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24人のビリー・ミリガン
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【この小説が収録されている参考書籍】
24人のビリー・ミリガンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.20pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全41件 1~20 1/3ページ
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この本の最大の問題点は、文体と、構成だと思う。 この本では、あとがきに相当する部分を除くと、すべて一人称視点で記述されている。そのため、すべての記述を読者は事実と捉えがちになるが、本書(上下巻をまとめて)の7割を占める ビリー・ミリガンの伝記の部分は彼の記述を筆者が一人称で物語形式で描いたものであり、事実かどうか見極められたものではないと考えるのが妥当だと思う(たとえば、下巻の一部では彼の恋人の名前が一文字だけ変わっている箇所があり、これが誤訳なのかミリガン自身が語った事なのか謎である)。 本書の構成は、先ず、ビリー・ミリガンにとって一番大きな転機となる裁判を描いており、全体の2~3割を占めている。ここでは筆者は資料に基づき関係者それぞれの行動を一人称で描いている。次に、ビリー・ミリガン当人が語った内容に基づく、彼の視点から見た人生、少年期から先に述べた裁判までの人生を筆者は描いている。これが約7割。最後に、筆者は筆者の視点から見た裁判後のビリー・ミリガンの人生を1991年ごろまで記述している。 本書から私が思ったことは、人間というものは、自分が耐えがたいと思う環境に置かれると、気を失うということである。もちろん、気を失ったままでは生きていけないので、耐えがたい環境に適応した異質な精神的制御装置が本人自身の意識と別に作り出される。それが『多重人格』ということである。 こういうことは『多重人格』という名前が付けられるほど特殊なことではない。殆どの人は、自分が嫌なことに出会うと、それを理解し認めようとするよりも、(残念なことだが)忘れようとする。その極端な例が『多重人格』だと私は思う。ビリー・ミリガンは過酷な環境に置かれて『多重人格』を持つようになり、違法行為を行ったのであり、彼を非難する人は自身が自分に都合の悪い事を忘れ去り(無視していて)、そのことが誰かに被害を与えている可能性を無視している。そういう人は本書のあとがきの中に大量に描かれている。 本書は1992年出版の『24人のビリー・ミリガン―ある多重人格者の記録』の装丁を変えたものである。1994年出版の『ビリー・ミリガンと23の棺』は、「あの」裁判を終えた後にビリー・ミリガンが当時のオハイオ州司法から受けた迫害を記述しているものらしく、いつか読んでみようと思っている。 | ||||
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Netflixでも実写化されていてすごく面白いし興味深いです | ||||
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発送も早く、大変きれいなお品でした。ありがとうございました。 | ||||
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面白い! | ||||
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小説ではなく「報告エッセイ」ですね。 ①逮捕・多重人格では?→②結果→③多重人格になった経緯・治療→④現時点の状況報告で〆(続きが出てます) へっぽこ丸さんのレビューの通りだと思います。事前に動画閲覧・読んでる最中はwikiいるのでは?と思うレベルでカタカナ人名が出て来ます。が、面白いので1日で上下読破しましたしお勧めは出来ます。 ただ、小説ではないです。第三者(作者)が事実と経緯・シチュエーションをズラ~っと書いているだけなんです。 +日本語訳が意図的なのか、漢字で書けばいいのにひらがなでかいてあるかしょがたたあったので(これは意図的なのか?)と読みにくい箇所が大量にありました。本報告書に集中してるのにそちらに気が散ったのはイラっとしましたね。ただ、面白い。これは「実話ということもあり」お勧めです。 読むきっかけはyoutubeで昔の売上ランキング番組が出た→ノルウェイの森とかコレが出てたのを思い出して動画見たら興味持ったのでキンドル購入、という経緯です。 | ||||
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未だに心に残ってる作品です。おすすめ | ||||
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24人も性格があるのかと思いました。面白かったです。楽しく読めました。。 | ||||
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人間の精神世界や無罪になった性犯罪者に対する世間の圧力、ビリーを支える医者や弁護士の努力など大変興味深く読めました。 | ||||
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文体がソフトで実録モノと言う感じはしませんがすこぶる面白いです。90年代この本をきっかけに映画、ドラマ、マンガなどあらゆるジャンルで多重人格モノが流行ったのも分かる気がします。 | ||||
