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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全21件 1~20 1/2ページ
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やはり私的に彼の絶頂本は1Q84ですね。ここでも作者のフレーズは相変わらず素晴らしいですが、彼が何故にノーベル獲れないのかが良く理解できる作品だと思いました。 | ||||
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上下巻を購入して、まずは上を読了。まだ先が読めない展開ですが、とにかくあらゆる状態の描写が回りくどく、長い。これは要約して半分にして、上下巻を1冊にしたほうがスッキリと読めたのではないかと思います。村上ファンは、このくどさが好きなのだろうか。集中力を維持して上下巻を読むには、気力が必要です。 | ||||
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下巻になって主人公の一人が地底を駆け回る描写あたりからどうも水増しに思えてきて萎えた。 思わせぶりな象徴やた符号やら風呂敷を広げるのは構わないが、それらがいっこうに畳まれる感じがしない。 ここからは必殺の速読で乗り切るつもりだ。 | ||||
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つまらない。慶應経済卒に勧められて。あっさり終わるんだな、村上春樹さんの本は人それぞれだが、ノルウェー以外大したことはない。エロエロ小説に浸るの? | ||||
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初めて村上春樹さんの本を読みました。 どういう本をお書きになるかという意味では参考になりました。 | ||||
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初めて村上春樹さんの本を読みました。 どういう本をお書きになるかという意味では参考になりました。 | ||||
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「ノルウェイの森」を読んで、アンチ・ハルキストとなった私だが、本作を読んでも作者に対する印象は余り変わらなかった。「ノルウェイの森」よりは多少マシかなという程度。全体構成に工夫を凝らしてはあるが、結局、様々な不満や束縛はあるものの<自我>が存在する世界と、ユートピアの様に完全ではあるものの<心>が存在しない世界とでは、読者はどちらを選択しますかという問い掛けをしただけの作品である。それにしては、大ゲサな創り。 計算士(人間暗号・復号器の様なもの)の「私」の視点から描いた冒険譚(Alice in Wonderland)と、壁に囲まれた謎の街(カフカ「城」を想起させる)に閉じ込められた謎の「僕」の視点から描いた幻想譚(End of the World)の章がカットバックで描かれる。しかし、普通に読み進めれば、「私」と「僕」の関係は明白で、何のためにこのような構成を採っているのか理解に苦しむ。ちなみに、冒険譚の中に出て来る「中央研究所」のモチーフというのは、日立の(中研)の由で、冒頭でエレベレータのシーンが出て来る理由は日立の関係者にしか分らないというお粗末さ。また、「ノルウェイの森」でも感じたのだが、セックスの扱いに関する作者のお手軽さが生理的に好きになれない。食事(というか料理法)に関して描写がクドイのも、作者の趣味だけに留めて欲しい所で、作品に反映させて徒に頁数を増やすのは止めて欲しいと思った。読者層にもよるが、引用される映画、音楽が古過ぎるのも如何なものか。 テーマが限定されているので、半分以下の頁数で全てを簡潔に描き切れたのではないか。ワザワザSF的設定まで用意して、長々と語るべき程の内容ではないと感じた。こうした構成を"文学的"だと錯覚してしまう読者が多いのかなぁ~と残念に思った。 | ||||
