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プロジェクトぴあの
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プロジェクトぴあのの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.55pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全22件 1~20 1/2ページ
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個人的に宇宙、アイドル、永久機関と言った話題が大好きです。 これに同感できる方は絶対に読んだ方が良いよ。 山本弘先生、とてつもなく素晴らしい作品をありがとうございました。 | ||||
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永久機関、アイドル、ARが好きな ちょっとオタクな理系な人は絶対オススメ。 間違いない。 山本弘氏は偉人だ。 | ||||
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こんな凄いSF小説が日本に実在していた事を今まで知らなかった事が残念でならない。いや、今から山本先生のSFを思う存分楽しめると考えれは良かったのかもしれない。山本先生が亡くなった事は本当に残念。アジモフと言い人類の損失。 | ||||
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山本弘ってもう少し雑な文章を書く作家だと思っていたんですけど、これは間違い様のない傑作です。この作品をこれまで読まずに放置していた自分が愚かだったと反省しています。 Amazonのセールには感謝です。 | ||||
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ハードSFってホント良いですよね。これぞSFって感じがして胸が躍ります。 結末についてはこう終わらせなくても良いんじゃないの?って気もするんですけど、まぁこういうエンディングもありっちゃありですかね。 | ||||
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ぴあのの宇宙に対する愛は、美しくて完璧。けど、悲しい愛ですね。 上巻では大きな風呂敷が出てきましたが、下巻では特に大きな風呂敷も出ず、物語は収束に向かって進んだという感じですかね。面白かったですが、下巻はガジェットが出てこないので、星4つです。 この作品に限らず、主人公の考え方(というか作者の考え方の一つでしょうけど)が面白いですね。良い悪いは置いといて、自分が、凝り固まった概念で、一方向の側面でしか物事を見ていないという事を痛感させられます。 SFって読みにくい作品が多いのですが、この作者の作品は非常に読みやすいです(一部あまりに専門すぎて読みにくいところもありますが、一部です)。読みやすいうえにアイデアは奇抜。この作者のSF作品がこれ以上出てこないと言うのが残念です。 | ||||
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面白い。神は沈黙せずとタメを張るぐらいか。自分は結構採点厳しめで、星4.5ぐらいですが、四捨五入して5つにします。理系が苦手な人には分からない言葉がどうなんだろうと思いますが、物語としても面白いと思います。相対論と量子論の統合に話が及ぶとは思っていなかったけど、そうでもしないと宇宙には行けんはな。下巻も楽しみです。 個人的にはぴあののキャラも大好きです。 | ||||
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読んだ記憶あるな~と思ったけれど、本棚に紙版が見つからないのでうっかり、Kindle文庫verも買いそうになりましたが、もう持ってたよ、ハードカバー版Kindle。とても面白かったので読まなきゃ損です。 しかし、ハードカバー版には「あとがき」が無いのです。下巻だけ買うか? https://www.amazon.co.jp/dp/B00NWCI6BI/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1 | ||||
