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(短編集)
暗渠の宿
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暗渠の宿の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全50件 21~40 2/3ページ
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作者の自伝的小説。作家として、若い頃の破滅的な日常が...。後に芥川賞を受賞。 | ||||
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これは,「自分の醜いところを抉り出したものを書く小説」なのだと思うが,そうであれば,「小説家である自分」も話の中に出てこないと全体像ではない。「イカやタコを運搬するただの日雇い労働者」の方が,「ダメ男フェチ」の読者には安心して読めるのだとは思うが,この著者には「自分の醜いところを上手な文体で書いたら,自分のファンは面白がるだろう。」というただのエンターテイメント作家に落ちぶれて欲しくない。もう少し先に行こうよ,西村。 | ||||
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西村氏の作品のなかに於ても、「どうで死ぬ身の一踊り」、そして本書に含まれる「けがれなき酒のへど」、この二つが最も完成度の高いのものではなかろうか。 前者は藤澤清造と、主人公(西村氏自身であろう)と同棲する女との生活を描いたものであり、これほど女性読者に不快感を与えることのできる作品も稀である。一人の女から愛される資質を徹底的に欠いた、この男の"卑劣"な側面を有りありと示しながらストーリーを展開する。 さて、本作品であるが、これも一人の女を得る資格に欠いた男を描いたものには違いないが、「どうで―」とは異なり、"卑劣"というよりもむしろ"愚か"な部分を全面に出した作品である。 内容と文章の一部紹介するが、 「はな肉欲と金銭欲と云う、最も唯物的なものを露出し、交換し合ったあとで、もし互いに相手に対する好意が残るようなことがあったなら、これこそ私の求める、まるで装いのない、損得抜きな真の愛情との邂逅ではなかろうか」 「もっとも、こうしたさもしい下心は、昔流にいえば遊郭の遊戯をわきまえぬ野暮てんの骨頂、と云うことにもなるのであろうが、そんな流儀は遊郭という言葉とともに、建物もろともとっくに解体しているのだから知ったことではない」 風俗で出会い、岡惚れした女性の借金を肩代わりするために、藤澤清造全集の発行資金のうちから100万弱を女に手渡すのであるが、結果的にこれを持ち逃げされてしまう。 それを悟った後で女性に対する復讐心が一度は湧き上がるが、やはり清造全集の為にと、これを思いとどまる。 「しかしとどのつまり、それは花屋に行って分葱を求めようとした私が間抜けだったに過ぎぬと云うことであろう。やはり遊郭の流儀は滅びてはいなかった。はな"遊ぶ"ことをカン違いしてかかった私が阿呆だった」 風俗嬢に騙されて金銭を持ち逃げされてしまった、と云っただけの内容の小説であれば、そのような作品は探せばどこかしらにあるであろう。 しかしこの作品がどこまでも優れているのは、(勿論、文章力の高さも大きな因であるが)それがどこまでも藤澤清造を追い求める西村氏の作品であるという点に尽きる。 風俗嬢に騙された結末を迎え、それから藤澤清造へと話が移るのだが、そこからこそが本作の肝であり、また見所でもある。 そのような展開と内容は、結句のところ氏の作家としての技量のよるものであり、そして自身の体験を根底とした「私小説」によって為し得るものである。そして私は氏の作品が手放すことができなくなってしまった。 | ||||
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このひとに真に土下座させられるのは藤澤清造だけなのかもしれないと思った時、 思わずおかしさとその心酔ぶりに愛おしさ、わずかに胸の痛む思いを感じた。 ほんの些細なことで裏切りを感じ女に暴力をふるってしまうが そこには永遠に満たされることのない愛されたい、寂しい、ひとりの男と幼心が見え隠れする。 冒頭から雄臭さを前面に放たれた作品には嫌悪感を抱いてしまい、買うに至らなかったが 暗渠の宿はコンパクトに始まりその中で作者の深淵をちらちら垣間見させられ、 風俗、暴力という言葉からは思いもつかない形容しがたい後味が残った。 苦役列車で躓いた女性にも是非一度読んでみて欲しい。 | ||||
