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QED ベイカー街の問題
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QED ベイカー街の問題 の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.94pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全2件 1~2 1/1ページ
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一般的な本好きな子供として育ったので、ホームズもルパンもそして明智小五郎も20面相も小学生のころに読んで育ちました。幸いというかなんというか、小説の中の人物が実在しているとは思えなかったためシャーロキアンとはなりませんでしたが、今でも好きな名探偵です。 最後の事件以後にホームズの人格が変わったのだとすれば、それはコナン・ドイルが変えたんでしょ?としか思っていません(連載中に人格どころか顔かたちまで変わってしまう日本の漫画のなんと多いことか) さて、それでもシャーロキアンという人たちが存在し、ホームズの実在を信じて疑わないということに対しては「楽しそうだな」と思うだけで、ばかにするつもりはありません。そしてその中で殺人事件が起こってしまうのも、名探偵コ〇ンにでてくる殺人犯の動機よりは理解できます。 しかしそれでも、今回の「ベイカー街の問題」は突っ込みたいこと多数。 例を挙げるときりがないのですが、一番気になったのはホームズが天文学に無知であることを 「ミスリードだ」 としてしまっているところ。 え。それ言っちゃなんでも「ミスリード」で通用するじゃないですか。 第1作ではこう言っていますよ?→ミスリードだ 〇〇と言っているから、こう考えるべきでは?→〇〇はミスリードだ シャーロキアンの正義が何なのかは知りませんが、「こう考えればすっきりするから」という理由だけで「ミスリード」と断定するのはいかがなものなんでしょうか。それは都合がよすぎやしないでしょうか。正典にうそ(ミスリード)が書かれているのはシャーロキアンとして許せるのでしょうか。 このQEDシリーズ、結構好きで他の巻にもレビュー書いているんですが、時々出てくる「ちゃんと考えれば、こう考えざるを得ない」論法が時々鼻につきます。そこに至る過程と結果の間に欠落がある。作者もどこまで意識しているのかわからないが、大量の資料により読者が戸惑っているところに「こう考えざるを得ない」論法を出してくる。 え?そう?こうは考えられない? って奈々ちゃんが思うことはなく、熊つ埼も大声で「なるほど!」と叫び、しかして犯人は自供を始める。 いや、好きですよ。この作者の本。 どれくらい好きかというと付箋もってメモ書きしながら真剣に読むくらい。今の時代これだけ真剣に読む本はこのQEDシリーズくらいかもしれない。なので、大ファンの方からすると「細けえことばかり言いやがって」と思われるかもしれませんが、別の方法で楽しんでいる高田崇史ファンということでお許し下さい | ||||
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QEDシリーズ。 この本は民俗学や歴史の蘊蓄ではなく、ホームズの蘊蓄が語られる。 ホームズは2人いたということを、ひたすら、ひっぱるための本である。 図書館で借りた。おもしろくない本の後から2番目である。 もう一度、ホームズを読んでみようかという気持ちにさせらた本である。 | ||||
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