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1973年のピンボール



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1973年のピンボールの評価: 3.82/5点 レビュー 135件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.82pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全89件 41~60 3/5ページ
No.49:
(5pt)

素敵な表現の宝庫

村上春樹「1973年のピンボール」の英語版。
英語の勉強で読みましたが素敵な表現の宝庫です。
「涙を誘うのも哀しい話」 pathetic tear-jerkers
「冗談半分のでたらめ」 jumbles of half-nonsense
「成績でAばかりとってる優秀な女の子がしそうな笑い方」 a sort of straight-A coed smile
「雑魚寝をした」 fall asleep sprawled out any which way on the floor together
「映画の半券」 a movie ticket stub
「実状はまあそんなところかな」 That's about the size of it.
「田舎の単線の電車」 one-track local railroad
「赤い頬をした」 rosy-cheeked
「とても物静かな男」 an ultra-quiet type
「すごい金脈を見つけた」 had struck a real gold mine
「オンザロックを作る」 fix drinks-on-the-rocks
「何月何日までという締め切り」 deadline:such and such a date
「雑費」 incidental expenses
「5対4という配分」 five-hour aplit
「20代半ばの全盛時」 the prime of mid-twenties
「差し歯」 tooth-cap
「南向き」 southern exposure
「まるまる1時間かける」 spend one solid hour
「わずかな夏の名残がとどまっていた」 some small reminder of summer lingered on
「本当に苦しい羽目に陥る」 be in a real fix
「細かいことをきちんと説明する」 put the pieces in place
「ゆくゆくは」 by and by
「流行の」 in style
「その他」 and what you have
「とにかくひどく眠かった」 felt just plain sleepy
「呆然として」 dumb struck
「ご苦労様」 Much obliged.
「きっとかなり大変でしょ」 Bet that must take some doing,eh?
「彼はそれで本当に参った」 That did do it for him.
「同時にうなずく」 nod in unison
「死に掛かっている」 on its last legs
「ごくわずかの可能性」 an outside chance
「彼の心を奪う」 claim his heart
「死を予感した象のように」 like an elephant that knew its time had come
「おせっかいな」 officious
「平坦な抑揚ない声で」 a flat,unmodulated voice
「魔法瓶」 a thermos pot
「故郷」 the old homefront
「贅肉の無い」 free of excess flesh
「育ちの良い」 a good upbringing
「断面図」 cross-section
「花粉症」 hay fever
「超一流の」 top notch
「上々である」 Getting there.
「高架の高速道路」 elevated expressways
「疲れているように見えた」 looked shot
「空っぽになってしまったような気がした」 felt emptied out
「特に上機嫌で」 in paticularly good spirits
「ゆったりと広がっていった」 occupied a good spread
「頭がくらくらする」 light-headed
「日々の慌しさ」 the day-to-day bustle
「いちゃいちゃする」 make out
「大勢の女の子をものにした」 had myself a string of girls
「実にそんな具合だった」 That pretty well summed it up.
「どこからともなく」 out of nowhere
「うとうとする」 nod off
「その思い出に耽る」 dwell on the memory
「前に進むことも、後に退くこともできない」 No progress,no setbacks.
「物思いにふけって」 lost in thought
「おやすみ」 you get some shut-eye
「足がかりも見つからないまま」 without gaining a foothold
「忙しく動き回る」 buzz around
「時代遅れになる」 fall behind the times
「ほっとした」 took a load off me
「不思議な星の下に生まれた」 was born under a strange sign
「漫画の吹き出しのように」 like baloons of dialogue in a comic book
「ツキが僕を見放した」 Luck had lost all sight of me.
「潮時かもな」 Maybe the tide's going out.
「一ミリの狂いも無く」 not a fraction of an inch off
「うんざりした顔つき」 bottomed-out expressions
「胡散臭そうに僕を眺めた」 gave me a dirty look
「観葉植物の鉢」 potted ornamentals
「記念品」 keepsake
「時々」 off and on
「電話のむこうで」 on the other end of the line
「砂漠に水をまくような仕事です」 It's like sprinkling water over desert.
「一流の技術者」 crack technicians
「最先端の発明」 state-of-the-art innovation
「行方」 whereabouts
「テクニック中心だった」 I was geared to technique.
「どこかの酒場に行き着く」 wind up in some dive
「運を天にまかせた動物」 hit-or-miss creature
「もっともらしい顔で」 with an anything-you-say sort of expression
「無意識に」 of its own will
「たちまち」 in no time at all
「思い出せないくらい」 beyond recall
「おきまりの手順」 the routine of setting up
「今度会った時に」 next time our paths cross
「どこまでも」 to who knows where
「寿命が切れた」 Expiration date's up.
「うそだろ」 Come off it!
「続きの」 tail-end of
「恋人達は愛をささやいていた」 Lovers whispered sweet nothing.
「もと来た道を戻った」 retraced my steps
1973年のピンボール 1973 PINBALL 【講談社英語文庫】Amazon書評・レビュー:1973年のピンボール 1973 PINBALL 【講談社英語文庫】より
4770022085
No.48:
(5pt)

