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樅ノ木は残った
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【この小説が収録されている参考書籍】
樅ノ木は残ったの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全83件 1~20 1/5ページ
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この素晴らしい内容で☆の平均得点が4.1点なのは個人的には合点がいかないなぁ。ストーリーの素晴らしさと文章の緻密さが何とも言えなかった。秀逸。文句なしの5点。 | ||||
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青史には原田甲斐の乱心による伊達騒動の顛末とされている事件に 懐から迫り込む山本周五郎氏の渾身の歴史小説全3冊 読みやすい文章で3冊の厚みに怯んで数年積んだままでしたが この度無事に読み終え会心の想いです 不自然な老中審議の館変更、息絶えるまで家族家臣に合わせない周到さ 近年に至るまでただ独りで汚名を背負い続けた原田甲斐の人柄と心情が心に染み入る作品です | ||||
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自分がやり遂げたいことを貫くのは自己満足。よしとする考えもあるが、そのために多くの死を含む犠牲を出すことになるのは、今の時代、決して頷けない。しかし 日本人、日本の社会通念を思いやるとき参考になる。 | ||||
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物語も、話の流れも面白く、別の時代設定で映画しても良さそうと感じた。 藩主綱宗を遊蕩により逼塞させ、仙台藩の60万石を30万ずつ分割しようと 密約していた、幕府老中酒井忠清と伊達宗勝。そちもわるよのーの話から、 実は酒井の目的は、仙台藩を紛糾させ、藩を取り潰すことが真の目的だった。 それは打破すべく、伊達藩家老の原田甲斐は、己の本心を隠し通し、 味方さえも欺き、自分を捨て石にして、仙台藩を守った。 その藩への思いと、死にゆく同志たちにも本心を明かさない強い意志に 感嘆させられた。自分はここまでの生き方はできない、所々で親しい人に話、 同志の結託を固めようとするだろう。 しかし、原田甲斐は、藩の動揺を最小限に食い止めるため、それをせず、 最後も、原田ら家老たちが酒井に斬られた時も、原田自らが血迷い、狼藉したことにした。 それにより、原田一族の男は処刑され、お家断絶となりながらも、仙台藩は残した。 凄まじい物語ですね。山本周五郎最近立て続けに読んでますが、面白い。 | ||||
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歴史小説は、知られている事実の空白を埋める人間模様、心理描写、主人公を取り巻く周辺の人々とその振り幅に、時代背景や当時の生活一般の資料解析など、作家の力量やエネルギーが伝わってきて、一冊の本の中に読者も集中し、引き摺り込まれ、没頭してしまう。 特に、山本周五郎の細かな心模様の描き方、それは正に筆の力だと思う。其々の人物の心の揺れが痛い程伝わって、行き着く先が判っているだけに、苦しく切なく、辛く読み進んでいった。 近年、歴史上の人物評価が、見方、捉え方で180度変わるケースが多々あるが、原田甲斐も確かにそうだけれど、作者は静かに残り立つ一本の樅に託して、真実では無く、事実のみが残って繋がる歴史の存在自体も示しているのだと思う。 | ||||
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・旧版上下2冊を、昭和35年のNHK大河を見て、読みました。 以来60年余、この間に何回か読みを繰り返し、その度に感動を、新たにしています。 これを機に、私の山本周五郎は始まり、新潮文庫を全て、読みました。 同様の作品には、田沼意次を扱った「栄花物語」や、由井正雪を扱った「正雪記」があり、何れもが従来説を覆すような、創りになっていて、読み応えがありました。 この本は、いわゆる伊達騒動で逆臣とされた原田甲斐の、イメージ刷新を意図しており、作者の並々ならぬ意欲が感じました。 先ずは記述の斬新さが、印象的です。要所に織り込まれた「断章」は、物語を引き締め、かつ読み手をグイグイと引き込む力を持っていました。 そして何より、この類い稀な筆致力で描かれた、主人公原田甲斐の事に臨む、野趣で周到、果敢な人間像に、魅了されました。 真偽は別にしても、小説の醍醐味を、心底知った、作品でした。 | ||||
