文字になった「13」は、紙の裏から見ても、人間には13と読めるから、不思議。 脳が画像処理してくれる。 本書第一部のイラストの「13」は、第二部では紙の裏から見た、さかさまの<31> 網膜に映る反転した<13>(323頁)は、さかさまの13なのに。 映画のフィルム上に収められた映像も、網膜に映る像と同じく、反転した幻影。 「俺は毎年13インチずつ背が縮む」(415頁) 「十三番目の切り札(アトウー)は死である」(483頁) 「……十三……十三……十三…… 」(266頁) 「その火脹(ひぶく)れは、明らかに ″13″ と刻んでいた。 『響一の聖痕よ』とココは言った」(532頁) 十三尽くし。 人間が十三人も集まれば、一人一人がみんな、それぞれ違った角度から見ます。 左側から見た人と、右側から見た人。 正面から見た人、背中から見た人。 上から目線で見た人、下から目線で見た人。 それら全ての映像を一つの画面上に重ねて描けば、 ピカソの「泣く女」の画ように、奇妙で不思議な画になることでしょう。 13人の人間は、すべて具体的存在です。 12人の使徒、プラス、キリストも具体的な13の像です。 バラバラな映像だった12人の使徒、プラス、キリストの言葉と行動は、 何十人かの書き手によって一つの言葉にまとめられ、一冊の本に統一されました。 これが、バイブル(聖書)です。 矛盾することも、正しいものも、誤った行いも、全部、一冊の聖書にまとめられています。 人間の幸も不幸も、真も偽も全部、一冊の聖なる本という形にまとめられました。 「聖数としての『十三』、それは十二使徒に主イエス・キリストを加えた数」(265頁) 「「『十三』を真の名とする眼前の御方すなわち聖マリア・ローミこそは、この聖数に象徴される霊的統一の、実現の、いわば<実体(傍点あり)>そのものではないのか?」(265頁) さて、この長篇小説『13』の主な登場人物。 まずは、<13> 「森で死んだムポトの<兵士(傍点あり)>」(210頁) 「聖戦士と聖母マリア、その二つが融け合って13というキャラクターを創り上げた。13に投影された」(211頁) <ローミ> 「異質な霊的な分身に。ローミは、問いかけるために、名前を探した。内面の他者たる存在に、呼びかけ、問い質(ただ)すために。そして、その名を、『13』とした」(165頁) 「ローミの第二人格は、現実にローミの意識より乖離(かいり)した」(165頁) 「その13=ローミの姿」(214頁) 「13は、いま、完璧に崩潰(ほうかい)する―― かわりに脳の奥深きから十四歳のローミが噴出した」(528頁) <ココ> 「ココII」(467頁) 「ココ・ココ・マチューカ・プラード」(504頁) 「『すべての網膜の終り』の主演女優」(505頁) 「『「天使の鋏(はさみ)」っていうの』 ココは言った」(535頁) <橋本響一(7頁)> 「Hashimoto, Kyouichi」(450頁)。「キョウイチ・ハシモト」(466頁) 「二十六歳の時に神を映像に収めることに成功した」(7頁) 「俺も、他人(ひと)には見えないものが見えた。俺は、それをいま、試行錯誤しながら映像にしているんだ」(474頁) 「響一が作ろうとしている<神の映像は、正しいのよ(傍点あり)>」(533頁) 「裸の上半身にはアクセサリーを下げている。陽光を反射する胸間の人工的な輝き、連環(チェーン)でつながれた金属製の首飾りだった。軍人が戦場で身に着ける類(たぐ)いの認識票(ドッグ・タグ)。 13と刻まれている」(385頁) 13は、いま、響一の姿をとっています。 男の姿にも女の姿にもなる、13。両性具有の肉体に宿る、13。 「類(たぐ)いの」タグ、とダジャレを踏んでいます。 <関口> 「アキ兄さん」(385頁)。響一の従兄(いとこ)。「南米で十年を費やした」(376頁) 「響一が『アキ兄さん』と呼んでいた関口(セキグチ)」(299頁) 以上、天使の鋏(はさみ)を使って、映画監督のように、本書『13』をカットしてみました。 | ||||
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古川日出夫のデビュー作らしいが、一読して驚いた。本来他人にわかる筈のない人間の知覚を描写する圧倒的な文章力の凄みもさることながら、波乱万丈の物語を紡ぐ巧みなストーリテリングと言い、色合いの異なる二部作を見事にまとめた構成力と言い、素晴らしく完成度が高いのだ。そして、後年の作品の萌芽らしきモチーフが既に現れており、本作が古川日出夫の原点なのは間違いない。 とっつき易い作家ではないが、ファンなら見逃せない奇跡的な完成度のデビュー作と評価。 | ||||