ヒットエンドラー

「1973年のピンボール」を有隣堂で見掛けた時、私は、よく片岡義男を愛読していた。
 この図書とピントが合うのは、起用されているIllustrationだろうと思われる。本屋で中身をチェックした模様、七瀬ちゃんの影響を受けていると見受けられた。七瀬ちゃん本も何度も読んでいるので、あっさりと買い付けた。
 処女作「風の歌を聴け」をその後、買ってみたら哀愁あるムード感溢れる作品だな、と心に止めた。「羊をめぐる冒険」でもそれらの雰囲気が醸し出されている。が、吊っているのがこの図書だと確現する。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.47:
(4pt)

過去にとらわれずに

村上春樹の小説が、今でも読まれ続ける理由の一つとして、説教がましくないということがあると思います。村上は、現状を特に肯定するでも、否定するでもなく、自分だけの価値観を見出そうとしているのです。その価値観に含まれるのが、ジャズであったり、今回のピンボールマシーンであったりするわけです。そうした小道具の出し方も、嫌味がなく、適度な距離が保たれています。主人公である「僕」は、失われたものに想いを馳せますが、無批判にそこへ浸るわけでもなく、冷静に現在を見据え、現実と折り合いをつけていきます。過去の甘い思い出に囚われることなく、「僕」は歩き続けるのです。そこには、ブローティガンの「優しさ」とヴォネガットの「悟り」、そしてチャンドラーの「ハードボイルド」が垣間見れます。
押しつけがましくないノスタルジアと、現在に対するクールな視線。そこに村上春樹の小説の魅力があるのではないでしょうか。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.46:
(5pt)

時代の変化

3部作の中で一番地味な感じは否めないけれど、 一見見落としそうになる、 要所々にちりばめられたメッセージが素敵な本書。 この作品は全体を一通り読破した後に読み返すことで、何度も何度も味が出てくるものだと思われる。 鼠の心の闇はどこかで<僕>の心の闇でもあった。 二人とも、生きている確かな心地が欲しかったのだと思った。 生れつき金銭的に不自由さのない鼠は「資本主義国家」においては何もしなくても「強者」であり、その「強者」という社会からの価値観を半ば脅迫的常に押し付けられる形でしか生きられなくなっている。 その社会からの決めつけられた価値観と自分の心とのギャップを埋められず、迷走している。 物質的なものが重視され精神的なものが疎外され言葉を失う若者達。 このような3部作構成になっていると大いに「時代」の流れが流れ通りに感じられる気がして とても面白い。 特にこの作品には時代が生み出した「空虚感」が大いに漂っており、これが次の作品の冒頭に受け継がれていく。 全作を読み通した後でまた読み返したくなる作品。
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4061168622
No.45:
(5pt)