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とにかくダメな人間である。 ダメとは社会に全く適合できないどころか、人との関わりという根本的なところから破錠している様である。 寂しさを認めたくがないために強がり、他人を馬鹿にし、ちょっと優しくされるとその優しさに盲信する。 かといって幸せになったらなったで、今度は疑心に苛まれる。 くだらない嫉妬とわかっていてもそれを確認せねばならない強迫観念。 全くの思い込みがどんどん膨らんだ末の暴力。 読みながら「最低な男だ!」と思いながらも、その端端に自分でも感じたことのある、心臓に痛みが走るような記憶がある。 このような人間を馬鹿にしている自分も同じ程度なのかという思いに襲われ、ゾクッとする私小説だと思った。 どんどん引き込まれるさまは、見世物小屋のようでもあり、己の恥ずかしい過去でもあり、自分が行く末なのかもしれないという恐怖感も感じられる。 己とここまで向きあう様はまさに戦いであり、殆どの人が有耶無耶にしている血みどろの孤独な戦いである。 そんな姿を自分と重ねるもよし、ただの読み物として捨て去るもよし。 すべてのダメな男、自分はダメだと思ってもいない男にもオススメです。(女性は生理的に拒絶しそう。) | ||||
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表題作は、後年「秋恵もの」と称される、著者唯一の、相思相愛の女性との同棲生活の修羅を描く一連の小説のはしりといえるもの。 ほんの些細なことがきっかけで、主人公の男は、同棲相手と諍いになる。その諍いは、どちらかというと男の側からの一方的な攻撃に終始するのだが、時々応戦する女の反逆の言葉が、さらに男の怒りをエスカレートさせる形となり、最後は振上げた拳が女の頭目掛けて振り下ろされて終焉を向かえるといった、所謂るドメスティック・バイオレンスの一部始終が描かれる。 しかし、ここには、生のDV現場の陰惨さは微塵もない。それは、自ら公言する「スタイリスト」たる著者の、ある種のストイックな生き方のしからしむる所とも言えよう。男の悪態は、決して単なる感情に身を任せた「暴言」などではなく、見事にスタイルを有した『セリフ』と化しており、本書のクライマックスとなっている。日常生活において、ある意味もっとも劇的とも言うべき「夫婦喧嘩」(二人はまだ籍を入れてはいないが)のシーンを、冷静に再現することによって、あたかも正統なる「セリフ劇」の見本を提示してくれる。まさに、正しい悪態のつき方とはこうなのだと言う、見本市のようだ。 併載される「汚れなき酒のへど」は、風俗で知り合い昵懇になった(と錯覚した)相手に、大金をネコババされる顛末を描く。何とも情けない事態に陥る著者の愚かさを赤裸々、かつ自虐的に描いた私小説、というのが一般の見方だろう。私も読みながら素直にそう感じてページを繰っていた。しかし、その情けない事態を語る著者の筆致には、みじんも悔恨の悲哀なり、裏切りに対する怒気が感じられない。それはそうだろう、これは小説なのだから、何がテーマであれ読者に奉仕するのがその使命である。己が不幸な運命にウジウジと拘泥していては小説にはならない。であれば、どんな無様な醜態も、何れは小説のネタになる訳だ。 しかしいずれはこの自虐ネタもそのストックが底を尽き、読者も再三の同工異曲に新鮮味を感じなくなる時は来るだろうし、そうなった時それを意識した著者が作家としてどんな行動に出るのか?さらに私生活での行動をエスカレートさせるのか?はたまた、私小説からの転換を図るのか?岡目八目ではあるが、その辺りが今後の見所と言えそうだ(H23.10.1)。 | ||||