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今更ですが、頭がとっても良い作者ですね。ご病気で苦しまれておられるとのことですが、元が良すぎたですね。 世界が良くなって欲しい! そんな願いが伝わって来ました。 | ||||
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はじめこそ、?的な始まりだが 読み進めるに従い とても 楽しめた。 | ||||
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上巻のシンパイは杞憂だった! 山本センセイの小説だから大丈夫と思って読み進みましたが、 凡夫の予想をはるかに突き抜けた結末にフルえた。 正しく突然変異レベルの異能の天才! ぴあの本人に言わせれば 初志貫徹。 地球上に生息する ホモサピエンスの大半を占める 《うすのろ》たちとおさらばデキた。 といったところだろうが そこにコトバやリクツで片付けきれない、 さみしさを盛り込むのが山本節。 ラスト数ページは絶対、 1992年の”風船おじさん失踪事件” 意識してるよね、山本センセイ。 オハナシ変わって。 突然変異的な天才と言えば わが世代がまず思い浮かべるのは、宇宙猿人ゴリ博士。 歌の文句では 追放された~ なんて言ってますが、実際は 自分の意志でオン出てきたんですよね、故郷の星《惑星E》を。 ありとあらゆる障害を振り切って旅立つ天才 というキャラがカブってる。 地球=EARTH は正しく 《惑星E》だ。 ぴあのがゴリなら、すばるは・・。 ラーの役、フって貰え中なかったんだな。 幸と見るか不幸と見るかで サクヒン全体の印象が変わってくるな。 | ||||
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大いなる目標の為、秋葉原をめぐる、ぴあのとすばる。 アイドルとして人気を維持しつつも メガネと普段着でバレないのを クラーク・ケントに例えてます。 しかしながら、コミック版『スーパーマン』では 70年代にデイリー・プラネット社がTV会社に 吸収合併され、 クラークケントも新聞記者から ニュースキャスターに 転身を余儀なくされた折、 (ココからはうろ覚えで申し訳ないが) 確か目から出る催眠光線をメガネ越しに照射してるから スーパーマンだとバレないコトになってたはず。 現実世界でも、イロイロと解析方法がとんでもない進歩をしてる のを耳にもします。 目ざといファンの中に虹彩や骨格なんかから 正体を見破るヤツとか出てこない? 勝手にハラハラしつつ下巻に取り掛かります。 | ||||
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. 『これは "ハードSF作家・山本弘" の遺書だと考えてください。』 何かをネット検索していて、この言葉が目に飛び込んできた。 『多くの方がすでにご存じでしょうが、僕は二年前に脳梗塞を患いました。本当に突然の発病でした。現在、いくらかは回復してはいますが、依然として計算能力や論理的思考力は低いままです。』 だから、もうこの作品のような、科学理論を駆使した「ハードSF」は書けないだろう。そのため、本作は『"ハードSF作家・山本弘" の遺書』になるだろう、と言うのだ。 山本の作品はいくつか読んでいて、中でも『アイの物語』は、そうとう愛着のある作品だ。 また、私は「宗教」批判のために、わざわざキリスト教の研究を独学で始めたような、自覚的な「無神論者」なので、『神は沈黙せず』なども面白く読んだし、山本の「と学会」活動にも一定の興味は持っていて、そこから副島隆彦『人類の月面着陸は無かったろう論』なんて本も、わざわざ古書で入手して読んでみたりもした。 つまり、山本の熱心なファンというわけではないけれども、山本を「ちょっとユニークで、書けるSF作家」だと思っていたので、そんな彼が脳梗塞に倒れ、思うように書けなくなっていたというのを知って、なんとも言えない感情(あえて言えば、同情をともなった残念さ)を憶えた。 そして、山本のこのエッセイが、文庫版『プロジェクトぴあの』の「あとがき」の転載だと知って、それならば同作を読まねば、と思ったのである。 ○ ○ ○ 『プロジェクトぴあの』は、単行本刊行時に目にしていたが、「アイドルもの」という点で興味がなかったのでスルーしていた。また先日、文庫版が刊行されているのも、書店頭で見かけて知っていたが、その時点では、山本の、このエッセイを読んでいなかったので、その時もまったく興味がなかった。 