時間の欠片。

この作品と『風の歌を聴け』は、芥川賞の候補策になりました。
しかし、世界的に共感をよぶ作家になった現在、この2作は未熟であったとして海外翻訳を行っていない作品として知られています。
未熟な部分を読み取ろうとすれば、「テーマがない」ということになるのではないかと思われます。
物語というよりも、いわばスケッチのような文章と時間の断片をパズルのように組み合わせた構成がなされています。
未来が予測できないものであることは判っていますが、この作品では、過去も現在もそれほど確かなものではないのではないか、という思いを抱かせます。
生きているという実感が薄らいでいる都市に住む若者の”気分”の描写に成功した作品ではないかと思うのです。

村上氏の作品は多分に作者を想像させられます。
主人公鼠が町を出ようとする件などを読むと、村上氏が専業作家になる為に経営していたジャズ喫茶を手放したことと結びつけてしまうのです。
瑞々しさが感じられ、とても好ましいと思っています。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.44:
(4pt)

評価の難しい一品

例えば風の歌を聴けとかノルウェイの森とかは「好き」「嫌い」もしくは
「あう」「あわない」である程度論ずることが可能だと思う。
しかし、この「1973年のピンボール」はそうした二者択一的な、評価を受けつけない作品だと思う。
言ってしまえば「よくわからない」のである。
本作はそれほど長くない小説でありながら、風景描写がとても丁寧だ。
多分村上春樹の作品の中でも一、二を争うほどの繊細な描写だと思う。
一方でなぜ配電盤の葬式を行うのか、なぜピンボールに執着するのか、双子の女の子は何を表すのか、と言った点が非常に難解である。
というか、今までこの謎に対し、納得のいく書評を読んだことがない。
他の方のレビューを読んでもみなさんこれらの点について上手く咀嚼できていない方がほとんどだと思う。
そういった意味で取っ組みにくい作品であるし、一義的な評価を受けつけない作品なのだと思う。
個人的にはあまり好きなタイプの小説でない。
この作品で「あり」と思えるなら、世界の終わりとかねじまき鳥なども違和感なく読めるのかもしれない

ということで☆4つ
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.43:
(5pt)

最後の2ページが好きです

それまでなにも考えず、ただ読んでいましたが最後の2ページが僕は好きです

この小説は3部作の第2弾になってるようですが次も楽しみになりました


1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.42:
(5pt)

好きな本で、英語の勉強を。

英語の勉強の強力なツールとしてDVDの字幕があります。英語を聴きながら英語の字幕を表示するのが一般的な使われ方でしょうが、英語を聞く耳を鍛えるほかに、英語をしゃべる力も身につけなければなりません。我々日本人はどうしてもとっさに日本語が頭に浮かぶので、自分のよく使う日本語表現の英訳の引き出しを多く持っておくと便利です。したがって、私は邦画DVDに英文字幕がついているときは、英文字幕を表示させます。

しかし、DVDプレーヤーやPCをいつも持ち歩くのは不便。そういうときに、自分が好きでほとんどそらんじているような日本文学の英訳本があると便利。このポケットに入る薄い英訳本はそのニーズに応えてくれます。丁寧に訳され原作のテイストを十分伝えていることは、随分前に上梓され、今もなお市販されている事実が十分証明しているでしょう。好きな村上春樹の名作を英語で読めて、こう訳すのか、という発見に満ちた優れた本です。
1973年のピンボール 1973 PINBALL 【講談社英語文庫】Amazon書評・レビュー:1973年のピンボール 1973 PINBALL 【講談社英語文庫】より
4770022085
No.41:
(4pt)

不思議な読後感です

途中まで、”赤の他人の一般人の平凡な日常生活を描かれても面白くない”と書こうと思っていました。しかし、最後に不思議な世界が待っていました。読後感は何とも言えぬ不思議なものです。同じ話を自分が書いたら、とんでもなくつまらない文章になるでしょう。そんな話を不思議な作品に作り上げてしまう事を、まだ、理解できずにいます。なぜ?どうやったの?どこが不思議なの?手練手管で飾っているわけではないです。奇をてらっているわけではないです。不思議です…
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.40:
(5pt)

haruki

講談社の英語文庫です。村上春樹の小説の英訳です。村上春樹の小説は英訳になじむような気がします。英語はそんなに難しくないのですが、暗喩的な表現もあり、わかりにくいところも多々ありました。一部、心象風景の描写は、非常に共感できるものもありました。巻末の注釈がるのは、とても便利だと思います。村上春樹の雰囲気は良く味わえると思います。
1973年のピンボール 1973 PINBALL 【講談社英語文庫】Amazon書評・レビュー:1973年のピンボール 1973 PINBALL 【講談社英語文庫】より
4770022085
No.39:
(4pt)

Finally! Back in Print!

