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仮想儀礼
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仮想儀礼の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.43pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全88件 41~60 3/5ページ
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宗教をビジネスと割り切って、桐生正彦は新興宗教を立ち上げる。 詐欺まがいのゲーム関連出版社と甘い見通しのために、家庭も職も失うゼロ・スタート。 それが確かな経営ビジョンでぐんぐん成長していく。上巻はサクセス・ストーリー。 宗教というよりビジネスの側面に光を当てている。清泉真法会は、日本人の宗教観を的確に捉え、ニッチにしっかりと食い込んでいく。 あたかも実在する、あるいは実在したいくつかの新興宗教のように。 感情に流されない作者の筆力が、生臭い素材を、癖のない高級料理に仕上げた。 | ||||
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どちらかといえば良識派の宗教集団が、崩壊暴走していくまでの転落を、丁寧な筆致でまとめあげた下巻。 オウム真理教やイエスの方舟、その他のカルト教団が起こした殺人・過失致死事件を巧みに織り込んでいて、既視感を覚える。 不吉な予感を覚えながらも、彼らの最期を見届けるまではページをめくる手が止まらない。 | ||||
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2009.6 上・下で1000頁弱の長い小説でした。 読み終えれるかな?と心配でしたが大丈夫でした。 うん。まぁ良かったかな。最後まで読めたし。★4ほどでしょうか 誰か読んだ人、どうでしたか? コレと言ってレビューは無いかも私。 | ||||
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2009.6上・下で1000頁弱の長い小説でした。読み終えれるかな?と心配でしたが大丈夫でした。うん。まぁ良かったかな。最後まで読めたし。★4ほどでしょうか誰か読んだ人、どうでしたか? コレと言ってレビューは無いかも私。 | ||||
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結構分厚い上下2巻の単行本を5日で読了。 1998年の著作「夏の厄災」以来、久しぶりに著者の作品を堪能させてもらった。 自らの過失によって職を失い行き倒れ寸前まで身を持ち崩した二人の男が、あこぎな金儲けを企んで新興宗教を立ち上げる。 そして本人達も戸惑うほどのスピードでそれが大きな宗教団体に成長し、やがて...。 身内の法事などを除き普段ほとんど宗教に縁の無い生活をしている自分にとって、怪しい新興宗教を取り巻く魑魅魍魎たちの世界がまず何よりも新鮮で惹き付けられた。 しかも、控えめながら克明な筆致によって著者はそのおどろおどろしい世界に見事なリアリティを与え、まるで実在するモデルを元にしたドキュメンタリーのような印象を読み手に抱かせる(卓越したその技法は「夏の厄災」でも遺憾なく発揮されていた)。 作品の核をなしているのは、「教祖」である男の心理描写だと思う。 宗教団体立ち上げ当初の脂ぎった野心から始まり、それは自信、躊躇、良心の呵責、達観、絶望と、様々に形を変えて変遷を繰り返す。 新興宗教という題材からすればオカルト的で軽薄な展開に陥りそうなものだが、その生々しい心理描写がこの作品に深淵で味わい深い厚みを加えている。 結局著者が語りたかったことは、「信じる」ということの無限のパワーと、それが究極の形をとった時の恐ろしさではないだろうか。 その人間心理の闇を見誤った「教祖」を襲う結末が、圧巻である。 | ||||