では今回、作品本編を読んでみて、どうであったか。 一一 面白かった。 本作は、「古き良きSF」的な、リリシズム溢れる佳品であったのだ。 私は典型的な文系人間だから、物理法則や宇宙論についても、文系的に興味を持ってはいたものの、決して詳しいわけではないし、正しく理解しているわけでもないので、山本が本作で描いてみせた「航宙動力理論」の面白さや斬新さも、十全に理解できたわけではない。その意味では、私は本作の良い読者ではないのだが、それでも本作は、とても面白く、記憶に残る作品となった。 どこが良かったのかと言えば、それは主に、主人公の「ぴあの」のキャラクターであり生き方であった。 「重力の桎梏から逃れて、外宇宙にまで行ってみたい」という幼い頃からの夢を持ちつづけ、そのために、独学で科学を勉強するかたわら、アイドルになって資金集めまでした、ブレることを知らない、ぴあの。天才的な頭脳を持ちながらも、宇宙以外のことには基本的に興味がなく、他人の感情にもかなり鈍感で、おのずとそうとうな「変人」である、ぴあの。 そんなぴあのが、外宇宙へ旅立つまでの姿を、彼女に恋していた青年の目を通して描いた「片恋物語」が、本作でもある。 つまり、著者の山本が強く意識した、アイデア勝負の「ハードSF」というだけではなく、本作は「切ない片想い」を描いた「青春恋愛小説」でもあったのであり、たぶんかなり多くの読者が、そうした側面に惹きつけられたのではないだろうか。 私が本作に特別に惹きつけられた点は、ぴあのの性格設定にある。つまり、その「変人」ぶりだ。 自慢するわけではないのだが、私もかなり「ぴあの的な変人」なので、彼女の生き方には、深く共感できた。いかんせん、彼女のような「天才的頭脳」は持ち合わせていないので、彼女のような派手な人生を歩むことはできなかったのだけれども、それでも平均的な人生からはかなりズレているし、私の変人ぶりは「知る人ぞ知る」程度のものにはなっていると思う。 例えば私は、徹底した「趣味人」であり、その趣味人的な生活の水準を維持するために、結婚はせず、子供も作らなかった。子供は嫌いではなかったし、異性を好きになることもあったが、結婚しなければならないとか、子供を作らなければならないとは思わなかったし、それで「世間体が悪い」とは少しも思わなかった。そんな世間の目など、屁とも思わなかったのだ。 結婚については、例外はあろうものの「恋愛感情は脳科学的な現象でしかなく永続はしないから、結婚という制度的拘束はリスクが高い」とそのように考えていたし、子供については「結婚すれば子供が欲しくなるだろう。子供を作れば、きっと可愛くて仕方がなくなり、自分の趣味人的人生を犠牲にさえするだろうが、現時点の感情として、わざわざそんな人生を選びたいとは思わず、今の生活を守りたい」と考えた。かなり恵まれていると思える現在の生活の「現状追認」である。 また、性欲処理については「今どきオカズには困らないのだから、マスターベーションで済ませた方が、時間的にも金銭的にも無駄がない。性交は、あえてしなければならないものではない」と考えた。 一一 つまり、私はこれくらい「割り切った考え方」のできる人間であり、これは傍から見れば、たぶん「変人」の範疇であろうと、自覚しているのである。 そして、こんな私だからこそ、ぴあのの徹底した生き方には共感ができた。 私の場合、宇宙には興味はないけれど、世間的な価値観に縛られず、一直線に自分の求めるものを追い続けた、ぴあのの徹底した生き方に共感したのである。 そして、その一方、ぴあののような「天才」を持たない私は、彼女に「片想い」をするしかなかった、本編語り手の青年・昴(すばる)の「切ない感情」にも共感できた。それは「届かないと知りながらも、思い続けずにはいられない」という感情への共感である。 私の場合、「一切知の夢」が、それであった。 この言葉は、博覧強記の天才・南方熊楠を評するために使われた言葉だが、私はこの熊楠よりもさらに広い範囲に興味を持ち、それらを全部「ひととおりは知りたい」という感情を持っているのだが、しかしこれは、たかだか百年しか生きられない人間には「とうてい届かない夢」であることは明らかだ。 例えば私は、もう20年近く前には、すでに死ぬまでかかっても読み切れないだけの本を所蔵していた。それを読んでいるだけで、もう1冊も買う必要はなくなっていたのだが、しかし、私の興味は、日々広がりつつ重点を移していくために、欲しい本が途切れることはなく、その後も、1冊読む間に3冊買うという度しがたい読書人生活を続けてきた結果、自宅は、『子供より古書が大事と思いたい』という著書のある鹿島茂の自宅よりも、すごいことになっている。