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著者の最大の売りは実際に体験してみたい、 そう思わせてくれる文章でしょう。 つまり読者の想像を掻き立てるということ。 この作品に出てくるメインの人物は 一人の少年と少女。 ただし、最初の接点は際して濃いものではなく 少女がさらりと見た程度のものです。 そして一応は対面するのですが それまた儚く終わるのです。 ですが、少女の側には ある重要な要素が隠されているのです。 そう、彼女は使命を帯びた人間。 ですが、出自に悩み、 挙句には使命の重圧に耐え切れず 彼女の中にもうひとつの人格を作り上げてしまうのです。 この作品は実を言いますと明確な 結末は存在しません。 恐らく「陶酔」に重きを置いた作品です。 そして本にはない、音や明確な色彩など… 本当に映像として出てこないのが 困ってしまう作品でした。 ちょっと結末に不満があるので☆4つですが 世界観は5相当です。 | ||||
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デビュー作だけあって古川日出男の作家としての初期衝動? みたいなものが痛いほど伝わってくる。 あなたが何らかの芸術的手法をもって「何か」を表現したいのなら、 必ずインスパイアされることでしょう(絵を描きたくてたまらなくなるとかね。)。 この小説では古川日出男がどうしても描きたかったであろう視覚の言語化が体験できる。 ジャングルの色彩感、神の映像化、どれも素晴らしい! 他の古川作品を読んでみて興味をもった方はルーツとして読むべき作品。 ただ、「LOVE」以降の作品が好きは方にはハードコアすぎるかもしれません。 正直、読みづらい文章ではあります。 | ||||
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デビュー作だけあって古川日出男の作家としての初期衝動? みたいなものが痛いほど伝わってくる。 あなたが何らかの芸術的手法をもって「何か」を表現したいのなら、 必ずインスパイアされることでしょう(絵を描きたくてたまらなくなるとかね。)。 この小説では古川日出男がどうしても描きたかったであろう視覚の言語化が体験できる。 ジャングルの色彩感、神の映像化、どれも素晴らしい! 他の古川作品を読んでみて興味をもった方はルーツとして読むべき作品。 ただ、「LOVE」以降の作品が好きは方にはハードコアすぎるかもしれません。 正直、読みづらい文章ではあります。 | ||||
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「一九六八年に東京の北多摩に生まれた橋本響一は、二十六歳の時に神を映像に収めることに成功した」ショッキングな一文ではじまり、色覚異常の天才・響一の成長をたどる物語は、彼が求めるままに舞台をザイールに移す。旧石器時代的な狩猟生活を送る森の民、幼少時に白人の傭兵から聖書を口伝され成長してからは聖母とされる少女。強烈な人物が後を断たないが、響一の森での体験はそれを上回る衝撃に満ちている。森に渦巻く色のなかに彼は神を見、神を視覚化した。しかし第2部では舞台が唐突にハリウッドへと移る。気鋭の映画監督、聡明な女優、孤高のミュージシャンらが洒脱でシニカルな会話を交わし、土俗的なにおいから遠く隔っても、次のページにはきっと神秘的な何かが待っているという緊張感を孕む。そして、一部に劣らず荒唐無稽だ。だが、行間を読むことを許さないほど詰めこまれたディテールに圧倒され、気づけば私たちも奇跡の現場へと流されているのである。 | ||||
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「一九六八年に東京の北多摩に生まれた橋本響一は、二十六歳の時に神を映像に収めることに成功した」ショッキングな一文ではじまり、色覚異常の天才・響一の成長をたどる物語は、彼が求めるままに舞台をザイールに移す。旧石器時代的な狩猟生活を送る森の民、幼少時に白人の傭兵から聖書を口伝され成長してからは聖母とされる少女。強烈な人物が後を断たないが、響一の森での体験はそれを上回る衝撃に満ちている。森に渦巻く色のなかに彼は神を見、神を視覚化した。しかし第2部では舞台が唐突にハリウッドへと移る。気鋭の映画監督、聡明な女優、孤高のミュージシャンらが洒脱でシニカルな会話を交わし、土俗的なにおいから遠く隔っても、次のページにはきっと神秘的な何かが待っているという緊張感を孕む。そして、一部に劣らず荒唐無稽だ。だが、行間を読むことを許さないほど詰めこまれたディテールに圧倒され、気づけば私たちも奇跡の現場へと流されているのである。 | ||||