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これは村上春樹がバドワイザーかなんかを飲み過ぎて酔っ払って、ベッドの中で見た夢をもとに小説に書いたものだろう。 夢の中だから誰ひとりとして名前がない。 あれだけ危機を共にしたというのに最後まで「ピンクの服の太った女」だし、何度も寝たというのに最後まで「図書館の女」でしかない。 ケイコだのハルミだのという名前があってはいけないのだ。 確かにおもしろい、夢の中の心と命の物語だから。 長いけど一気に読むことができた。 縦横無尽の空想力を駆使して、何でもかんでも書きたいように書けばいいんだから。 でも正直な感想は、わかんね~よ、だ。 科学小説でも哲学小説でも宗教小説でもない。 どんなに好意的に考えてもつじつまが合っているとは思えない。 筋を追えばほとんどデタラメと言って言えないこともない。 そのデタラメなストーリーに難解な生死と人間の心の世界をこれでもかと理屈っぽく織り交ぜて書いてゆく。 なんだかよくわからないユーモアつきで。 大方の素直な読者はダマサれる。 村上春樹ってすごいんだな、人間ってものを知ってるんだろうな、たいしたもんだな、と。 村上春樹は「なんだかよくわかんない小説を書いたからみんなそのわかんない不思議な世界を楽しんでよ」と言っているだけだろうと思う。 決して人間の精神世界を解き明かす、なんてことは考えてはいない。 ワンダーランドを書いただけなんだ。 まともな常識的神経で読んだら腹がたつかもしれない。 勝手なことばっかり書きやがってフザケルナ!という人だっているだろう。 不思議な世界を直感力みたいなものだけを使って読める人だけがこの小説を楽しめるのだ。 この小説を傑作だなんて言ってる人も、すべてを理解しているわけじゃない。 だってわかるようにはできていないのだから。 作者はダンボールの中のガラクタをぶちまけるように物語を書いて、さあみんなで好きなように考えてと言っているだけだ。 読者は自分なりに作者の意図を考えて、たぶんこういうことなんだろうと思っているのだ。 そしてこの作品の風景や空気みたいなものを感じて「すばらしい」と言っているのだと思う。 で、結局どうなったの?と誰もが思っているはずなんだけど。 それにしても村上春樹はこれでも本当に日本人かね。 出てくる食べ物、酒、服、音楽、小説、なにもかも全部洋物だ。 主人公は大量にビールばかり飲んでいるが、場所は東京だっていうのにキリンやアサヒを飲んだためしがない。 何もかもが横文字の西洋モノだ。 そうでもしないとなかなかノーベル賞にひっかることはできないんだろうな。 海辺のカフカほか5作ほど読んだけど、もう村上春樹はよくわかった、これが最後だ。 良くも悪くも唯一無二の小説家だな。 | ||||
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村上春樹歴的には、1Q84を4年前に読んだだけで、そのときは、なん だかよくわからないけどもぐいぐい引き込まれる!と思いました。 面白いっちゃ面白いなーと思いました。 そして、時を経て、評価の高そうなこの世界の終わりと~を読んで みました。 なんだか、斬新な小説だなー、、という感想。 面白いような気はするんだけど、いまいち素直に入り込めないこの感じ。 まー面白かったような気がするけど、読まなくてもよかったかなー、という なんとも言えない読後感。 村上春樹のこの独特な雰囲気が好きな人には面白いんだと思いますが、 個人的には、池井戸潤のわかりやすくてスカッとする作品を読んだ方が 面白いし、元気が出ると思います。 (余談かもしれませんが、普通にそう思いました。) | ||||
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世間で評判の村上作品。 気にはなっていたので読んでみました。 どの作品にするか迷いましたが、ピースの又吉さんがオ ススメの一つにあげていたので本作品にしました。 感想。 自分には人気の理由がいまひとつ分かりませんでした。 10代の頃によく読んだ眉村卓や星新一のSF小説を思 い出しました。 あのころであれば、自分もハマった気がします。 藤沢周平作品などの簡潔明瞭な文章になじんでいるため か、文章がスーっとはいってきませんでした。 しばらくしてまた読み直したら、かわってくるかもしれ ません。 | ||||