鹿島のような邸宅に住んでいるわけではないものの、独身生活の故に、ほぼ4室が本で埋め尽くされるような生活をしているのだ。 あまり見栄えのするものでないのは無論だが、しかしこれもまたやはり「届かないと知りながらも、思い続けずにはいられない」もの、つまり私の場合「一切知の夢」への、言わば「片想い」の結果だからこそ、本編語り手の青年の「切ない片想い」にも、実感をともなって共感できたのではないかと思う。 そして「畢竟、人生とは、夢を追う旅路の半ばで終えるもの(つまり、片想い)である」というのが、私の現在の人生観なのだ。 こうした点からしても、すべてではないにしろ、優れた能力を失ってしまった山本には、痛ましさをともなった同情の念を禁じ得ないし、空疎な励ましの言葉などかけられはしないのだけれども、ただ私がここでお世辞抜きで言えることは、本作『プロジェクトぴあの』は「ハードSFの部分を抜きにしても、十二分にすぐれた片想い小説になってますよ」ということであろう。 この評価に、山本自身は満足しないかもしれないが、すべてではないにしろ、彼の作品が残っていくことは確かだ。それは、彼が物理的に死んでからも、である。 また、変人的に非常識な褒め方をするようだが、小説家は小説を残すことこそが、その生きた証であり、山本はそれをなし得た稀有な作家のひとりであると、私は高く評価するのである。 だから、多くの読者に、本作『プロジェクトぴあの』を読んでほしいと思う。 夢には届かなくても、夢を追いつづける人間の姿は、きっとあなたを励ますはずだからである。 ------------------------------------------------------------------------------------------- 【補記】 本作について「人間に対する絶望が貼付いており、その意味で救いのない作品となっているのだが、SFは人類への希望を語るべきである」とする批判もあるようだ。 その気持ちもわからないではないけれども、私はそうは思わない。 というのも、無根拠かつ無責任に「希望」を語るだけなら容易だが、人類の「度しがたい愚かさ」に挑みつづけるという「実体験」のある人間には、観念的でイデオロギー的な「キレイゴトの理想」など、とうてい語れるものではない(例えば、ネトウヨなどへの説得を試みる、普遍的な人類愛のある人が、どれほどいるだろうか?)し、そんな空疎なものを語るのは「文学ではない」とすら思うからだ。 「文学」が語るべき理想とは「絶望の彼方にこそ見いだす、微かな希望」であって、「安価な希望」などでは、決してない。 山本弘が、人類に絶望するのは、彼が人類の「理性」に期待して、本気で人々を啓蒙しようとしたからに他ならず、それが「と学会」の根本思想でもあった。 しかし、いくら諄々と理屈を説いても、面白く語っても、「妄信者」は決してその「妄信」を捨てようとはしなかった。そうした経験を、嫌というほど積んだからこそ、山本は人類に絶望したのであろうし、本作『プロジェクトぴあの』が「人間的欲望を捨てきれない、愚かな人類への訣別の物語」とも読めてしまう部分もあって、それを残念と捉える向きもあったのであろう。 だが、私にとっては、人類の「悪しき欲望」と戦ったこともない人間の「お気楽な理想主義的イデオロギー」よりは、山本のそれのように「現実を格闘した末の絶望」の方が、まだしも共感できるし、価値もあると思う。 というのも、「現実との格闘を抜きにした、空疎な理想主義」は、どこまでも無責任なものであり、かつ「人類への、本物の愛」を欠いたものであるのに対し、「現実との格闘の末に傷ついた理想主義、としての絶望」は、まだしも、その先に進む可能性としての「人類への愛」を残していると信じるからだ。 悪い意味での「まんが・アニメ的リアリズム」における、うすっぺらな人類愛(や正義)よりも、私は失望や絶望、そして憎悪の感情さえ知っている「大人の愛」こそが、「文学」の描くべき価値のあるものだと考えるので、『プロジェクトぴあの』が理想的な達成ではないとしても、それをいちがいに責めるつもりもないのである。 . | ||||
