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ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編
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ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全58件 41~58 3/3ページ
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とにかく長くて難解なストーリーだ。 最後にたどり着くまでに何度も「やれやれ」と思う。 クリーニングに出しておいたワンピースとともに突然姿を消した妻を探し、岡田トオルの果てしない苦闘が始まる。 その妻探しの過程で幾度となく登場し、行く手を阻むのが義兄の綿谷ノボル。 学者にして、その後衆議院議員となる彼はまったくつかみ所がないが、読む者の心の奥になにやら「イヤ」な感じを残し続ける。 家の裏にある路地を抜け、空き家の井戸に降りるところから物語は様々な方面に波及し、つながっていく。 空き家の向かいに住む笠原メイ。 いなくなった猫を探す加納マルタと妹のクレタ。 預言者の本田さんとノモンハンで一緒だった間宮中尉。 謎の事業を行なうナツメグと話すことが出来ないシナモン。 長編かつ展開が複雑であるために、何度読んでもこの物語の主題がわからない。 間宮中尉から送られてくる長い長い手紙は、何を暗示しているのだ。 井戸の中と右頬に出来たアザには何の関係があるのか。 ギターを持った男とバットと綿谷ノボルに何の関係があるのか。 最後にはすべてのツジツマが合うかのように物語は終わる。 そして、読んだ者の心の中にはある種のうまく説明できない違和感が残る。 いつかまた読んでみたら、ふと謎が解けるのではないかと考えてしまう。 何か重要なことを読み落としているのではないか、と不安になる。 こんな気分になるのは村上春樹の作品の中で「ねじまき鳥」だけである。 きっといつかまた読み返してしまう。 | ||||
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この話、全然終らない。 でも実はこの作品、94年に第2巻まで発売され、2巻のエンドロールには「続」ではなく、「完」が記されていた。つまり、2巻完結の長編小説として世に送り出されたわけだ。 ところが翌年の夏に、予期せぬ形で第3部が刊行された。 「予期せぬ形で」とは言っても、第2部を読了した今思うことは「えっ?これで終わり?謎だらけなんですけどー」って感じだし、続編が刊行されてることは何の違和感もない。 この謎だらけの物語がどう収束するのか、僕は期待に胸を膨らませ、第3部に移る。 最後に第2部で印象に残った文章を記して終ろう。 「加納クレタが僕に向かって微笑みかけたのはそれが初めてだった。彼女が笑うと、歴史が少しだけ正しい方向に向けて進み始めたような気がした。」 | ||||
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笠原メイ、加納クレタ。この二人の女性との絶妙な距離感での関係を中心に、一部では何がどうなっているのか解らなかった主人公が、自分のすべきことを見つけ出すまでの第二部です。 笠原メイの「あの女の人を抱いたから、もう私には用がなくなったってことなの?」というキビシイ言葉が妙に心に刺さりました。 夏の暑さと何ともいえない倦怠感を感じることのできる一冊です。 | ||||
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村上作品の中で初めて、主人公が怒り、暴力をふるう場面のある作品でもある。 まるで霧の中に迷い込んだかのような、夢と現実とが交差した世界の中で主人公(岡田)が困惑する。また自らが井戸の中に入り、クミコの失踪の原因について深い瞑想をし探求しようとする。井戸の中での体験が非常にリアルだ。 | ||||
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第2部「予言する鳥編」は妻のクミコの失踪という大きなトラブルより幕を開ける。この2部での主人公のオカダトオルに課せられた使命は、孤独と言うものを受け入れ、情報が明確にされるまでじっと待ち続ける事。それは、とても絶望的で多くの傷みを味わう作業であると思う。時にそのとてつもなく閉鎖されたその状況に辟易し、海外へ逃亡という道を選ぶ事を考えたりもするが、結局そこに居残る事を選択する。そして、この2部でも最もキーとなる場面であるが、謎の女の正体をついに自分で探し当てる事となる。 この「予言する鳥編」では、様々な登場人物の一言一言がとても重要な鍵となっているように思う。そしてそれは現代に生きる人々にとっても本当に重要な事なのではないか?という風に僕は感じている。 「自分にとっていちばん大事なことは何か、もう一度考えてみた方がいい」 「『新しい世界を作ろう』とか『新しい自分を作ろう』とか、誰にもできないんじゃないかな」 「それはお前が自分でみつけて、自分でやるしかない」 「ここは血なまぐさく暴力的な世界です。強くならなくては生き残ってはいけません」 「良いニュースというのは、多くの場合小さな声で語られるのです」 自らの想像力を超えたトラブルは、自分を見失わせてしまう。そして、自分が安心する為に何かに逃亡したり、依存したり出来てしまうシステムが、この世界に多く存在している。オカダトオルの行動は一介、奇怪なものに映るかもしれないし、随分と遠回りしているようにも見える。だが、本当に自分が求めなくてはならない情報は、自分のやり方で細かく時間をかけて追わなければ見つからないのだと思う。疲弊しながらも最終的に「良いニュース」に辿り着いた彼は、3部の「鳥刺し男編」にて自分にとって最も大切なものの為に、行動をしていく。 | ||||