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突然だが、芥川賞を受賞した作品は売れる。候補作は売れなくても、受賞作は売れる。もしかしたら受賞作と候補作のレベルに大きな差はないかもしれない。それでも、芥川賞を受賞することと受賞しないことの間には、深い溝がある。売れる、ということは、それだけ多くの人に読んでもらえる、ということだ。これはどの作家にとっても本懐だろう。多くの人に作品を読んでもらいたい。だから作家はその賞を熱望する。 本作「暗渠の宿」も「苦役列車」がなければ、読者に読んでもらえる機会はもっと少なかったかもしれない。けれど自分は賞云々でなく、純粋にこの作家の作品に惹かれる。本来、作品とは賞でその価値が変わるものでもないはずだ。もっともっと、この作品が世に問われることを望む。 どなたか失念したが雑誌で「西村賢太氏の作品を読むと動揺する」と言っていた。何故、動揺するのか? 西村作品の主人公は一貫している。その共通点を挙げれば、卑屈、狭量、短気なくせにネチネチしている。読んでいて、こんな奴とは付き合いたくない、と思う。しかし、読まずにはおれなくなるのだ。どの作品にも、どこかに必ず自分自身が潜んでいるのである。 例えるならば、沼の底の鏡。沼底にゆらゆらと揺れているものがあるので何かと目を凝らしてみたら、それは鏡に映っていた自分の顔だった。そんな時、動揺しない人間があるだろうか。西村作品を読んで、心が動揺しない人があるならば、その人は聖人か嘘つきのどちらかだろう。 | ||||
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いやー風俗で騙される話なんて、僕と同じようだ 何回約束しただろうか、待ち合わせ場所に来ないなんて 聞かれたくない、話したくない、いや話したくもないことを流れるような文体で読むと自然と入ってくるよ 同じだよ、彼女が欲しくて、ほんわかとした生活がしたかったあのころを思い出す あの芥川賞作家、直木賞作家の中で、群を抜く身近な作家、作家として凄い技量を持ち合わせている素人目でもわかる、清流のような文体から来る読みごこちの良さ 凄い作家だね 偉大なる私小説作家の芥川賞後の発表作がすごーく気になるよ 中古でなく新刊を買いたくさせる初めての作家です | ||||
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車谷長吉の文章のようにヒリヒリするところがないのが、 もひとつ、かな。 その分、ポップとも言えるが。 私小説、というか、小説の魅力の大半は文章なんで、 この作者の流暢な文章は、凡百の小説の中で魅力的だと思う。 | ||||
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野間文芸新人賞を取った表題作よりも、個人的に『けがれなき酒のへど』が面白かった。まずタイトルが良い。タイトルは本の顔であり、才能に比例する。これほど鋭く風俗業界の女性の本質と、単純な男の哀しさを描写した小説を知らない。私にも似たような体験があるのだ。 西村賢太の小説は、藤澤清造や川崎長太郎のパロディであり、それをさらに過激なブラックユーモアの文学に発展させたものである。大正時代の作家にどんなに文体が似ていようと関係ない。思わず噴き出す笑いを誘うこのブラックユーモアは西村賢太だけの宝であり、風俗を描く作家としては、吉行淳之介よりも川崎長太郎よりも面白い。しかし、それは近代文学の真面目な研究の土台の上に、まるで果物の木に実がなるように、自然にできあがったものである。この作家が有名になる前に自費出版した田中英光私研究は、第一級のものである。 | ||||
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私小説である。もてない男の風俗体験記や同棲日誌といった内容だ。主人公の男は過去 の負い目や自分だけのこだわりがあり、通常の人間関係を築いてこれなかったため、感情を コントロールできない。すぐに激昂して暴挙に出たり、暴言を吐く。主人公の感情の起伏に合 わせて、ところどころに出てくる馴染みのない旧い言い回しはある種のリズムをつくっており、 読みやすくはしている。私も文芸春秋、当小説、「小銭をかぞえる」と立て続けに3作読んだ。 作者には少し親近感も覚える。 ただ、慊い。何故こうも多くの人が傑作だ素晴らしいと5つ星で賞賛するのか。結句、表現力 が優れているのだろう。芥川賞作家だ。藤澤清造という作家に一途で光を当てようとしている。 だからといって、この内容の本を皆んなが皆んな読んで感心する時代はおかしくないだろうか。 少なくとも女性や子どもの読む本ではなかろう。はな、私小説とはそういうものではないのか。 | ||||