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小林信彦『ぼくたちの好きな戦争』プロローグに、ベルガウル島で玉砕を覚悟した中隊長が、傍らの少尉に辞世の句の披露を促す場面がある。少尉からお先にと譲られ、ではと聞かせたのが〈環礁に寄せ来る波を眺めつつ皇国の栄祈らむ我は〉。続いて少尉が〈大君の御楯となりて捨つる身と思へどなほも神風を待つ〉と詠むと、次の行に「む、む」。これはお笑いコントの一つの定型だが、小林は説明抜きでその笑いを成り立たせるだけの歌を作っている。 何でこんな話をするかと言えば、本書に落ちぶれた性格破綻の元・芥川賞作家が登場し、主人公の教祖がこの男に教団機関紙への短文寄稿を依頼する件りがあるのだが、期待せずに受けとったその文章について次のように描写される。「そこで使われていることばの一つ一つに、美しい狂気が宿っている」「明らかに普通の人間の文章力とは格段の差があった。ほとんど天才的と言っていいような、きらめきにあふれていた」「絶望の淵で聖泉真法会と出会う、その感動が、素人臭い泣かせではなく、煩悩から逃れられぬ人間の弱さと悲しさを通して主知的に描かれ、仏教説話をからませて、単なる告白録を越えた一編の物語として仕上がっている。しかも枚数はわずか三枚半だ」(上p198)。しかしもちろん、そこには男の書いた文章そのものは1行たりとも引用されていない(他方、宗教分野に強いらしい安藤という「ルポライター」(下p234)がいて、彼が教団について書いた文章は引用されている(下p263)。ただし引用の直後、主人公は「何もわかってねえ」と呟くのだが)。 実はこの種の描写は小説にはよくあることで、確か村上龍が『コインロッカー・ベイビーズ』のハシの歌について、小説なら「その歌に聴衆は魅了された」で済むが、映画では嘘がつけないみたいなことを書いていた気がする。ただ、言葉の有するそのような虚構性というか、いやむしろ出鱈目さとか荒唐無稽さと呼ぶべきかもしれない性能に意識的であることは、ジャンルを問わず、現在を生きる作家が備えるべき美徳ではないだろうか。 端的に言って、元・芥川賞作家の文章を空疎で無意味な形容を連ねて表象しようとする作家の言葉が、他の箇所では何らかの意味を持つ充実した表現や描写に到達していると考えるのは難しい。ただし、この小説の言葉がそのような知性や強度を欠いていたとしても、まさしくゲームのように、いったん中に入り込んでしまえば終わりまで駆け抜けたくなるように仕上がっているという意味では、達者だと思う。 | ||||
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小林信彦『ぼくたちの好きな戦争』プロローグに、ベルガウル島で玉砕を覚悟した中隊長が、傍らの少尉に辞世の句の披露を促す場面がある。少尉からお先にと譲られ、ではと聞かせたのが〈環礁に寄せ来る波を眺めつつ皇国の栄祈らむ我は〉。続いて少尉が〈大君の御楯となりて捨つる身と思へどなほも神風を待つ〉と詠むと、次の行に「む、む」。これはお笑いコントの一つの定型だが、小林は説明抜きでその笑いを成り立たせるだけの歌を作っている。 何でこんな話をするかと言えば、本書に落ちぶれた性格破綻の元・芥川賞作家が登場し、主人公の教祖がこの男に教団機関紙への短文寄稿を依頼する件りがあるのだが、期待せずに受けとったその文章について次のように描写される。「そこで使われていることばの一つ一つに、美しい狂気が宿っている」「明らかに普通の人間の文章力とは格段の差があった。ほとんど天才的と言っていいような、きらめきにあふれていた」「絶望の淵で聖泉真法会と出会う、その感動が、素人臭い泣かせではなく、煩悩から逃れられぬ人間の弱さと悲しさを通して主知的に描かれ、仏教説話をからませて、単なる告白録を越えた一編の物語として仕上がっている。しかも枚数はわずか三枚半だ」(上p198)。しかしもちろん、そこには男の書いた文章そのものは1行たりとも引用されていない(他方、宗教分野に強いらしい安藤という「ルポライター」(下p234)がいて、彼が教団について書いた文章は引用されている(下p263)。ただし引用の直後、主人公は「何もわかってねえ」と呟くのだが)。 実はこの種の描写は小説にはよくあることで、確か村上龍が『コインロッカー・ベイビーズ』のハシの歌について、小説なら「その歌に聴衆は魅了された」で済むが、映画では嘘がつけないみたいなことを書いていた気がする。ただ、言葉の有するそのような虚構性というか、いやむしろ出鱈目さとか荒唐無稽さと呼ぶべきかもしれない性能に意識的であることは、ジャンルを問わず、現在を生きる作家が備えるべき美徳ではないだろうか。 端的に言って、元・芥川賞作家の文章を空疎で無意味な形容を連ねて表象しようとする作家の言葉が、他の箇所では何らかの意味を持つ充実した表現や描写に到達していると考えるのは難しい。ただし、この小説の言葉がそのような知性や強度を欠いていたとしても、まさしくゲームのように、いったん中に入り込んでしまえば終わりまで駆け抜けたくなるように仕上がっているという意味では、達者だと思う。 | ||||