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村上作品に共通する事ですが、正直面白さを説明するのは難しいですね。 なにより(まだ第2部までしか読んでいないからなのか)私自身はっきりしない部分も多いです。 特にこの作品は読んでいて特に難しさを感じます。 それでも、???とならず自分自身で色々考えながらはまって読めるところが文章の上手さなんでしょうね。 ついに次が最終、第3部!! | ||||
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この本はクリスマスプレゼントとして友人からもらいました。はじめは分厚さに圧倒されて2ヶ月くらい手をつけなかったのですが1度読み始めたら止まらなくなりました。 なんと言えばいいのか、とても不思議な世界です。 春樹氏の他の作品を読んだことがある方はなんとなく分かると思いますが、他の作品とはまた一味違った世界です。 私は英語版を読んだのですが、英語で読むと不思議さに拍車がかかるというか読み終わった時はこの世界がもう味わえないんだなぁと、しばらく放心状態でした。 スペイン人の友達も全く同じ感想を述べてました。 退屈な日常から脱出したいけど、休暇は取れないという方にピッタリな本だと思います。 普段自分が生活している日常、常識から抜け出せること間違いなしです。 ただ、あまりにも常識的な方には訳の分からない読み物かもしれません。 | ||||
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今までの村上春樹とは少し違った趣のあるこの作品。村上春樹の代表作と言っても決して過言ではないと思う。つまり、この作品は、傷、あるいは怒りという概念を避けずに真っ向から挑んだ作品なのではないだろうか。 失踪した妻、井戸の中でぐるぐる物事を考える僕、そして加納クレタ。なるほど、世界は悪意に満ちていて、それでいて僕らはいつのまにか傷だらけになっていて、それでも僕らは生きていかなければならない。たとえ、そのせいで以前の僕自身を切り離し、名前を失ってしまっても、僕らは名前を探しながら生きていかなければならない。 | ||||
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本当におもしろかった。第一部はやや衝撃的な文章も盛り込まれていましたが、第二部ではゆっくり流れる時間というか、粘着質な時間というか、何か時間の「流れ」が私には感じられました。感じ方は人それぞれなので、なんとも言えませんが、この意味で「クロニクル(年代記)」という題名の時間的な縦の動きが意味がなんとなくわかったような気がします。全集の解題で作者が、題名が先に決まり内容が決定された、歴史的な色合いの濃い物語になったと述べている通りであります。 多分、物語の大筋を他人に口頭で説明しようとすれば、本作品はつまらないものとなってしまうような気がします。その世界観は読んだ人にしかわからないでしょう。そういう作品です。誰もが作者の世界にどっぷりと浸かってしまうと述べている通り、私も本当にそのような気持ちで本書を読み終えました。 またどこにでもありそうな日常的な風景や様子に付随して、この物語で語られる「気」というか「オーラ」というか霊的で呪術的な部分が本書の魅力であるように感じられます。日常にはありえない部分を盛り込む事によって、世界に真実味を与えているのではないでしょうか。「嘘に少しの真実を盛り込む事によって、嘘はより強化される」といった印象です。 長編ですが、一気に読めてしまう迫力が備わっています。次作でも何も考えずにその世界にどっぷり浸かってゆこうと思います。なぜこんなにもはまってしまえるのか不思議なくらいです・・・。 | ||||
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ねじまき鳥クロニクルの第二部。一部では、よくわからなくて戸惑いのままに流されてきて、この第二部では、やはりわからない部分が多いままではあるけれど、物語の流れに流されることがなんだか心地よくなってきます。村上春樹の世界にどっぷり浸かっちゃう感じです。物語は、だんだんと見えてくる部分がでてきたと思うと、さらに謎のような人や物たちがでてきたり・・・はらはらどきどきというのではないけれど、飽きません。ゆったりした中に、どこか闇が潜んでいる感じは、独特です。 | ||||
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僕の村上春樹デビューがこの作品でした(大学の講義で「風の歌を聴け」を読んだが、あれは読書とはいえない)。僕がどうこうと言える作品ではありません。「ワタナベノボル」とは?「井戸」?「猫の失踪」?「ノモンハン事件」?「動物園」?と考えるところはいくらでもある。しかし、この作品が傑作であることは掛け値なしに保障できることです。 この小説にはジョン・アーヴィングの「熊を放つ」(村上春樹氏が翻訳)の要素が多く取り込まれている気がする。テーマとしては別のところにあるようだが・・・。 謎に満ち、メタファーの富んだ村上ワールドを思う存分堪能できる作品であることは確かです | ||||
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最初は穏やかに読んでいたはずなのに、いつの間にかどっぷりとはまってしまっていました。深い精神世界に入り込んだような、そういう息苦しさを少し感じましたが、すごい作品です。 | ||||