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小説に「眼福」ってほめ方が正しいかどうかわかりませんが、過剰な視覚情報に溺れる快感には、この表現しか思いつきません。 クライヴ・バーカーがお好きなら是非。多少毛色は異なっていますが、文字よりもイメージが頭に残るという点で同じ血が流れています。 文章がちょっとがんばりすぎちゃってるのはご愛敬。 | ||||
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小説に「眼福」ってほめ方が正しいかどうかわかりませんが、過剰な視覚情報に溺れる快感には、この表現しか思いつきません。 クライヴ・バーカーがお好きなら是非。多少毛色は異なっていますが、文字よりもイメージが頭に残るという点で同じ血が流れています。 文章がちょっとがんばりすぎちゃってるのはご愛敬。 | ||||
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書き出しは間違いなく秀逸である。序盤、響一の子供時代の話は濃密な描写とあいまって非常に引き込まれて読み応え抜群。 だが、舞台が途中ザイールにうつり、ジャングルの生活の中に突入するにあたり、その文章があだになる。長くて飽きる。 この小説はいわゆる世界の認識の仕方に「神」というモチーフを絡めた話。つまり、色盲の人間が見ている世界と、普通の眼を持った人間が見る世界は同じなのだろうか? 色盲の人間の眼を通せば、そこに普通は見えないものが見えるのではないだろうか? という哲学的内容を内にこめた力作なのである。 残念なことに二章構成であり、二章目から物語りはあらぬ方向に転がりだし、首を捻るばかりであった。最後のオチ(のようなもの)は何となくわかるし、唸りもしたが、それにしてもまったく盛り上がりに欠けたまま物語りを占めるのは、小説として欠点なのではないだろうか。 | ||||
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書き出しは間違いなく秀逸である。序盤、響一の子供時代の話は濃密な描写とあいまって非常に引き込まれて読み応え抜群。 だが、舞台が途中ザイールにうつり、ジャングルの生活の中に突入するにあたり、その文章があだになる。長くて飽きる。 この小説はいわゆる世界の認識の仕方に「神」というモチーフを絡めた話。つまり、色盲の人間が見ている世界と、普通の眼を持った人間が見る世界は同じなのだろうか? 色盲の人間の眼を通せば、そこに普通は見えないものが見えるのではないだろうか? という哲学的内容を内にこめた力作なのである。 残念なことに二章構成であり、二章目から物語りはあらぬ方向に転がりだし、首を捻るばかりであった。最後のオチ(のようなもの)は何となくわかるし、唸りもしたが、それにしてもまったく盛り上がりに欠けたまま物語りを占めるのは、小説として欠点なのではないだろうか。 | ||||
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長い長い時間をかけて読んだのが、全く無駄だった。 序盤の響一が天才小学生である時代はまだ良い。学級閉鎖で無人の教室に絵の具をぶちまけてアートして、『まだ駄目だ。まだ足りないんだ』と呟くシーンなどは素晴らしい。先の展開に期待する事も出来た。しかしその後が酷すぎる。響一が自分の事を『俺』と言い出した時に読むのを止めるべきだった。 筆者の才能の無さを覆い隠すような虚飾のシークエンス。字面を見ただけで意味が判るのに読み方が判り辛い熟語。読む者をいらいらさせる自己満足的な句読点の打ち方と段落替え。突如出現する想像を絶するほど低レベルな擬音。500ページ近い文章に詰め込まれた情報量は評価されてしかるべきものかもしれないが、流し読みの中でも目に留まる程目立っ!ている同内容の説明の反復などがあり、決して誉められるものではない。 一見何の繋がりも無い二章構造も、本当に何の繋がりも無い。これだけメッセージ性のようなものを身に纏っておいて、そのくせ何も伝わってくるものが無い小説も珍しい。最期の1ページでは筆者との想いの行き違いがありありと認識されてしまった(なんてタイトルだ)。はっきり言って読みにくいだけの駄作。 | ||||
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