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これだけ分厚い本で、しかも上下巻ともなると、内容はかえって薄いんだろうな、と思っていたのですが、どうしてどうしてw 無駄な文章や場面はまったくなく、しかもスムースに読み進めてしまえます。 これは明らかに作者の力量の凄さなのでしょう。 現代社会では宗教に限らず、株やパチンコ、競馬、酒、携帯電話?など個人がはまり込んでしまうものがたくさんあります。 宗教の話と思わずにぜひ一読して欲しい本です。 | ||||
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これだけ分厚い本で、しかも上下巻ともなると、内容はかえって薄いんだろうな、と思っていたのですが、どうしてどうしてw 無駄な文章や場面はまったくなく、しかもスムースに読み進めてしまえます。 これは明らかに作者の力量の凄さなのでしょう。 現代社会では宗教に限らず、株やパチンコ、競馬、酒、携帯電話?など個人がはまり込んでしまうものがたくさんあります。 宗教の話と思わずにぜひ一読して欲しい本です。 | ||||
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とんでもなく過酷な状況に直面することによって、凡庸で卑俗な男が、現代では困難に思われる、純粋な宗教的境地にまで到達する。 この枠組みは1998年に出版された同じ作家の手になる『弥勒』と同じです。 しかし『弥勒』が日本人にとって明らかに別世界であるチベット周辺を舞台にしたのと異なり、本作は現代日本が舞台であるため、より一層リアルであり、読者は嫌でも自分をかえり見なくてはなりません。 篠田節子の描く人物は、完全な善人でも完全な悪人でもなく、完全に愚かでもなければ、完全な賢者でもありません。まさに現実の人々の等身大モデル、あり得る我々です。 にもかかわらず、主人公は否応もなく人間的成長を遂げてしまう。 状況があまりにも過酷であり、それが避けようがなく、まさしく実際に起こりそうなことだから。 とても残酷な話でありながら、この結末に、読者はある種独特の感動をえることになるでしょう。 | ||||
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宗教の内容は難しくてわかりずらい。 が、とにかく、展開の速さ、えぐさに引き込まれる。 最後の終わり方も楽しめる。 集中したい人にはオススメです。 でも、宗教の説明が長いので、めんどくさがりやの方にはオススメできません。 | ||||
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宗教の内容は難しくてわかりずらい。 が、とにかく、展開の速さ、えぐさに引き込まれる。 最後の終わり方も楽しめる。 集中したい人にはオススメです。でも、宗教の説明が長いので、めんどくさがりやの方にはオススメできません。 | ||||
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最初 割に軽い感じで始まります、が、 段々事態が 大掛かりな事になっていきます、 どうなるの、どうなるのと 気になって 読み進めることになります、凄く面白いです。 内容は他レビューにゆずります、では 時間のゆとりをもって覚悟を決めて仮想儀礼の世界観へ 行ってらっしゃーい 迷ってるあなた、読みたまへ。 | ||||
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最初 割に軽い感じで始まります、が、 段々事態が 大掛かりな事になっていきます、 どうなるの、どうなるのと 気になって 読み進めることになります、凄く面白いです。内容は他レビューにゆずります、では 時間のゆとりをもって覚悟を決めて仮想儀礼の世界観へ 行ってらっしゃーい迷ってるあなた、読みたまへ。 | ||||
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ページをめくるたびにアイタタタタ・・・、と目をつぶってしまうくらい痛い本です。こんなに痛い本をよく書かれるものだと恐れ入ります。主人公たちのこれからの生活にエールを送らずにはいられません。 | ||||
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ページをめくるたびにアイタタタタ・・・、と目をつぶってしまうくらい痛い本です。こんなに痛い本をよく書かれるものだと恐れ入ります。主人公たちのこれからの生活にエールを送らずにはいられません。 | ||||