A few years before his translation of Murakami's third novel A Wild Sheep Chase would debut in America, Alfred Birnbaum was interested in bringing the literary world of Murakami Haruki to an English speaking audience. His first translation was Murakami's second novel Pinball, 1973. Birnbaum had hoped that the novel would be distributed internationally by Kodansha, but instead it and Birnbaum's 1987 translation of Murakami's debut novel Hear the Wind Sing were regulated to Kodansha English Language Library. This meant that instead of reaching a broader audience, the translated novel would solely be released in Japan with an appendix at the end that explained several obscure English terms.

Unlike the translation of Hear the Wind Sing, Pinball, 1973 soon became out of print and with the growth of Murakami's popularity and his reluctance to have either Hear the Wind Sing or Pinball, 1973 released to a wider English speaking audience, the book has become quite a collector's item fetching between 350-500 dollars on Ebay and the like. However, is the novel really a good read? I would say that it is near vital in understanding the formation of Murakami's writing and the importance of his distant first-person narrator.

Having won the Gunzo literary prize for new writers in 1979, Murakami penned Pinball, 1973 at a table within the confines of his bar called Peter Cat. Within this thin tome he returned to his characters "Boku," a masculine personal pronoun, and his friend the Rat. Whereas the first book was a bit disjointed and seemed more like a collection of vignettes than one cohesive story, Pinball, 1973 is a bit more cohesive and Boku actually has a goal: to find a long lost pinball machine called the Spaceship. Actually, the novel consists of two narratives: the first person account of Boku and the third-person account of the Rat. The two friends never meet each other within the book nor do they even mention each other, but there is a loneliness within the pages of the book that makes it evident how important the friendship they share is in between them.

After graduating college, Boku and a friend start a small translation business and are successful enough to hire a pretty secretary, whom Boku will later marry, and live with comfort. However, there is emptiness inside Boku as he continues to translate useless articles concerning such things as ball bearings and the like. One morning this emptiness is slightly filled when twin girls appear on each side of Boku in his bed. Cute and perfectly identical, the twin girls take care of Boku's needs, but he longs for something more: his deceased girlfriend Naoko and the Rat. Naoko is mentioned within the pages of Hear the Wind Sing as a French major who hung herself near the tennis courts. It is not evident within that book how much the suicide effected Boku, but within this book we learn that after her death he spent all of his time within an arcade playing the Spaceship pinball machine and he became quite good at the machine and fully understood it, something that he was unable to do with Naoko. He eventually almost forgets about the machine, but one day it pops up and grabs his heart and he decides to go on a quest to find it and his own history in the process. Unlike Boku who has at least a goal, the Rat broods, drinks alcohol, and chain smokes. His depression is quite deep, and the reader learns why he flees to Hokkaido within the pages of this book.

Whereas Hear the Wind Sing is quite barebones and its sentences clearly show Murakami's newness as a writer, Pinball, 1973 displays a maturing Murakami whose world of magical realism is beginning to form. However, in my opinion, the true power of the novel is Murakami's emphasis on desire and substitution of the desired object when the original is no longer available. A pretty powerful novel that unearths many of the themes that would continue to grow in Murakami's body of literature for twenty-five years plus after this novel was published, Pinball, 1973 is invaluable in understanding Murakami's body of work and two of his most important characters: Boku and the Rat.
1973年のピンボール 1973 PINBALL 【講談社英語文庫】Amazon書評・レビュー:1973年のピンボール 1973 PINBALL 【講談社英語文庫】より
4770022085
No.38:
(5pt)