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典型的な私小説ということのようだが、車谷長吉のような「伝統」に根ざした美学はほとんど窺えず、太宰治のようなサービス精神溢れる巧緻な芸もあまりみられずで、ややモノトーンな筆致と展開。それだけ赤裸々で、痛々しい、とも言える。2011年のこのご時世に、こうした露悪的、自虐的な私小説に命を賭ける40代の作家がいる、ということを知っただけでも、十分な収穫か。同時に、作者がどう変化していくか(変化していったか)にも興味が残るので、今後も文庫本にて多少のフォローは試みるつもり。 | ||||
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好きな女性を得ようとするときの心はまるで純朴な少年のようであります。 ところが、いったん自分の女にしてしまえば何の落ち度もない(少なくともそのように書かれてある)女に対して言われなき非難の言葉を浴びせかけます。 「ちょっとそれはないだろう。もっと優しくしてやれよ」と読者が思うことは、多分百も承知で確信犯的にどうしようもない男を描いていきます。 暴力や性欲や見栄や嫉妬なんて醜いものは自分の中に認めたくないし、よしんば認めたとしてもできる限り隠しとどめておきたいもの。 それをこのように堂々と悪びれもせずに書かれると、こちらも恐れ入ってしまって、表に出る行動や言葉は違うにしても、自分の暴力や性欲を見せてもらった気がしてなぜかホッと安心したりするのです。 | ||||
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老人力という言葉が一時はやりましたが これは圧倒的な私(ワタクシ)力! 鬱々と自分探しをしている若者は、いったん探すの中断して ためしに思いっきり他人と軋轢を起こしてみましょう。 そこに探していた<本当の自分>が現出してくるかもよ。 探すどころか、もう嫌で振り捨てたい<本当の自分>が。 文章のアナクロニズムは、作者が大正から昭和中ほどまでの私小説作家に私淑し、 文学のイロハを彼らから独学で学んだせいでしょう。 | ||||
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「けがれなき酒のへど」、「暗渠の宿」、二編。 平成に書かれた昭和の私小説。 主人公は藤澤清三(「清」は旧字)の没後弟子を自負し、その全集の刊行をめざす、志のある人。 その志にたがわぬ秀逸な作品。ものすごくよく書けている。 じぶんの病の部分を、客観的に、かつ粘着質に、描写していて、そこに迫力がある。 「けがれなき酒のへど」はセックス中毒で恋愛願望の強い男が、プロの女にやられる話。 「私」は中年初期の男で、純情一途な強さと、性欲に翻弄される弱さとが同居している。 途中から、ああああそっちへいっちゃあお終いよ、と思う道を選んで転落。 気の毒だけど、理解者は、得られる道理がない。 「暗渠の宿」は典型的なDV加害者の「私」の同棲の顛末。 暴力のトリガ―は飲酒で、暴力をふるった後、やさしい気持ちになる所など、DVする人の心理が詳細に語られる。 プライドが高く、社会から認められていないという劣等感があり、ちょっとしたことで傷つき、弱い者にはけ口を求める。 相方には厳しく、ラーメンの作り方ひとつで、ものすごい怒りの爆発、暴力になるところなど、リアル。 相方に甘え、相方をじぶんに従順であるべき物としてしか見てないところも、DV加害者の典型。 吐き気がするほど微細に、暴力をふるう心理的な経緯が描かれている。 主人公は自分を正当化しているわけじゃない。 「買淫」という言葉の選び方にもみられるように、 じぶんのやっていることの実態を理解している。 だから余計みじめになるし、じぶんを責める。 つまりは善良な「傷ついた子ども」で、 おいたちに起因する心の傷を抱えており、 それが文章から伝わってくるから、同情的に読める。 余計なお世話だけど、ここまで客観的に自己分析できるなら、 信太さよ子さんのところでも行って、DVとセックス中毒から抜ければいいのに。 それができないうちは、女性との交際はやめとかないと、この人はよくても、相手が不幸になる。 これだけ書けるんだから、この治療の過程を書くと、すごい小説になる気がする。 | ||||