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妻が猛プッシュしてきたので読んでみた。これはおもしろい。 多重人格というものの認識がかなり違っていた事に気づかされたうえ、不思議な世界を垣間見た感じ。 フィクション作品として出していても面白いと思うが、これはまさかの実話。 (腑に落ちないところは当然あるけども) 400ページもあるからなかなか進まないうえ、登場人物が多くて訳分からなくなりがち しかし、それは読み進めていくうちに分かるようになってくる。 本当に面白いので、登場人物が多すぎて挫折するのだけはもったいないと思う。 | ||||
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外国の方のお話の作り方が 日本人に合わなくて読みずらいと思っていたのですが、 要所要所に感じるものの 作家さんの真実を伝えたい熱量がすごくて 珍しく作品に引き込まれまました。 ビリーという人間が好きになってしまうほどに。 | ||||
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・サノーさん一言コメント 「一人の人間の中に劇場があり、法廷があり、コミュニティがある。それが精神障害であることを証明できるのは誰か」 【サノーさんおすすめ度★★★★★】 ・ウノーさん一言コメント 「狂気という言葉では片づけられない、人間を構成するものの不可思議を知る一冊です」 【ウノーさんおすすめ度★★★★★】 ・サノーさん、ウノーさん読書会 サノーさん(以下サ):読むのに結構なカロリーが必要な「下巻」だった。 ウノーさん(以下ウ):ビリー・ミリガンを「構成」する登場人物だけで、24人もいるわけですから、なかなかに読み応えがあります。 サ:だが、読み進めていくうちに「内部」の登場人物たちによるシーンなのか、外部、つまり「現実界」のシーンなのか、判別がつくようになる。 ウ:「分裂症によって生じた、人物たち」に、自我があり、個性があり、能力があり、感性があり、性別がある、という「確認」について、どう理解したらいいか戸惑います。 サ:精神学の見地から言えば、耐え難い精神への攻撃に対する「防衛機能」として、他の人格が生み出され、育まれていき、ある日、「主人格」の逃避と拒絶により「入れ替わる」というロジックが確認されているが、それだけで説明できる現象ではない。 ウ:まず、それぞれの「内なる異なる人物」において、記憶が異なる、あるいは記憶がないという状況が、生体上起こり得るのかという疑問です。 サ:記憶のフィールドが「人物別」に同時に存在する、睡眠によって完全に入れ替わるという現象が可能だとするなら、それは新しい脳機能の研究対象となる。 ウ:実際に巻末の付録では、ミリガンの脳波観察の記録もありますが、現代のような高度な観察はできなかったようです。 ウ:この本に頻繁に登場する「同じ人間のなかでの違う人物による討論や闘争」は、どのように記憶されているのか、なぜ、他の「人物」と接触できるタイプとできないタイプがいるのか、修練や習得によって得られるはずのスキル、言語、訛り、男性らしさ、女性らしさが「根底から」切り替えることが出来るのか、疑問は尽きませんでした。 サ:精神病であり病気であるという見識と、通常の人間では利用されない、発動してはいけない「能力」という見識が存在していると思う。 ウ:だから、「人権」という見地からの「法の判断」も揉めることになります。 サ:未知の領域ともいえるが、被害者がいて現実界での出来事でもある。 この境界線について、改めて考えさせられる内容であることは間違いなかった。 ウ:と、同時に、やっぱり「怖い」ですよね。もし、目覚めた時、知らない場所、知らない状況だったとき、「別の人物」になっていない、という確証が得られない可能性があるわけですから。 サ:哲学における「問い」でもあるが、自我とはなにか、自我を構成するものはなにか、人間である以上、考えなければならない。 ウ:そういえば、買った記憶のない虎屋のドラ焼きが、冷蔵庫に入ってましたよ。 サ:別の「人物」になる前に、食べて確かめる必要があるな。 【了】 http://amzn.to/2xYgcXP | ||||
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・サノーさん一言コメント 「自我とはなにか。それが形成され、運営されていることを、どこの誰が認識するのか。単なる精神障害として処理できない事例の、真相に迫る」 【サノーさんおすすめ度★★★★★】 ・ウノーさん一言コメント 「自分が自分であることを、証明する術はありません。法も裁けなかった、人間の罪を学ぶ一冊です」 【ウノーさんおすすめ度★★★★★】 ・サノーさん、ウノーさん読書会 サノーさん(以下サ):世界的ベストセラーとなった『アルジャーノンに花束を』はフィクションだったが、こちらはノンフィクション、しかも「多重人格」というフィクションのような「病気」に迫る一冊だ。 ウノーさん(以下ウ):心理学をやる人は、これを読んでおかないとなりません。自我という認識について、実際に起きた特異事例と研究を知らなければ、話になりませんので。 サ:連続レイプ強盗犯でも、多重人格であると診断された場合は、刑罰・懲罰は課せられないという事実は、多くの人には「法の矛盾と限界」を感じさせることだろう。 ウ:まあ、病院という名の刑務所から出られないのは、懲役刑と同じではありますが、それでも、弁護人へは脅迫や批難の声が上がるくらい「罰」が与えられた印象はなかったわけです。 サ:上巻は、事件の内容と捜査の過程、重人格症の認定と、多重人格の統合的管理者である「教師」の告白が中心となる。 ウ:一人の青年の身体に、24人分の名前、性格、能力、知力、思考が入っているという感覚は、日常の私たちにとって「ウソ」や「演技、思い込み」としか認識できません。 サ:多くの人は、自分の周囲で、一人の人間が「完全な別人に変化する」という状況に、遭遇したことはないからな。 ウ:その「複数で一つの身体」をもつ「人」が「人格」という表現を嫌うことが、この現象の「深度」を物語っています。 サ:「人格という表現では、あたかも存在しないかのように感じられてしまう。