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今まで村上春樹作品を食わず嫌いをしておりましたが これ程話題になっているのに読まないのは勿体無いと思い 代表作とも呼ばれている本作を手にとりました。 やはり評判になるだけはあり、読みやすい文章、引き込まれる展開、 巧みな描写表現はさすがとしか言えませんでした。 ただ結局主人公は何のために動いていたのでしょう。 ところどころに書き込まれる主人公の主観的風景。そして有名なSEX描写。 ストーリーと関係が無い無駄な動きをする中で、彼の世界が終ってしまうと言われても 主人公は指示されたことをするだけ、受け身的に流されるだけでした。 周囲に何が起きても彼自身は頑なに日常を送り続け、 何かが解決されたり改善されることも無く話は終わってしまいます。 そしてラストは「世界の終り」と「ハードボイルドワンダーランド」という二つの平行するが 漸近し、交わるかと思った瞬間に話が終ってしまいました。 お互い主人公達は何のために、何を行って、どうなったのかも分からないままにです。 また何度も引用される難しい言葉や知らない音楽は読んでいて辛かったです。 これは発売された世代が違うのが問題だと思いますし、私自身の知識不足もあるかと思います。 ただ大半が知らないものなので全く共感できませんでした。 この本を楽しめる人は、そういう難しい言葉を最初から知っている人であり 後から難しい言葉の意味を調べて知ったところで多分楽しめないのだろうと思います。 それは格好良い人の服装だけを真似して、中身が伴わないようなものなのでしょう。 そういった意味では私にはこの本の面白みを感じることはまだ難しかったようです。 | ||||
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小説として面白いとは思えなかったが、本作が1990年代の旧エヴァを経てセカイ系に繋がる問題構制を1980年代に先取りし、アニメやゲームなどのポップカルチャーに影響を与えた点は注目に値する。 安倍吉俊監督のアニメ『灰羽連盟』は本作の「世界の終り」を範としている。またゲーム『AIR』『CLANNAD』の脚本を担当した麻枝准は、本作から強い影響を受けたと語っている。 日本文学の中で、必ずしも高い評価を受けてこなかった村上春樹が、なぜ世界中で読まれるのか。それは現象としては、日本製のアニメやゲームなどがオリエンタリズムとは無縁なポップカルチャーとして海外に輸出されている状況と連動していると見るべきだろう。翻訳上の問題が殆どない透明で平易な文体(これは吉本ばななも同様である)で書かれているということも大きい。 村上春樹は英語圏ではスリップストリーム(主流文学とSF・ファンタジー等の通俗文学との境界解体)やアヴァン・ポップ(前衛文学とポップカルチャーの融合)の枠組で捉えられているが、そういう観点から見た無国籍的で匿名的な日本文学としては、安部公房の系譜に連なるものともいえるかもしれない。 村上春樹の場合は、1960年代の学生運動の挫折という社会的背景もあったのだろうが、社会関係への参与を拒絶し内面性に引きこもること(村上春樹がいう「デタッチメント」)、現実を見ないことで傷付くことを避け、自己を防衛するという傾向があり、本作で描かれる「世界の終り」はその産物である。 それは主人公が潜在意識内で作り出した一種の仮想世界であり、外界から壁で隔てられたその街は、快楽も苦痛もない、アパシー(無感動)の、不死の安らぎの世界である。しかしそこでは主人公は心を、つまり自分自身を喪失せざるを得ない。本作はそのようなジレンマを幻想的な物語として表現しているが、総じて自閉的な独白に終始しており、そこには旧エヴァのような内在的な批評性も希薄である。結局、資本制のグローバル化による生活環境の均質化を背景に、孤独な個人が抱える喪失感を自己愛的な物語に解消しようとする癒しと慰めの装置でしかないのではないか。 東浩紀(『クォンタム・ファミリーズ』)や宇野常寛(『リトル・ピープルの時代』)は、かつての蓮實重彦や柄谷行人等による村上春樹批判に抗い、特に本作に着目して村上春樹をポップカルチャーの文脈で再評価し、かつ批判的に乗り越えようとしている訳だが、彼等の春樹評価は、柄谷・蓮實以降の批評が春樹を文学的にdisってきたことの反動で過大になっており、かなり無理があるように感じられる。 | ||||