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(上中下巻を通してのレビューです。) 伊達騒動の別解釈ということです。強大な権力に踏みつぶされようとする人間や組織がとる行動、という意味ではいつの世にも起こる話です。異常なまでの忍耐力で伊達六十万石を守ろうとする主人公・原田甲斐の姿が、自分一人で仕事を抱え込んで最後に自爆するサラリーマンに重なって見えました。レジスタンスを組織するとか、もっとほかに策はなかったのかな? | ||||
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ネタバレですので注意ねがいます。 公儀の秘事を暴いたということで幕府により4名が討ち取られ、原田甲斐は、殺されます。自分は、 本を読んでいく途中、どうなるかわからず最後のシーンでは、まさかこんなことになるとは想像も していなかったので胸が張り裂けそうになりました。 幕府側(酒井雅楽頭)に伊達藩4名が討たれた時、原田甲斐が息を引き取る前に安芸の刀を抜き取り 自ら仲間を殺したと訴えるのです。(原田甲斐一人が殺害の罪を被る) 結果は、原田甲斐の乱心とされ、お家断絶、子供6人は切腹となります。 伊達家の中には、原田甲斐の乱心を信じる人は、一人もいませんでした。 但し、仙台62万石が安泰で原田甲斐は、忠臣であるという事と甲斐が大好きな樅ノ木が残ったとい うことであります。 この小説は、従来は悪人とされてきた原田甲斐を江戸幕府取り潰しから藩を守るために尽力した忠臣 として描いています。 歴史小説作家の杉本苑子が歴史に埋もれた人を掘り起こすのが小説家の使命であると言った言葉を思 い出しました。確かに司馬遼太郎の小説により、河合継之助、坂本龍馬、大村益次郎等を知ることが できました。 今回も、原田甲斐という忠臣を知ることができうれしかったです。 | ||||
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約束した日時に到着し、商品も問題なく、期待した通りの物でした。有難うございました。 | ||||
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著者は、「伊達騒動」の中心人物として極悪人の烙印を押されてきた原田甲斐に対する従来の解釈をしりぞけ、幕府の大藩取り潰し計画に一身でたちむかった甲斐の、味方をも欺き、悪評にもめげず敢然と闘い抜く姿を感動的に描き出す。雄大な構想と斬新な歴史観のもとに旧来の評価を劇的に一変させ、孤独に耐えて行動する原田甲斐の人間味あふれる肖像を刻み上げた周五郎文学の代表作。 | ||||
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幕府老中・酒井雅楽頭と伊達兵部とのあいだの六十二万石分与の密約。それが、伊達藩に内紛をひきおこし、藩内の乱れを理由に大藩を取り潰そうという幕府の罠であることを見抜いた原田甲斐は、藩内の悪評をも恐れず、兵部の懐に入りこむ。そして、江戸と国許につぎつぎひき起こされる陰謀奸策、幼君毒殺の計略をも未然に防ぎ、風前の灯となった伊達家安泰のため、ひたすら忍従を装う。 | ||||
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ー人間はもともと弱いものだし、力のあらわれは一様ではない。鉄石の強さも強さ、雪に折れない竹の撓みも強さだ。ここで剛毅心をふるい起こすよりは、この虚しいもの淋しさを認めるほうが、おれにとっては強さであるかもしれないー 原田甲斐のこの言葉がとても心に響いた。 甲斐は伊達家存続のため孤独な闘いに挑んだ。孤独を耐え抜くと覚悟を決めたはずだったが、周防、七十郎、十左衛門、丹三郎といった心を通わせた仲間に先立たれ、周りは自分をつけ狙う敵だらけという現実に向き合わされた時、甲斐は心が折れそうになる。 しかしその淋しさを認め、悲壮な闘いの道を静かに歩んでいく甲斐の心の強さに感動を覚えた。 | ||||
