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虚空遍歴
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【この小説が収録されている参考書籍】
虚空遍歴の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.16pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全28件 1~20 1/2ページ
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古本の割には状態も良く価格が安かった。 | ||||
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読み進めながら、息苦しくなるような思いをするのはいつ以来だろうか? 予備知識はなかったが、将来を嘱望された端唄の師匠が、より高みを目指し、 独自の浄瑠璃のふし付けに挑む。 一切妥協せず、過酷なまでに自分の心と体を追い込むその姿勢に、自然と 感情移入してしまう。 自分はここまで仕事に没入はしていないと、感じ、どうか、大成してくれと、 願わずにはいられなくなった。 当初はハッピーエンドを予想したが、あれよあれよと残りのページ数が減り、 読みながら、まさか、このままなのかと。 生ききる、という言葉がある。人生の炎を燃やし尽くす、でもいい。 他者から見れば、主人公中藤冲也は不幸かもしれない。 しかし、彼はまさに命懸けで仕事に没頭し、炎を燃やし尽くした。 彼に、後悔はないであろう。 ヘミングウェイの「老人と海」と似たものを感じた。 結果的には、第三者的には、徒労に見えるかもしれないが、その時その時に 全力でぶつかっていくことが、生の証しなのだ。 | ||||
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初めて読んだ時は壮絶過ぎて読み進むのも苦労してこんな悲惨な話しがあるかと思ってそれっきりでいたのですが、それから数十年後、ある記事で名前はわすれたのですが、当時の編集者の方がこの最晩年の作の虚空遍歴を書き上げた直後周五郎氏はげっそりとしていて精魂尽き果てたようだったという記事を読んでもう一度読んでみようと思って読みました。 これは周五郎氏自身の長年の苦しみそのものではないかと思い、小説という虚空での苦しみの記録なのではないかと思い至り、 この作品の後、ながい坂という虚空遍歴とは一見真逆とも取れる希望の書を出されたその峻厳な周五郎氏の生き様に触れた、 虚空遍歴凄いと思いました。 | ||||
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苦しい話でした。 苦しい話でしたが、なんだか江戸時代の話だとは思えないような話でした。 特に下巻は一気読みでした。 仕事とはそうせねばなるまいのだなと思いました。もがいた先にあるものはなにか。主人公は幸せなのか。 ぼくらは彼らみたいな人生を歩くことができているのか。そんな自問を繰り返さざるをえませんでした。 大変満足です。 | ||||
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昔昔の話しかも知れない。浄瑠璃って何ぞや?と思うかも知れない。この作品は浄瑠璃が何か?ではなく、人の生きる道筋の話しで今の時代にも通じる。決して諦めない生き方のバイブルかも知れない。 | ||||
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山本周五郎の作品群を再読、再再読しながら80年の我が人生について、これからについて多く考えさせられている。若かった日々に読んだ作品を改めて手にして感慨ひとしおだ。 | ||||
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山本周五郎の傑作であることも、またその魅力もほかのレビュアーの方が書き尽くしているので、ちょっと変わった感想を書きます。なんとなく、ドラッグで滅んでいった才能あるロックやジャスミュージシャンたちのイメージが浮かんできました。ジミヘンとか、ジャニスとか、すごい作品を残した人じゃなくて、心の中では素晴らしいメロディや歌詞、サウンドがなっているんだけど、どうしてもそれをうまく表現できずに、悩んでドラッグやアルコール、そして異性関係におぼれて行った人たちのこと。そういう人はあまり名前も作品も残らない・・・ この長編の主人公もそうで、きっと素晴らしい浄瑠璃が頭の中では出来上がっているんだろうけど、どうしてもそれを作品化できない。作品への自信もあるけど、それを形にできない悔しさ、もしかしたら自分の才能では表現しきれず終わるのではないかという不安から、酒におぼれ、対人関係ですべて失敗する。作中には、同じような悩みを持っていそうな人も出てくるんだけど、自殺してしまう画家(彼が一番主人公に近い)を除けば、どこかで妥協して、芸人としての道をあきらめたり、限界を知ったうえでの作品活動に至るので、作者のように破滅はせず生活の中に着地できる。才能は有り余るほどありながら、その表現がついていけない、でも、頭の中で鳴っているこの音楽を何とか表現しなければならない・・・こんなに苦しいことってないかもしれない。 周囲から見れば、ただのアルコール中毒の芸術家気取りで、口ほどにもない何も作れない芸人。しかも武家のプライドや、それなりに実家や家庭が裕福だからいい気になって暮らしている中途半端な坊ちゃんにしか見えない。でも、たった一人の理解者「おけい」は、これほど懸命に、高貴に生きた人はいない、たとえ作品などでき上らなくても、この人の人生それ自体が美しい作品なんだ、ということに気付いている。そこが深い感動を呼びます | ||||
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真の芸術を求めて各地を放浪し浄瑠璃作りに生涯をかけた男を描いた作品。物語は主人公中藤中也と、中也に憧れを抱く女おけいを軸に展開します。 苦悩する中也の姿からは芸とは何かを考えさせられ、その中也を陰ながら支え続けるおけいの姿からはひたむきな美しさを感じました。病気の中也が息を引き取るラストでのおけいの悲しみの描写には思わず涙が溢れました。 著者の周五郎は自身を中也に投影させているところもあると思うのですが、「死は人間の一生にしめ括りをつけ、その生涯を完成させるものだ、消滅ではなく完成だ。」という中也の言葉が記憶に焼き付きました。 長い物語ですが中也が命を狙われたり狙ったりの緊迫や、戯曲家や絵師などの人生模様など、読み所は多々。最後は悪い印象で終わった妻のお京も、芸人の妻としては十分良い妻だったのではと思います。 著者の人生論、芸術論が作中に散りばめられた長編でした。 | ||||