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. 『これは "ハードSF作家・山本弘" の遺書だと考えてください。』 何かをネット検索していて、この言葉が目に飛び込んできた。 『多くの方がすでにご存じでしょうが、僕は二年前に脳梗塞を患いました。本当に突然の発病でした。現在、いくらかは回復してはいますが、依然として計算能力や論理的思考力は低いままです。』 だから、もうこの作品のような、科学理論を駆使した「ハードSF」は書けないだろう。そのため、本作は『"ハードSF作家・山本弘" の遺書』になるだろう、と言うのだ。 山本の作品はいくつか読んでいて、中でも『アイの物語』は、そうとう愛着のある作品だ。 また、私は「宗教」批判のために、わざわざキリスト教の研究を独学で始めたような、自覚的な「無神論者」なので、『神は沈黙せず』なども面白く読んだし、山本の「と学会」活動にも一定の興味は持っていて、そこから副島隆彦『人類の月面着陸は無かったろう論』なんて本も、わざわざ古書で入手して読んでみたりもした。 つまり、山本の熱心なファンというわけではないけれども、山本を「ちょっとユニークで、書けるSF作家」だと思っていたので、そんな彼が脳梗塞に倒れ、思うように書けなくなっていたというのを知って、なんとも言えない感情(あえて言えば、同情をともなった残念さ)を憶えた。 そして、山本のこのエッセイが、文庫版『プロジェクトぴあの』の「あとがき」の転載だと知って、それならば同作を読まねば、と思ったのである。 ○ ○ ○ 『プロジェクトぴあの』は、単行本刊行時に目にしていたが、「アイドルもの」という点で興味がなかったのでスルーしていた。また先日、文庫版が刊行されているのも、書店頭で見かけて知っていたが、その時点では、山本の、このエッセイを読んでいなかったので、その時もまったく興味がなかった。 では今回、作品本編を読んでみて、どうであったか。 一一 面白かった。 本作は、「古き良きSF」的な、リリシズム溢れる佳品であったのだ。 私は典型的な文系人間だから、物理法則や宇宙論についても、文系的に興味を持ってはいたものの、決して詳しいわけではないし、正しく理解しているわけでもないので、山本が本作で描いてみせた「航宙動力理論」の面白さや斬新さも、十全に理解できたわけではない。その意味では、私は本作の良い読者ではないのだが、それでも本作は、とても面白く、記憶に残る作品となった。 どこが良かったのかと言えば、それは主に、主人公の「ぴあの」のキャラクターであり生き方であった。 「重力の桎梏から逃れて、外宇宙にまで行ってみたい」という幼い頃からの夢を持ちつづけ、そのために、独学で科学を勉強するかたわら、アイドルになって資金集めまでした、ブレることを知らない、ぴあの。天才的な頭脳を持ちながらも、宇宙以外のことには基本的に興味がなく、他人の感情にもかなり鈍感で、おのずとそうとうな「変人」である、ぴあの。 そんなぴあのが、外宇宙へ旅立つまでの姿を、彼女に恋していた青年の目を通して描いた「片恋物語」が、本作でもある。 つまり、著者の山本が強く意識した、アイデア勝負の「ハードSF」というだけではなく、本作は「切ない片想い」を描いた「青春恋愛小説」でもあったのであり、たぶんかなり多くの読者が、そうした側面に惹きつけられたのではないだろうか。 私が本作に特別に惹きつけられた点は、ぴあのの性格設定にある。つまり、その「変人」ぶりだ。 自慢するわけではないのだが、私もかなり「ぴあの的な変人」なので、彼女の生き方には、深く共感できた。いかんせん、彼女のような「天才的頭脳」は持ち合わせていないので、彼女のような派手な人生を歩むことはできなかったのだけれども、それでも平均的な人生からはかなりズレているし、私の変人ぶりは「知る人ぞ知る」程度のものにはなっていると思う。 例えば私は、徹底した「趣味人」であり、その趣味人的な生活の水準を維持するために、結婚はせず、子供も作らなかった。子供は嫌いではなかったし、異性を好きになることもあったが、結婚しなければならないとか、子供を作らなければならないとは思わなかったし、それで「世間体が悪い」とは少しも思わなかった。そんな世間の目など、屁とも思わなかったのだ。 結婚については、例外はあろうものの「恋愛感情は脳科学的な現象でしかなく永続はしないから、結婚という制度的拘束はリスクが高い」とそのように考えていたし、子供については「結婚すれば子供が欲しくなるだろう。子供を作れば、きっと可愛くて仕方がなくなり、自分の趣味人的人生を犠牲にさえするだろうが、現時点の感情として、わざわざそんな人生を選びたいとは思わず、今の生活を守りたい」と考えた。かなり恵まれていると思える現在の生活の「現状追認」である。 また、性欲処理については「今どきオカズには困らないのだから、マスターベーションで済ませた方が、時間的にも金銭的にも無駄がない。性交は、あえてしなければならないものではない」と考えた。 