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出版されてはや10年がたつ。ストーリーは現実性のある世界観のもとに構成されていたために色あせることなく記憶してた。構成がかつての春樹小説とは一線をひく。以前は、「僕」の世界観がそのものが物質的な変化をとげる中心となり基盤となっていた。そして構成自体は、風景のようにすでにあったものとしてココロにしみこませていた。(彼の手法?)当時、彼はこの小説は10年ほど経たないと受けいられないのではと、ある雑誌のインタビューに答えていた。そう、悪い知らせはあとになってやってくるのだ。主役を誰にするかという問いがあれば、僕は、ワタヤノボルであると答える。彼は悪の象徴として漂い彷徨う。彼には実体はないのでは、とさえ思う。悪は誰もがもちあわせ、そしてそれは実のところ正義がなければ存在しえないものなである。正義の「僕」は、悪の「ワタヤノボル」をつくりだした、ということになる。2章の最後は、春樹氏が言っているように、これでもかというほどに終焉に向かって筆は進んでいるのが感じられる。こちらも読み進めるにしたがい、種々の特徴ある登場人物について整理し思いをめぐらせて、落ち着かせる場所をさがしながら準備を整える時間であり、それがあって読み終えた後に現実にすんなりと向きあえるのだ。これが、春樹氏の小説の醍醐味であるはずなのだが、彼は3章を書かざるをえない時代にこの小説を出してしまった。悲運である。彼は生まれてくるべき時代をほんのすこし間違ってしまったようだ。読者を無理に救う必要はない。問題はたえず横たわるものである。解決することなど、永遠にないのかもしれない。彼の小説を「なぞ本」として評価している方もいる。謎とメッセージは区別して認識すべきである。彼はただそこにあるものとしてあるという感じを伝えているだけであり、あとは読者が気が付くかどうかに委ねられているのだ。なにも大それた主張や品性溢れる文体をおしだそうと彼は苦心はしていない。どこにでもある悪をただ描いているだけなのである。 | ||||
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良くも悪くも、村上春樹のターニングポイントになる作品だと思います。 ヴォネガットやブローティガンなどをバックボーンとし、日本的土着性からの徹底的な決別を表明した作品群を発表してきた彼が、向き合うべくして向き合った作品だと思います。 戦争など、ヴィヴィッドな体験をした人はそれをテーマに物語を書けばいいけれど、平和ボケを謳歌するわれわれが扱うテーマは、地表の少し下に眠っている悪意や暴力、わかったと思っていたことが少しもわかっていないこと。それらに挑んだ彼は、これから創作活動をつづけるうえで避けられないものに挑んだのですが、ここで彼は土着も含んだ世間一般にコミットしていかざるを得ないところに自らを運んでいったようです。 彼の没後、どう評価されるかはわからないけれど、彼と同時代を過ごした自分は幸福です。ミシマやカワバタの伝説しか知らないような小説の無力さを知るような時代では、まだない、ということですから。 | ||||
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あらかじめ断っておくと私は猛烈な村上春樹ファンという程ではなく、「海辺のカフカ」を読んだあと、その読者達とのやり取りをまとめた「少年カフカ」に目を通し、その中で「ねじまき鳥」の評判がとても高かったので今回「ねじまき鳥」を読んだという程度の俄かファンです。「海辺のカフカ」を読んだときの最初の読後感と同じように、今回も他の小説家達の作品とは比較が難しい非常にオリジナリティのある作品、まさに「春樹ワールド」だなぁと強く感じました。主題になっているテーマは、人の存在や意識、暴力や死と言ったとりたてて珍しいものではないのだが、作者の軽妙な筆致とテンポのよさでファンタジー?というか非常に読み物として面白い。私は今回夏休みに離島リゾートの浜辺でゆったりと衊??んだが、私のようににわかファンという方にもオススメできる作品です。 | ||||
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第1部で、妻を失ってしまった主人公は、妻を捜すために、行動を起こします。人の顔を1日中眺めたり、井戸の中に入ったり、占い師と交際したり・・・あまりに辛い現在に、外国に行こうとする主人公。主人公は妻を取り戻すことが出来るのでしょうか? | ||||
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気付いていなくても,誰にも心の傷はあるだろう。闇の奥から微かな光が見えてくるように傷に手を当て、自らの足で、心の奥の難題にゆっくりふらふらとねじまき鳥の声を頼りに向かってゆく。自分は一体何を望むのだろう。愛したと思ったおまえは誰なのか。いつのまにかクロニクルの不思議な世界をどこか自らの体験としてたどっている。どうしても最後まで読まずにいられない。 | ||||
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主人公岡田は、妻を取り戻す為に前進してゆく。そう、全てはあの女からの1本の電話から始まったのだ。あれから岡田は変った名前の人物たちと会い、彼らの協力を得る。そして自分が目指す相手が一体誰なのかはっきりと理解するのである。ただ、彼にはその相手に近づく手段がない。彼に今できることは、人が人を呼ぶことである。そして傍目にはマイペースな生活を送りながら、彼は待っているのである。待って、そしていつか行動を起こそうと思っている。でも、一体何を待っているのだろう? | ||||
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