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面白かった。 | ||||
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面白かった。 | ||||
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大変読み答えのある作品で、自分の生きる糧となった。 | ||||
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大変感動した。人間の生きざまとして、色々考えさせられる、場面も多く有った。お酒を飲む場面も多く有り、分る気がする。 | ||||
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山本周五郎『虚空遍歴 上下』(新潮文庫、1966年)下巻に入ると主人公のダメさが目につく。私は著者の作品では自分の価値をストイックに追求し、世間的な優等生の価値観を無視するキャラクターが好きである。昭和的な「頑張ります」精神の対極に魅力を感じるが、酒に溺れて堕落するだけのキャラクターはダメである。 酒に酔うことは毒である。本書では酒であるが、現代ならば危険ドラッグなどの依存性薬物も該当する。創作に根を詰めすぎることが大変であることは理解できる。逃避することは必要だろう。しかし、酒やドラッグはクリエイティブな仕事をする人の選択肢ではない。それが二十世紀になっても作家の逃避行動になっていたことにゾッとする。ゲームのし過ぎで休載している漫画家の方が健全である。現代は小説でも漫画でもアニメでも逃避できるものは幾らでもある。酔っぱらってくだをまくのが文人というステレオタイプは昭和で終わって欲しい。 主人公は自力で成し遂げようとする。それは結構なことであるが、ロビンソンクルーソーのように全て独力は不可能である。主人公は自力で成し遂げようとして逆に他人の面倒を増やしてしまう。何を自力で進め、何に他人の力を借りるか選択と集中が必要である。何でもかんでも自前主義の昭和的体質の日本企業が国際競争力を持たないことと重なる。 | ||||
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偉大な作者の作品なので次のページになればと思って捲ってきたが期待外れだ。 | ||||
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色々な小説の売り文句で、最後の2行が!とか、最後のページで! そんな煽り文句を見るけれど、虚空遍歴ほどその言葉が当てはまる本はない。 これほど、一人の人生を余すことなく、すべて書ききった作品を他にない。 だから、最後の数ページ、800ページを通じて生きた主人公の人生が終わる時、 命が終わることの絶望感を、これでもかと味わうはめになる。 ひたすらに不格好に、自分が信じる芸術を追い求めた、 主人公と周五郎が、重なっていく作品。 | ||||
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最後まで厳しい内容でした。 文庫本あとがきにもありましたが、これは短編(端唄)の名手でありながら、 その地位に甘んぜず敢えて長編(浄瑠璃)に挑む作者の姿勢なのかもしれません。 時に狂気的とも言えるあまりに厳しい自身への姿勢は、本物の何かを追及する 真摯なものですが、それ故に周囲の理解者達をも傷つけ、また同様の苦悩に取りつかれた ものを引き寄せたりします。 結果的にはそこまで思い詰めず、ほどほどに要領よくやった物が家元を継いだりして いますが、そんなことは主人公にとってまったく問題ではないのでしょう。 理想を追求する魂が彷徨う空間が、主人公にとっての虚空なのだと勝手に解釈しました。 独りよがりなほどの芸術性の追求と外形的には破滅とも言える終わり方は、なんとなく モームの「月と六ペンス」を思い出させました。 | ||||
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感動のクライマックスです。禅にいう「虚空」に至るように思います。 | ||||
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面白く読みましたが、主人公の人生が下降線を辿っていくような感じで、寂しくなりました。 | ||||
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山本周五郎は初めて読んだ。古い人情もので、現代人にとっては好みの分かれるところだろう。特に後半部分は救いようがない程に切なく、悲しく、身につまされ、読むのがつらいほどであるが、その一方でどんどん引き込まれていく。読んでいて泣きそうだった。 以下、あらすじです。 主役の冲也は武士の大きな家に次男として生まれ端唄などの芸に秀でて、評判が高い。資産のある料亭「岡本」のお京と結婚し、恵まれた環境で芸を磨く。端唄から浄瑠璃に転向して、堕落した芝居を改革して「冲也ぶし」を確立しようとする。浄瑠璃を極めるためには人生経験が足りないと考え、武士の身を捨てるとともに、妻子をも江戸に残して旅に出る。旅ではおけいとの運命的な出会いがあり、二人は前世からの縁であると信じるが肉体関係は結ばない。 大阪、京、金沢などを転々とするが浄瑠璃はなかなか成功せず、冲也は次第に酒量が多くなり、転落していくとともに体調をくずす。おけいは全てを冲也のために投げ出して献身的につくすが、冲也は浄瑠璃を極めようと模索しながら深く苦悩するようになる。旅の途中で知り合った絵師の濤石は一見すると豪放磊落な正確だが、冲也と同じような悩みを持っていたことが後になって分かる。 | ||||
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初めて読んだのは、背伸びに疲れて、劣等感にさいなまれてと人生に悩んでいた18歳の時でした。読み終わってしばらくはあまりに素晴らしい読後感に声が出ませんでした。「自分に忠実に生きる」ということと「自己満足」とは違うんだと気づかせてくれました。自分の人生に意味を見出すことは,即ち、自分が授かった使命を正しく理解し、突き進んでいくことなのだと感じました。当時の私にはすごい本でした。 | ||||
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