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従来の「伊達騒動」の解釈を翻し、極悪人の烙印を押されてきた原田甲斐に対して、伊達家安泰のため、味方も欺き、藩内の悪評にも耐えて戦い抜いた人物として蘇らせた傑作。不条理に対して自らの意思をどう貫くか、著者の調査力、構想力、描写力は見事であり、やはり不条理の世界に塗れていく中高年以降に読み、自分自身を振り返るよすがとしたい歴史小説の下巻。 | ||||
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従来の「伊達騒動」の解釈を翻し、極悪人の烙印を押されてきた原田甲斐に対して、伊達家安泰のため、味方も欺き、藩内の悪評にも耐えて戦い抜いた人物として蘇らせた傑作。不条理に対して自らの意思をどう貫くか、著者の調査力、構想力、描写力は見事であり、やはり不条理の世界に塗れていく中高年以降に読み、自分自身を振り返るよすがとしたい歴史小説の中巻。 | ||||
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従来の「伊達騒動」の解釈を翻し、極悪人の烙印を押されてきた原田甲斐に対して、伊達家安泰のため、味方も欺き、藩内の悪評にも耐えて戦い抜いた人物として蘇らせた傑作。不条理に対して自らの意思をどう貫くか、著者の調査力、構想力、描写力は見事であり、やはり不条理の世界に塗れていく中高年以降に読み、自分自身を振り返るよすがとしたい歴史小説の一冊。 | ||||
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骨太な構成と緻密な心情描写で、とても面白く読めました。 主人公として描かれている原田甲斐の武士道的たたずまいを見ていると、人の上に立つものとしての責任と態度を訴えているようにも思われます。 実際に書かれた時代と現代を単純に重ねることはできませんが、ふと、現在の世の中のリーダーの姿勢を顧みてしまいます。 | ||||
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山本周五郎『樅ノ木は残った』下巻。 伊達兵部は、これまで黒幕として描かれてきたが、下巻では冒頭から底の浅さを露呈する。兵部の悪評は広がっている。ここまで悪評が広がるならば、原田甲斐が兵部に取り入らず、正面から対抗できたのではないだろうか。逆に甲斐が兵部の与党と思われたために、前藩主に取り次いでもらえないという不利益も生じている。「敵を欺くには味方から」はメリットばかりではない。 下巻まで読むと、脇役の人情物が印象に残る。中巻までは、どうしようもない人達を描いていると思っていたが、下巻に入って実を結ぶ。本作品は原田甲斐の人に誇らない忠義を描きながらも、藩のために自己を犠牲にする虚しさも語っている。侍の道を否定する脇役を描くことは本作品にとって大きな意味があった。 自分は他人とは異なるという意識は、自我の確立を目指した純文学のテーマである。純文学は私という殻にこもって面白くないと批判されがちであるが、そのように批判する自称社会派達こそ集団主義的でメジャーな政治的争点を取り上げても、個人の抱える個別的問題に応えられないことが往々にしてある。本作品は大衆文学に分類されるが、自我にこだわる純文学の問題意識と重なっている。私へのこだわりは現代の漫画やアニメ、ラノベにも引き継がれている。 | ||||
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原田甲斐は「敵を欺くには味方から」を実践している。この原田甲斐の姿勢では味方を失っても仕方がない。甲斐としては自分が犠牲になればよいと覚悟し、多くの人を巻き込みたくないのかもしれない。柿崎六郎兵衛のような胡散臭い人物には容易に腹の内を空かさないことは当然である。 一方で昔ながらの人物も膝詰めで談判し、自分には腹の内を明かしてくれるだろうという内々の特権意識が感じられる。甲斐はビジョンの共有や透明性に欠けていて現代のリーダーとしては通用しないと感じたが、周囲もどっちもどっちと感じた。 本書は伊達騒動を甲斐と伊達兵部の対決として描くが、甲斐の動きは見えにくく、日常描写も含まれる。これに対して兵部のターンは純粋に陰謀劇になっている。このため、伊達騒動という歴史事件を追う向きには兵部のターンの方が読み応えがある。 本書には甲斐とも兵部とも異なる立場の脇役のターンもある。