一一 つまり、私はこれくらい「割り切った考え方」のできる人間であり、これは傍から見れば、たぶん「変人」の範疇であろうと、自覚しているのである。 そして、こんな私だからこそ、ぴあのの徹底した生き方には共感ができた。 私の場合、宇宙には興味はないけれど、世間的な価値観に縛られず、一直線に自分の求めるものを追い続けた、ぴあのの徹底した生き方に共感したのである。 そして、その一方、ぴあののような「天才」を持たない私は、彼女に「片想い」をするしかなかった、本編語り手の青年・昴(すばる)の「切ない感情」にも共感できた。それは「届かないと知りながらも、思い続けずにはいられない」という感情への共感である。 私の場合、「一切知の夢」が、それであった。 この言葉は、博覧強記の天才・南方熊楠を評するために使われた言葉だが、私はこの熊楠よりもさらに広い範囲に興味を持ち、それらを全部「ひととおりは知りたい」という感情を持っているのだが、しかしこれは、たかだか百年しか生きられない人間には「とうてい届かない夢」であることは明らかだ。 例えば私は、もう20年近く前には、すでに死ぬまでかかっても読み切れないだけの本を所蔵していた。それを読んでいるだけで、もう1冊も買う必要はなくなっていたのだが、しかし、私の興味は、日々広がりつつ重点を移していくために、欲しい本が途切れることはなく、その後も、1冊読む間に3冊買うという度しがたい読書人生活を続けてきた結果、自宅は、『子供より古書が大事と思いたい』という著書のある鹿島茂の自宅よりも、すごいことになっている。鹿島のような邸宅に住んでいるわけではないものの、独身生活の故に、ほぼ4室が本で埋め尽くされるような生活をしているのだ。 あまり見栄えのするものでないのは無論だが、しかしこれもまたやはり「届かないと知りながらも、思い続けずにはいられない」もの、つまり私の場合「一切知の夢」への、言わば「片想い」の結果だからこそ、本編語り手の青年の「切ない片想い」にも、実感をともなって共感できたのではないかと思う。 そして「畢竟、人生とは、夢を追う旅路の半ばで終えるもの(つまり、片想い)である」というのが、私の現在の人生観なのだ。 こうした点からしても、すべてではないにしろ、優れた能力を失ってしまった山本には、痛ましさをともなった同情の念を禁じ得ないし、空疎な励ましの言葉などかけられはしないのだけれども、ただ私がここでお世辞抜きで言えることは、本作『プロジェクトぴあの』は「ハードSFの部分を抜きにしても、十二分にすぐれた片想い小説になってますよ」ということであろう。 この評価に、山本自身は満足しないかもしれないが、すべてではないにしろ、彼の作品が残っていくことは確かだ。それは、彼が物理的に死んでからも、である。 また、変人的に非常識な褒め方をするようだが、小説家は小説を残すことこそが、その生きた証であり、山本はそれをなし得た稀有な作家のひとりであると、私は高く評価するのである。 だから、多くの読者に、本作『プロジェクトぴあの』を読んでほしいと思う。 夢には届かなくても、夢を追いつづける人間の姿は、きっとあなたを励ますはずだからである。 ------------------------------------------------------------------------------------------- 【補記】 本作について「人間に対する絶望が貼付いており、その意味で救いのない作品となっているのだが、SFは人類への希望を語るべきである」とする批判もあるようだ。 その気持ちもわからないではないけれども、私はそうは思わない。 というのも、無根拠かつ無責任に「希望」を語るだけなら容易だが、人類の「度しがたい愚かさ」に挑みつづけるという「実体験」のある人間には、観念的でイデオロギー的な「キレイゴトの理想」など、とうてい語れるものではない(例えば、ネトウヨなどへの説得を試みる、普遍的な人類愛のある人が、どれほどいるだろうか?)し、そんな空疎なものを語るのは「文学ではない」とすら思うからだ。 「文学」が語るべき理想とは「絶望の彼方にこそ見いだす、微かな希望」であって、「安価な希望」などでは、決してない。 山本弘が、人類に絶望するのは、彼が人類の「理性」に期待して、本気で人々を啓蒙しようとしたからに他ならず、それが「と学会」の根本思想でもあった。 しかし、いくら諄々と理屈を説いても、面白く語っても、「妄信者」は決してその「妄信」を捨てようとはしなかった。