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今までスマートでカッコいいミステリーをハラハラドキドキしながら楽しく読み漁って来たが、この私小説に出会ってからというものの、手に入るこの人の作品全てを読まなければ居ても立ってもいられないという状態が続いている。 早く、全部読んで、2度目3度目を読んで、もっともっと、浸りたい。 全ての方にお勧めできる内容では無いかもしれないけれど、僕のように他のどんな小説よりもガツンと来る、という方はきっと、絶対、居る筈。 こればかりは読んでみるしか、ない。 尚、芥川賞受賞作よりこちらから入る方がよりディープで良いと思う。 | ||||
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肉体労働をしながら、愛する小説家の押しかけ歿後弟子として、月々の法要も欠かさず、その作家の資料を集めて全集刊行を目指す一方、女にもてずに買春に明け暮れる男。そんな彼がソープの女に騙されたり、やっと女性と同棲を始めたものの、今度は彼女が処女でなかったといったあれこれが気になりだし、あげくの果ては暴力をふるう。 どうやら私小説らしい作品。読んでいるうちは、ふむふむとそのやや破天荒な生活ぶりを面白がって読んでいたけれど、読み終わると、酔漢の与太話を聞いて一夜明けたかのように、残る印象は稀薄だ。おそらく、作品としてそれなりに整っているものの、たとえば車谷長吉さんの作品のような、作品として突き抜けてくるものがないのでは、と思う。 敬愛する私小説作家たちからの引き写しなのか、「おお根」「自分の精をつからす」「とうどう」「尚と」「はな」「言うがものはないよ」などといった古風な言葉が会話文の中にまで散りばめられていて、中には使い方が違うのではと思えるものもあり、そんな時、案外浅い気取り文学なのかとも思えた。その辺が、作品の中で(作者本人にとって?)、暴力が単なる暴力にとどまっていることにもつながっていると思う。 | ||||
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西村氏の作品は、内容がとても下品。 酒と女と暴力がメインテーマ。 本書には2話が収録されている。 1話目は恋人の欲しい主人公が風俗で恋人を得ようとする。 金銭的にかなり無理をして店に通い強い下心を隠して格好良く振舞う場面など、男なら記憶があるはず。 そしてこの風俗の女性の本音に気付いた時は既に遅し。 結果はある程度予想できたが、面白く一気に読んだ。 2話目はやっと同棲に至った彼女を愛している一方で、心の弱さから暴力を振るってしまう主人公の姿が巧く描かれているのが印象的。 愛するが故に彼女の過去の男性遍歴を聴いて嫉妬し、やるせない気持ちを爆発させる主人公の姿には共感する。 暴力の是非は一旦置いておくとすると、主人公は非常に男らしい。 というのも、セクハラ・パワハラをはじめコンプライアンス遵守の言葉が先行し、部下に些細な注意すらできない男やコンプラさえ注意していれば無難に過ごせるという守りのスタンスの男が増加する社会環境の中、自分の気持ちに正直に生きる主人公の姿は現代社会では稀少の人物であると感じたためである。 現代社会ではロクデナシのレッテルを確実に貼られてしまう主人公に共感する男性は少なくないはずだ。 僅か数百円でこの作品を味わうことができてとても幸せに感じた。 | ||||
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まるで東スポを読んでいるようで面白かった。 騙されるよね、と思いながら読んでいたら、やっぱり騙されましたね。 風俗嬢に本気になってはいけませんね。 かく言う私も、著者と同じような経験をしたことがあります。 読みながら、「これ俺のことじゃん」と思うところがいくつもありました。 著者の他の作品も読んでおこうと思いました。 おススメ。 | ||||
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以前、芥川賞をとり話題になった作家の本を読み、あまりのひどさにびっくりして、それ以来、芥川賞を信じるのをやめた。 しかし、今回は大当たりである。おもしろすぎでしょう。とりあえず、この人の本を全部買って読む予定である。品薄で手に入るまで時間がかかるであろうが。 | ||||
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