だから人間と呼んでほしい」という要望だが、これを受け入れる「素養」は、現代社会には、ない。 物的証拠もあり、被害者からの特定も完了し、自白もある。その状況下で「刑罰」にならないという事実が「多重人格」という事実を証明し、刑法の限界を告白している。 ウ:人が人を裁く行為の、根底を問う事例です。 レイプを実行していたのは「レズビアンの少女の状態」であった。心神喪失により刑罰の除外とする、と言われて、承知できる被害者はいないでしょう。 サ:一種の悲劇であり、救われるものがないストーリーだ。しかし、「犯罪面」をいったん除外し、「精神分析」という観点からすると「貴重な研究対象」であることは間違いない。 ウ:幼児期の虐待、特殊な環境下における特異な事例が重なったことが、この「悲劇」と因果関係にあることは間違いなく、「救われる」とするなら、そのあたり研究と「今後の課題が明確になる」ことです。 サ:それは下巻の軸だな。自我という哲学の根底にある問いが、精神分析とニアミスした事例を学ぶことは、自我を運営する我々全員にとって、有効なことだと思う。 【了】 | ||||
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映画やドラマでどんな設定もすべて見尽くした感があるのに、驚異、驚異の連続。裁判などの現実的な部分も多く記録されているため、ギャップが生々しくてすごい。人間の脳と意識の実際の可能性を見た気分。 | ||||
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人間誰でも、極端かもしれないが、ビリーとまでいかなくても、「願望」と言うと適切ではないかもしれないが、今の自分をかなぐり捨て、違う自分に成りたいという変身欲求があるのでは。 現状を受け入れ、打破する勇気が出るまで、目の前の嵐が通り過ぎるまで、違う自分を演じてみたいという 現実から目を反らしたい欲望(現実逃避)を、誰しも持っているのではないだろうか。 頭の中で、天使と悪魔の葛藤がある。 人間には未だ、解決されていない(理解されていない)摩訶不思議な世界を、その深層に抱えている。 追記(2015/12/31)。 人格が替わると、健康状態すら変化するんだよ。 これを転ずると、 たとい、病気になったとしても、病気という“状態”にすぎず、自分自身が病気という“存在”ではない。 その事に気付くと、たとい末期ガンでも、極論、明日には治っちゃっても可笑しくはない。 病は、心で治す。 | ||||
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ダニエル・キイスさんが亡くなったので、もう一度読んでみたくなり注文しました。 親の生き方、愛し方が、どれだけ子どもの人生に影響を与えるのか、その責任とともに改めて考えさせられる作品でした。 多重人格が珍しくセンセーショナルに感じられたころよりも、今読んだほうが、ビリーの立場や苦しみについてよく理解できるように思います。 ビリーは数年前に日本のテレビ番組の取材に応じてくれたりしているけど、最近はどんな活動をしているのでしょう。またの登場に期待したい。 | ||||
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ダニエル・キイスさんが亡くなったので、もう一度読んでみたくなり注文しました。 親の生き方、愛し方が、どれだけ子どもの人生に影響を与えるのか、その責任とともに改めて考えさせられる作品でした。 多重人格が珍しくセンセーショナルに感じられたころよりも、今読んだほうが、ビリーの立場や苦しみについてよく理解できるように思います。 ビリーは数年前に日本のテレビ番組の取材に応じてくれたりしているけど、最近はどんな活動をしているのでしょう。またの登場に期待したい。 | ||||
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上巻は医師をはじめとする「ビリーの周辺の人々」から見たビリー像が中心だったが,下巻はビリー(と23人の別人格)の視点から様々な出来事が語られる。 1つの身体が24の人格に支配されるとはどのようなことなのか。その日常生活が生々しく描かれている。これほどまでに過酷な人生を生き抜くビリーは,間違いなくずば抜けた勇気の持ち主だ。 | ||||
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24の人格が1人の人間に「同居」していたという事実に改めて驚愕です。 性格や思考パターンはもちろん,話し方から表情,姿勢,挙句の果てには性別までが異なる人格が入れ替わる・・・読めば読むほど「人間の脳はどうなっているのだろう」と不思議に感じてしまいます。 「私」という意識は何なのだろう? 「私」を「私」と定義づけているものは何なのだろう? 妙に哲学的になってしまいます。 | ||||
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ダニエル・キイスがミリガンや関係者との面接等により紡ぎあげたノンフィクション。 「第一部 混乱の時期」「第二部 <教師>の誕生」「第三部 狂気の彼方」の三部構成で、各々、「強姦事件で逮捕されたミリガンが多重人格と認められて治療を受け、統合した人格<教師>が現れるまで」「<教師>によって明かされた彼の半生」「ミリガンの治療と司法等による措置の行方」が描かれている。 人格たちが相互の存在を認識していたり、表に出て行動することを「スポットに出る」と表現していたり・・・と、多重人格の世界が興味深く描かれている。 ただ、詳細な記録として残すことを企図したためなのか、彼の半生や彼への措置の経過など、かなり冗長であると感じられた。 しかし、それをおいてもやはり多重人格者の世界について克明に語られた興味深い書である。 | ||||
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