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タイトルが大袈裟だ。個人的な小さな世界に、このタイトルとは!自惚れが過ぎる。 村上春樹の小説をいくつか読んで、いつも思うことがある。主人公は、いつも被害者意識を気取っていて、自分が加害者になることには極めて鈍感でいる。自分の命はとても大切で重たいが、他人の命はコピー用紙1枚のように薄く軽い。その上、いつも女性にもてることを自慢する。世間はバカにするためにあり、人生はファッションだと思う。無意味にレトリックを連発し、ブルックナーの交響曲もBGMとして聞き流し、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」までお洒落のパーツとして飾ろうとする。ふざけているのか?と思うと、意外と真面目に悩んでいるように振舞う。この感覚が気持ち悪い。 しかし、文章は読ませる。まるで大きく膨らんだ柔らかい食パンのような文章だ。原材料は少ないのに、食べ応えがある。独特の風味がある。そして、食べやすい。この文章力は、イースト菌の力なのだろう。発酵させる力で長編小説をものにする。 「世界の終わり」には、冷たい詩的な世界があり、「ハード〜」には、等身大の30代の男性がいる。「海辺のカフカ」のような、中年女性がセーラー服を着てアイドルを気取るような違和感はないし、「ねじまき鳥クロニクル」のような悪趣味も比較的少ない。但し、悪役の演出は、難解というよりも稚拙だと思う。企業の本質もまるで理解していない。 村上春樹は、世界で多くの読者を獲得しているらしい。作家として大成功だろう。しかし、自分の趣味に合わないものを冷淡に批判するから、作用・反作用の法則が働いて、愛読者以外の読者から反感も買う。私のように。我々は、お互いに気持ち悪い存在なのだ、ということにもっと想像力を働かせていただきたいものだ。他人に対してだけではなく、自分に対しても。 | ||||
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どうも村上春樹氏は短編から拡張させて長編を創作しているようである。 そのせいか初期の長編のこの作品においても、良くも悪くもツギハギ感がある。 そのせいだと思うが、面白い箇所と面白くない箇所がはっきりわかれる。 また伏線っぽい箇所が、結局はあまり発展しないことが他の作品でも時折指摘されているが、そのせいではなかろうか? 普通の小説は起承転結等の技法で一本筋を通すことによってリアリティーをつくりあげるが、それに比べるとツギハギ的で、コラージュ的な要素がある村上氏の小説は、一見散らばっているようにも見える。けれどもよく考えてみると、我々の生活というか人生は普通の小説のような起承転結は通常ではありえない。あたりまえのように複数のことが同時進行するし、自分にとっては重要でないことが突然起こる。 この小説での小便の描写に、それが良く現れていると思う。どんな素敵な恋愛をしていても、どんな緊迫した場面でも、人間は小便をするものだ。その他にも、命をねらわれているかもしれないという状況で、待ち合わせの暇つぶしでポスターを観察していたり、インディージョーンズさながらの暗闇の脱出劇中にまったく関係ないことを考えていたりする。そういう感覚において、村上氏の作品には真のリアリティーが宿ることもある。(逆にバラバラになりすぎて失敗していることもある。) この作品はSF的な土台に、そういう混沌としたリアリティーを盛り込んでいるんだと思う。この作風は僕と鼠のシリーズの初期の三部作にも見受けられます。 | ||||
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有名な村上春樹に初めてチャレンジしたのがこの作品。 2つの物語が交互に進行して行きますが、読み終えても両者のつながりは 自分にはよく分かりませんでした。「ハードボイルド〜」の物語が終了後、 その主人公の精神が作り出した世界が、「世界の終り」につながるような 気はしましたが。 「ハードボイルド〜」では、お酒や音楽に関する記述が度々現れますが、 それらは作者の趣味・嗜好なのでしょう。地下から脱出する場面等では、 物語がそれなりに盛り上がりますが、引き込まれるほどのおもしろさは 感じられませんでした。 「世界の終り」は淡々と話が進んで行きます。終盤、主人公が、「心が ない」とされる彼女の心を読み取って行く場面など、美しい描写がいく つかありました。 冗長的な比喩表現などによって、読み終えるのに非常に長い期間を要し ました。得てして、おもしろいと感じる物語は、ドンドン先に読み進め、 すぐ読了となりますが、本作品はそうは行きませんでした。 ですが、ところどころに、考えさせられる抽象的な表現があり、再度 注意深く読めば印象がガラリと変わり、名作になるのかもしれません。 しかし、自分にはその気力も勇気も今はなく、しばらくは本棚の飾り となる見込みです。 | ||||