そうした経験を、嫌というほど積んだからこそ、山本は人類に絶望したのであろうし、本作『プロジェクトぴあの』が「人間的欲望を捨てきれない、愚かな人類への訣別の物語」とも読めてしまう部分もあって、それを残念と捉える向きもあったのであろう。 だが、私にとっては、人類の「悪しき欲望」と戦ったこともない人間の「お気楽な理想主義的イデオロギー」よりは、山本のそれのように「現実を格闘した末の絶望」の方が、まだしも共感できるし、価値もあると思う。 というのも、「現実との格闘を抜きにした、空疎な理想主義」は、どこまでも無責任なものであり、かつ「人類への、本物の愛」を欠いたものであるのに対し、「現実との格闘の末に傷ついた理想主義、としての絶望」は、まだしも、その先に進む可能性としての「人類への愛」を残していると信じるからだ。 悪い意味での「まんが・アニメ的リアリズム」における、うすっぺらな人類愛(や正義)よりも、私は失望や絶望、そして憎悪の感情さえ知っている「大人の愛」こそが、「文学」の描くべき価値のあるものだと考えるので、『プロジェクトぴあの』が理想的な達成ではないとしても、それをいちがいに責めるつもりもないのである。 . | ||||
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ハヤカワ文庫 山本弘著『プロジェクトぴあの(上)』のレビュー。 時節柄、感染症にかかわる読書が続いていたので、ここらでスカッとしそうなSFを読んでみたくなり本書を購入した。 著者の作品は「と学会」本も含めてそこそこ読んでいるので、その傾向については馴染んでいる(というより、その傾向こそが好きなんです)。 アイドル興亡史的な話もおもしろいが、俺的にハマるのは、“結城ぴあの”と著者が開陳する難解な物理の話だ。 30年ぐらい前にジェレミー・リフキン著『エントロピーの法則』という本を読んだ。 その内容で唯一覚えているのは、世の中で「絶対」という言葉がもっともふさわしい法則こそが「熱力学第二法則」だ、と言っていた事だ。 この物語では、その“絶対”が破られる。正確に言うと、「分子のスケールでは熱力学の法則は破れる」ことを「ぴあの」は発見し、第二種永久機関を作り出す。 「ぴあの」はアイドルという身分を利用して協力者を募ってゆく。 彼女の目的は「宇宙にゆく」こと。 その目的のために、前途に立ちふさがる箪笥(いろんな障害や物理法則)を次々と乗り越えてゆく。 読者は、もう一人の主人公(ボク)とともに、“超光速”で進もうとする「ぴあの」についてゆくことになるだろう。 心地良い脳の疲労とともに。。。。 | ||||
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ハヤカワ文庫 山本弘著『プロジェクトぴあの(下)』のレビュー。 退官間近の神戸大学の周防教授の協力を取り付けた「結城ぴあの」。 「プロジェクトぴあの」は動きだすが、資金的な問題が大きく、なかなか前に進まなかった。 協力者や信用を得るため「みらじぇね=水の分子運動からエネルギーを取り出す第二種永久機関」の原理を公開するも、そんな“マッド”なモノを、なかなか世間は信じなかった。 そういう困難にあいながら「ピアノ・ドライブ」は発明された。 負のエネルギーであるタキオンを放出することで正の運動エネルギー(推進力)を生むピアノ・ドライブは、永久機関と異なりエネルギーの総量は増えない(エネルギー保存則には反さない)。 また、タキオンは空間に満ちているので、エネルギー問題も解決するという、まさに夢のような発明だった。 このように、本書では「タキオン」が重要な物質になる。他のSFでもおなじみの名前だ。 しかし、衆知のとおり現実には、この物質は今だ発見されていない。いや、発見どころか存在するかどうかの確証もない。 それを「アリかも」と思わせるのが、作家の腕の見せ所だろう。 SFとは文字通り科学的空想(ウソ)の物語だが、そのウソが巧みなほど読者は嬉しい。 専門家の見方は分からないけれど、物理や宇宙についてちょっとかじった程度の素人読者(中には素人離れした読者もいるが)を、喜んでウソに浸らせることができる物語を書けるハードSF作家の一人が山本弘であると俺は思っている。 最終章のタイトルは「サイハテ」。 各種試験を重ね、2035年5月、ピアノ・ドライブ船の実用一号機<さいはて>が完成した。 月の周回や月着陸にも成功し、次の目標は「ぴあの」を含めた6人が搭乗しての火星着陸だった。 ここから残り40ページ程でこの物語は終わる。 火星への旅立ちの場面で終わるのか? あるいは火星着陸の成功(または失敗)までを描くのだろうか? 