あれこれ興味深い作品

本作は、後の作品に向け種を蒔いた恰好だ。「ノルウェイの森」「午後の最後の芝生」「ねじまき鳥クロニクル」「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」「アフターダーク」といった作品それぞれにおけるキーワードが、本文中にさらりと出てくる。これだけ多くのキーワードがこれほど早い時期に既に出ていたというのには驚きだ。まさに村上春樹の出発点となる作品である。勿論、これはこれで一個の世界をつくっている。最も面白いのは、氏の他の作品では「突然の喪失」が多いのに対し、ここでは失う時にも誰かが「見送る」ことだ。例えば、〈僕〉は、同じアパートに住む少女の引越を見送るし、〈双子〉が帰るのも見送る。喪失しても暗くなりきらないのは、送別があることに救われる部分があるからだろう。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.37:
(5pt)

この頃から既にムラカミは・・・・・

 「1Q84」の2009年に作者のデビュー連作を再読することはなかなか面白いもので、「1Q73年のピンボール」と言ってもいいような本作、既にパラレル・ワールドの世界が見え始めている。1973年という年は、既に「古き良き時代」とはいえないかも知れないが、それなりの青春の輝きのようなものがあったアナログの時代であった。
 ジューク・ボックスから流れてくるのがあのジャクソン・ファイブというのも、マイケルの訃報を聞くにあたり、まったくの偶然とも思えないのだ。
 ピンボール・メーカーとして"BIG4"の時代があった当時、世界のAccounting Firm は"BIG8"の時代であった。これまた、懐かしい。
 1968〜69年という世界的な学生を中心とした「革命の時代」が過ぎ、1973年というこれから迎えるオイルショックも目前という時代、そうまだ何が起こるかわからない時代。そして、そう、「何もかもがすきとおってしまいそうなほどの11月の静かな日曜日だった。」のだ。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.36:
(4pt)

ゆとりの僕が解釈

僕は村上氏の生きた時代背景は良く分からない。知っているとすれば全共闘時代の中に青春を見出した世代のひとりというイメージがある。それは扨置き。この作品は、全く世代の違う現代に生きる僕がこの作品に対する解釈を許してはくれなかった。だが無理矢理理解した結果以下のようになった。 若者が資本主義社会に埋没し、都会の喧騒の中リアリズムを模索してゆく暗い闇のお話しに感じた。戦争があるわけでもなく、ただなんとなく生きていられる。いくら女を抱いても、物に自身を投射しても自身の価値を見出だせないであぐねいている若者の物語と感じた。何も生み出さないピンボールに力を注ぎマニア並に知識を得て満足する姿は現代のオタクを連想させる。現実から逃れ、自身の妄想世界に自身をやつすことでしか現実感を獲得することもできない人間を連想させた。結果的にそれらからは「何も生まれないし何も得られない」。そんな空虚と虚脱感を感じた。 見知らぬ土地にいって何もかも終わらせてしまいたいのも、孤独を紛らわすためにリアリズムを感じさせない妄想的双子を登場させたのも作中の登場人物の絶対的孤独感の紛らわしに過ぎないと思った。そして次々に襲う不安定な感覚に僕らはやり過ごすことしかできないでいる。結果なにを得たのかも分からずバス停で、穏やかな日のもと、そしてそれからの漠然とした未来もただ生きるしかないという不確かな未来を暗示して終わった。僕は現代人の感覚も村上春樹の生きた若者の生き急ぐ渇き飢えみたいなものは共通していると最後に感じた。だからこそ「ゆっくり歩け、そして水をたっぷり飲む」が生きてくるのだと思う。僕らは渇いた青春時代を幾度と繰り返すけどいつか夢のようであればいいというそんな願いを感じた。
1973年のピンボール (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:1973年のピンボール (講談社文庫)より
4062749114
No.35:
(4pt)

