QED 伊勢の曙光



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    初公開日(参考)2011年10月
    分類

    長編小説

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    QED 伊勢の曙光 (講談社文庫)

    2014年01月15日 QED 伊勢の曙光 (講談社文庫)

    伊勢の鄙びた村から秘宝の鮑真珠を持参していた神職が、不審な墜落死を遂げる。事件解決へ協力を頼まれた桑原崇は、棚旗奈々とともに伊勢へ。しかし、二人を待ち受けていたのはシリーズ中最大の危機だった。果たして崇は、事件の真相と、日本史上最大の深秘「伊勢神宮の謎」を解けるのか?「QED」完結編! (「BOOK」データベースより)




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    No.19:
    (2pt)

    作者自身が自分の説を信じていないんじゃないだろうか

    このシリーズ、すべては読んではいないがようやく気付いたことがある。

    作者自身が自分の説を信じていないんじゃないだろうか。

    例えばSF作家が「重力波と光子をこの機械でうんたらかんたらしたらタイムトラベルが可能になる」という説を自作で書いていたとする。でもだからと言って作者がその説を信じているわけではない。あくまで読者に楽しく読んでもらうための設定である。

    このQEDシリーズも、作者が創造したあくまで読者に楽しんでもらうための設定なのだと最近思うようになった。

    ただSF小説と違って、「この解釈が正しい」と思い込む読者がいるのがあまりよろしくないとも思っている。私は歴史研究者ではないが、歴史の研究とは古文書を発見し、文献を紐解き、遺跡を発掘しては茶碗片を組み立てるような地道な作業の積み重ねであると思っている。それをさらに多くの研究者が検討する。歴史の教科書に載っているのはそんな地道な研究結果の最大公約数であって、将来的に訂正されることはあるだろうが現時点での研究の成果である。

    1冊、小説を読んだだけで「目からうろこ」だの「これが真実」だのと思うのは、歴史の研究をしている大勢の歴史学者にとって失礼だろう。
    QEDシリーズはあくまでエンターテインメントであって、歴史の真実ではないとわかったうえで楽しむのが基本だと思う。

    じゃあどの辺が作者の創造なのかと言えば、今作でいえば「さみだれ」に関するあたりだろうか。文中では「サ」は「恐ろしい神様」と言っているが、少なくとも自分は聞いたことがない。早川孝太郎が「サ神」という言葉を提唱したが、これとて「田・田植え・稲」の神様であって、恐ろしい神様ではない。「サ」は小さい・細かいとか裂けるとかの接頭語という解釈が一般的である。

    「サ・苗(早苗:田植え時期の小さな苗)」や「サ・乙女(早乙女:田植えをする女性、神事でもある)」、どちらも「田・田植え神」ととらえることも「早い・細かい」ととらえてもおかしくない。また「皐月」は新暦では5月を指すが、旧暦では6/21(またはその前後)の夏至を含む月であるので、まさに「サ(田・田植え)・月」である。「さみだれ」は「サ・み(水)・たれ(垂れ)」であって、「田植えの時期に降る水(雨)」だろう。「淫雨」についても「淫」の本来の意味は「害をなすほど度を越して続く」という意味で、「女性を求めて妄執にかられるという意味」など聞いたこともない。現代の語意から作者が作った意味だと思う。

    このように、小説をエンターテインメントに仕上げるため、作者の「創作」が入っている。それはそれで悪いことではない。小説なんだから面白ければいいのだ。
    よろしくないのは、「これが真実」と思ってしまうことだろう。
    「どこまでホントなのかな?」と自分で調べてみると、とても楽しいのでおすすめ。
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    4061828061
    No.18:
    (5pt)

    満足!

    対応早く、説明どおりの商品でした。
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    No.17:
    (2pt)

    訳分からなくなっている!

    なんか、あまり訳が分からない位、複雑です。
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    No.16:
    (5pt)

    歴史の謎とき。

    大ファンのシリーズです。歴史は真実はわかりませんが、だからこそ高田先生の小説はファンタジーがあって大好きです。
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    No.15:
    (3pt)

    書字額の観点からは最後の結論は違うのでは?

    長年大変興味深く拝読したが・・・
    「宮」という字の上下の口がつながっていない字は、初唐の楷書では正格な字体であり(九成宮醴泉銘などをみればわかる)、最近まで社寺等で筆で楷書を書く際には正格な字体として使用されていたもの。「宮」だけではなく、「営」など同様の部首を持つ字は上下の口がつながらないのが正格とされてきた。
    この字をもって彼岸と此岸を分けているというのは書字学の観点からは違和感を禁じ得ない。
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