これに結構紙数が割かれており、しかも歴史事件とは関係が薄く、人情物の色合いが色濃い。物語の展開を早く読みたい向きには異論があるだろう。中巻の後半で甲斐と繋がっていく。 話が進むにつれ、藩内の御家騒動という以上の陰謀が見えてくる。江戸幕府と外様大名というスケールの大きな話になる。甲斐の消極性はじれったく感じられるが、藩内に紛争を起こすこと自体が敵の狙いであるならば意味がある。 本書から仙台藩は有力家臣が各々領地を持っており、独立領主の性格を持つことが分かる。有力藩士は互いを各々の領地の地名で呼びあっている。原田甲斐は船岡と呼ばれている。仙台藩の藩祖の伊達政宗は戦国大名として領土を拡大しながら、新時代に適応できた人物である。しかし、政宗個人に適応力があった分、仙台藩の体制は中世的なままと感じた。他の藩が藩士をサラリーマン化して一円支配を進めたこととは異なる。伊達政宗は芯から戦国大名だったと感じた。 この家臣が独立領主になっている点は藩のまとまりを欠き、御家騒動が激化する要因と説明されがちであるが、それは結果論である。サラリーマン化して藩内の地位が全てになる方が権力闘争が激しくなる。自分の領地で内政に励んだり、悠々自適に暮らしたりする選択肢がなくなるためである。徳川将軍家も領地を持たない御三卿ができてから、将軍後継争いが激化した。 | ||||
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山本周五郎『樅ノ木は残った』は江戸時代前期の伊達騒動を描いた長編時代小説である。新潮文庫で上中下3巻になっている。NHK大河ドラマにもなった。 主人公は仙台藩宿老の原田甲斐である。原田甲斐は悪役・奸臣と位置付けられがちであるが、本書では真っ当な人物として描かれる。但し、原田甲斐には何を考えているか分からないところがある。そのために読者はじれったく感じることがある。 伊達騒動では伊達兵部派と反伊達兵部派の対立と分析されるが、本書では原田甲斐が自己の立ち位置を見せないようにしているため、敵味方もはっきりしない。また、本書では伊達綱宗が酒と女に溺れているとして藩主を退かされたとの説も否定する。 本書を読むと仙台藩は有力家臣が各々領地を持っており、独立の気風が強い。仙台藩の藩祖の伊達政宗は戦国大名として領土を拡大しながら、新時代に適応できた人物である。しかし、政宗個人に適応力があった分、仙台藩の体制は中世的なままと感じた。他の藩が藩士をサラリーマン化して一円支配を進めたこととは異なる。伊達政宗は芯から戦国大名だったと感じた。 この家臣が独立領主になっている点は御家騒動が激化する要因と説明されがちであるが、それは結果論である。サラリーマン化して藩内の地位が全てになる方が権力闘争が激しくなる。自分の領地で内政に励んだり、悠々自適に暮らしたりする選択肢がなくなるためである。徳川将軍家も領地を持たない御三卿ができてから、将軍後継争いが激化した。 | ||||
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江戸時代の三大御家騒動の一つである「伊達騒動」において逆臣として歴史に名を残している主人公原田甲斐のイメージを実は忠臣であったのではないかと変えたのが本書である。 まぁ真実がどうであったかは別として、 この本は何回読んでも涙があふれ、心があらわれます。 上中下巻で1400p程の中々ボリュームのある作品ですが、山本周五郎文学の白眉だと僕は思います。 主人公の原田甲斐は仙台伊達家の着座(他藩でいう家老)の家柄で船岡の領主。 しかし原田甲斐はそんな世界より花鳥風月を愛で、山で鹿や猪を追いかけ、己の才覚で諸国を旅する琵琶法師を羨む自然人だった。 しかし、寛文事件という仙台藩の運命を左右する大事件が起こると、その高度な政治性の中に巻き込まれて行く。 1人の人間を「悪」にし、「真実」を闇に葬ってしまう事が簡単に出来る政治の持つ猟奇性を原田甲斐の生き様を通して感じた。 そんな目まぐるしく変わる時代の中で、仙台藩の為にあえて敵の懐に入るのだが、それが返って友人や同僚に見放され、倦厭されてしまう。 どんどん孤独になっていく原田甲斐が愛した樅の木の存在がこの作品ではかなりいい味出してます。 山本周五郎は司馬遼太郎のようにかなり抜けがいいというか、すぐ頭に入ってくるので読みやすいです。 読んだ事がない方は是非!! | ||||
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