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新興カルトの運命を中心に据え、人々の心の動き、社会の思惑を交え描かれている。 構成も引きもリアリティも、作家がかなりの腕を持った人物であることを物語っている。それでいてエンタテインメントとして成立しているのだから凄いの一言につきる。 だがしかしここに描かれていることは新興カルトのみならず、『古参の』宗教にも当てはまる。実は由緒あるというアレらの宗教も新興カルトも大して変わらない構造なのだ。 信者総数が膨大で、内包する犯罪者の数よりも模範的な信者の数の方がいくらか多いという一点しか違わない。 解体することが出来ないほどに膨れ上がったカルト。それが古くから続く宗教の実体のひとつだ。 2000年頃に、『カソリックの教会関係者が孤児院の少年たちを強姦していた』というニュースが世界を駆け巡った。神父ら4000人以上の教会関係者の凶行。被害者数は1万5千人以上にものぼった。判明したものだけで。 さらにこの少年強姦は1600年代には書物にも残されている古くからの根深い問題だという。 人は道に迷うとき、事故や病気に見舞われたとき、とかく安易によりどころを求めがちなものだ。 しかし、それは仕方のないことだし何かを信仰することも時には役立つ。 だが信仰とはおうおうに麻薬的であることも把握しておかなければならない。 | ||||
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新興カルトの運命を中心に据え、人々の心の動き、社会の思惑を交え描かれている。構成も引きもリアリティも、作家がかなりの腕を持った人物であることを物語っている。それでいてエンタテインメントとして成立しているのだから凄いの一言につきる。だがしかしここに描かれていることは新興カルトのみならず、『古参の』宗教にも当てはまる。実は由緒あるというアレらの宗教も新興カルトも大して変わらない構造なのだ。信者総数が膨大で、内包する犯罪者の数よりも模範的な信者の数の方がいくらか多いという一点しか違わない。解体することが出来ないほどに膨れ上がったカルト。それが古くから続く宗教の実体のひとつだ。2000年頃に、『カソリックの教会関係者が孤児院の少年たちを強姦していた』というニュースが世界を駆け巡った。神父ら4000人以上の教会関係者の凶行。被害者数は1万5千人以上にものぼった。判明したものだけで。さらにこの少年強姦は1600年代には書物にも残されている古くからの根深い問題だという。人は道に迷うとき、事故や病気に見舞われたとき、とかく安易によりどころを求めがちなものだ。しかし、それは仕方のないことだし何かを信仰することも時には役立つ。だが信仰とはおうおうに麻薬的であることも把握しておかなければならない。 | ||||
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長〜い大作ですが 飽きさせず破綻なく最後まで持っていく筆力はお見事です。 主人公とその相棒の人物造形がうまくてリアルだし、 なにより二人のキャラに好感が持てるのでイヤにならずに読めました。 男性の作家なら必ず書きそうなありがちなハーレム的な描写もない。 世間のしくみもよくわかって書かれていて(著者は元公務員だそうですね) とにかくげっそりするとこが少なかったです。 ラストの後味もよい。 ただどうでもいいことですが 女性の服装の描写が????? ファッションに興味のない著者なんでしょうか。 くわしく描写されるほど、意味不明な感じになります。 オシャレでハデな服装を表現しているらしいのに なんかすごくダサいカッコだったり。 ちょっと惜しい。 | ||||
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長〜い大作ですが 飽きさせず破綻なく最後まで持っていく筆力はお見事です。 主人公とその相棒の人物造形がうまくてリアルだし、 なにより二人のキャラに好感が持てるのでイヤにならずに読めました。 男性の作家なら必ず書きそうなありがちなハーレム的な描写もない。 世間のしくみもよくわかって書かれていて(著者は元公務員だそうですね) とにかくげっそりするとこが少なかったです。 ラストの後味もよい。 ただどうでもいいことですが 女性の服装の描写が????? ファッションに興味のない著者なんでしょうか。 くわしく描写されるほど、意味不明な感じになります。 オシャレでハデな服装を表現しているらしいのに なんかすごくダサいカッコだったり。 ちょっと惜しい。 | ||||
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