中身のある宝石箱

「風の歌を聴け」が中身の無い宝石箱だとするなら、
「1973年のピンボール」は中身のある宝石箱。
キラキラとした文章は素敵であこがれます。
箱の中身は時の流れの確かさと、自分の感覚の不確かさとでも言いましょうか。
前作にも増して読む価値があると思います。
但し前作を読んでから読むべきだという気が多少はしますが。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.34:
(5pt)

村上作品の中では、珍しくビジュアル

特に養鶏所の中に置かれた何十台ものピンボールマシン!
村上さんの本は、映像化することが難しいと思うのですが、この作品は双子の美人姉妹、ピンボールマシーン、ダムに投げられた配電盤、などなどシーンが映像化に耐えうる珍しい作品だと思います。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.33:
(5pt)

空が晴れて澄み渡る秋の午後に読みたい

初期3部作の2作目。
昼休みにペットショップで猫と遊びたくなり、スタン・ゲッツを聴きながら
仕事したくなり、家の中で配電盤を探したくなり、ペニー・レインをサビ抜きで
口ずさみたくなり、純粋理性批判が読みたくなり、夕方のゴルフ場に行きたくなり、
ピンボールがしたくなり、そして双子の女の子と暮らしたくなる、そんな話。
1973年のピンボール (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:1973年のピンボール (講談社文庫)より
4062749114
No.32:
(4pt)

鼠の話しが印象的だった

「風の歌を聴け」の続編ではあるが、前作を読まなければ本作が分からないという分けではない。
 
文章は非常に読みやすいが非常に難解だ。僕と鼠の2人の物語が交互して書かれる。個人的には今に苦しみ抜け出そうとする鼠の話しが印象的だった。
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4062749114
No.31:
(4pt)

ミントガムのような作品

「風の・・」の次に読むといいとの意見が多いですが、まったくそのとおりと感じた。
「風の・・」も「1973年の・・」も物語はシュールであるが、
私には感覚的に共感できる部分があり(あるいは錯覚かもしれないけど)、楽しく読めた。
全体的にシュールな内容なのだが、そこから何かを「感じれる人」は感じ取って欲しいと・・作者が材料を提示してくれているような気がした。
爽やかな、でもほろ苦いミントガムを噛んでいるような作品だと思う。
1973年のピンボール (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:1973年のピンボール (講談社文庫)より
4062749114
No.30:
(4pt)

「きばり」がかなりほぐれたデビュー二作目

今から15年ほど前のこと。
「ノルウェイの森」に魅せられた私は、
この作家の長編小説をデビュー作から順に読み始めた。
デビュー作にして文学賞を受賞した「風の歌を聴け」の翌年に発表された
2作目の長編小説がこの「1973年のピンボール」だ。
「ノルウェイの森」の後で読んだデビュー作ではその「軽さ」に面食らったが、
「1973年の・・」では、その「ブッ飛び具合」に面食らったものだ。
登場人物はデビュー作を踏襲するものの、作品の質は全く違う。
ピンボールへの偏執、双子の姉妹との共同生活、配電盤の葬儀など、
一見何の脈略もない複数の話題が続いていく。
文体は相変わらず読みやすいものの、内容はシュールで難解だ。
それらは単に意味のない話の寄せ集めなのか?それとも深い意味があるのか?
答えは未だに見つかっていないが、
当時20代半ばの私の感性には、なぜか訴えるものがあった。
ただし、誰の感性にも訴えるかと言うと、それはありえない。
多くの人にはこのわけの判らない小説は、ゴミ同然かもしれないが、
残念ながらそれは読んでみないと判らない。
今現在冷静に振り返ってみると、
デビュー作に感じられた作者の「意地」や「きばり」が、
良い意味でほぐれてきているようにも思える。
デビュー作は、そこかしこに独特の表現を散りばめながら、
全体として「普通の青春小説」として成り立つようにも努めていた。
そのデビュー作が評価されて安心したのか、
二作目は「作家本来のやりたいこと」が、より強烈に表現されている。
1973年のピンボール (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:1973年のピンボール (講談社文庫)より
4062749114

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