上巻の「プロローグ」にあるわずかなヒントにはどう結びつくのか? ・・・読者は色々と想像する事だろう。 しかし、ラストに向かって読んでいた俺は戦慄した。 「ぴあの」について俺は、「世間とはかなりズレているけれど人間的なところもある嘘をつけない一途な天才少女」というイメージを持って見てきた。 しかしラスト、その程度の想像しかできないから「旧人類(うすのろ)」と言われるのだと「ぴあの」に宣告されたような気がした。 「ぴあの」らしいラストには違いないけれど、俺は正直“ゾワっ”としたのだ。 さらに言えば、難病や事故で亡くなったという「ぴあの」の家族も、本当に難病や事故が死の原因だったのか・・・という恐ろしい想像までしてしまった。 戦慄したのはラストだけではない。 著者による文庫版の「あとがき」もだった。 うかつにも、俺は著者の近況を知らなかったのだ。。。 文庫版上巻のカバーイラストは、「さいはて」に乗った「ぴあの」が、自分を縛り付けていた地球に対して「サヨナラ」と手を振っているようにも見える。 「また3200年後にネ!」 | ||||
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ハードカバー版の方が安かったけれども、尻Pの解説読みたいからね。 SFM連載の「地球移動作戦」が既存のピアノ・ドライブで地球を移動する話だったので、 ピアノ・ドライブとはどんなもので、どのような経緯で実用化されたのかの物語。 プロローグで、結城ぴあのの物語と定義しているってことは、本人はいない状態で伝説にする気はないということだろうな。 ラストは結城理論の展開と説明で終わった。 下巻では理論に基づいて試作から始まるのかな? | ||||
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アメリカの進化論とIDの対立が出てきてなぜと思ったり、NECの特許とかもうなんだろうね。 地道に実証実験機から開始して、有人機とまともだ。 ゼネアビに関しての日本の規制や、アメリカに開発拠点を移すのとかHondajetだね。 残念なのはSpaceX等民間宇宙開発関連会社が執筆時点では成功するにはもっと時間がかかると思われていたらしいことかな。 進んでいるのはバーチャルアイドルだね。 ラストばぶれないぴあのさんに「トップをねらえ!」ネタもつぎ込むとは。 | ||||
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話の内容としてはタイトルのとおり。 狂言回しの男の子の視点を中心に世界の歴史を変えた少女の物語を描いている。 面白くて、上下巻一機読みできました。 逆境においても自らの才能で道を切り開いていく痛快さが、しがない普通のサラリーマンである自分にとってはストレス解消ともなりました(笑。 ただ、凄く驚かされたのはあとがきで書かれた作者の現況で、ご病気によりなかなか執筆活動ができないご様子。 ビブリオバトルのシリーズも愛読していたので、衝撃を受けました。 ハードSF的な要素を含んだ物語はもう書くことが出来ないという告白に心を痛めました。 非常に残念なことですが、それまでに残された作品の面白さはとびっきりだと思っています。 今後も活躍を、ハードでなくても構わないので、期待したいです。 | ||||
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※以下の内容には【ネタバレ】が含まれる可能性があります 抱き寄せ,唇を奪っても,彼女の心はあまりに遠く,瞳にあるのは,はるかむこう. 最初から最後まで欲望のためだけに,その姿が最も剥き出しになる最後のやり取りは, ブレない様子に改めて驚かされる一方,語り部でもある青年に感情移入をしがちのため, 「そこまでやるのか」と,彼女に対していささか好意的ではない感情を抱いてしまいます. それでも,それこそが自分が好きになった女性だと,届かなかった想いを抱き続け, 前向きながらも,決して笑顔ではない,潔さを切なさが入り交じる彼の姿が印象的で, 主役を失った突き抜けるような青空が,これまた何とも言えない複雑な余韻を残します. 上巻の冒頭で語られるように,時代を駆け抜けていった彼女の神話ではあるものの, やはり終盤の流れからは,傍観者を名乗り,自らで否定した彼の物語でもあるようで, 彼と彼女の…ではなかったかもしれませんが,彼の,彼女の物語だったように思えます. | ||||
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