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ストーリーは非常に良かったと思う。展開に引き込まれ、早く次が読みたいという衝動に駆られた。もっとも、長い比喩や比喩としては難解に過ぎるものが多く、それらは読み飛ばしたいと思ってしまった。冗長な比喩表現が物語の展開の足を引っ張っていると感じた。設定や人の心に着目した点、それを表現しようとしている点は評価できるが、心がないこととの対比を生かせなかったように思う。世界の終わりの図書館の女性など、心がないという点は強調されているが、心がある者と対比や差が伝わってこなかった。個人的には、影に最も感情移入できた。 | ||||
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毎日 1ページくらい読んでます(睡眠前に) 面白いとは思うのですが、 なぜか 眠くなってしまうのです。 頭のいい人には すぐにわかる内容なのでしょうが、 言葉をかみしめながら 読む癖のある私は、 読んでるうちに 、とっても眠くなってしまうのです。 眠れない人には 、 お勧めできるかも 、 それとも私だけかも、 そのときはお許しください。 | ||||
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村上春樹初期4部作、他4冊ほど読んでそれなりに面白かったので今回この世界の終わりとハードボイルドワンダーランド を読んで見たのだが、 食べ物、音楽の曲名がこまごまと書かれていてうざったく感じた。 食べ物、音楽に関しては村上氏の小説の手法ではあるが他の作品では、 あまり感じなかったが今回は特にうざったく感じた。食べ物、音楽でなければその時の感覚を表現できないのだろうか? その食べ物、曲を知らない人には何も意味をなさないのではないか? 村上氏は読者が皆自分と同じように食べ物、曲を知っていると思って いるのだろうか? この小説を読んでいて村上氏にちょっと失望した。 | ||||
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たまたま、米国でベストセラーとなったスティーブン・ピンカーの「人間の本性を考える」という本を読んだのだが、「世界の終わり・・・」は、この最先端の認知科学により解明された事実を材料に無理して小説を作ったようなところがあって、特に小説の半分のパートでる「世界の終わり」の方に無理がある。個人的には「海辺のカフカ」の方が小説としての完成度が高い。 | ||||
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二つの物語が交互に展開されていきます。世界の終わりでの<僕>ハードボイルド・ワンダーランドの<私>が不可思議な世界へと入り込んでいきます。 村上春樹の小説の一人称ってのは大抵「僕」ですけど、この小説に限っては「私」の方が面白い気がします。村上春樹の小説って大抵の場合、洋楽とか映画とかの曲名だったり俳優の名前が登場します。一見特に意味のなさそうに見えるこれらの引用ですが、不思議と春樹作品には重要な気がします。むしろこの引用がないと話がつまらなくなると思います。今回、こういった引用が多々出てくるのは「私」の方の物語なんですよね。で、「私」の方が大人っぽい。「僕」は「私」に比べると子供っぽいし、上記した引用があまり出てこないのでいまいち面白みに欠けます。 春樹作品ってなかなか一口では語れないんですよね。そこが良い所でもあり悪い所でもあるような気がする。だって意味不明ですからね。完全な自己満小説だと評価する人もいるでしょう。僕はといえば・・・まあ、中立ですかね(笑)春樹作品は物語を楽しむんじゃなくて、物語の中に流れ続ける不思議な空気とか雰囲気などを味わうものだと個人的には思います。('-,_ω-`)プッ | ||||
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